女王様は高らかに
ショートショート×トールトール・ラバー【8】
窓から見る空は覚めるように青くて思わず、「いい天気」 と言いたくなるけど馬鹿みたいに風が強い。がたがた鳴らす窓の外で、校庭の木が踊るように大きく枝を揺らしていた。昨晩からめっきり気温も下がって、もう冬の影がちらついている。
「透ってば聞いてる?」
口を尖らせたまま私を睨んでいる冴子に焦点を合わせるように瞬きした。大げさなため息を大きく振りがぶって、ぶつけられる。
「……聞いてないし」
文句ありげに唸った冴子は英単語帳を閉じる開くと繰り返した。開いたページはさっきから全然進んでいない。
「透は自由人だもーん」
のんびりと言いながらミチは赤本を捲っていた。捲るだけでは意味が無いけど、とても問題を頭に入れているようには見えなかった。
とりあえず形だけのお勉強だ。受験も目の前に迫っているというのに、二人に言わせれば、「慌てて勉強しても仕方が無い」 らしい。とことん二人は潔い。
もっとも学校が終われば私も含めて、予備校に通う毎日だけども。学校ではなかなか勉強に身が入らないのが現実だ。
私といえば黙々と問題集を解いていたはずなのに、どういうわけか問二十の回答が途中でミミズのようにくねくねと流れていた。握ったままのシャーペンが回答枠を超えている。
「私くらい人に気を使ってる子も珍しいはずなんだけどな」
ぶつぶつ呟いて、文字とは言いがたい部分に消しゴムを当てていると、笑いを含んだ顔でミチがこちらに視線を向けた。小さな指が、回答済みの問題を指差す。よく見るとスペルを間違っていた。
「透はね。気の使い方がちょっとおかしいんだよねぇ」
何てことを言うんだろう。反論したいところだけどミミズ文字がなかなか消えなくて、かわりにページがぐちゃりとよれた。しかめっ面でページの皺を戻しながら、気遣い屋さんのはずだと心で叫んで言い訳した。
今だって冴子の話に耳を傾けていたんだから。しかも面倒くさげな臭いをぷんぷんさせた恋の話。けれど肝心の冴子の話しをどこまで聞いていたのかが分からなかった。どうやら途中で意識が飛んでいたらしい。気がつかないうちに現実逃避していたのかもしれない。
「そうそう。透の気遣いは曲がりくねって空回りしてなかなか見えない」
「もしもし、お二人さん?」
からから笑う二人睨め付けた。なんて酷い友人たちだろう。けれども観察眼はある。
「なんか透、今日変だよね」
「うん、挙動不審」
目を細めた冴子に思わずたじろぐ。
「べ、つに」 慌てて返した声が妙に甲高く響いて、ミチが笑った。私は緊張すると声が高く裏返る。不意のごまかしもこのせいで大体上手くいかない。
ミチはその顔には大きすぎる二つの目を瞬かせた。冴子の目は細められたままだ。四つの目が捕捉者のようにきらりと光ってこちらを見ている。猛禽類を思わせるその目オーラに思わず固唾をのんだ。体格差をもろともしないで攻め入ってくるその鋭さに、経験上、白旗を揚げるしかないと知っている。
「あの、その……はぁ」
私ってどうしてこう情けないのだろう。
追い詰められた大きな草食動物は、両手を挙げて降参した。ぼそぼそと単語を転がして、自分を悩ませている出来事を振り返るとまた顔に血がのぼって眩暈がした。
昨日の出来事がムカつくほど鮮やかに蘇る。誰もいない教室で壁際に男子を追いやって、至近距離で目が合った。
「……恥ずかしくて、もう、無理」
二度と一組の前は通りたくない。そう締めると「まぁねぇ」 とミチは頷いた。けれど冴子は高らかに笑う。それは去年の文化祭にシンデレラの役を勝ち取った冴子が、いたってノーマルだった舞台をギャグに変えてしまった笑いだった。
か弱いはずのシンデレラはどの意地悪な姉よりも、その生みの親である継母よりも明らかに意地の悪い高笑いで幕を締めたのである。それはもう、「負け組みの継母様方ごきげんよう。私は幸せになりますの」 と言わんばかりの高笑い。史上最凶悪のシンデレラが誕生した瞬間だった。
気の弱い女子なら怯えてしまうような、その女王様的笑いが私も初めは苦手だった。なのに今ではなんともない。人間の適応力っていうのは本当に凄いとつくづく思う。むしろ彼女のその強さに憧れてしまう。スプーン一杯程度の量だけど。
「心配しなくてもね、透。その男子も会いたくないってば」 ふふ、と笑いながら腕を組んだ。
「だって、相手も恥ずかしい思いしたはずでしょ」
「恥ずかしい?」
「普通ね、そんな役回り、女子にされて嬉しいわけないじゃない。恥ずかしいに決まってる」
ああ、なるほど。もっともすぎて拍手したい意見だ。私が、「女子の癖に男子より背が高い」 コンプレックスを背負っているなら、少しばかり背の低い彼だって、「男子の癖に女子より背が低い」 コンプレックスをもっていても不思議じゃない。
「だからね。透が避けなくてもいいってこと」 まるで難解な事件をといた探偵のごとく満足そうな冴子にミチも頷く。
「そうだねぇ。向こうも無かったことにしたいかも。透、無視無視。忘れちゃえ」
「……そうかなぁ。そう、だよね」
割り切ってしまえば楽かもしれない。だけど、出来ないのだ。
鏡越しに冴子の笑いを真似たことがある。あまり酷いベタな演技に全身鳥肌が立った。女王様どころか随分と下等な妖怪じみた笑いだった。
だから、仕方ない。私は冴子みたいに綺麗さっぱりと割り切れない。貧乏くじにわざわざ手をだす性分だもの。
余計なおせっかいのせいで、しなくてもいい嫌な思いを彼にさせたんだとしたら――。そう考えると胃の辺りがちくちくとして痛い。せめて彼がなかったことに出来るよう一組には近づかないでおこうと、ひっそり固く決めたのである。
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