東京は気難しいとよく言われます。

 江戸にもどり、江戸で武家がどれだけの面積を占めていたか、絵図からの計算と思いますが、70%と言われています。残りは寺社15%、町民15%です。

 幕府は旗本8万騎、それに各藩を入れた江戸の武士の数は(多分秘密で)統計がないようです。推定で、50万人と言われています。町人は100万人位です。

 一見、町人も多いようですが、今の日本に置き換えると、警官と自衛官が東京に集まっている感じです。

 町人も、寺社も、何々の殿様と江戸に来たとか、何々のお屋敷に仕えているとか、城下町の意識でしょう。

 幕府から保護を受けた組合(座)というものもあります。江戸は城下町の集合体のようなものです。

 「江戸っ子は三代目から」といいますが、これは山王、神田といった下町の一部の職人社会でした。

 本体の、江戸は軍事社会といってよさそうです。

 明治の戸籍で、全国の士族は8%でした。東京の場合、未確認ですが、士族を中心の新政府で、全国平均の2倍以上、2割近いのではないでしょうか。

 武士は、“勝 負”の修練をし、儒教の“仁 義 礼 智 信”の心得があり、組織が分かり、私心に走らない訓練もあったでしょう。

 戦争を担ったことはともかく、その後の企業社会でも通用しそうです。

        

              志賀高原ふもとの秋

 

 ときを超え、江戸の侍社会が東京の企業に姿を変えました。閉鎖された城下町の集合です。

 山の手方面では、飲食店の親父(おやじ)さんに、「サムライとかではないですよね」などと言っても良い顔をされません。

 家(うち)は○○さん(役所、会社)と古いお付き合いで、他所(よそ)からの人と同じにしてもらっては困るということでしょう。

 大企業でも、西の松下、サントリー、三井(三越)は商家(しょうか)から、京セラは独立系、東のソニーやホンダは軍の研究機関からの移行です。風土は大違いです。

 この、サムライ気風は、余り、活字にならず、目に見えません。ウィルスのようで、まれに姿を現わします。

 日本の東と西では組織の構造が違うと、若いころから分かっていたらと思うこともありますが、そうしたら西日本の人から契約がもらえなかったかもしれません。禍福は同率です。

 紳士の一類型と言えなくもない、そういう気風があると思っていれば良さそうです。

 ところで、東京のサムライ気質では、女性は、裏方を仕切る役回りになります。軍事のような社会の、簡単な上下でない、奥で目を光らせている女性になります。ここは今の企業社会に通じます。

 中小会社、商人、農漁村などの、多数の社会と異なります。

 最近の、男女横並びの普通の関係にという政府などの言いたいことが分かってきます。

 それでも、何と言っても強い、サムライ・ウィルス。たまたま、二つの風土の接点にある人(ご夫婦など)は、ここのところを注意したらうまくいくのに・・と思いながら、(士族出身でなく、東京に住んでいるだけの)私が滅多(めった)に口にできない、不思議なところです。