測定方法では類似か同等の結果を生じる人間事象も、そのどれひとつとして、相互に同様の人間経緯によって生じるものはない。個々の人間はすべて、相互に全く異質といってよい個と個と個である。
この、物言わぬ人間現実の前に、とくに教育関係者は、頭を垂れて恥じるべきである。大義名分でごまかしやがるな!!! しかし彼らが生徒に向き合う教務状況は、そういう知性さえ働かし得るような場ではない。生徒のほうも、どの大学に受かるかという試験技術の特化訓練にじぶんを無理強いし、〈指導〉する側も〈指導〉される側も、義務教育までの人格教育を放擲して恥じない。こういう高校教育現実をこそ放擲して、いっそ、日本の高校教育自体を全廃すべきである。いちばん本を読みたい時期に、学問基礎も納得できないペーパー練習で時間を潰される。まともな人間が育つわけがない。まともでない人間しか育たない。日本の大学の学生が、なぜ伸びないか、昔から云われていることであり、問題が高校教育のあり方にあることはとっくに解りきっているのに改めない。
いまの休校の時期に、学校から距離をとり、自分を思い、本を読もう。宿題ペーパーなど、ごみ箱に捨ててしまえ。保護者・親は、じぶんの教養力を養い、子を、学校の教師たちの暴圧から護れ。倫理を失わないかぎり、子のやりたいことをやらせよ。 スポーツは健康維持のためにあるのだ、身体障碍者になるためにあるのではない。何のための自分の肉体なのだ。自分の人生のほんとうの目的は何なのだ。そういうことをじっくりかんがえ、自分に責任をもとうとするところから文化は育つのである。いまの教育も体育も、自分に責任をもたせるのではなく、周囲に服従させるために煽ってばかりいる。一億総煽りである。こういう人間幼年期の国柄は いますぐ卒業すべきである。 天がこの国柄にストップをかけた。この僥倖を逃すべきではない。学校もスポーツも余計なものであることに目覚め、文化ある落ち着いた尊敬される国柄へと方向転換せよ。ほんとうに魂を大事にする国へと。