前回の続きです。

 

アイホージュでは
自分(の意志)を無視して、
誰かにどう思われるかに沿って動いて
自分の安全を守ろうとすることを、
自己犠牲による選択・対処と呼びます。

私がドヒャマンテさんから
「中学校の頃、オレの事好きだったでしょ?」
と聞かれ

恥ずかしさのあまり
「・・覚えていない」
と答えて、自分の中にあった思いを
「ない」と振舞ったのは

「告白したら嫌われる」という、
自己犠牲の選択・対処によって
形成した思い込みが
あったからでした。

 

(なぜ形成したのかは長くなるので省略します)

自分の思いを「ない」フリをすれば
ドヒャマンテさんに
嫌われなくて済むことに
私の中ではなっていたのです。

文章にしたらおかしな話ですが、
自覚のない、無意識の動きを言語化すると

このような感じになっていて、なかなか恐ろしい訳です。

この選択の結果、私が得られるのは

「適切に自分の欲を扱えない」状態。

周りばかり気にして
自分がどうしたいのかが、
置いてきぼりになるからです。

「適切に自分の欲を扱えない」まま過ごすと
必要な手が打てなくなりますし
経験も、必要な術を身に着けたり、
自信を積み重ねる機会も失います。

 

必然的に、後悔も、前に進む時のブレーキも
大きくなっていきますし

 

若いうちは何とかなっても、

大人になるにつれて苦しくなっていくのです。

 

私の場合は、アイホージュを立ち上げする前に

でストップがかかっていたと書きました。

もし、これらに手を打っていなかったら、

ドヒャマンテさんと再会した時、
21~22歳の頃と同じ対処をしたはず。


ですが、これ迄のEFTタッピングで取り組んだものを土台に

私は新しい選択をします。

 

ドキドキしましたが
電話をかけました。

実は、ドヒャマンテさん、
私の家だと全然知らずに来ていたのです。

え。
じゃあどうしてわかったの?
と思って聞いたら、

立ち合いを終えて、

家に向かって歩く私の後ろ姿が、中学校の時と同じ
「もしかしたら」と思い、Sさんに確認したというのです。

 

私が、小学校の頃に好きだった人の歩く後ろ姿を見た時と同じこと

ドヒャマンテさんが思っていたのでした。

電話の向こうで
「名乗るか名乗らないか迷ったけれど、後悔したくもないから」
と仰っていたのですが、さすがはドヒャマンテさん。

(自分の欲を適切に扱うことの大切さ)を知っていたのですね。
 

今回、この記事を書くにあたり、彼のこういう所が、モテるんだと思いました。

私やEFTをお受け下さる方々の人生が

より良いものとなるよう、
 

過去に好きだった人が、
(自分の欲を適切に扱うことの大切さ)を

伝えに出てきて下さるなんて
なんて素敵なことなのでしょう。

ドヒャマンテさんから
アイホージュのブログを読んでいると聞き
 

EFTをしていなかったら

 

恥ずかしすぎて穴に入るところでしたが、
応援して下さったことも、本当に励みになりました。

ブログに、「中学生の頃、好きでした」と告白記事を乗せたら
ドヒャマンテさんから嬉しいコメントがつき
楽しい時間を過ごしました。

10年以上たった今も、
あの時、好きだったと伝えられたことを、
心から良かったと思っています。