№1337 わが青春のアルカディア | 回転!揺りイス固め(プロレス=元気!=生命力イラストレーター.モンスターAMのネタログ)

№1337 わが青春のアルカディア


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 10年8月2日鑑賞。
10年165本目。

 宇宙は「イルミダス」という宇宙人の侵略に脅かされていた。
地球も例外ではなく、抵抗むなしくイルミダス地球占領軍に
統治される状態だった。ハーロックは実戦英雄賞をもらう
ほどの名将であったが、いまは難民引き揚げ船の艦長。

 イルミダス人は地球人を奴隷扱いにしていて、「この薄汚い
黄色のネズミめ」とののしって、手に持っていた「フライドチキン」
を投げつけてくる。さらに地球人を評してこうも言う。
「地球人はすぐに新しい環境に順応する。つまり、昨日まで
敵だとわめいていた我々に、今日は尻尾を振ってついてくる」

 そんなイルミダスに反感を持つハーロックに、地球人の
義勇軍を組織して、トカーガ星を滅ぼしに行けという
命令が下る。命令を持ってきたのは「協力内閣首相」の
トライターだ。彼は、イルミダスに協力すれば地球の安全
は保証されるのだから地球のためにトカーガを滅ぼして
イルミダスへの忠誠を示すべきだと主張する。

 だが、ハーロックはこの申し出を断り、腐りきった地球
を脱出しようと、宇宙貿易人エメラルダスの宇宙船を
奪おうとする。するとそこに地球占領に協力させられて
いたトカーガ人のゾルたちがやってきて、その船は
自分たちがトカーガに戻るために使わせてくれと
言ってきた。イルミダスが地球占領のためにトカーガ人
を利用し、用済みになったトカーガを今度は地球人の手で
滅ぼさせようとしていることに気付いた彼らは、
手を取り合ってイルミダスへの抵抗を誓っていた。
だが...

 「世界中の読者あるいは、同年代にも伝えたいのは、
私は世界中がお互いに理解し合い、仲良く暮らして
いきたい。そのためにも、思想、宗教、信条、民族感情、
これに土足で絶対に踏み込んではならない。
お互いに敬意を払いながら楽しく仕事を続けて
いきたいし、またそう言う物を描きたい。
だから、地球上で争っている場合ではない。
どこの国の人とも仲良く、お互いに敬意を払い
ながら、穏やかに楽しく暮らしていきたい。
そのために、この仕事をしているんだという断固たる
想いがあるわけです」
(夢は叶うー ~松本零士~ asianbeatより)

 といいつつも、最近のイメージではやたら他人に係争
ふっかけては裁判で負け続けている松本先生。
あれほどの地位と一時代を築いた人がなぜ?
と思ったオールドファンは少なくないと思う。

 で、今年たまたま同じ北九州が生んだもうひとりの
「松本」清張作品に(生誕100年という事もあって)接する
機会があったので、ガンダム世代である前に
松本零士チルドレンでもあった私が、今一度検証して
みようと思い立ったわけだ。

 2001年に公開される予定だった新作『宇宙戦艦ヤマト』
は、「多国籍的な乗組員」になる予定だったし
(『宇宙戦艦ヤマト伝説』フットワーク出版社)、
劇場版『銀河鉄道999』(1979年)でも、トレーダー分岐点
などで「多国籍的な」人々が都会で共存している
様子が描かれていた。

 人種の壁を越えて仲良くすることが、零士先生の
考える人類の未来像であったことは確かなのだろう。
1982年公開の『わが青春のアルカディア』
(原作・構成・企画 - 松本零士)でも、もちろん
「友情」は大きなテーマ。ハーロックとトチローの時を
超えた友情、地球人とトカーガ星人の人種を超えた
友情は、このアニメ映画のストーリー上の根幹。
やはり松本零士の思想は、一貫していて劇中でも
描かれている。

