落語・ミステリー(もしくは落語ミステリー)・映画・プロレス・野球・草バンド活動のよもやま話、やってます。好きな人だけ寄ってって。

鎌田善和です。売れてない分時間はありますので、遅まきながらブログ始めました。記事は落語やミステリーが中心ですが、映画・野球・プロレス・草バンド活動(野球でいう草野球の事)もリストアップしておきます。気になる、興味がある、と思う人にだけ伝われば。


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 おはようございます。鎌田です。実は昨日、全く同じ表題でブログを書いたのですが、更新しようとしたら消えてしまいました。ブログの下に『Amebaでまもるべきこと』という表示があり、それをきちんと読んで遵守したつもりだったのですが、記述の仕方の問題があったのでしょうか?僕は自分が体験した声帯P(病名を表記するのがいけなかったのかもしれませんでしたので、あえてこう表記してみました)の除去について、これから受けるかもしれない方やそのご家族の方々に、なにがしかの参考になればと思って書いておりますので、また書こうと思います。もしまた送れずに消えちゃったらどうしたらいいのかよく分かっていませんので、それは運を天に任せるしかありません。

 さて昨日、除去したPが悪性のものであったかどうかの検査結果も含めての術後初の検診がありました。結果としてはお蔭様でPは悪性ではなく、幹部も順調に快復しているというお墨付きが戴けまして、やっと無罪放免になりました。心のどこかには「ひょっとしたら」という思いがありましたので、これでようやく安心できました。ということで、僕がこれから書くのは良い事例になりましたので、先述した皆さんにはそう思って戴けたら幸いです。

 一昨日、入院日(つまり手術の前日)が結構忙しいということを書きました。そこで書き漏らした事がありましたので、まずはそれから。

 昼食が終わった頃、担当の先生が僕のベッドまで来てくれまして、なんと、簡易型のマウスピースを作ってくれました(もっとも、最終的には自分で口の中に手を突っ込んで仕上げをしましたが)。僕は以前このブログに、内視鏡を使って切除するみたいなことを書きました。実際そう思っていたんですが、そこで初めて、口を開けて切除することを知りました。なるほど、だから全身麻酔なんですね。前回の手術の時に、内視鏡で採ってもらったとばかり思い込んでいましたが、それが間違いだったんですね。ただ、手術がどういう方法で行われようが、実は本人にはそれほど影響はありません。というのも、麻酔がかかって何もわからなくなった次の瞬間には「鎌田さ~ん、起きて下さ~い」という声がかかるのですから。”刹那”という言葉の意味をこれほど実感する経験もそうはありません。

 おっと、ちょっと先走りましたね。前日の過ごし方をもう少し丁寧に書かないといけません。

 僕が入院した病院は、”ご飯の時間”がそれほど早くありません。入院した友人を見舞っていて、「おお、もう夕飯なんだ・・・」と驚いた経験は一度や二度ではありませんが、ここでは夕飯が18時半から19時の間に運ばれてきました。そしてその日は21時の消灯までは何を食べても良かったんです。ただ、前回の手術後に小用を足したくなって困った経験がありましたからね、支給された夕飯以外に飲み食いする気にはなれませんでした。そして消灯時にスポーツドリンクのような小さな紙パックの飲み物を2本飲みます。これを飲んだ後は、食べ物を食べるのはダメですが、飲み物なら摂っても良いとのことでした。でもそれも、先述した理由で、しませんでした。そして翌朝、起床してから6時半までに同じ紙パックを2本飲み切ると、その後は一切の飲み食いは厳禁です。そして、手術によってエコノミー症候群が引き起こされないようにとの理由で用意された(これも前日、看護師さんによってふくらはぎの太さなどが採寸されます)弾性ストッキングというのを履いて、これでスタンバイは終わりです。いよいよこれから手術室に行くことになりますが、この続きはまた。

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 おはようございます。記事の更新に何日か間が空いてしまって申し訳ありませんでした。

