鉄橋も廃線跡の遺構としては屈指の見応えのある遺跡と言えるでしょう。廃線になると撤去される場合が多いのですが、地域住民等からの嘆願により、存続する場合もあります。
(1) 国鉄福知山線旧線・旧第二武庫川橋梁(兵庫県西宮市~
前回も紹介した旧福知山線ですが、旧第二武庫川橋梁を北に渡ってから現在の武田尾駅までの1キロの区間は、現在、
その
尚、この鉄橋を挟んで両岸にトンネルがあり、当然廃線跡ウォーキングもそれら多くのトンネルを通り抜けて進みます。
ただ、廃線跡のメインは
ですが私が探訪した’90年時も現在も廃線跡を歩くハイカーや廃線ファンは多く、また、旧線は終始武庫川沿いを走っているため、河原に下りて水遊びも可。
(2) 国鉄土讃線旧線・旧第三穴内川橋梁(
旧土讃線の廃線跡が残っているのは主に、徳島県三好市・阿波川口駅南方から
この廃線跡へも鉄道で行くことができます。大杉駅を下車すると、
南方の大杉トンネル手前から旧線跡が西側に分かれますが、
しかし森林組合の少し南方から林道となって分岐し、地形図にも記載されていない旧第三穴内川橋梁を渡って穴内川の対岸に渡ります。この鉄橋も保線路がそのまま残されています。
穴内川河原にも下りることができます。
この周辺の廃線跡は’07年秋、高知放送のテレビ取材で、私が石原満俺(マンガン)軌道跡(香美市~
(3) 住友別子鉱山篭電車軌道・四通橋(
住友別子鉱山鉄道の上部線と下部線は、四国の廃線の中では最も有名ですが、その二線以外にも数多くの鉱山鉄道が地上と地下を貫いていました。
その一つが探鉱通洞(昭和18年開通)から第四通洞(大正4年 開通)を通り、採掘した鉱石を選鉱場のある端出場まで輸送していた篭電車軌道です。
篭電車はそこよりも地表に近い部分にも走っており(日浦と東平を結ぶ通洞)、一般市民の乗車もできました。
篭電車はその名の通り、マッチ箱のような簡便な車輌で、板のベンチが両端にあり、向かい合わせて座るようになっていました。尚、日浦と東平を結ぶ路線とは地下エレベーターで連結され、乗り換え可。
第四通洞と四通橋への立入は禁止されていますが、四通橋の東に並行する足谷橋から橋の全景を伺うことができ、第四通洞前にも遊歩道が通っており、柵の奥を覗くことができます。橋はマイントピア別子本館の南。
JR
(1)~(3)の廃線跡の詳細は拙著「四国の鉄道廃線ハイキング」を。特に住友別子鉱山の全路線を解説しているのは拙著が唯一。
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