遠い叫びは聞こえやしない。心が叫びたがってるんだ、について僕が思った事。 | 湿った火薬庫

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梶原です。
最近心が叫びたがってるんだ。なる映画を見ました。それについて僭越ながらつらづらと。

正直な、本当に正直に心が叫びたがってるんだ。(長いので申し訳無いですがここさけと略させて頂きます)、ここさけに対して僕が感じた事は、この作品を好きな人には申し訳ないと思う。けれどはっきり言えば、僕には
無味乾燥というのが一番的確な感想だった。

乱暴な言い方をしてしまえば、ここには何もない。である。
恐らくこの作品に好意的な印象を抱く人はこの時点で戻るボタンを押すか、右上の閉じるボタンを押してしまうだろうが、それはそれで良いと思う。分自身、ここさけに対する感想は捻くれてておかしいと自覚してるから。

これから始まるここさけへの感想は、ある種誰も得しない、僕の半生を振り返る自分語りだ。と同時に何で僕がこんなに心が叫びたがってるんだ。に対してここまで仏頂面なのか。それを説明させてほしい。
まず、ここさけ自体の出来についてだが、冒頭の意見を引っくり返す様な事をいきなり言ってしまうが、映画として非常に良く出来ていると思う。こればかりは否定できない。改めて祖筋を振り返る。
幼い頃に無邪気さから行った行動が予期せぬ結果を招き、その「せい」で自分の思いを言葉にする事を自ら封じた主人公、成瀬順。そんな順がふれあい地域交流会なんて面倒な学校行事に半場強制参加させられた事から、物語が始まっていく。

この、順が学校行事に参加する事で始まっていく物語と、順や、オタク友達とつるんでいるダウナーな青年、拓実や、才色兼備さから一目置かれている菜月、野球部のエースでありながら怪我により粗暴になっている大樹ら、一見どこにでもいそうで、実は各々根深い問題を抱えている登場人物達が、出会いや衝突、和解等を経て変化していく人間関係の描き方の妙。時折挿入される叙情的で胸を打つ映像表現や、決して青春は美しい、楽しいといった絵空事で固めず、学生としてのモラトリアムや自意識の拗れ、性関係とかのリアルな生生々しさ、黒さ、汚さも辞さない脚本。ミュージカルという一種難解な題材を登場人物達の挫折と成長を無理なくドラマチックに絡めた構成。起承転、と見せかけて転、転が二度続くのがただの驚かしではなくきちんとエモーショナルな感動を与えさせてくれる展開。そして決して全てが万事上手くいく訳では無いが、しっかりと希望は残して後腐れを残さない結末。

2時間という映画としては結構長めのランニングタイムを、息を切らさず最後まで勢いを持続させながら、順だけでなく他のキャラクターに感情移入をさせてしっかりと泣かせてくる。それも無駄に情緒を煽ってくる音楽だとか、仰々しい説明台詞もなく、きちんとキャラクター達がちゃんと自分達の持ちうるであろう言葉で話してくれる。要は、アニメ映画だとか、そういうバイアス抜きに良く出来ている青春映画なのだ、ここさけって。
だからこそ、こうも見た人見た人の評価が軒並み高いんだろう。青春物として以上に一本の映画として評価している人が多いのを見る限り。僕が敬愛している映画好きの方々からも賞賛の意見が多い。

そんな完成度の高い映画に、何で僕はこんなにもノレなかったんだろう?心に響く瞬間をまるで感じなかったんだろう?と、僕は見終わった後、自分自身首を捻ってしまった。
ストーリー素晴らしい、キャラクターも人間味がある、演出も音楽も凝っていて、後味も悪くないなのにするりと、僕の中でここさけは感触も無く零れ落ちてしまった。この感情が厄介なのは、ただ二極化して分けられればこうも苦悶する必要が無かったという事だ。大体の映画は細部を除けば大体の人もだろうし僕自身もだが、面白かったつまらなかったの二つに分けられると思う。その判断で言えばここさけはおべっか抜きで面白かったと言える類だ。で、ここからが本題なのだが。

