兵どもよ、瞑かに眠れ。GONINサーガについての勝手な感想。 | 湿った火薬庫

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梶原です。
GONINサーガなる映画を見たので、それについての感想をつらづらと。
完全にネタバレ前提なので、鑑賞後にお読みください。

GONINサーガ、非常に素晴らしい映画でした。
四の五の言いません。見てください!


……で終わってもいいのだが、それだとブログを書く意味が無いので、GONINサーガがどれだけ素晴らしい作品なのかをグダグダ説明させて頂きたい。まず大前提で、前作のGONINは僕にとってどんな作品なのかを語らせてほしい。

僕にとってGONINは、邦画のアクション映画ってこんな凄い作品があるんだ……!と、その世界に足を踏み入れる切欠になった作品にして、オールタイムベストに挙げるほどに影響を受けた作品だ。様々な暗い事情を抱える五人の男達が、ヤクザの有り金を強奪したが良いが、ヤクザの放った凶暴な殺し屋によって絶体絶命の危機に陥る……という、古典的と言えば古典的なプロットだが、石井隆らしい妖美な演出と、不意を突く様に噴出する過剰な暴力描写、そして何より、追い詰められた男達の織り成す生と死のドラマに僕は完全に打ちのめされてしまった。

もしもGONINに出会わなかったら、僕はきっと邦画の様々な素晴らしいアクション映画にも、才気に富んだ映画監督達に触れる事もなかったと思う。GONINを初めて見たのは自分が使っているしょぼいノートパソコンの画面だったが、それでも画面の中で繰り広げられる熾烈、なのに見惚れる様な男達の生き様に、ひたすら夢中になってしまったのだ。それからは時折思い出す様に僕はGONINを見ては、毎回初めて見たかの様に興奮に、毎度こりゃ凄い映画だ……としてやられてしまう。それほどの作品の続編が出来ると初報を聞いたのはもう1年以上前か……。

最初にこの情報を聞いた時は、正直目も耳も疑った。だって、GONINはあの映画その物で完結してるじゃないかと。一体続編を作る意味はあるのだろうか。もしも妙な出来になってしまったら石井監督は自身の晩節を汚す事になってしまわないかと、失礼極まりない心配すらした。あれからあっという間に時は過ぎ、とうとうGONINサーガの公開日になってしまった。僕の心は内心不安で一杯だった。いや、本予告編は十分面白そうであるのだが。

それに、あの根津甚八氏がこの作品限定で復帰したり、竹中直人氏や佐藤浩市氏ら初代面子の復活……これで心が躍らないと言えばウソになる。とはいえやはり見てみなければ答えは出せない。そうして僕は不安と期待が激しく拮抗しながらも、身を委ねる事にした。もしもこれがダメなら、しばらくツイッター絶とう、ネット絶とうと考えるくらい(今考えると何だこの馬鹿な決意

結果は言うまでも無い。石井監督、本当に有難う……!
という所で長い長い前置きもそこそこに本題に入ろう。

GONINサーガとは僕にとってどんな映画だったのか。考えなしに羅列させて貰うと、
これは今の邦画界に強烈なビンタを浴びせるバイオレンスムービーでもあり、血と糞と怨念に満ちた人間が剥き出しの人間ドラマでもあり、そしてここが僕が一番主張したい点だが、石井隆による心の篭った本気の心霊映画であった。

何故、19年の期間を経て、石井隆監督はGONINを復活させ、そして恐らく自らの手で終わらせる様な映画にしたのか。頭がジミーちゃん(二重の意味で)ナミィな僕だが、その事を拙さ全開で考察してみたい。

