続々;第18回 古今亭寿輔 ひとり会 | 落語・ミステリー(もしくは落語ミステリー)・映画・プロレス・野球・草バンド活動のよもやま話、やってます。好きな人だけ寄ってって。

落語・ミステリー(もしくは落語ミステリー)・映画・プロレス・野球・草バンド活動のよもやま話、やってます。好きな人だけ寄ってって。

鎌田善和です。売れてない分時間はありますので、遅まきながらブログ始めました。記事は落語やミステリーが中心ですが、映画・野球・プロレス・草バンド活動(野球でいう草野球の事)もリストアップしておきます。気になる、興味がある、と思う人にだけ伝われば。

 といったわけで、今日こそ寿輔師匠の高座について書こうと思います。ここのところチョコチョコ野暮用が入るようになって、書きたい事の量とそれに費やせる時間の量とのバランスが悪くなってきています。でも、感動は褪せませんからね。こうして相棒君の前に座ってパソコンのキーを両手の人差し指を駆使して叩いていると、いきなり、その日のその時に感じたことが心に甦ります。そうはいっても、本来なら”感動”は新鮮な方がイイですからね、天日干しにしてから水で戻すようなのよりも。だからできるだけ早く書こうとは思っているのですが、どうも僕は”余談ですが”とお断りしてからの横道が異常に長い。そっちに逸れると日が暮れます。そして僕は、見知らぬ(と自分では思っている)道を徘徊して途方に暮れている老人のような有り様になって、右往左往してちっとも結論に辿り着かない。これ、拙いですね。自分で自覚している分、尚更始末に悪いです…などと書いている暇があったら、本論に進むべきですね。反省(だけなら、ちょっと賢い猿にだってできます)。
 さて、この日の寿輔師匠は(と、ここでいきなり本題に入ったんですよ。付いて来て下さいね)、『釣りの酒』と『ラーメン屋』の2席でした。寿輔師匠は、ご自身の作(『自殺狂』など)も含めて、新・古典(例えば『ぜんざい公社』や『代書(屋)』のような)がとくに面白い。もっとも、寿輔師匠の師匠だった先代の今輔師匠の名言に「落語は落語で、そこには新作も古典もない(かなりざっくりした引用です)」というのがありますから、寿輔師匠はそれを忠実に体現されているだけだと思いますが。だって、これも余談になりますが(「おいおい、さっき言った舌の根も乾かないうちにもうそれかよ?」と仰らないで下さい。今回のはちょっとした寄り道で、元々歩いていた道にすぐに戻りますから)、デアゴスティーニ・ジャパン社が企画した”落語百選DVDコレクション”の45巻目には、立川談幸師匠の『高砂や』と共に、寿輔師匠の『文七元結』が収録されているんですからね。『文七元結』と言えば今に伝わった人情噺の最高峰の1つで、現在でも、名人上手と称される名だたる大師匠方の持ちネタですからね。それを、事もあろうに(失礼!)、モトイ、何をトチ狂ったか(またまた失礼!)、モトイ、選びに選んで(”よりにもよって”何て書いていませんからね、念のため)寿輔師匠の高座を収録したんですからね。もし、これから2~300年経って、当然その間には戦乱や疫病の蔓延など様々な問題が発生しているでしょうから、そこで生き延びた未来人が、荒廃した地上でこの”落語百選”を見付けて、落語というものを理解しようとしたならば、『文七元結』=寿輔師匠なんです。ことほど左様に、古典の人情噺にだって充分に力を発揮される方なんですよ、寿輔師匠は。
 さて、寿輔師匠の高座と言えば、ご存じの方も多い事でしょうが、マクラで、ボヤきつつお客を弄るのが定番になっています。この会はコアなファンばかりが集まっていますから、それがもっと独特の熟(ナ)れ方をしています。とてもたくさんの親戚たちが集うべき集まりがあって、その中で、話が親戚中で1番面白いという定評の叔父さん(伯父さんかもしれませんが)が何か面白そうな話を始めたんで、それぞれ思い思いにくつろいでいた皆さんがその話に耳をそばだてている、という雰囲気だと言えばお分かりいただけますでしょうか。そういう、ある意味、とても濃縮された”アットホームさ”とでもいうべき雰囲気が会場内に蔓延しています。例えば、まだ一般受けする前の、地下芸人だったタモリさんの芸を、赤塚不二夫さんたちが面白がっていたような感じ(これも、色々に喧伝されている記事などで読んだ経験があるだけで、実際のそれを見た訳ではありませんが)といったものだと言えるでしょう。
 『釣りの酒』といい『ラーメン屋』といい、そういう師匠のお人柄とお客さんの熱気とで、とても良い高座に仕上がっていました。そういう、”場の雰囲気”を読んでそれを味方に付ける、という部分では、寿輔師匠は天才なんだと思います。熱帯魚の様な人を喰った、ケバケバしい柄の着物を着て涼しい顔で高座にあがること、初め小声でボソボソと話し始めること、お客を弄ること、それら総てがその、”場の雰囲気創り”に繋がっているんでしょうね。
 やはり僕は、そういう寿輔師匠の持つ毒に侵されてしまっているんだと思います。よく、「これから地球が滅亡するとして、最後の食事にあなたは何を選びますか」などという問い掛けがありますが、おそらく僕は、その問いかけが”最後の落語”に変われば、たぶん”何でもいいから寿輔師匠の”と答えると思います。だって”1番良い”とか”1番上手い”とかいうのを選んだとして、どなたのどれを選んだとしても「本当に今のが”1番”だったのか?」という疑問が残ると思うんですよ。疑問が残れば悔いも残りますからね。それならいっそ、そういう選び方はしない方が良い。こういう風に考えること自体、どうやら寿輔師匠の毒は、すでに僕の全身に廻っているようです。