 実は先週の木曜日、このブログを書き上げた後に、5冊目の本の著者見本が到着しました。元々翌日の金曜日と土日には予定がありまして、出来上がった本を読みたくても(どんな内容なのかは当然知っていますから、新たに出合った物語を読み進めるドキドキ感みたいなものは無いのですが、やっぱり自分の原稿が”本”になって、そのページをめくって読み進めるというのは、他には代えがたい感情が湧くものです)それが出来ない。一方で、これもおかしな感情なのですが、「本になった作品を簡単に読んじゃうのはもったいない」みたいな気持ちもありまして、だから、「寸暇を惜しんで」とか「無理に時間をやりくりして」みたいな読み方はしたくないんですよ。着想した内容を一度パイロット版のような状態に書き上げたのが昨年の12月の初旬、そこから、編集さんとの遣り取りが始まって、今年に入ってから正式な原稿としての初稿を書き上げ、それから第一稿、第二稿と遣り取りがあって、最終稿を提出したのが5月の終わりでしたからね。パイロット版に取り掛かった時から考えると8か月(着想してからはもっと長い時間が流れています)以上の間、アカデミックな書類の数々や資格試験の問題などを作成する合間を縫って(心情的には「監視の目を盗んで」という後ろめたさがありつつ)、一所懸命書いたものですからね。他に何もしていないで書いたのとはやっぱり達成感が違います。で、それを昨日、ゆったりと流れる時間の中でやりましたので、正直、ブログにまで気持ちが行きませんでした。ということで、実にさっぱりした気分で、今日はブログの続きを書きますね。

 さて、実際に入院した当日(翌日の朝8時40分に手術室に入るのですが)は、すでに手術に関する検査も、入院生活に対する説明も、すでに受けて完了しておりましたので、特に何もすることがないと思っていました。何度も言いますが、客観的には「声帯ポリープの除去なんて、大したことのない手術」だと思っているのですが、自分の身に降りかかるとなるとなかなかそうは割り切れません。もちろん、カミさんが木・金と会社を休んでくれていましたので、一人で”考え込む”ことはないと思っておりましたが、人間暇だとくだらないことを考えがちですからね、その手術前日の”暇”をどうやって乗り切ろうかが不安でした。ところがこれが、有難いくらいに暇じゃありませんでした。

 まず、入院生活を過ごすために自分に割り当てられたベッドまで向かわねばなりません。僕は11階の東病棟でしたので、入院手続きをした1階からカミさんと11階に向かいました。そのフロアーに着いて、ナースステーション(という名称ではありませんでしたが、実体はどの病院にもあるそれです)に声を掛けるように言われていましたのでそうすると、うまい具合に、その時に対応してくれた看護師さんが、僕を担当してくれるHさんでした。で、僕に割り当てられた部屋に連れて行ってもらうと、なんと3人部屋の窓側という、とても開放感のあるベッドが僕の仮住まいでした。「こんなロケーションだったら、3日で退院してしまうのはもったいないな」。ベッドについて荷物を置いて、最初にそう思いました。しかも、その大きな窓から、我が家の屋根が見えるんです。いつも普通に歩いて駅や商店に向かっている道路が、これまでに見たことのない景色として眼の前に拡がっている。僕が入院した病院は、僕の家から歩いて1~2分の場所にあるんです。この病院を大きなお屋敷と譬えたら、差し詰め僕の家は敷地内の物置小屋という按配でしょうか。何か月もの入院になったら「里心」が付いてしまいそうな距離です。

