映画「孤独のススメ」 平成28年4月9日公開 ★★★★☆
オランダの田舎町、
妻に先立たれた初老のフレッドは、毎週日曜日の礼拝以外は人とのつながりを極力排し、静かに暮らしていた。
ある日、言葉も過去も持たない男テオが突如現れ、フレッドの家に住み着いてしまう。
心ならずも始まった共同生活を送る中、二人に友情のようなものが生まれ、
さらにフレッドの規則正しい単調な日常も変化していく。 (シネマ・トゥデイ)
「約束のマッターホルン」というオリジナルタイトルからはずいぶんとかけ離れていますが、
ひと言で言えば、孤独な初老男の再生のはなし。
けっして孤独をススメてるわけではありません。
普段あまり見ることのないオランダ映画です。
今まで見たものをチェックしてみたんですが、「誘拐 狙われたハイネケン」と「人生はマラソンだ!」くらいですね。
本作にも、風車もチューリップも木靴も出てこないし、まじめなオッサンとおバカなオッサンの話ですが
田園地帯をとことこ走るバスのカラフルな色使いとか、スーパーに並ぶ商品の品揃えとか
誕生会の飾りつけとか、ビジュアルが可愛らしくて
そのへんがオランダ!って感じです。(頭悪い人の感想ですね・・)
まずは、
「演奏はたやすい。正しい鍵盤を正しい時に叩けばいいのだから」(ヨハン・セバスチャン・バッハ)
という思わせぶりなテロップに始まって、子どもの歌うマタイ受難曲が流れます。
フレッドは、退職して妻も亡くしたおひとりさま生活ですが、6時ぴったりにお祈りして食事。
毎日毎日ルーティンどおりに暮らしている、チョー几帳面オジサンです。
「ホルテンさんのはじめての冒険」とか「ルイーサ」とか、「おみおくりの作法」とか、
映画の中では主人公のこういう設定って、「面白おかしくもない真面目な人生」みたいな位置づけですが、
こういう人はきちんと生活することが一番のリラクゼーションなんでしょうし、
「ほっといてあげてよ!」って思ってしまいますけどね。
で、お約束どおり、フレッドの前に非日常の出来事がおこります。
ふらりと現れたのは、しゃべることも常識もなんにもないおかしな男、テオ。
見た目も浮浪者で、人間としての最低限のマナーもなく、あんまりかかわりたくないような人物ですが
なぜかフレッドは彼を家に招き入れ、まるでペットをしつけるように自分のやりかたを教え込むのです。
マジメとボケのかみ合わないやりとりは、まるで緩いコントを見ているようですが。
爆笑、というほどでもない。
テオは時々ヤギになりきってしまうことがあって、スーパーの中でメエメエ啼いていると、
「うちの子の誕生会に余興をやってくれ」と声をかけられます。
二人で出かけて行って「物まねショー」みたいなのをやってちゃんとギャラももらい、
その後も依頼の電話がひっきりなしに・・・・
↑の画像がそれで、けっこう子どもたちにはウケてましたけど、
日本人にはその面白さはちょっと理解できないです。
予告編でもここは使われてましたから、「爆笑コメディ」だと思っていたんですが
大いに笑うつもりで見たら、ちょっと拍子抜けするかもしれません。
そのうち、テオの過去や今置かれてる状況がわかってくるにつれ、二人の関係が
友情から愛情にかわってくるのです。
この展開にもちょっとついていけなかったなぁ・・・・
ひげ面オッサンが勝手に亡き妻の服を着たりしたら、(細いからけっこう着られちゃう)
激怒しそうなものですが、なんか妻の面影を思い出してしんみりしちゃうのです。
そして「結婚しよう!」と。
いつも寄り添っている二人を見て「ホモ野郎!」とかからかう子どもに逆切れ。
今まで周りからどう見られているかばかりが気になっていたフレッドが
逆に世間から孤立し、二人の関係がより密接になってくるのです。
実はフレッドには疎遠になっている息子がいて、8歳の時にうたったバッハのアリアを
フレッドは毎日聞いていたのだけれど、息子は同性愛に目覚めて家をでてしまいました。
息子の居場所を突き止めて会いに行くと、夜の世界で働く息子の姿が。
音楽のジャンルは違えど、その歌声で観客を魅了していたのでした。
シャーリー・バッシーの「This is my life」を歌い上げる息子を見て、親子の壁はとりはらわれる・・・・
ストーリーだけを追っていると、同性愛を許せなかったフレッドの心が変化するわけですから、
LGBTの啓蒙映画にも見えますが、最後まで見ると、冒頭のバッハの言葉が
大事な意味をはらんでいるように思えてきます。
バッハの音楽はあまりに完璧すぎて逆に印象に残らないので、劇中何曲もかかったのでしょうが
覚えているのは「マタイ受難曲」「パディヌリ」「グノーのアヴェマリアの裏に流れる平均律の前奏曲」くらい。
バッハは「近代音楽の父」と言われますが、人間の作り出せる音楽はバッハの時代に完成し
それ以降は、それをどう不完全にするか?不完全ながら魅力的な音楽を紡ぐか?
冒頭の言葉も、完璧でなければいけない、なんてことじゃなくて、むしろ逆なんじゃないかと思います。
そうすると、この「孤独のススメ」というタイトルも逆説的に考えればいいってことかな?
