「画」と「絵」 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

「絵描き」と「画家」

…って、私の中では明確に区別された違うものなんだ…と、気がついた昨日。

先週、ある体験セッションの中で、「誰ですか?」と続けて問答するっていうのをやったのだけど。

その時も、「絵描きです」とは答えても、「画家です」とは、出ない。

そして、「好きなことは?」を10回、問答する…という時、文章を書くとか、表現するとか、人に会うとか、そういうのは出るけど、「絵を描く」は、好きなことのリストに上ってこない。
後から、それについて話をしたのだけども。
「絵を描くってことは、自分にとっては<好きなこと>には分類できないもので、それは好きだからというものではなく<必須>なんですよ」
と、話した。




その体験を踏まえて、「画家」という文字を見た時に、瞬間的に「いや~私ゃ違うし~」と、思った。

なかなか新鮮な発見だ(笑)



天上画家ではなく、絵師を名乗ってる…ってのも、遠く理由はそこにあったかも知れない。

っていうか…まあ、そのチョイス自体は…自分であって自分でないところからのチカラっていうのも大きく影響してるんで…。

なんとも…アレだけども(^_^;)





あと…これはまだ、うまいこと説明ができないんだけども。

「画」と「絵」の間に、なんだか、果てしなく遠い距離があるような感覚がある。


描画とか、画風とか、「画」のつく単語は別に普通に使うし、画という文字は好きなんだけども。

なんか、「画」と「絵」が同じものを指している気がしない。



自分でもナゾの変な感覚…一つ片付くと、すぐに次が出てくるんだよねえ。

まあ、だから何だっていう話でだけどね(笑)








…と、上の行まで書いて、すごい気になってきた。

そもそも、この二つは、漢字そのものが全く構成が違うじゃないか。

成り立ちが違うはず。


…ってことで、調べた。



すごいな~漢字。

やっぱり、全然違うものを指してる。

道理で。




私は今、筆や墨を使うけれども。

漢字の成り立ちそのものを見るなら、やっぱり、どう考えても、「絵」だ。

うん。



はー、納得納得。