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2017-02-19 23:07:01

お龍、土佐和食(わじき)へ(21)

テーマ:龍馬と志士の土佐の主要街道

[鉄道廃線跡から街道へと]

観音山上り口まで引き返すと、東側の民家沿いに女性民権活動家、吉松ます生家跡の標柱が建っている。13歳で孤児となったます(「舛」や「益」とも書く)は、家督を継いだ従兄弟の吉松賢治の元で養育されるが、賢治が民権結社「夜須補天会」の幹部だったこともあり、ますも自由民権運動の思想に染まっていく。

 

そして14歳になって以降、高知新聞前身の土陽新聞に女権論に関する投書を続けて注目を浴び、植木枝盛とも交流するようになり、枝盛の推挙で演説もするようになる等、高知県を代表する婦人解放活動家へと成長していく。

一時期は潮江新田の板垣退助邸に寄留し、退助の三女・猿(えん)と一緒に高知英和女学校へ通学していた。

 

全く無関係の余談の手前味噌で恐縮だが、私も’03~’04年時、高知新聞への各種投書はほぼ100%掲載されていた。

 

ますは明治28年、退助の側近で結社「発陽社」の中心人物の一人だった中西幸猪と結婚している。没したのは東京だった。

 

ます宅跡からは交通量の少ない車道や小径を辿って回遊する。生家跡から東進していると前方の山に、国民宿舎・海風荘が小さく見えるが、本館南(下の写真では左横)の円型会議場の箇所には宝永元年(1704)、遠見番所が設置された。琉球や南蛮船を見張るための施設で、怪しい船を見つけると烽火を上げ、城下まで烽火リレーで知らせていた。

 

T字路に突き当たると南に折れる。この生活路は国道と土佐くろしお鉄道の高架を抜け、ヤ・シィパークに突き当たる。そこからはまた東に折れ、鉄道沿いを東進する。

 

夜須駅を過ぎると土佐電鉄安芸線廃線跡の「県道高知・安芸線自転車道」を辿るが、すぐの夜須川橋梁(一番目の写真)手前から、橋梁南に並行する小径が分かれている。夜須川手前に地蔵(下の写真)があることから、ここに土佐東街道の渡しがあったのだろう。

 

廃線跡自転車道をそのまま南東に進んで行くと、前回触れた、土佐くろしお鉄道の当初の夜須駅予定地が現れる。その南端の十字路付近(下の写真)が、土佐電鉄手結駅跡(前回は「夜須駅跡」と誤記したかも知れない)である。

 

十字路から左手に七軒過ぎると、幅員の広い車道を横断するが、ここから先は、自転車道の西に並行する車道が街道跡ではないかと思われる。しかしその道沿いには旧家が見当たらないため、山腹の自転車道を歩く(下方の写真)。

 

因みに7年ほど前、前述の幅員の広い道路と国道との交差点北にある遍路石から続く小径が、街道ではないかと述べたと思うが、それは誤りで、轟神社参拝道兼手結山に明治期、造成された「四国新道」への近道として利用されていたものと推測される。

 

左手の擁壁が途切れると、右手に四国のみちの道標が現れるので、ここで自転車道と分かれ、小径を街道へ向けて下りる。そちらの街道沿いには蔵や旧家、ロケ地等があるのだが、それはまた次回。

 

手結にも街道の道筋が現存していることが意外、と思う方は次のバナーをプリーズ・クリック

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2017-02-16 21:39:31

ビーム光線型スタンガンで米国から銃をなくせる

テーマ:便利グッズやアイディア

[日本も昭和期に開発開始]

アメリカで銃による殺人やテロが起こるたびに浮上する銃規制法案。しかし全米ライフル協会等による圧力で、いつも議会で否決される。

 

協会やその支持者は、銃は護身のための必須アイテムと言うが、そもそも銃は人を殺すための武器であり、身を守るものではない。

 

銃に対抗する護身グッズとしては、人を殺すことなく、離れた所から相手にダメージを与えることができ、携帯可能なものである必要がある。

 

その理想の護身グッズ(アメリカからの輸入)の「予告広告」が、’84年か’85年頃、日本の月刊雑誌「GUN」等に掲載された。商品名を忘れたのでネットでは検索できないが、マグライトのような円筒形のスタンガンで、電極棒がスパークして電流を発生させるのは通常のスタンガンとほぼ同じ。しかし、発生した電気は10mほど離れた狙った所に飛ぶ。それはSF映画等で見るレーザー光線銃のようでもある。

 

これならば相手を死傷させることはないし、相手が拳銃を持っている場合でも対抗できる。もしアメリカで今でも製造されているのであれば、射程距離は最低でも1.5倍以上伸び、商品はより小型化されているはずである。

 

これがあれば全米、いや全世界から銃をなくせるし、既存の銃工場の製造ラインの何割かを、このビームスタンガン(仮称)用に変更すれば、雇用も維持できる。

 