オランダの田舎町、
妻に先立たれた初老のフレッドは、毎週日曜日の礼拝以外は人とのつながりを極力排し、静かに暮らしていた。
ある日、言葉も過去も持たない男テオが突如現れ、フレッドの家に住み着いてしまう。
心ならずも始まった共同生活を送る中、二人に友情のようなものが生まれ、
さらにフレッドの規則正しい単調な日常も変化していく。 (シネマ・トゥデイ)
「約束のマッターホルン」というオリジナルタイトルからはずいぶんとかけ離れていますが、
ひと言で言えば、孤独な初老男の再生のはなし。
けっして孤独をススメてるわけではありません。
普段あまり見ることのないオランダ映画です。
今まで見たものをチェックしてみたんですが、「誘拐 狙われたハイネケン」と「人生はマラソンだ!」くらいですね。
本作にも、風車もチューリップも木靴も出てこないし、まじめなオッサンとおバカなオッサンの話ですが
田園地帯をとことこ走るバスのカラフルな色使いとか、スーパーに並ぶ商品の品揃えとか
誕生会の飾りつけとか、ビジュアルが可愛らしくて
そのへんがオランダ!って感じです。(頭悪い人の感想ですね・・)
まずは、
「演奏はたやすい。正しい鍵盤を正しい時に叩けばいいのだから」(ヨハン・セバスチャン・バッハ)
という思わせぶりなテロップに始まって、子どもの歌うマタイ受難曲が流れます。
フレッドは、退職して妻も亡くしたおひとりさま生活ですが、6時ぴったりにお祈りして食事。
毎日毎日ルーティンどおりに暮らしている、チョー几帳面オジサンです。
「ホルテンさんのはじめての冒険」とか「ルイーサ」とか、「おみおくりの作法」とか、
映画の中では主人公のこういう設定って、「面白おかしくもない真面目な人生」みたいな位置づけですが、
こういう人はきちんと生活することが一番のリラクゼーションなんでしょうし、
「ほっといてあげてよ!」って思ってしまいますけどね。
で、お約束どおり、フレッドの前に非日常の出来事がおこります。
ふらりと現れたのは、しゃべることも常識もなんにもないおかしな男、テオ。
見た目も浮浪者で、人間としての最低限のマナーもなく、あんまりかかわりたくないような人物ですが
なぜかフレッドは彼を家に招き入れ、まるでペットをしつけるように自分のやりかたを教え込むのです。
マジメとボケのかみ合わないやりとりは、まるで緩いコントを見ているようですが。
爆笑、というほどでもない。
テオは時々ヤギになりきってしまうことがあって、スーパーの中でメエメエ啼いていると、
「うちの子の誕生会に余興をやってくれ」と声をかけられます。
二人で出かけて行って「物まねショー」みたいなのをやってちゃんとギャラももらい、
その後も依頼の電話がひっきりなしに・・・・
↑の画像がそれで、けっこう子どもたちにはウケてましたけど、
日本人にはその面白さはちょっと理解できないです。
予告編でもここは使われてましたから、「爆笑コメディ」だと思っていたんですが
大いに笑うつもりで見たら、ちょっと拍子抜けするかもしれません。
そのうち、テオの過去や今置かれてる状況がわかってくるにつれ、二人の関係が
友情から愛情にかわってくるのです。
この展開にもちょっとついていけなかったなぁ・・・・
ひげ面オッサンが勝手に亡き妻の服を着たりしたら、(細いからけっこう着られちゃう)
激怒しそうなものですが、なんか妻の面影を思い出してしんみりしちゃうのです。
そして「結婚しよう!」と。
いつも寄り添っている二人を見て「ホモ野郎!」とかからかう子どもに逆切れ。
今まで周りからどう見られているかばかりが気になっていたフレッドが
逆に世間から孤立し、二人の関係がより密接になってくるのです。
実はフレッドには疎遠になっている息子がいて、8歳の時にうたったバッハのアリアを
フレッドは毎日聞いていたのだけれど、息子は同性愛に目覚めて家をでてしまいました。
息子の居場所を突き止めて会いに行くと、夜の世界で働く息子の姿が。
音楽のジャンルは違えど、その歌声で観客を魅了していたのでした。
シャーリー・バッシーの「This is my life」を歌い上げる息子を見て、親子の壁はとりはらわれる・・・・
ストーリーだけを追っていると、同性愛を許せなかったフレッドの心が変化するわけですから、
LGBTの啓蒙映画にも見えますが、最後まで見ると、冒頭のバッハの言葉が
大事な意味をはらんでいるように思えてきます。
バッハの音楽はあまりに完璧すぎて逆に印象に残らないので、劇中何曲もかかったのでしょうが
覚えているのは「マタイ受難曲」「パディヌリ」「グノーのアヴェマリアの裏に流れる平均律の前奏曲」くらい。
バッハは「近代音楽の父」と言われますが、人間の作り出せる音楽はバッハの時代に完成し
それ以降は、それをどう不完全にするか?不完全ながら魅力的な音楽を紡ぐか?
冒頭の言葉も、完璧でなければいけない、なんてことじゃなくて、むしろ逆なんじゃないかと思います。
そうすると、この「孤独のススメ」というタイトルも逆説的に考えればいいってことかな?