まず、石井隆という監督について短いながらも触れておこうと思う。

石井隆監督は劇画作家として第一線で活躍していた方でその作風はとにかく女性を肉感的に、かつ艶やかに、かつ嗜虐的に描いている。しかしそんな鮮烈な作風ながらも、男女の間で生まれる危うい詩情さや、ハッとする様なトキメキの瞬間を切り取っており、その独特の世界観は正に唯一無二の世界観と評価された。
そんな劇画で培った世界観を、石井隆監督は映画にもしっかりと持ち込んでいる。そこに映し出されるのはまるで常に登場人物達が三途の川、否、三途の岸辺を歩き続けているような稀有な映画だ。石井隆の描く人間達。はいつも死の匂いに満ちていてとにかく、危うい。

石井作品にはにかく「水」が常々象徴的に、あるいは比喩的に登場する。れに加え、「死者」が観客の予期せぬタイミングで現れるのも、強い特色とも言える。
氏の代表作であるヌードの夜はどうか。
主人公の村木とヒロインの名美が海中に沈み行く車中の中で繰り広げる救出劇の現実か、夢なのが分からなくなる不可思議な美しさ、そして終盤の名美と村木の淫夢と呼ぶには美しすぎる交わり。
夜はまた来る
の、これまた村木と名美が殴り込む場面の、鮮烈な豪雨の中での血みどろな復讐劇、傘を喉に突かれて椎名桔平が鮮血を噴出する場面の劇画調のインパクト!そして、あまりに残酷な真実が明かされる時の村木と名美の儚げなシルエットの哀愁美といったら。
フィギュアなあなたも強烈だった。ココネが股間丸出しでチンピラを皆殺しにする瞬間の衝撃、そして、この世もあの世も飛び越えた、死人だけの舞踏祭……。

と、一例を挙げてみたが(僕自身こんな記事を書いておきながら全ては網羅していない。猛省)
石井隆と水と死者を関連付けて挙げていくとキリがない。氏の作品は生死の境目が非常に曖昧だ。生者は死者の世界にあっけなく飛び込む事もあれば、死者がそれとなく生者の世界に存在する。幽霊は水辺を好むという俗説があるが、石井監督の作品を見ているとあながち本当なのではないかと思ってしまう。
無理やり要すると、の超現実的な世界観を狐に包まれた様な妖艶さでコーティングしつつ、男女の生態の生々しさ、真髄へと触れる。
それが僕の考える、石井隆という監督の作家性なんじゃないかと思う。

そんな作品を作り続けてきた氏の映画史の中で、GONINという作品の位置付けは中々特殊である。この作品には、ある種石井隆監督ならではの、村木と名美、それに順ずるような関係が存在しない。それどころか、氏の強みとも言える「男女の生態の生々しさ、その関係の真髄」が無い。しかしだ。

かといってGONINが石井隆色の薄い作品かと言われれば、それは全く違うと思う。
GONINにはそれらの作品に並ぶほどに、特に終盤の銃撃戦に関しては、過去作の集大成かの如く、濃厚な「水」と「死者」がとめどなく溢れている。
ヤクザに楯突いた男達が近親者も巻き込みながら壮絶な屍と化けていく。その様はまるでたけしと木村一八の殺し屋、の背後で死神が次々と人魂を刈り続けているようで、または某シリーズの如く運命という見えない殺人鬼が人間を好き勝手に弄んでいるようにも思える。
そんな異常な殺伐さの中で光るのは、主人公の万代と、彼を慕う過激な青年、三屋とのある種性別を超えた信頼関係だ。二人の関係性をホモセクシャルや、ゲイだと表現するのは間違いではないし、石井監督自身そういうつもりで描いた気がする。しかしだ。

僕は万代と三屋の関係性どうこうよりも、万代という奈落に落ちきった主人公が、三屋との間柄、以上にそんな堕ちゆく己の命運に対し、例えその結果が破滅(実際破滅したが……)だとしても。どんな境遇を迎えようと構わない。只、何もせずに死ぬ位なら己に殉じて生きてやるという気概を見せ付けんとする生生しい足掻き方にひたすら痺れたのだ。この生き方は、石井隆監督が「男女の生態の生々しさ」からシフトを変化させて、「人間その物の生態の生々しさ」を主題に描こうとする気高さをも感じた。

