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Hiroko Kawaguchi

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ブログタイトル「手が知っている」

私の頭は、自分が描こうとしている絵を知りません。
知っているのは、私の手。

手が、何を表現すべきか知っています。
どの色を使うか、どういうカタチを描くか…
頭から手へ指示を出すのではなく、手から頭へ、動かし方の指示が行く。

だから、このタイトルにしました。


手紙 問い合わせフォーム
お気軽にお問い合せくださいませ。

よろしくお願いいたします。

名前を改めました。
2011年12月1日より、天上絵師 彩光Ayako(てんじょうえし あやこ) でございます。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
$手が知っている +天上絵師 彩光Ayako(旧KAWAZO)+

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2012-02-24 11:42:46

体験し、知るために忘れる…ということ

テーマ:★独り語り
人は、生まれてくる時に、自ら決めた人生の目的や課題、そして自分が誰なのかということ…それらを忘れてくるという。


自分を体験し、知るために。

自分でないものには成れない。
しかし、忘れることはできる。

忘れるからこそ、常に己を創造し続けることができる。

ゆえに、常に新たな己を体験できる…と。




私は、描くという道を、一度捨てた。

物心ついた頃からやってきたことだったけど。
意味が感じられなくなり。
続けるための努力が虚しくなり。
好きだから描くというシンプルな事実も、縁遠く去った気がした。

好きだし、楽しい。
けれど、それだけでは、続けることができなかった。



絵から遠のくにつれ、左脳思考に偏って過ごす時間が長くなり。
自分の体感にも、疎くなった。
何をどこでどう感じているのか、無頓着になり。

直感の使いどころも、左脳思考が働く方向にだけ、偏っていった。




若い頃…社会に出る迄の私は、「理屈の無いヤツ」と言われてた。
気が短かったので、しょっちゅう怒ってた。
「導火線3ミリの爆弾」と言われてた。

それが、左脳思考に偏るようになって、全てが逆転。

まず理屈で納得する、させる。
怒るポイントがわからない。
導火線は、爆弾の内部に埋もれて外には出てない。



いろんなことが、絵を…というよりは、創作を…捨てた頃から、逆になっていった。


まさしく、「己を体験する、知るために、一度全て忘れる」という状態だったように思う。





おそらく、今も私は、好きで楽しい…というだけでは、描き続けることはできないと思う。

ただ、今は私は、己の内側に確固とした“クライアント”が在ることがわかっている。

その存在が描けという限りは、それが私の往くべき道だ。




それを体験し、知るために、一度道を離れたのだな…と。

何一つ、ムダなことは無いのだなあ。
2012-02-24 00:00:10

みなさま、ありがとうございます

テーマ:★日々徒然
なんだか最近、ペタをとても沢山いただく毎日が続いています。
すごく、嬉しいです。

ありがとうございます。


ぐずぐずと、グチっぽいことばかり書いていることもありますが…
そんな時でも、コメントいただいたり、メッセージいただいたり、ペタいただいたり。

また、Facebookなど、こことは別のところでも声をかけていただいたり。


本当に、嬉しい限りです。


凹んでる時とか、ぐずぐずな時ほど、大量に書いて、書いて、それによって消化しているものですから。
時には不愉快だったり、楽しくない記事もあるかと思います。


たまに、「公共の場に書く事じゃないんじゃない?」とご指摘を受けることもございます。

確かに、ここをお読みいただくと、私のプライベートはほぼ、丸見えな状態かな…とは思います。
でもまあ…別に何も隠すこともないし。
本当に出せないような部分は書いてないと思います……多分(笑)


