リオクアルトではかなり歴史がありそうな(建物が古そうという意味で)、ロイヤルホテル(Royal Hitel)に泊まった。
一週間前にネストルがリオクアルトを案内してくれた時、リオクアルトで泊まることにしていたキャンプ場に
行ってみると改装中で閉まっていた。
ネストルは
「大丈夫、任せとけ」
と言って、街中を数ヶ所回った後に私達を連れて行ったのがこのホテルだった。
しかも既に3泊分支払ってあるという。
それはさすがに申し訳ないので払おうとしたのだが、反対にボロいホテルで申し訳ないが、私の気持ちだから泊まっていってくれと言う。
街中だし、個室で部屋にバストイレもあるし、近くにスーパーもあって本当に助かった。
しかも急遽1日早くベロタランに行くことになって、一泊分をベロタランから戻る昨夜に振り替えてもらった。
なんともありがたい。
I have trekked from Uruguay to Chile only on foot 22 years ago.
I bought a horse just for carrying my stuffs.
I didn’t ride but pulled the horse.
When I came to Río Cuarto,I met two Gauchos, Omar and Nestor, and the story began.
本当は、昨夜オマールにアサードに誘われていたのだが、ちょうど昨日、オマールの息子アルバリートに子供が生まれたらしく中止となった。
アルバリートは写真で青いシャツの私と、マテとテルモスを持った散髪屋のカミーロの間に写ってる少年。
その彼に2人目の子供が生まれたなんて!
カミーロの左隣がホセ・ココで、その娘が2人。
話を22年前に戻すと、ベロタランを出て5日後くらいに着いたリオクアルトの町外れで、ガウチョのネストルとオマールに
声をかけてもらって、オマールの家に厄介になることになった。
そしてオマールに、この街のガウチョ連盟会長のホセ・ココに紹介してもらった。
その時はそろそろリオクアルトの街を出て西に向かうつもりでいたが、ホセ・ココの一言で新たな物語が始まったのだ。
「半月後にこのリオクアルトでガウチョのお祭り「Encuentro Nacional del Gaucho(全国ガウチョ会議)」があって
アルゼンチン中からガウチョ達が集まる。
そのメインイベントに馬でのメインストリート行進があるんだけど、それに参加してみないか」
面白そ〜!
とは思ったが、参加するには2つの問題があった。
私は馬のマンチータを連れてはいたが、本格的に馬に乗ったことはなく、とても馬を操っての行進なんてできなかった。
もう1つは半月もの間滞在する場所がなかった。オマールの家だって半月も居られたら困るだろう。
その時のホセ・ココからの提案がこの上なく素晴らしいものだった。
「東に80kmくらい行ったアチーラスに私の牧場がある。
そこには牧場を管理してるガウチョの家族がいるから、祭りまでの間そこで過ごせば良い。
牧場の仕事を手伝って、ガウチョに乗馬を教えてもらえばいい」
なーんという、天から降って湧いたような素晴らしい話だ。
アルゼンチンの牧場に滞在できるだけじゃなく、アルゼンチンのカウボーイ「ガウチョ」直々に乗馬を教えてもらえるなんて。
しかも馬のマンチータを預かってもらうには理想的だ。
I stayed at a farm in Achiras for half a month,
a Gaucho taught me horseback riding.
