真実のよさこい伝説紀行(9・完・後編) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

アメブロのシステムが不調のため、一度に投稿できなかったので、前編の史跡ガイドを投稿します。

※純信菩提寺と慶全の寺がぬかっていたので、7/7夕方、追加投稿致しました。

史跡ガイド

純信寺子屋跡純信堂(四国中央市川之江町塩谷)

寺子屋跡の上に昭和35年、純信の霊位を安置した純信堂が建立された。側に一里塚跡碑や娚岩の墓がある。高津紙器社の国道11号を挟んだ東側。



井川家(川之江町農人町1564番地)
本陣長野家跡から北上する讃岐街道が東に向きを変える三叉路北側の家。

 

純信の晩年の住居(久万高原町東川 2520番地) 自然、戦跡、ときどき龍馬-明治末頃のはりまや橋

岡本家。純信一族は皆、純信の川之江での苗字「岡本」姓だが、純信だけが中田姓を名乗っていた。子孫健在。東川橋東袂から北に折れ、左手に二軒目の家。家の東側に若干、古道が残っており、岡本家も管理当番になっていたであろう、松山街道の常夜燈が残っている。


 

純信の墓所

岡本家南の国道494号を東に数百メートルほど行った箇所の共同墓地内、六体地蔵の西側。国道沿いに案内板あり。

 


⑤純信及び岡本家の菩提寺(久万高原町七鳥286番地)

元は東川にあった東泉寺だが、大正5年、西光寺に合併され、真言宗豊山派宝瑠山東光寺となった。尚、西光寺は明治18年にも沢渡の宗法寺を合併している。
国道33号と国道494号の間の県道212号の若干北にある。

 

純信曾孫の食堂(東川東古味458番地) 自然、戦跡、ときどき龍馬-純信曾孫


しずか食堂を一人で切り盛りされている。定食その他皆、安い。大勢では入店しないように。国道494号沿いの町立七仕川幼稚園を北に過ぎて少し行った東側。大きな看板があるから分かる。

 

慶全墓所(高知県大月町柏島)


町立柏島保育所の西向かい。現地標柱には「慶禅」とある。

 

⑧禅昌寺後身の寺院(慶全墓所の北)

禅昌寺は明治4年、廃仏毀釈で一旦廃寺になった後、同14年に再興された。しかし明治19年の暴風雨で全壊、翌年、護念寺に合併される。

余談だが、護念寺は戦時中、海軍水上特攻部隊である第134震洋隊の宿舎の一つに充てられていた。周辺の各壕や機銃陣地跡は消滅している。


 

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