前回の続きです。

 

アイホージュの立ち上げやEFTの提供にブレーキをかけていたのは
「周りの人から、あの人、怪しいことを始めたと指を差されるんじゃないか。」
という恐れや不安でした。


この思いにEFTをすると、思春期の頃のことが浮上してきました。


二度とコイツに会いたくないと思っていた人がいたのですが、顔を合わせると嫌なことを言われ、恥ずかしいと感じていたので接触しないように避けていました。


友達には話したことがないので、私がそんな風に思っていたとは誰も知りません。

ある時期を境に顔を合わせることがなくなり、ほっとしました。


忘れた訳ではないけれど、思い出すこともなく過ごしていたのですが、EFTをしてみると
「あの人が、また私に指をさすんじゃないだろうか?」
とものすごく強く感じていて、怯える自分がいるのです。

恥から来るブレーキは強烈なものでした。


20数年も経過していて、一度も見かけたことがなく、そんなことある訳ないじゃないと頭ではわかるのです。
 

でも、感覚は「絶対にコイツが指を差すに違いない」と譲りません。
 

しかも、「あの人と同じように、仲の良い人達も、私に指をさすに違いない」とまで出てきます。

何が何でもサロンを立ち上げたくないらしい。

 

重症だわ。

自分(の意志)を無視して、誰かにどう思われるかに沿って動くことによって、自分の安全を守ろうとしていたので、アイホージュの立ち上げをしなければ、誰からも指を差されなくなるので、自分が傷つかないよう守れますものね。

 

でも、立ち上げをしてもしなくても、指される時は指されるぞ。

ということを、まだこの頃は知りません。

 

とてもじゃないけれど、このまま前に進むのは無理と思い、ひらすらありのまま認めることにしました。

前回の記事に書いた「この内容を誰かが探しているのかも知れない」EFTを通じて、ふっと動く瞬間があるのを知っていたので、それを狙ったのです。

ところが、いくらやっても動かなくて
「はーー。今日もまた何も動かないんだろうなあーーー。」
なんて毎晩ため息交じりにやっていたのですが、ついに2週間後に動きが出ました。

「へーー、本当にやりたいことをじゃなくて、アイツを選ぶんだ」

実はこの時、私の中で、全く別に捉えていた出来事が結びつき
「コイツを避けることに注力したために、結果的に、コイツ(を避けること)を選び、本当に大切なことを選ばなかった自分がいる」

と初めて気づいたのです。

私は、本当に取返しがつかないことをしたのだと思いました。


悔やんでも悔やんでも、今さらどうしようもないのです。、


大切なことについて、私はすごく気にかけていたけれど、考えるだけで、必要な行動はしていませんでした。
 

最後には間に合ったので、帳尻を合わせたような気になっていたのです。
 

だけれど、EFTをしている時に、行動しようと思うと、コイツが浮かんできて行く勇気がなくなり・・というのを繰り返したのを思い出して、「選べなかった」ではなく「選ばなかった」「コイツを選んだ」「取り返しがつかない」「今さらどうしようもない」という表現が、グサグサグサと突き刺さりました。

残念ながら、人様からナンボ「やりたいことをしないと後悔する」と言われてもピンと来ない私ですが、自分の内側から出てきた
「自分が選びたいと思うものを選ばないと、取返しのつかないことになる」
によって、2度とあんな選択はするまいと思ったのです。

 

新しいことをする時は、いつだって怖いもの。
 

ちょっとした怖さはあるけれど、「絶対にコイツは選ばない」という思いが、私をアイホージュの公開へと進ませたのでした。

恥の多い人生だと思っていた私は、この時のEFTを通じて「過去の恥に手をかける術がある!!」とわかって多いに希望を持ったことを今も覚えています。