葵祭のルーツを探る-1
京都で「祭」と言えば、葵祭のことを指したと言われます。
葵祭は、天皇が、京都が都である前に既に京都を支配していた豪族の
賀茂氏の祖神を祀る祭で、現在では毎年5月15日に開催されています。
その葵祭のルーツを探りに奈良の金剛山と葛城山の麓を訪れましたたので
[祇園祭のルーツの記事] のように、3回にわたって書いてみたいと考えます。
第1、2回の記事では、まず訪れた場所を簡単に示し,
第3回の記事で葵祭の本質とは一体何かについて
考察してみたいと考えます。
葵祭は賀茂氏の祖神を祀る京都の上賀茂神社と下鴨神社の祭です。
賀茂縁起による[上賀茂神社の由緒] は次の通りです。
欽明天皇の時代(539~571年)。国中が天災に見舞われ、庶民が非常に貧窮していたので、欽明天皇が卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に天災の原因を占わせたところ、賀茂大神の祟りであることがわかりました。そこで、4月吉日を選び馬に鈴をかけ、人は猪頭をつけて盛大に祭りを行いました。 その結果、五穀は実り、天下泰平になったそうです(「賀茂縁起」より)。
この賀茂大神はアヂスキタカヒコネという名前で古事記に登場します。
古事記
故、此大國主神、娶坐胸形奧津宮神、多紀理毘賣命、生子、阿遲鉏高日子根神。次妹高比賣命。亦名、下光比賣命。此之阿遲鉏高日子根神者、今謂迦毛大御神者也。
(現代語訳)かれこの大国主神(オオクニヌシ)が胸形の奥つ宮に鎮座する多紀理毘売命(タキリビメ)を妻として生んだ子は、阿遅鋤高日子根神(アヂスキタカヒコネ)、次に妹の高比売命(タカヒメ)でまたの名は下光比売命(シタテルヒメ)という。今このアヂスキタカヒコネ神は迦毛大御神(カモノオオミカミ)という。
ちなみに、「賀茂氏」の呼び名は、「賀茂」「鴨」「加茂」「加毛」「迦毛」等と
文字を変えますが、基本的にすべて同じ氏族を意味します。
ここで重要なのは、賀茂大神は正確には「大神」ではなくて、
迦毛大御神という「大御神」であることです。
古事記で「大御神」の尊称が使われているのは、
天照大御神と天照大御神を生んだ後の伊邪那岐と
この迦毛大御神の3神だけです。
この迦毛大御神であるアヂスキタカヒコネに関連する神社が
奈良の金剛山と葛城山の麓に存在しています。
それらの神社を以下に紹介します。
高天彦神社
高天彦神社は高天原の伝承地である金剛山の中腹にあり、
高天原を仕切っていた最も重要な神様であるタカミムスビを祀っています。
神社の前にある小高い山はその御神体と言われます。
本殿があります。
高天原の伝承地であることを示す石碑や
土蜘蛛の塚があり、
近くには土蜘蛛が住んでいた蜘蛛窟があります。
土蜘蛛は、神武天皇の東征時に平定された部族と考えられており、
高天原に存在するのは理にかないません。
つまり、土蜘蛛伝説を信じれば、この地は高天原ではないと言うことですが、
高天原を想定させるような見事な見晴らしであることも確かです。
ここで、タカミムスビとアヂスキタカヒコネの関係ですが、
古事記の天神による葦原中国平定の話に描かれています。
タカミムスビに地上の様子を調べるよう命令を受けたアメノワカヒコは
地上でシタテルヒメと結婚し、高天原に帰って来ませんでした。
その後、アメノワカヒコはタカミムスビが天から落とした矢が当たって
死んでしまいます。
このとき、アメノワカヒコの両親は地上に葬儀に出かけますが、
そこでアメノワカヒコにソックリな神に遭遇します。
その神こそアヂスキタカヒコネでした。
金剛山の麓にあってアヂスキタカヒコネを祀る神社です。
こちらも神々しい参道があります。
↓こちらはアヂスキタカヒコネの母のタキリビメを祀る西宮です。
葛木御歳神社
高鴨神社の高鴨社に対して中鴨社と呼ばれる神社で
鴨氏が御歳神を祀った大歳神社の総本社です。
背後にある御歳山を御神体としています。
鴨都波神社
鴨氏が事代主とアメノワカヒコの妻の下照姫を祀った神社です。
高鴨神社と中鴨神社に対して下鴨神社と呼ばれています。
長柄神社
この神社も下照姫を祀った神社です。
鴨山口神社
葛城山の麓にあって、鴨氏が山の神の大山祇神他を祀った神社です。
一言主神社
この神社は葛城山の麓にあります。
雄略天皇が葛城山に鹿狩りに行ったときに現れた
一言主神を祀った神社です。
一言主神が高鴨神と同じ神であると言う伝承があります。
ちなみに、新緑の季節であるにもかかわらず、
京都の常寂光寺のような素晴らしい紅葉を見ることができました。
橿原神宮
京都の下鴨神社に祀られている賀茂建角身命は
八咫烏に変身して神武天皇を大和国まで導いたことが
古事記に記されています。
神武天皇は、この橿原神宮で天皇に即位したと言われています。
神宮天皇社
神宮天皇が即位して政治を行った橿原宮は橿原神宮ではなく、
葛城の地にある柏原であるという説があり、
その地には神宮天皇社があります。
以上が葛城で私が巡ってきた場所ですが、
第2回目の記事では葛城以外の場所での賀茂氏の足跡を
紹介したいと思います。