「あなたは、何も隠してはいない。けれど、見えないところがたくさんあって、人はそれを不安に感じる」

って、前に言われたことがあります。

見えないところがたくさんある…。

それを言われた時はびっくりしましたが、でも、考えてみると、確かにそうかも…と思いました。

フルオープンに見えて、そうでもない。
それは、私自身が、まだ自分のことを全掌握していない、ということなんです。

けれど、わかる人には、何となく透けて見えるのですよね。

そういう、自分でも見えていない部分というのは、その時々に出会う方達が、ちゃんと、見せて下さるのです。

自分を知るには、人を知ること…。

神は、「自分を経験するために、自分ではないものを作った」のだそうです。

本当に、そうだと思います。


比較は悪のように言われるけど、比較する相手がなくては、何も知ることはできない。


この世界には、たくさんの人がいるから。
たくさんの自分の側面を、見ることができる。



絵も、同じです。

私一人でやってたら、もう、描いていません。

見てくださる方がいて。
見せてくださる方がいて。

おかげさまで、細々ながら、続けています。

私だけのものかも知れない、神様たちの物語を、これからも、描いていくと思います。

次のテーマに移る時が来るまで。



昨日は、旧暦2月1日。
新月。

節分後の、初めての新月でした。

最近、自分がどの方向へ行くべきか、ということを端的に見せてもらえる機会に恵まれています。

それも、私自身が、そういう「道しるべ」を求めてきたから、その応えが続々と、手渡されているのだと思うのです。


だから、今、求めている次の道しるべになることは、また、時期が来たら、次々新しく手渡されるのだろうと確信しております。


先は見えなくて、不安もたくさんありますけど。

こういう場を持つことができて、この時代に生きることができて、本当に良かった。


幸せ者でございます。


ありがとうございます。


これからも、よろしくお願いいたします。


$手が知っている +天上絵師 彩光Ayako(旧KAWAZO)+
2012-02-23 13:04:04

Long Long Ago

テーマ:★その他の絵
20代の頃に作ったイラスト集みたいな本に載せてる絵を拾ってきました。
原画がなくて、印刷物からの写メです。


手が知っている +天上絵師 彩光 (Ayako)+神様や天使たちと共に描くパワーアート
こちら、本の裏表紙。
印刷は2色刷りです。
だから、2枚に分かれているんですよ、この原稿。

焦げ茶で刷る部分だけを描いた絵+赤版の部分だけを描いた絵

二枚構成の原稿です。
んで、印刷の時に版ズレすると、悲惨なことに…(笑)

原稿用紙にメインの方を描いて(この場合は焦げ茶版)、上からトレスカード(トレペの厚いやつ)を載せてトンボを切り、赤版部分を描き込むんですな。

そういう作り方で、全ページ3色刷りの絵本を作ろうと企画したことがありました。
かなり本気でやろうとしてたのですが、仕上がりの装丁に妥協できなくて、すると、資金が足りなくて…となると、創作意欲も削がれてしまい、お蔵入りとなったお話です。

今やろうと思っても、あれはもう作れないなあ…。
ネタは覚えてるんだけどね…。



上の画像の絵。
元ネタは、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの映画「スティング」ジャケ絵です。
スティング

¥1,000
楽天

この頃はフルカラー印刷が割に安価になりつつあった時期だったと思いますが…。
私が一番オタク活動に熱心だった頃は、表紙カバーを印刷してもらうだけで軽く10万超えしてました。
後からどんどん、フルカラー表紙と中身をセットで安く印刷してくれるサービスが登場しましたねえ。
しかし、いつも、そのパックの規格に当てはまらないものが作りたかったから(笑)
あまり使わなかったなあ。




Gペンでバリバリ描いてる絵は、こういうのとはまたちょっと違ってて、今のおっさん達の絵はそれに近いです。


こちらは、0.1mmのロットリングでチマチマ描くのが楽しかった頃に描いた奴。
手が知っている +天上絵師 彩光 (Ayako)+神様や天使たちと共に描くパワーアート
88年とか書いてある(笑)
どんだけ昔だよ。