GONINのキャッチコピー、キレたら、止まらない。
このコピーは非常に印象に残る一句だが、このキレたらの意味を少し考えてみたい。
至極単純に考えれば、万代、三屋、氷頭、萩原、そしてジミーこと山路ら五人の男達を指しているのだろうが、このコピー、僕は登場人物達の辿る運命に対して向けている様に聞こえる。
そう、万代を始め歯車の狂い出した男達の命綱は、
一度切れてしまえば、永遠に奈落の底の底、地獄を突き抜けた先まで堕ちていくだけだ。その末に、GONINの登場人物達はほぼ全員死に絶える。復讐の大舞台にして、後の惨劇の引き金となる大越組事務所前での銃撃戦で、異常なほどに降り続ける雨は、目に見えぬ亡者達が死に行く運命にある三屋達に拍手喝采をしている様に見える、というと些か妄想がすぎるだろうか……まぁいい。

ともかく、GONINは日本産のバイオレンスムービーとしても、石井隆作品としても一目置かれている作品だが、こういう観点で見ると、壮絶な心霊映画にも勝手ながら思える。黒沢清がこの数年後回路という傑作を撮る前に、石井隆はこの作品で回路が描いていた「死者が生者を淡々と冥府へと引きずりこんでいく」映画を作り出していた、とは言い過ぎだろうか。言い過ぎだろうな。ごめんなさい。


何だかGONINのレビュー記事のように思えてならないが
さて、GONINサーガである。

覚えている人がいない気がするが、僕はこのGONINサーガをを冒頭で
心の篭った本気の心霊映画であった、と評した。上手く説明出来る自信は無いが説明させてもらおう。

このGONINサーガで主人公、もといGONINとなるのはGONIN終盤の、大越組襲撃事件で命を落とした者達、の家族だ。
主人公の久松勇人は、組長である大越を守ろうとして盾になった若頭、若松茂の息子で勇人の親友である大越大輔は、あの大越組の組長、大越康正の息子だ。そして勇人と大輔に資金源強奪を持ち掛ける、当初は身分を隠していたが、その実態はビートたけし演じる殺し屋、京谷に半ば八つ当たり的に惨殺された警察官、森澤の息子である森澤優斗。過去が大なり小なり重みとなり、足を引きずっているそんな三人が、とある切欠から血みどろに塗れた復讐劇へと足を踏み入れていく。その様のなんと悲痛な事か。

平穏に暮らしていた勇人は、唯一の拠り所である母親を自殺に見せかけ殺された事からとうとう一線を越えだしていく。大輔は、殺された父親が面目を保っていた、大越組の再興を望んでいる。そんな二人を結びつける優斗は、偽名を使ってまでも、両親を死の淵においつめた真実を必死になって追い詰めようとする。この三人を強固に結びつける、ある種運命の糸。それが、麻美だ。

上記の三人に対して、過去と繋がりが薄そうな麻美だが、僕はこの麻美の存在こそが最もこの映画を心霊映画たる物にしていると思う。それは最後まで伏せられてたが――――――――。


麻美は、GONINという物語の幕を開けた男である、万代の子供だからだ。

この事実が明かされるのが、万代が所有していたクラブ、バーズである事。そしてバーズに勇人達だけでなく式根組2代・3代目組長ら関係者が全員集められ、血の祝祭を受ける事。まるで万代の、いや、GONINにて、運命に絡めとられて死んでいった者達の怨念が、事態を動かしている様に僕には思えた。もっと誇大妄想的な事を言えば、ここに浮かんでくるのは19年という時を経て、彼らの魂を成仏させようとしている石井隆の姿が見えてくる気がしてならない。

GONINサーガの物語はじっくり見てみると驚くほどGONINの展開に沿って作られている。
それぞれ事情を抱えた者が、極道の秘められた巨万を奪おうとする大本の流れから、それが切欠で凶悪な殺し屋が(この場面で前作に言及があったのは感心した)派遣される事、前作での氷頭と三屋の様に、その機会が来るのを黙して待つ復讐者達、そして皆殺しという事切れ。

