思想信条が違っても音楽までは嫌いにならない | あべこう一(阿部浩一) Official Blog

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シンガーソングライター

 武田鉄矢という歌手・俳優がいます。彼が昨年、高浜原発再稼働差し止め判決に関して、テレビ番組で批判的な発言をしています。

 また、以前ラジオで語った韓国や中国に関する発言も話題になりました。それらの発言は私の考え方と明らかに異なるものです。

 だけど実は私、昔から彼の音楽の大ファンです。武田は福岡で敬愛する坂本龍馬にちなんだ名のフォークグループ『海援隊』を結成。後に俳優としても成功をおさめ、自らが主演のドラマ主題歌『贈る言葉』は誰もが知る大ヒット曲です。

 アクの強い、コミカルなキャラクターイメージが先行し、あまり真面目に批評されたことがないと思われる海援隊・武田鉄矢ですが、彼のつくる詞の世界はとても繊細で豊か。70年代前半にあのエレックレコードから世に出た頃は良質なフォークロックという感じですが、一度解散する82年より少し前はライブでもかなりロック色が強かったり、シティポップ的でもあったりと音楽性も多様。

 もちろんこれは、中牟田俊男と千葉和臣という優れた作曲家がいればこそでもあります。同じく私が大好きな山木康世と武田の共作『思えば遠くへ来たもんだ』と同曲ほど知名度はないものの『恋不思議』は名曲。そのルーツを知りたくて、彼が女性からもてたいけれどもてなかった青春時代のことなどを巧みな筆致で書いた著書も多く読みました。

 このようにシンガーソングライターとしての彼の良さなら、私はいくらでも語ることができます。それだけに正直、彼の考え方や発言は非常に残念です。

 とはいえ、それで音楽まで嫌いになるということはないし、それは少し違うのではないかと思います。

 フォークソングというのは今のJ-POPのルーツとも言えると思いますが、元々は主流ではなく傍流で反権力的なもの。フォークにもいろんな潮流はあるものの、根暗とか女々しい(差別語ですよね)などと蔑まれてきた経緯もあります。

 そんな音楽やアーティストが時を経て市民権を得る中で、自由とか反抗などと言いながら内部規律を重んじる暴走族みたいな状況に陥るということはまぁあるのかなと思います。

 団塊の世代やその少し下くらい。そのアーティストのやさしさや繊細さをファンは支持しているのに、発言や態度ではマッチョに振る舞おうとしているように私が感じる有名ミュージシャンが何人かいます。だいたいみんな好きなミュージシャンです。屈折しているのだろうなと思います。でもその屈折こそが、作品を生み出す原動力の場合もあるのでしょうか。

 芸能人やアーティストで大御所のような立場になり、“文化人化”して政治や社会的な発言を始める人って、だいたい右派的と言うのかマッチョと言うのか。前述の“内部規律を重んじる暴走族”になりがちな気がします。

 音楽でも芸能でも表現することって本来、反骨心とか抑圧に対して物申すみたいなことが基本にあってしかるべきだと思うのだけれど、自分たち自身が権力みたいになってしまうと、社会正義や当然の権利を主張するような動きに対してさえ、「わがままを言うな」というようなことを平気で言えたりするのだよね……。

※文中敬称略