 そこに落ち着くとすぐ、そのフロアに常駐している事務職の若い女性が来てくれて、実際に歩きながらフロアの設備などの説明をしてくれました。僕もそうですが、そのフロアに入院している患者さんは、確かに入院加療が必要ではありますが、「生死」に直結するほど重篤ではない(デイルームには”糖尿病やその他の生活習慣病”に関するポスターなどが貼ってありまして、そこにある自販機では糖分の入った飲料は売っていませんでした)ようで、その所為か、なんとなく雰囲気が穏やかでした。僕の部屋にはトイレと浴室(といっても本格的な入浴ができるのではない、いわゆるシャワールームです)がありませんでしたので、共用のそれらを使うためのやり方などを丁寧に教えて貰ってベッドに戻ると、もう昼食です。カミさんには昼食が出ません(当たり前だ!)ので、カミさんの昼食と、入院してその様子をみてから買おうと決めていた生活必需品(実際にはウエットティッシュくらいでしたが)の買い出しに、B1フロアの売店(昔の病院には必ず、田舎のヨロズ屋さんみたいな独特のそれがありましたよね。でも今は、大手のコンビニがそのまま入っていまして、全然特別感がありません)に行って、自室に戻って2人で昼食を取り終えると、そこから”麻酔の説明”や”手術室担当の看護師さんとの面談”が用意されていました。今時ですから、丁寧な説明をしなくてはならないのでしょう。麻酔の担当の先生も、手術室担当の看護師さんも、なんとかこっちの不安をぬぐおうとしてくれているのはよく分かりました。だからこっちも、なんだか「そういう気持ちに応えよう」みたいなカラ元気が出て、一打逆転のケースでバッターボックスに入るような気持ち(つまりそういう時は打ちたいという気持ちだけではなくて、打てなかったらどうしようという一抹の不安も抱くものです)でベッドに戻ってテレビを点けたら、どこでもやっていたのは小林麻央さんの訃報でした。僕とは病のレベルが違うと分かってはいるのですが、何となく身につまされる思いがしてしまう。そうこうしているうちに夕飯になり、またカミさんの夕飯を一緒に買い出しに行ってからそれを食べたら、あえなく面会時間が終わりました。こうしてその日は、何となくシャワーを浴びる気にもならず、消灯時間に合わせて寝ることにしました。で、目が覚めたら手術です。

続きはまた、明日か明後日に。

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 過ぎてしまえば早いものですが、僕は先週の今日、入院しました。その日は・・・と書き進めたいところですが、ひょっとするとこれからポリープの手術をされる方が読んで下さっているかもしれませんので、一応時系列をきちんとして、ノンフィクション風に書こうと思います。

 まず、僕が喉に違和感を覚えたのは、昨年の7月ごろからでした。その少し前に夕方から夜にかけての屋外イベントに参加して、「ああ、躰を冷やしたな。喉も痛いし・・・」という感覚を持ちました。僕は扁桃腺が弱いので、扁桃腺を腫らして高熱を出すことには慣れていますので、この時もそうなるんだろうなぁと覚悟していました。ところが、実際には熱など出ず、つまり「風邪をひいた」ということではないのに、喉の違和感だけが残りました。まあ、熱が出ませんでしたからね、市販の喉用のスプレー剤や漢方薬を購入して、自力で治そうと考えました。大概の場合、そうすれば治りましたから。ところが、そういう自己流の治療をしても、喉の違和感は残ったままでしたので、やっぱり罹り付けの耳鼻咽喉科に行くことにしました。先生はすぐに声帯ポリープを疑って、鼻から内視鏡を入れて念入りに撮影しましたが、外観上の異常は見当たりませんでした。小心者の僕は、実は”喉頭癌”などという言葉が頭をかすめていまして(父親方が首から上の癌になりやすい家系です)、それを心配したのですが、検査の結果はそれでもない。つまり違和感の正体はわからないので、当面様子を見ることになりました。

 そうこうしているうちに半年くらい経って、違和感だけでなく「どうも声がカスれるなぁ」という自覚も出てきましたが、以前、声帯ポリープを患った時の感じとは違う。第一、以前声帯ポリープになった時には、バンドでボーカルをガンガンやっていまして、スタジオで朝から6時間練習してから打ち上げで4時間くらいカラオケで唄うなどという無茶をやっていました。それなら歌手でもないのに声帯ポリープを患うなんていうのも致しかたありませんが、今回はそんなことはしていない。むしろカラオケに通う回数など全盛期の100分の1くらいしかありませんから、声帯ポリープになるのはおかしい。で、どうしたかといえば、「声変わりしたと思って諦めて、持ち歌から、この声で上手く唄えない歌は外して、新たなレパートリーを作ろう」という楽観的な解決を模索し始めたのです。ただ、相変わらず違和感はありましたので、”声枯れに効く漢方薬”は飲んでいました。