他の方の評論を読むと今回のGONINサーガは前作のGONINの物語をあまりに意識しすぎている、そこがよろしくないという意見をよく見る。確かに冒頭の回想シーンから延々と前作の復習をする様な展開はお世辞にもテンポが良いとは言えない。言えないし、前作を見た人はこう思うのではなかろうか。前作を踏まえた回想や復習はもう十分だ。頼むから、GONINサーガその物と言える映画を見せてくれと。

あくまで僕からすると、このGONINサーガがこういうGONINをそのままなぞる構成にしたのは「あえて」だと思う。石井隆監督自身、きっと批判されるのを重々承知した上で、こういう展開を選んだのではないかと。愚直なまでに、前作を異様なまでに彷彿とさせる要素を出し、前作を思わせる物語を紡ぎ、そして前作と同じ結末を選ぶ。
何故、自己模倣的と言われかねない展開と結末を選んででも、石井監督はGONINサーガを完成させたのか。様々な不本意が重なり、延々と企画が延期してきた。様々な作品を撮り続け、高い評価も受けてきた。しかしその中で石井監督はどうしてもGONINの男達を成仏させてやりたい、スクリーンの中の彼らの魂を解放させたいと考えたのではないかと、僕は思った。

もしももう少し早く、GONINサーガ、の代わりとなる”あったかもしれないGONIN新作”の企画が叶っていたとしたら、恐らくこの映画はまるで違う物になっていただろう。タイトルもGONINサーガでは無くなっていたかもしれない。そもそも何故石井監督はサーガを作ろうと考えたのか。雑誌のインタビュー等で、石井監督はこう振り返っている。GONINで描かれる事の無かった、万代ら登場人物達の家族達はどうなっただろう。彼らにも彼らなりのドラマはある筈だ、というコンセプトから始動したと。

しかしそんな考えで浮かんだ作品で、普通登場人物達を皆殺しにするなんて選択が浮かぶだろうか。普通の監督ならば何かしらの希望を持たせるだろうが、石井隆は容赦の無い決断を下した。しかし、これは僕の中ではこう感じる。この方法が、恐らく最も幸福な選択なのだ。
GONINの登場人物達を呪われた宿命から解き放つには、この選択しかなかったのだと。

ここまであえて触れていなかった、根津甚八(超熱演!)が演じた氷頭は、散っていった過去のGONINと、今のGONINを繋ぐ、多少表現がまずいが(しかしこれ以外思い浮かばない)いわば生きているが死んでいる。死んでいるが生きている、死ぬ事を禁じられたゾンビだ。
そんなゾンビが最後に意地をかけて、全ての理を終わらせる。亡霊である万代と共に。

石井隆はGONINをGONINサーガで復活させた、様に見える。けどそれは多分違う。
僕には石井隆がGONINという物語を、GONINサーガにより全力で供養した様に思える。万代という男に始まり、万代という男で終わるこの二部作。

困憊している氷頭に手を添えて、三代目式根組長の息の根を止める万代。だが、僕は万代が式根の背後に潜んでいる、呪われた宿命その物を、氷頭の力を借りてケリを付けた様に見えて号泣した。心の中で。だからこそ、僕はGONINサーガを改めて評する。

これは今の邦画界に強烈なビンタを浴びせるバイオレンスムービーでもあり、血と糞と怨念に満ちた人間が剥き出しの人間ドラマでもあり、石井隆による、心の篭った本気の心霊映画であったと。

この映画で一番美しい場面はどこかと尋ねられたら、僕はこう答える。
あの、空撮エンドロールが終わる間近の、海ほたるが終わった直後の、あの真っ青な海。全員皆殺しという供養を経て、GONINの中で報われず漂っていた全ての魂はあの海へと還っていったのだ。

そこから先の物語は誰も知らない。それを知るのはきっと、石井監督だけだから。


こんな評論でまぁ、いいか。