 ところがロマンとか友情とかそういう形のないモノに
酔いすぎると松本作品は決まって破綻するか、
途中で終わってしまうのだ^^

 「キャプテン・ハーロック」にしても然り。
原作は当然のように未完である。
それはしかし未完=松本零士その人自体ではあったのでは
ないかと考える。そして零士先生の戦争体験が
『わが青春のアルカディア』には濃厚に描かれている。
事実、先生の発言の中にはこんなものもある。

 「亡国の悲哀ね、国が破れるということがどういうこと
なのかということは、子供心にもイヤっていう程
味わいましたね。B29の大群に追われ、機銃掃射も
受けている、その記憶がまだ生々しい内に占領軍が
やって来て、そんなるつぼの中で暮らしていた
んですよ。あの頃の私たちの扱いって、本当に
動物以下でしたからね。と言っても、ひとりひとり
の兵士に対しての憎しみは起こらないですけどね。
中には優しい人もいるわけでしょ。ただ占領軍全体と
なると『絶対に施しは受けない』っていう気概は
子供ながらに持っていましたね。占領軍兵士が
投げてくるキャンディーなどは踏み潰して歩いて
ましたから」
(松本零士インタビュー ルーフトップ★ギャラクシー)

 子どもが見れば「限りある命の尊さ」だったり「時空を
超えた友情の尊さ」だったりする映画が、おとなから
見れば悲しい現実を描いていることが分かる・・・
なんて事は良くある話だ。特にテーマとストーリーが
乖離しているのは、松本作品の宿命なのかもしれない。

 ましてや、東映で「ストーリーの破綻よりドラマ性や
ロマンを重視する演出家」として美形キャラブームの
火付け役となった勝間田監督(同じ松本作品である
「惑星ロボ.ダンガードA」の「トニー.ハーケン」などは
松本先生のモノというより完全に勝間田ワールドの
住人である^^)の作品となれば、「999」やテレビ版
「ハーロック」を演出したりんたろう監督とか、
「ガンダム」「イデオン」で頭角をあらわしはじめていた
富野由悠季監督(お二人とも手塚先生の虫プロ出身者
でデビューが鉄腕アトムなのだ^^)のように作品としては
破綻が少ない演出家(富野監督に関して言えばあくまで
当時の話^^)より「松本作品向き」な人材だったのは
確かだろう。

 ちなみにこの作品が作られた時代背景を考えると、
東急エージェンシー創立20周年記念作品として製作
された肝いり大作であったわけだ。
だが、ファントム・F・ハーロックI世の声を当てている
石原裕次郎の約5分で1,000万円以上という高額な
出演料がアニメ誌などで話題となったほかは、
これといった評判もなくて、興行収入は前年に上映された
『さよなら銀河鉄道999』や他の松本劇場アニメと
比べても今ひとつという有様。

 時代は既に「ガンダム」や「イデオン」が席巻
しはじめていた。また続編がテレビシリーズ
『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』として
製作されたが、こちらも視聴率は振るわず
(裏がだって「連想ゲーム」に押井監督の出世作
「うる星やつら」だったんだから、当然のごとく私は
このテレビ版は一回も見ていない^^)、結果
全22話で打ち切りとなっている。

 そのため、次の劇場公開作品として企画されていた
「QUEENエメラルダス」は制作中止になり、事実上
松本アニメブームは終焉を迎えた。

 さて、以上の事実が意味しているものは
至って明快なものだろう。

 「敗北」である。

 松本作品の根底には常に信じられる明るい未来と共に、
「敗北」という現実も容赦なく描かれている。それは
「今に見ていろ」という、小倉から上京し、四畳半一間で、
望まない仕事(まあいっちゃえばコミカライズ作品とか
「光速エスパー」みたいなテレビ主導作品だったり)を
仕事としてこなしていた、それでも明日を信じられる
敗北していた青春時代こそが松本零士という人の
アイデンティティーであったわけだ。

 たとえば「地球」を「日本」に入れ替えるとわかりやすい。
戦争に敗れてアメリカに占領された日本。
そして、アメリカの命令で他国の侵略に向かわせられる
未来の日本が、『わが青春のアルカディア』で描かれた
「世界」である。これが敗北でなくてなんであろうか。

