第34話 | 臨時作家

第34話

「あの……」
「君はフリーだと聞いた。これまでの月平均の二倍だそう。どうだ」
 さしもの周一郎も唖然として言葉がでてこなかった。室士弥隅は正気なのだろうかと本気で疑いたくなる。

「今、室士グループ内で広報部をつくろうと計画を進めている。結果的に、外注に出すより予算を軽減できると踏んだわけだ。今、そのプロジェクトの中心となる人材を探していたところだった。そうだな、國人」
 いきなり話をふられ、蔵木は口ごもりながら「はい」と、だけ答えた。
「僕に、室士グループの専属になれと……?」
「正式雇用が嫌だと言うのであれば、立上げ時のみの契約でもかまわん。ただし当分は社外秘扱いだ。しばらくは、この家に住み込みで会議にも参加してもらいたい。順調に部が稼動しはじめたら今の三倍の報酬を保障しよう。どうだ」
 どうだと言われても……。
 先刻の一堂たちの様子から、周一郎の身元はまだ割れていない。とはいえ屋敷に住み込ませて周一郎を探ろうという魂胆(こんたん)だとしたら、あまりにも見え透いている。だいたい住み込みのデザイナーなど聞いたことが無い。
「三倍では不服か」
「即答しろとおっしゃるんですか」
「無理か?」
「もうしわけありませんが」
「困ったの」
 困った風でもなく弥隅が息をついた。周一郎は、一堂、片桐、蔵木と、順に視線を投げた。どの顔も事の成り行きを見守っている。
 大粒の雨が窓ガラスを叩きだした。
「……少し、お時間をいただけますか」
「二週間待とう」
「ありがとうございます」


 周一郎が一人、玄関で靴をはいていると背後から足音が近づいてきた。
「傘は持ってらっしゃいますか」
 建だった。これから稽古があるのだろう、すでに道着に着替えていた。周一郎が「ええ」と答え、ゆっくりと腰をあげる。建はとたんに視線を泳がせた。
「僕になにか聞きたいことでも?」
「……白木さんは、河勝先生とお知り合いなんですか」
「いえ」
「だったらどうして」
「はい?」
「事件のことなんか……」
 周一郎は、さして興味がないといった様子で上着のポケットから携帯電話を取り出した。「ご迷惑でした?」と、訊きながら、電源をオンにする。
「河勝先生は話したくないはずですから」
「それは申し訳ないことをしました。僕のたんなる好奇心なんです」
「それだけですか?」
「ええ、それだけ。がっかりしました?」
「………」
「あなたは……ええと、若先生でよろしいですか」
「……はい」
「若先生は事件の事は」
「僕?」
「ええ」
「僕はなにも」
「事件当夜、いらしたんでしょう? 先生もこの屋敷に」
 建はびくりとして双眸を開くと、それきり閉口して頬を強張(こわば)らせた。
 こいつも何か知ってる……。
 周一郎が口を開きかけた時、手の中の携帯電話が震えた。広告代理店の担当者からだった。
 建は、そわついた気持ちで電話が終るのを待っていた。まだ訊きたいことがあった。だが何をどう質問していいのかわからない。確かなのは、この漠然とした不安だけだ。
 雨音が大きくなり、鈍い雷鳴がとぎれとぎれに聞こえだした。
 わずかに、周一郎の会話が耳に入ってくる。
「ちょうど良かった。私もご相談したい件がありまして。ええ……明日……赤プリのラウンジで……五時……」
 電話を閉じると、周一郎は建の顔を窺(うかが)うようにして笑みを浮かべてきた。
「失礼しました。それじゃ僕はこれで」
 言いながら、周一郎はバッグから折りたたみ傘を取りだした。
「あの……」
「若先生」
「はい」
「質問事項があるのでしたら、今度、レポート用紙にでも、まとめておいてもらえますか」
「え?」
「近いうち、また来ますから」
 玄関の引き戸は開け放たれていた。周一郎が傘をひらき雨の中に消えて行くのを、建はなすすべもなく見送った。



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