去年、坂本龍馬脱藩の峠に碑と共に設置されたもの | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

≪記念撮影に最適≫

先日述べたように、西予市の羅漢穴から自然、戦跡、ときどき龍馬-韮ケ峠に建立された碑 の帰路、坂本龍馬脱藩の道・韮ケ峠を通って大規模林道を南下した。

峠に寄り、去年の龍馬脱藩150周年記念の一環で建立された碑を確認したのだが、他にも峠には新たなものが建てられていた。


それは最も有名な龍馬の写真に写っている「肘置き台」。但し、屋外のため、木製では腐るから石造になっている。形状等は本物に近いのではないだろうか。故にコスプレ記念撮影に最適。自然、戦跡、ときどき龍馬-碑の裏面

また、二基の簡易トイレも設置されていた。が、「簡易」なだけに、女性の使用に耐え得るか否かは分からない。


しかし元々峠には自治体が建てた木製の門柱を模したモニュメントがあるのだから、できれば未整備の史跡・伝承地へ解説碑や案内板を設置して欲しかった。龍馬を松ケ峠番所まで案内した中岡利吉邸跡や、吉村虎太郎が脱藩前、近隣の土佐勤王党員らと共に別れの宴を開いた市吉屋跡(拙著「龍馬が辿った道」に掲載)等である。


また、話は変わるが、以前、高岡郡内の自自然、戦跡、ときどき龍馬-記念撮影用肘置き台 治体が共同で世界ジオ・パーク登録申請を目指していることを述べた。越知町の横倉山や津野町の天狗高原等の四国カルスト等である。そこで是非再整備して貰いたいのが、以前少し触れた、地表に出た、洞窟を持たない鍾乳石群のある梼原町の自然公園「丸野公園」である。


9年前の登山講師を行っていた時、受講生を案内したのだが、その時は遊歩道や道標は整備されていた。だが、3年ほど前、再び行った時は、下の登山口と上の登山口、双方の登山道が廃道化し、園内の看板の文字も消えていた。洞窟を持たない鍾乳石群は全国的にも珍しいので、是非とも再整備を望む。


尚、下の登山口に建てられている丸野公園の案内板にある「洞穴」とは、丸野洞のことかも知れない。高知大学学術探検部の記録では、全長50mとなっている。同部は本来、高知県随一の洞穴のエキスパートなのだが、数年前、杜撰な調査管理体制により、部員が岡山県内の洞穴で溺死的行方不明(皆の目の前で地底湖に沈んだ)となり、その事後対応についても全国から非難が浴びせられた。そのため、同部はネットから「消えた」。


あの時、大学の学務課や顧問の教授等が探検部に対して、逃げずに「大人の対応」を取るように諭していれば、同部の「疵」は比較的浅く済んだのに、残念な限りである。会社等が重大な事故を起こした時、同部のような対応を取れば、間違いなく倒産する。同部は是非、「禊」をした後、ネットに戻ってきてほしい。


PS:先日、洞穴業界の冊子で、上記探検部が'09年、廃部になっていたことが分かりました。しかし大学のホームページでは末梢されていません。あれだけ全国から非難が集中すると、廃部になってもやむを得ないのですが、やはり、事後対応を指導しなかった大学の責任は大きいでしょう。高知県から洞穴のエキスパート集団がいなくなったのですから。今後、大学側と交渉し、部の調査資料の貸借について相談を検討。


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