これも、たぶん同じ年に描いたと思います。
手が知っている +天上絵師 彩光 (Ayako)+神様や天使たちと共に描くパワーアート

スクリーントーンとか、薄墨とか全く使わずにチマチマと細いペンで描き込んでいくの。
楽しいです。





そういえば、一昨年の秋に、一回だけペン画ワークショップってのをやったっけなあ。
そうそう。
その時見本に描いたのがこれ。

$手が知っている +天上絵師 彩光 (Ayako)+神様や天使たちと共に描くパワーアート

某エンジェルカードの中の一枚を模写してるんだけど…。
なんか、この頃ちょっと、あれこれ悶々としていたせいか、今見ると絵に出てるな…(^_^;)
模写といっても、その時の状態は如実に出るのが絵のコワイところですねえ。


2012-02-23 12:03:12

これもやっぱり

テーマ:★日々徒然
あんまり、「学び」言いたくないんだけどね。

これもやっぱり、そうなんだよな~って思うことに遭遇中です。


最近は対人関係なんかでも、そんなにストレスになるような場がなくなってきてるからね。
いい具合に、「ほら、うまいことやってみせ~や」と言われてるような気がするよ…。




はー

後は、毎年思うんだけどさ。
確定申告。

これが楽しくなるくらいに、いろんな方面でうまくいくようにならんとな。


全然楽しくないよ、毎年これが一番キライで憂うつ。

2人分だし。



今日は一人分だけでも終わっちゃわないと…
次の絵に取りかかれない。

昼からガンバル。
うん。
2012-02-22 23:12:44

学生時代の持ち越し

テーマ:└アート談義
本日、自宅への帰り道。
車の中で、唐突にある情景を思い出しました。

それは、専門学校時代の「イラスト」の講座を受け持っていたある先生の一言。


その一言が、以来20数年間。

私の価値観を底の方で拘束していたってことに気づきました。



つい最近も、人様のブログでコメントに、もっとリアルにも描けるといいんだけど…みたいなことを、書き込んでます。

ええ。
そう。


自分の絵が、コミックの領域をどうしても出ない、ということに対する痛み。

ずっと、それ持っていました。

こういう絵だからできる表現もある…って、そこは、わかるのです。
それに、実際問題私は自分の絵柄って嫌いではないし。
絵柄を変えたい、って悶々とする友人ってのを何人も見てますけど、そういう風に思ったことはない。


ただ、もっと絵画らしいタッチ、イラストレーションらしいタッチ…そんなものも使えるようになればなあ…とは、ずっと思ってきました。
今も思います。
そうなれば、幅は計り知れないほど広がるだろうから。


その想いは間違ってないと思う。


けれども、その想いを強く持って来た原点というのは。
その某先生に投げられた一言だったのだな~と。

その言葉を不意に思い出した時に、鳩尾の奥の方に、大きなトゲ…杭って言う方がいいようなものを、感じました。


アホらしい。

そんな前世紀の、バブル真っ盛りの時代の人の審判が、今、何の役に立つかねえ。

おそらく、その当時のその方は、今の私よりも若いくらいだったと思う。
イラストレーターとして自分の工房を持っていたような記憶があるけど、でも、それでは安定して食えないから学校で「先生なんか」を「仕方なく」やっていた人。

…まあ、それが私の偏見から作られた記憶だったとしても。
私にとっては、その人はそういう人であったことは間違いない。

その人に投げられた審判を、今もまだ引っ張って、無駄な苦悩を引き起こす原因にする…というのは。
もっと、アホらしい。



その頃、私は私なりに、写実に近づいたタッチを習得する努力をしていて。
その最中に、投げられた言葉だった。

「こんな劇画でしかない絵柄が通用するわけないだろ」

かなり意訳かも知れない(笑)
一言一句覚えている…って言い切る自信はない。

が、その時内心「通用って、どこにだよ」とか、「誰にだよ」とか、思ったことは、覚えている。


なんだけど。
そうか…それを今までずっと、後生大事に引っ張ってきたってことか。



この前、夕方に寄ったギャラリーでも、学校で絵を教える、その教え方の問題について話をしてたんだよね。
ああ、だから、こんなこと急に思い出したりしたのかな。


思い出せて良かった。

相手が見えれば、対処はできる。


うんうん、これでいいのだ。

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