引っかかりが無いのだ。そう、何も引っ掛からない。

僕は映画を見る際、一寸でもあっ、ここが忘れられない……!とか、ここはすげーダメだと思うけど、ここが凄く良かったから許せる、みたいな、一つや二つ、作品によっては数え切れないほどここが心に引っ掛かった、ここがあったからこの映画は印象に残った、というのが楽しくて映画を見ている部分がある。
ここさけにそういう箇所があったかと言えばあくまで「映像的」や「演出的」には目を見張る部分はあった。むしろ多い位だ。冒頭の順が言葉を失ってしまうまでの、一人の少女が暗い過去を背負うまでの残酷なファンタジックさや、拓実と順の現代的なツールを使っての、不器用ながらも微笑ましいやり取り、一見気高く見えた菜月が感情を露わにする瞬間と、その次に起きる予想外のドラマ、そしてある二人の正に心を叫びあう対峙。どれも非常に映画としての見せ場を心得てて天晴れだ。
でも、だからといって心を打たれたか。否だ。僕には彼、彼女達の交わすこれらの出来事が、まるで知らない世界の知らない言語で交わされる、どうでもいいドラマにしか見えなかった。好きな人には再度申し訳ないと思う。

あまり自分の過去を話すのは得意じゃないというか、話したくはない事ではあるが、僕は中学生から専門学校までのしょぼい学歴の中で、一瞬でも青春らしい瞬間、青春と言えるであろう時期過ごした覚えが無い。いや、数少ないながらも地元の級友は一応いるのだが(心から感謝している)
中学の頃は最初の入りたての頃こそはもしかしたら楽しかったかもしれないが、次第に校内が荒れてきて不良生徒と教師のちゃちいクローズZEROみたいな雰囲気の中でたまによく分からないけど殴られたりした覚えがある。高校は家庭の事情から夜間学校に通う事になり、昼はバイトで夜は学校で一人黙々と過ごしていた。周りを気にする余裕が無かった。卒業後、少し遠い専門学校に通って就職しようと(結局失敗するが)して無我夢中になるが、例の311(まさかの卒業日)で全部吹っ飛んだ。色んな意味で。それから今のクソニワカデブである。

つまり、僕の「学園生活」と呼称出来る時期の中では友情とか恋愛とかトキメキとか仲間だとか、そういう所謂青春的な物はすっぽり抜けているのだ。こうなったのは僕自身に大きく原因があるのは重々承知だが、過ぎてしまった物は仕方がない。仕方がないのだ。

無論、僕の様な過去を送っている人は多分少なくないと思う。失礼ながら。そういう人達にもここさけは人気なのを見ると、僕がここさけをこうも評するのは、本当に捻くれているし性格が悪いと思う。でも思うのは僕にとってここさけという作品は、順の前に立ち憚る、自身の過去の代替である邪悪な「玉子の如く、僕の過去の何も無かった、何も成しえずここまで来てしまった、というのを残酷に突きつけてくる巨大な鏡の様だ。だから僕はここさけに対して何も無い、以外の感想を言うとした怖い、だ。ある意味どんなホラー以上にこの作品は怖いはっきりと空想上の物語として紡がれるホラーよりも、辿ったかもしれない過去を彷彿とさせてくるこの作品の方がずっと、恐怖感を覚える。

もう一つ、僕がここさけに乗れなかった理由。むしろこれが、大きい理由かもしれない。
突然の話題転換だが、僕はセッションという映画が好きだ。いや、今年度の映画では大好きといってもいいかもしれない。


ご存知の人も多いかもしれないが、セッションは凄ましいスパルタ指導を振りかざす音楽講師のフレッチャーと、ドラマーとしての才能を輝かせる為に名門校の扉を叩いたアンドリューという青年の壮絶にも程がある対立と確執を描いたヒューマンドラマだ。この作品は様々な要因で(前述の二人の常識や倫理を逸脱したやり取りや、アンドリューを演じたマイルズ・テラーの実際に行われるドラム捌きや、映画と完璧にシンクロした劇中曲など)米国のみならず日本も熱狂させた作品だが、僕がセッションを好んでいるのは結構変な理由だ。

その理由はセッションがアンドリューやフレッチャー以外の「ぶっちゃけ物語にとって蚊帳の外」で「登場人物達にとって取るに足りない存在」をキッチリ描いているからだ。それは前半でフレッチャーに何も悪くないのに、生贄の様に授業(どころか恐らく学校を)を追い出されたマンガ君ことメッツや、結局アンドリューにとっては心の支えにもなりえていない、アンドリューの親父さんや、アンドリューの夢の犠牲となった恋人だとか。こういう、登場人物から己の人生を阻害されてしまっている、しかし確実に存在しているキャラ、が僕はどうやら好きなようだ。
そして何よりメッツ。僕はメッツの様に名門校に入れるほどの才能はないけれど、それでもあんな風に勝手な他人の都合で、自分の人生を棒に振られるメッツの姿は、まんま僕自身の様でとにかく泣いてしまった。メッツという存在は、終盤のフレッチャーとアンドリューの命をかけた決闘よりも胸を打たれた。他の映画で言えば、皆大好きな細田守監督の時をかける少女の消火器を振り回すあいつとか、普通にイヤな奴だけど北野武監督のキッズリターンのモロ師岡とか、こういう彼奴等
まさに「登場人物達に取っては取るに足らない存在」、もとい「物語の蚊帳の外」じゃないか。だからこそ愛おしい。

