第33話 | 臨時作家

第33話

「君が、白木くんか」
 断定的な物言いだった。周一郎は向き直ると、軽く会釈して「はい、室士会長」と、言った。
 弥隅はどうしたことか、周一郎を上から下へと眺め、かすかに眉を寄せた。
「うちの河勝を投げたのは君だろう」
 周一郎は失笑しそうになり、あわてて笑いを噛み殺した。なんという直接的な言葉だ。周一郎は、弥隅に少なからず好感をもった。
「申し訳ありませんでした」
「いや、聞くと河勝から仕掛けていったそうだな。こちらこそ失礼をした」
 凛然とした口調でいい弥隅が頭をさげてきた。予想外の展開だ。周一郎は「とんでもありません」と、視線を下げた。
 やりにくい……。
 一堂や片桐とは違う。腹の底が読めないのだ。悪意や猜疑(さいぎ)は感じられないが、ともすれば取り込まれそうになる。胸襟(きょうきん)をひらき何もかも話してしまおうかという考えが頭をよぎる。
 あの眼のせいだ……。
 老人にありがちな空虚な眼ではない。拒むことを知らない、なにもかも貪欲に呑み込んでしまいそうな深く透明感のある眼だ。この眼を周一郎は知っていた。桂介と同じ眼だ。
「とりあえず、君の資料を見せてくれるか」
 言いながら弥隅は歩きだした。足幅を一定に、上下のぶれは極力抑えられ拍子が無い。無拍子であるということは逆にいうと拍子を取られにくい。普段から意図的(いとてき)に癖をつけているのか、長年の研鑽(けんさん)によって身についたものなのか、いずれにしても弥隅が武術家として、かなりのレベルであることが分かる。あるいは、弥隅の隙のない歩行に別の意図(いと)があるとすれば、考えられる答えはひとつだ。
 僕を警戒している……?
 長い廊下の途中で前方から男が現れた。男は弥隅に気づくと深々と頭を下げた。
「おお、竜崎くんか。久しぶりだな。どうだ仕事のほうは」
 竜崎と呼ばれた男は相好(そうごう)を崩すと「ありがとうございます。お陰さまで」と言って、弥隅の肩越しに、ちらと周一郎に視線を投げた。歳は二十代中頃だろうか。中肉中背の引き締まった体に濃紺のスーツを着ていた。身なりも言葉遣いも申し分ないが、周一郎に向けられた双眸は、ほころばせている口とは対照的に微塵(みじん)も笑ってはいなかった。
「また稽古に復帰できるのか」
「はい。今日はご挨拶にと思いまして伺いました」
「少し待ってもらえるか。今、来客中でな」
「河勝先生にもご挨拶したいんですが、お部屋にいらっしゃいますか」
「行ってみるといい」
 竜崎は、「では、後ほど伺わせていただきます」と言って、歩きだした。周一郎の脇を通り過ぎる時、軽く会釈をしてくる。室士一刀流の徹底した礼儀作法は弥隅からきているのだろう。周一郎は目礼を返しながら、祖父・英世の言葉を思い出していた。
 室士先生は信用できる方だ。
 弥隅が応接室に入ると一堂たち三人は一様に腰を浮かせた。周一郎は、かまわずバッグから資料ファイルを取りだすと「どうぞ」と言って、弥隅に差しだした。
 弥隅はところどころで手を止め、じっと見てはページをめくっていった。
「デザインをして何年になるのかね」
「五年になります」
「現在の取引先は、複数あるのか」
「いえ、一箇所だけです」
「見通しはどうだ」
「は?」
「すぐに、うちの仕事にかかれるか」



前のページへ | もくじ | 次のページへ



「室の剣」は下記アクセスランキングに参加しています。
お気に召しましたら投票してやってください^^

にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ


にほんブログ村・ミステリー部門 →投票

アルファポリスWebコンテンツ・ミステリー部門 →投票



臨時作家TOPへ