 先生のインタビューでの発言が、その裏付けだと
言えるだろう。

 『わが青春のアルカディア』では、この強烈な世界観の
方が、テーマとされている「友情」よりもはるかに強い
インパクトがあったと思う。それは改めてこの年になってみて、
ブームというも熱もなくなって冷静にいち作品として
振り返られたからだからだと思うけど、「友情」をテーマに
したものは『巨人の星』をはじめとする梶原作品のもう
一つの十八番でもあったし、そこに差別化を図るには
確かでリアルな「敗北」を描かねば成り立たなかったと
言ってもいいだろう。

 そこには戦勝国アメリカに「尻尾を振ってついて」
いった、日本の「戦後」が存在したわけであるし。
松本零士という人が、そんな忘れられつつある日本の
「敗戦」と、高度経済成長後の日本の「戦後」を描く
作家であり、決して敗北を忘れない...
いや、常にこの人は「敗北者」の立場にいたい人
なのだと考えたらどうだろう??

 そう考えると「ヤマト」の第一シリーズ後半や最初の
劇場版「銀河鉄道999」、あるいは全国の少年少女を
涙させた「さらば宇宙戦艦ヤマト」などは実を言うと
零士先生の意向とはかけ離れているものだった
のではないか。事実テレビ版「ハーロック」(70年代
の方ね)を演出したりん監督が、ハーロックに地球に
とどまるための「理由付け」として原作には登場しない
親友のトチローの娘、まゆを描いたり、「ハーロックは
のたれ死にすると思います」というりん監督の言葉に
零士先生が反発したりと、あまり「そり」はあわなかった
ように思われる。でなければ興行的に大ヒットをとばし、
松本ブームを牽引した「功労者」の一人であるりん監督
(が同時期に「幻魔大戦」などを作っていたという
スケジュール的な事情もさることながら)が
「登板」せずに、勝間田監督が起用された
意味がわからない。

 まあ確かに「ダンガードA」という実績はあったと思う
けど、零士作品の「ストーリーの整合性よりロマンと
友情を優先」させる勝間田演出の方が、観客的には
ともかく松本零士的には「アリ」だったんだと思う。

 事実、この映画のかなりの部分は破綻しているが^^
零士先生はこの作品がお気に入りらしいと
いう話は聞いたことがある。

 ハーロックにせよ星野鉄郎にせよ、「土足で人の大事な
部分に踏み込んでくる者」と戦うためのレジスタンスで
ありテロでもある暴力的な手段しか選択肢が用意
されていない。だが、少年少女が見るアニメ映画が、
テロを推奨するようなものであっていいはずもない。
そこでは美しく、希望に満ちた言葉が語られなければ
ならなくなっていったわけで、実は松本先生の中では
「整合性」があるのだ。

 そう考えていくと最近の松本先生の行動は「成功者」と
しての松本零士という視点で見てはいけないのでは
ないかと思うのだ。

 またこの作品には実を言うと「敗北者」の似合うキャスト
が配置されている。ルパンとの闘いで軍門に下った
石川五右衛門、そして何度も勝利を得ながら結果的には
負けてしまう星飛雄馬のライバル.花形満を演じた、
「ハーロック」役の井上真樹夫さん、「ガンダム」では
連戦連勝のジオン軍のエースパイロット、でありながら
結局はガンダムとアムロにぼろくそにやられてしまう
「シャア」こと「トカーガのゾル」を演じた池田秀一さん、
そして自らをスタンレーの魔女に身を捧げてアルカディア
を助ける老トカーガ兵を演じた「ポルコ.ロッソ」こと
森山周一郎さん...(ちなみにエメラルダスの台詞に
「汚れたブタになってまで地球に残ることはない」という
台詞も本作にはあるのだ^^)

 実に敗北者向きのキャストといえないか??
まあ声優さん自身が「敗北者」といっているわけでは
ないんでそこは誤解ないようにしていただきたいのだが、
要するに松本先生は世間的に成功を収めて美人の
奥さんももらって(美人漫画家として有名だった
牧美也子さん。ちなみに奥さんと梶原先生は一緒に
仕事もしている^^)世の中的には「何の不満が...」
と思われるかもしれないが、そこが実を言うと松本零士
という人の「アイデンティティー」を曖昧にしてしまった
一番の問題だったと思う。

