憲法改正は、 選挙や国会の度に話題になります。
認識不足でしたが、これまで憲法改正の日本会議の会長が元最高裁長官であること以外は余り調べたことはありませんでした。
日本会議のエンジンは、生長の家(正式には今は離れている)、神社本庁、神道政治連盟、靖国神社のようです。
生長の家は、今、安倍政権と距離を置いているようですが、戦時中「皇軍必勝」をスローガンにし、メンバーは日本会議で活動を続けています。
少し前の安倍内閣では大臣19人中15人が日本会議メンバー、今(平成28年10月)は10人です。
これだけ条件がそろえば、平成28年8月の参院選の後は、憲法改正に突き進むように見えますが、実際の空気はそうでもありません。
公明党が、憲法改正について、水を差すのは、神社本庁などの宗教団体との対立が原因のようです。
「押しつけ憲法」と言われる現行憲法を、当時の内閣法制局、(幣原)首相、法務大臣などは、強制されたようです。
現行憲法案は、GHQ民政局の中で、いくつかに分けられた部局が、横の情報交換を禁じられながら、昭和21年2月4日から12日までの8日間で作り上げました(後記の文献)。 軍事機密のような、徹底した秘密主義で、今日(こんにち)まで秘密が守られ、関わった人の証言はほんとありません。
内閣法制局長官が途中で関わりを放棄、日本の専門家としては法制局の佐藤達夫だけが立ち会ったけれども、翻訳して内閣に持ち帰る作業が多かったようです。外務省も翻訳を手伝いました。
外務大臣吉田茂や通訳の白州次郎も立ち会ったようですが、その後は関わりに触れないで通しています。
GHQの中の「女性の権利」の素案を担当したのが、22歳で、戦前から日本にいた父とともにユダヤ人、ソ連・KGBのエージェントで、1年くらい前に米国籍を取得した「ベアテ・シロタ・ゴードン」でした(「日本国憲法の真実」高尾栄司。制定過程についてこの本に拠っています)。
憲法の知識もないベアテ・シロタは、8日の間に冗長な女性の人権条項案を作ったようですが、現行憲法で残っているのはむしろその上司で神智学(理想主義的な神秘学)の幹部だったピーター・ルーストです。
GHQ案が8日間で作られたものか、単にまとめ作業が短かかったのかは日本側には分からず、他方でワイマール憲法やソ連憲法を含む西欧憲法のエッセンスが集められました。未だに公開されていませんが、高レベルの憲法学者が関わっているとみるべきでしょう。
戦争放棄を提案したのは幣原首相からだったように見せかけられたこともありました。
日本側は、「すべての自然人は法の前に平等である」(外国人を含む)との案を「すべて国民は法の下に平等であって」(現行14条)とすることなど、逐条的な交渉はしました。
わずか10日か2週間の交渉を挟んで昭和20年2月19日にGHQの民政局憲法案が示され、それを2月中に(6日間で)政府案にするように指示されました。
並行して、GHQは、「原子の光」に言及したり、「天皇の身分」の存続のためと圧力をかけました。
昭和21年3月6日、極く一部を修正し、政府案を発表。 11月3日、憲法発布。
この制定経過からは、占領軍による「押しつけ憲法」であることは明らかです。
他方で、「自主憲法」制定を主張する人たちは戦時中の思想的背景である宗教界です。
どうしてそれに同調する議員が多いかを考えると、神社や遺族会は日本中に根を張り、有力者です。選挙にどれだけ有利か明らかです。反対に、公明党が簡単に同調しない理由が分かります。
「西欧憲法のエッセンス」と「伝統日本」の選択になります。伝統といっても明治の「神権国家」です。「神権復古」の憲法改正では、なかなか・・・。
「今の憲法改正には同調できない」という、多数派世論が初めて理解できました。