もしかしたら僕の目が激しく曇っているのかもしれない。いや、むしろそうかもしれない、ここさけはそういう「登場人物達に取っては取るに足らない存在」、もとい「物語の蚊帳の外」にいる人を「意図的に」排除している様に見えた。
登場人物達は多い。皆が皆、ちゃんと役割を背負っている。菜月の女友達二人組も、大樹の後輩軍団も、拓実の頼れるオタ友達二人もとてもいいキャラだ。でも、なんか違う。ここに一人でも炙れている奴はいるだろうか。順のクラスの中で反発や喧嘩はあったが、その中に俯いているような奴はいただろうか。自分でも何言ってるのか分からなくなってきたが、僕にはそういうあ、これ俺じゃね?な奴が見当らなかった。それが偉く寂しい。だから僕はこの映画のどこに共感すればいいか分からなかった。誰に共感すればいいか、宙ぶらりんだ。

結局、あくまで僕にとってこの映画は、学校内で弱者だったり、存在が透明だった人間が、僅かでもあった勇気や怒りを噴出させて何も変わらないかもしれないが、それでも何かやるんだと奮起する話、じゃなかったんだと勝手ながら落胆してしまった。そんな話だとまんま桐島、部活辞めるってよ。になるかもしれないが、僕はそんなどうしようも無い破壊衝動をそのままぶつけてくる桐島の方がまだ飲み込めた。

だから、例え順がやっと玉子の呪縛を離れ、殻を破りだしたが、拓実と菜月が過去の恋愛を拗らせた瞬間を聞いてしまい、再び卵の中に戻ってしまったが、拓実とのやり取りで本当に殻を打ち破り、新たな自分に会えた……という、これ以上無くエモーショナルで号泣しそうな場面でも、些か冷やかなままだった。映像は考えられてて感嘆はしたけど。

こんな事を言ってしまうと些か反発を買うのは承知で。僕にはの映画その物が、固く閉じた玉子の様に感じた。沢山登場人物がいても、豊かなイマジネーションで世界が描かれていても、順達主要人物を中心に世界が回っている、だけにしか思えなかった。別に、さっき取りあげたメッツや消火器君の様なキャラを無理やりにでも出せ、といっている訳じゃない。けれどそういうテーマを描くなら、僕は一瞬でもいいから、そういうキャラクターを、順や拓実の様な、世界を変える為に踏み出せた人と対照的に、踏み出せないまま外れてしまった人を一瞬でも出しても良かったんじゃないかと思う。
もしかしたら……もしかしたらだ。ここさけが別の映画なら、順が正にその「取るにたらない存在」で「物語の蚊帳の外」な存在なのかもしれない。そう思うと順に少し同情的になりそうだが、残念ながらここさけの主人公は順だ。自分自身酷い難癖を付けているとは思うが、こればかりはどうしようもない。

改めて、何でセッションが僕に取って心を打った作品になったのか。それは、メッツという存在が正に僕その物だからだ。世の中には必死に頑張った順にも、己に向き合えて、変わる事が出来た拓実や菜月にも、更生し男になれた大樹にもなれない。あのそれぞれ才に溢れたクラスメイト達の中に入らず、きっと誰にも知られず帰って卒業アルバムで誰にも覚えられてないメッツ君もいた事も忘れないでほしい。最終的に僕が言いたいのはそれだけである。

ここまで読んで頂き、本当に有難うございました。色んな意味でごめんなさい。


どうでもいい余談。
タイトルの意味だが、僕は順の生き方を見て、どうしてもこの曲を思い出してしまう。
仲井戸CHABO麗市さんという、忌野清志郎さんや泉谷しげるさんといったアーティストと親交がある日本でも有数のシンガーソングライターが生み出したフォークソング(だろうか)、遠い叫びという曲だ。
rainなるアニメのエンディングで使用されたりして、ある種コアな知名度を誇る曲だが、この曲の歌詞がいい。
何の罪も無い筈なのに何らかの罰を受けてる
自分で蒔いた種でもないのに
 とか
許せない仕打ちでもないが
癒しせる傷でもあるまい 
とか正に順の事を歌ってるようで。



でも順にはこの曲は似合わなかった。彼女は叫べる人間だったから。それはそれで、本当に良かったと思う。
叫べない側の僕は黙ってこの曲を聞き続ける事にしよう。今度転生したら叫べる側の人間になれますように。