アメリカは、中国に対して厳しい態度に出ることに決めた。
国際社会に引きずり出す(たとえば、WTO加盟や国際特許条約への加盟)一方で、中国再封鎖(リコンテインメント・オブ・チャイナ)にかけて締めつけようとしているのである。
私たちは、世界覇権国アメリカの新たな企みに乗せられてはならない。
日本は、「集団的自衛権の行使の是非」の議論の姿を借りた、アメリカからの意図的な攻撃の裏を読まなければならないのである。
アメリカは、再び新たな罠(試練)を、私たち日本国民に仕掛けてきたのである。
この私でさえ、もう少しでアメリカに編されるところだった。
<日本の官僚たちの抵抗>
この新たな重要な対日戦略論文「米国と日本――成熟したパートナーシップに向けた前進」
は、アメリカ国防大学の国家戦略研究所が二〇〇〇年一〇月に発表したものであり、英文ではThe United States and Japan; Toward a Mature Partnership(INSS Special report,October 11,200)である。
この原文は、インターネット上でも読むことができる。
それは『朝日新聞』の記事によれば次のような性質のものである。
(記事の引用開始)
集団的自衛権行使を 米専門家グループ、対日政策提言
【ワシントン11日=加藤洋一】
米国のアーミテージ元国防次官補ら超党派のアジア専門家のグループが十一日、来年の新政権発足に向け対日政策の指針となる報告書を発表した。
日本重視の姿勢を明確に打ち出す一方、
日本政府が集団的自衛権の行使は現行憲法下では許されないとの立場を取っていることは
「同盟協力の制約になっている」
と指摘、政策転換を求めている。
沖縄に駐留する海兵隊の訓練をアジア太平洋全域に分散することで、地元の負担をさらに軽減する考えも示している。
このグループにはアーミテージ氏やウォルフオビッツ元国務次官補ら共和党系の元政府高官に加え、クリントン政権で日米安保「再定義」を手がけたナイ元国防次官補、キャンベル同代理ら民主党系の専門家も参加している。
提言は、次期政権の政策に大きな影響を与えると見られている。
(『朝日新聞』二〇〇〇年一〇月一二日付)
(記事の引用終わり)
この解説記事からも、集団的自衛権の行使に日本政府が踏み切ることを、アメリカ側が暗に、強く推し進めようとしていることがわかる。
この新聞記事の中にも、「集団的自衛権の不行使は同盟協力の制約になっている」とアメリカ側の意思をはっきりと書いてある。
それに対し、現在の日本国政府の姿勢は、内閣法制局長官による明言として、長年、次のように報道されている。
(記事の引用開始)
自衛隊の国連軍参加 19日の衆院予算委での法制局長官見解
国連軍への自衛隊参加問題に関する工藤敦夫内閣法制局長官が示した政府見解は次の通り。
一、国連憲章に基づく、いわゆる正規の国連軍へわが国がどのように関与するか、その仕方、あるいは参加の対応については現在まだ明確に言う段階でない。
ただ、考えられる思考過程というか、研究過程をいうと、自衛隊についてはわが国の自衛のための必要最小限度の実力組織である。
従って憲法九条に違反するものではない。
一、こういった自衛隊の存在理由から出て来る武力行使の目的を持った海外派兵というものは一般に自衛のための最小限度を超えるから許されない。
自国と密接な関係がある国に対する武力攻撃に対し、自国が直接攻撃をされていないにもかかわらず実力をもって阻止する集団的自衛権はわが国は国際法上、持っているとしても、その権利行使は憲法九条の下では許されない
(後略。文中傍点は著者による。『読売新聞』一九九〇年一〇月一九日付)
(引用終わり)
さらに、歴代法制局長官は同一見解を堅持している。
(記事の引用開始)
憲法解釈に堅いガード ガイドライン見直し巡り内閣法制局
六月初旬に中間報告が公表される日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の見直し作業をめぐり、大森政輔長官ら内閣法制局幹部が「憲法解釈は変更できるものではない」という固い姿勢をとっている。
(中略)
内閣法制局は、憲法九条、とりわけ、集団的自衛権の行使については厳格な解釈を貫き、それが自衛隊の海外での活動などをある程度抑制する役割を果たしてきた。
(中略)
湾岸危機当時の一九九〇年、国際協力のための自衛隊派遣が論争になった際にも、
「米軍などと武力行使の一体性があるものは、集団的自衛権の行使にあたる」
とし、自民党内にあった派遣容認論を突っぱねた。
(『朝日新聞』一九九七年五月三一日付)
(引用終わり)
この内閣法制局の態度に対して、「官僚ごときに一国の重要な外交および国際法上の行動基準を決めることができるのか」という非難と批判が現在日本国内に沸き起こっている。
この内閣法制局長官の考え方は、大蔵省(現・財務省)と防衛庁の内局(背広組。実は財務省と警察庁からの出向官僚たち)および防衛施設庁の官僚たちも共有している。
なぜ、日本の官僚たちは、まるで大勢に刃向かうように、政権政治家や保守派の言論界にさえきわめて不評であるこのような態度に、あえて出続けているのであろうか。
ここを私たちは真剣に考えなければならない。
政治家や国際派財界人や防衛庁の制服組(防衛大学出の軍人)のトップから激しく嫌われているにもかかわらず、なせ日本の官僚たちは「集団的自衛権の行使は日本国憲法に照らして許されない」という奇妙な理屈にこれはどにこだわり、しがみついているのであろうか。
その理由を、私たちは考えなければならない。
ここでは、「官僚たちがまた悪いことをしている」という、常套句は通用しないのである。
日本の官僚たちは、どうやら必死でアメリカからの要求と脅迫に防戦し、抵抗しているのである。
私は、防衛庁広報課に一九九〇年一〇月に沖縄の嘉手納基地や普天間基地などの見学に連れて行ってもらったことがある。
そのときにこの問題の内側の実情に鋭く気づいた。
この私の書き方は、防衛庁自身も予期しないものであろう。
私は、鋭くすべてを見抜くのである。
防衛施設庁が、在日アメリカ軍の全国各地の司令官たちからどれほど、やいのやいのと、あれこれの金銭要求を突きつけられているのかがほのかに見えた。
アメリカ政府は日本の官僚たちに激しく圧力をかけて、お金(思いやり予算という)をせびっているのである。
そんなことは日本の新聞にはまったく書かれない。
日本は、情報・言論統制国家である。
とりわけ、国家の外交上の重要問題にかかわる大切なことは一切報道されない国である。
日本の官僚たちのアメリカヘの強固な抵抗線がここにある。
官僚たちは一言も説明や弁解を日本国民にしない。
必死に悪役に甘んじている。
なぜアメリカが今頃になって急激に「集団的自衛権を行使せよ」などと言いだしたのか。
それは、前述したとおり、日本を中国といがみ合わせ、国際社会の荒波に叩き込もうという作戦に出ているからである。
これだけ金融・経済の場面で体力を落とした日本国が、今度は軍安全保障の場面で世界の荒波の中へ叩き込まれようとしている。
私たちは、立派で勇ましい一等国民のふりをして、おだてられて国際社会の揉め事紛争の中に、バカ面下げて、のこのこと出ていくべきであろうか。
それよりはむしろ、今こそ慎重に国内に立て籠るという考え方(「「立て籠り国家戦略」もあるのではないか。
これが、果たして卑怯者呼ばわりされることであろうか。