 ただ、世の中基本的に成功を望まない人はいない。
宮崎さんだって富野さん(この人の場合はある意味変わり
すぎていて、変わらなすぎだけど^^)
だって松本さんだってそうだろう。

 しかしそれでは己のアイデンティティーが保てない。
そう考えた零士先生はハーロックよろしく「己の信じる旗の下に」
本当に「闘ってしまった」のだ。

 「劇場版999」のハーロックの台詞よろしく「負けると
分かっていても闘わねばならないときがある」と
本気で思って、たぶん本気で負けたんだと思う。

 「ヤマト」の原作権はややビミョーだったけど、
「槙原裁判」はあきらかにそうだろう。

 そう思ってみると「常に己の信じる旗の下に闘う」者
=「敗北者」でなくてはならなくなってしまうのでは
ないか?そう考えると身もふたもないが、そんな
敗北者でも信じていい未来と、やってくるかどうかも
わからない「明日」を信じていいんだということを
松本先生は身をもって我々「松本チルドレン」たちに
教えたかったのではないか?

 スタンレーの魔女に挑んでいったファントム.F.ハーロック
一世よろしく。

 しかも松本先生の信念としては「名誉ある死」より
「無様でも生きる」事があるのは明白。たとえ敗北しても、
己のプライドをずたずたにされようとも、泥をすすり、
時が来るまで勝利を信じて耐え抜くこと...
そのためには「生き恥をさらしてでも」生き続けなければ
ならないのだ。

 「槙原裁判」はほとんど零士先生の「言いがかり」に
近いものがあったと思わざるを得ないけど、本人の中では
全くぶれたことをしているつもりはないのだ。
槇原敬之本人にとっては大迷惑だったと思うけど^^

 初見で見たときは「絶対ささきいさおさんか水木一郎
さんに歌って欲しかった」と思っていた渋谷哲平の
主題歌エンディング『わが青春のアルカディア』にも
実は「安らぎはいらない。孤独が欲しい。孤独でなければ
夢は追えない」と謳われている。

 そう、今や孤高の極みに達した松本先生は「孤独」
だったのだ。だからこそ「夢を追った」。
そして「敗北者」になった。
作詞・山川啓介、作曲・平尾昌晃、編曲・矢野立美という
なにげに豪華な布陣(平尾さんはテレビ版「ハーロック」の
主題歌でもおなじみ。山川さんは劇場版「999」の
ゴダイゴ「999」の日本語詞を担当)は既に当時から
それを予見していたのであろうか?

 時代が少しずつ松本零士という巨人を置き去りに
しかかっていた80年代初頭。そこに「己の旗の下に自由に
生きた」生き様は決して卑下される者ではない。
むしろ今だからこそ顧みてしかるべき事だと思う。

 日本人の多くが自信を失って、私自身も安定した職を
失った「敗北者」(そんなつもりはないですけどね、
私自身には)になった今だからよくわかる。

 むしろ「ガンダム」の「ニュータイプ」的な生き方
より、「自分たちも夢を追っていいんだ」という自信を
この映画は与えてくれたような気がする。
そう!信じる旗があるのであれば、その旗の下に
生きればいいのだ。それを「宇宙」という果てしない
世界を舞台に松本ワールドは我々に語りかける。

 実は「ガンダム」以上に普遍的かつ、日本人の心に
訴えかけるものだったのかもしれない。
それがいつであろうとその人の「青春のアルカディア
(理想郷)」なのだ。理想郷は理想にしかすぎないとか
いわないように^^
それをいっちゃあ身もふたもないんだから^^

 とにかく今、小倉が生んだもうひとりの「松本」作品を
振り返ったのは自分にとっても有益だった。
明日から私も己の旗の下で自由に生きよう^^

 私のはだいぶんぼろい旗ではあるけれど...^^



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