 たまたまその頃から、今抱えている仕事が急に現実的に進み始めて、書類作りが物凄く忙しくなると同時に、自分の本業である落語ミステリーの5作目が出版されることになり、その原稿にも注力しなければならない。元来怠け者の僕ですが、そういう状況になると火事場の馬鹿力が出ます。来る日も来る日も集中してパソコンに向かっていると、喉の違和感の方に意識を割かなくなります。つまり、スポーツでいう”ゾーンに入る”というか、マラソンランナーで言えばランナーズハイの状態、僕はすっかりライターズハイになっていました。

 そして、5冊目の本の最終稿を担当の編集さんに提出を終えた5月のはじめ、先ずはそっちで一安心すると、急に喉の違和感と声の掠れが気になって気になって仕方がない。「いよいよこれは明らかに変だ」という自覚をしたゴールデンウイーク明け、罹り付けの耳鼻咽喉科で再度内視鏡の検査をしてもらうと、今度はありましたよ、ポリープ。それも真ん丸で大きいやつ。声帯が阿古屋貝で、ポリープは見事な真珠とでも言えばよいでしょうか。とにかく立派なのが育っていました。

 先生曰く、「これは完璧に声帯ポリープです。2週間ほど薬を出しますので、それを飲んでみてもらってその後1~2週間様子を見ましょう。薬で小さくなるかもしれません」とのことでした。

 で、言いつけを守ってその通りにして、今月の5日に再度内視鏡で検査をしましたが、僕のポリープは一向に衰える様子を見せておりませんでした。

 「ポリープが悪性かどうかの様子を見た方が良いでしょう。それは内視鏡でも出来ます。内視鏡で細胞を一部採って、検査をする。その結果を待ってから、悪性であれば切除するという方法もあります。検査を持っている間に小さくなるかもしれませんし」と先生は言ってくれましたが、まず、そこまで3週間もの間に小さくなるものならなっている筈です。ところがその時点では、食べ物を飲み込む時にさえ、”そこに何かがある”という存在感を与えてくれるまでになっていましたからね、これ以上放置しても無駄だと思いました。

 「もし悪性だったら、切除するんですよね」

 「はい」

 「今の時点で切除してしまって、採ったポリープを検査することは可能ですよね」

 「むしろその方が正確かと」

 「では、切っちゃって戴けませんか」

 こうして手術を決断した僕は、すぐに先生に、手術できる病院への紹介状を書いてもらいました。

 紹介状を携えて僕は、翌々日の6月7日に、先生に紹介して戴いた国立国際医療研究センターを訪ねました。

 そこの外来でやはり内視鏡の検査を受け、僕の担当になってくれた先生(体育会系の若い美人の女医さんで、内心「ラッキー」と思いました)からも、罹り付けの先生から言われたのと同じ質問をされまして、だから僕も同じ返事をしました。するとすぐに、最短で手術が受けられる日が提示されました。その運命の日が6月23日でした。どうせ手術を受けると決心したのですから、「早いトコやってくんな」という『強情灸』の登場人物みたいな気持になっていましたので、話がトントン拍子に進んでくれたのは好都合でした。もちろん入院せねばならず、その時にどんな部屋が空いているか分からないと言われましたが、そう長くは入院しないで済むだろうという担当の先生からのお話でしたので、どんな部屋でも(もちろんメジャーな観光地のホテルのスイートルームみたいな部屋しかないと言われたら困りましたが、個室でも保険の差額ベッド代程度で収まるはずでした)良いので、という了解をしました。で、その日の午後にはもう、手術に耐えられる身体かどうかの検査(心電図、採血、検尿など)をして、その結果を翌日に確認するという段取りで、あれよあれよという間に手術に向かって現実が動き始めました。

 翌日、手術に問題がない身体であるというお墨付きを戴き、22日に入院、23日に手術という日程がフィックスされました。その間にもう一度、”音声外来”での検査を受けることになりましたが、これは、前回のポリープ手術ではしませんでしたので、面白い経験になりました。

 そして先週の今日、午前10時45分に僕は入院しました。

 ここからも長くなりますので、今日はこの辺りにしておきたいと思います。

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