ところで「GUN」等に掲載されたその商品は、残念ながら日本で発売されることはなかった。その広告が載った次の号を見るとまたその広告が掲載されていたのだが、それは「お詫び広告」となっていた。

 

つまり、当局から指導があり、法的に輸入できなくなったのである。商品が犯罪に悪用される危険性が高いと判断されたためだろう。

その後、暴力団等が販売目的でこの商品を輸入したという話も聞かなかった。

 

当時、日本でも同様のものは開発されていた。しかし当然ながら法的に商品化されることはなく、技術もアメリカには遠く及ばず、アメリカ製のものより何倍も大きくて重く、携帯できる代物ではなかった。

因みに添付写真は当時、日本で販売されていた通常のスタンガン。

 

アメリカでは毎年、幼児・児童による銃の誤射でも膨大な数の人が死亡している。悲劇を繰り返さないためにも、真剣に銃からビームスタンガンへの移行を考えるべきだろう。

 

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2017-02-15 00:07:21

坂本龍馬と間接的関係のある議員先祖

テーマ:その他の坂本龍馬関連

[中谷元前防衛大臣先祖墓所]

先日、高知市の介良富士(小富士山・170m)から鉢伏山(213.4m)を回遊時、復路沿いに中谷元前防衛大臣先祖墓所を見つけた。これは私が、中谷議員が介良(けら)出身であることを知っていたため、中谷姓の墓所を見て「もしや」と思って写真を撮り、帰宅後、郷土文献で確認した次第。

 

中谷元議員と坂本龍馬との間接的関係については過去複数回、ブログで解説したが、中谷議員の奥方の実家(香南市香我美町山北)が、龍馬の義兄・岡上樹庵の兄、藤田篤治邸跡で、龍馬の姪、岡上菊栄が作業していた納屋跡や、庭に「龍馬の駒繋ぎ跡」(下の写真)があるほか、龍馬がもたれかかっていた床柱の残る家屋が他所に移築されていることも述べた。

 

中谷家墓所には、元議員から四代前の渉吉(1819-1907) からの墓がある。渉吉は郷士で、戊辰戦争の東征に参加しているが、同じ村で交友のあった、国木田独歩の小説『富岡先生』のモデルとなった富永有隣潜伏先の郷士(今後記事を投稿予定)も一緒に参加している。

 

渉吉の長男・速水(安政2年生まれ)は明治以降、司法官として40年勤務している。明治31年に山口地方裁判所長に就任して以降、樺太地方裁判所長、大審院判事等を歴任。退官後は山内家家政顧問となっている。

 

速水は子供がいなかったため、姉・中ノ内ムラの四男・貞頼(明治20年生まれ)を養子にして家を継がせた。貞頼は大正2年、東京帝国大学法学部独法科を卒業後、警察官となり、後に警視庁外事課長に昇進した。

 

更に弁護士試験に合格すると弁護士になった傍ら、明治漁業、長門炭鉱の取締役、日活社長等も歴任した。

大正13年には衆議院選挙に憲政会から出馬して当選。その後の選挙では政友会より出馬して連続四期当選した。

 

戦時中は反戦派として近衛内閣と対峙していたが、昭和21年時の選挙では落選し、以降、政界に復帰することはなかった。

妻・春枝(明治40年生まれ)は貞頼が落選した年、香美郡美良布町で丸中木材の社長として辣腕を奮っていた。以後、本社を東京に移し、「土佐の材木王」となった。

 

貞頼・春枝の長男、健(昭和5年の東京生まれ)が元議員の父。高知の城東中学校(追手前高校の前身)に転校してきてからの三年時、大阪で商業の修行をしようと家出するものの、すぐ見つかり、連れ戻される。

 

その後転校したが一年で中退、今度は許されて上京し、材木問屋で修行をした。しかし材木業では財を成すことは困難と考え、貞頼とその友人が創設した大旺建設前身の柳生建設に入社する。ここでは商才を発揮し、昭和39年、社長に就任。6年後には工事業績で四国一となった。

 

その後も全国森林土木協会、高知県建設業協会、高知さんさんテレビ等の会長職を歴任した。高知市の人気グルメスポット「ひろめ市場」も発案・創設している。

三男・元氏が誕生するのは昭和32年のことである。因みに元氏が政治家を志したのは、父に幼少期から勧められていたため。趣味の囲碁も父親の影響。

 

余談だが、3年前、藤田篤治や周辺の龍馬の伝承地についての取材を元議員の高知事務所に申し込んだ後、元議員の義弟である県会議員の方から連絡があったが、こちらが姓しか名乗っていなかったにも拘わらず、私のフルネームを把握されていた。

 

過去、「中谷元」での語句検索で当方ブログ訪問が何件かあったため、もしかして当方ブログを閲覧されていたのかも知れない。

 

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