そしてそれから私は牧場で半月の間、牧場を管理してるガウチョの夫婦と息子1人の家で住まわせてもらった。
牧場の柵を直したり、放牧してる牛に餌の牧草ロールをやったり、飼ってる羊を解体する手伝いをしたりした。
村の肉屋から羊肉の注文が入ると、まず羊を柵の中に追い込んで、群れの中ならよく肥えている羊を狙って輪を投げて捕まえる。
羊の脚を縛って、首を切り、木に吊るして血を抜いてから皮を剥ぎ、手際よく肉を解体していく。
私にできたのは首を切る時に羊の体を押さえておくことくらいだったが。
羊の肉を肉屋に届けると、それから数日は羊の心臓やら肝臓やらの内臓のスープや、羊頭の姿煮など売り物にならない部分の羊肉の料理が続く。
皮は馬の背に敷く敷物などになり、人が食べない部分の内臓は何頭もいる牧羊犬が食べ、捨てるのは
胃袋や腸に残った牧草のカスくらいだった。
客人の私には、お皿に心臓や縦に二分割した羊頭を入れてくれたが、既にそういう姿に慣れていたので
ありがたく美味しい部分を頂いた。
たまに草原(実は広大な牧場の一部)に仕掛けたビスカッチャ(草食の地ネズミ)の罠を見に行ったり、深夜に
銃で仕留めるのについて行ったりした。
運良くビスカッチャを仕留めたり、罠にかかってたりするとその後の数食はビスカッチャ料理となる。
2週間後には私も馬に乗れるようになって、片手に手綱、片手に鞭を握ってギャロップで走れるようになっていて、
馬で牧場内に散らばった牛達を追い集めてくる仕事を手伝ったていた。
この牧場に居る間、私の愛馬マンチータは持ち前の駄馬ぶりを最大限に発揮して、馬に慣れてるはずのガウチョもビックリの
騒ぎをいくつも引き起こしてくれたのだが、これは話し出すとキリがないのでここでは書かない。
ガウチョのお祭りは3日間もあり、リオクアルトの街の大きなイベントで、その前に何度か会合もあったが、
オマールはガウチョ連盟の幹部会議になぜか私も一緒に連れていった。
この市庁舎での会議に付いていった私は市長室で市長と握手して話までした。
そして3日間、お祭りのメイン会場ではロデオや馬のレース、フォルクローレのコンサートやダンス大会など、
もちろんアサードも含めて様々なイベントが開催された。
そして最終日いよいよメインイベントの馬での行進の時がきた。
I participated one of the biggest Gauchos festival in Argentina in that time.
Gauchos let me ride nice and mild horse.
ガウチョ達は私に大人しくて扱いやすい馬と、ガウチョの衣装を用意してくれた。
「君は日本代表なんだから日本の旗を用意できるか」
というか、このお祭りに参加する外国人は私くらいだっただろう。
しかしどうしよう、布を買って手作りしようかと思ってたら、この街に一軒だけ日本から移住した日本人の家があって
持っていた日の丸の旗を貸してくれたので、竹竿に結びつけて準備した。
街から離れたメイン会場から行進が始まり、一旦街外れの大きなロータリーに集合した。
集まった馬の数はなんと5000頭。その中には何台もの馬車も含まれる壮大な行列だ。
メイン会場からこのロータリーまでは数キロあったのだが、行列の先頭がロータリーに到着した時でも行列の最後尾は
まだメイン会場を出られなかったくらいだ。
ここでガウチョ連盟会長ホセ・ココの挨拶を含むいくつかの式典が行われた。
いよいよここから街のメインストリートの行進が始まる。
今日訪ねてみたロータリー。
車は行き交っているが、特に何の変哲もない場所だった。
先頭を歩いたのは会長であるホセ・ココ。
続いてオマール、その友人。
そしてなんと4番目を歩いたのが私だった。
私の後ろが前市長、さらにお偉方が続き、数キロに渡る行列が続く。
沿道にはたくさんの人が並んでいて拍手していたが、延々と続く行列に拍手し続けるのは大変だったろうな。
行列の前には選挙カーみたいな広報車がスピーカーでずっと実況していて、その頃は何を言ってるのかほとんどわからなかったが、
ハポネス(Japonés : 日本人)と私の名前「フミアーキ コダーマ」と何度も言ってるのだけは聴き取れた。
おそらくこれが私の人生における最大の晴れ舞台だったに違いない。
We marched by 5,000 horses, and I riode the horse and marched 5th from the top of the march.
It was one of my proudest moment of my life.
今でもそのガウチョのお祭りはやってるらしいけど、最近はガウチョもずいぶんと少なくなったらしく、
お祭りの規模も小さくなって期間も1日だけなのだそうだ。
どうやら私が参加した頃が最盛期だったようだ。
その夢の舞台に再び戻って来ることができるなんて。
Now I could meet those gauchos again, and talk about the festival.
It is my happiest time being with them.