町山さんが本当に作りたかった進撃の巨人は何だったのか?進撃の巨人決着レビュー 中編 | 湿った火薬庫

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警告
これから行われるレビューは進撃の巨人の実写版の後編を
完全にネタバレした上で僕個人の感想をつらづらと述べていく物です。
あくまで個人の偏見に満ちた感想なのを承諾した上
読んでいただけると助かります。ついでにもしまだ作品を見てないのに
読んでネタバレとかやめろ、とか言われても困ります。
僕ではなく壁にでも話しかけてください。
後、文句は樋口さんか町山さんまで。

梶原です。すっかり肌寒い季節になりましたね。
いきなりですが本編に行かせて頂きます。今回のブログ記事は進撃の巨人決着レビューの中篇となる章です。今回の章で物語に対する突込みと、各キャラクターとアクション面に対する突込みを行い、一応進撃の巨人後編に対するレビュー自体は終りになります。といいつつまだもちっとだけ続くんですが詳しくは一番最後に……では長い長い旅になりますが、宜しくお願いします。

前編のあらすじ
なんかエレンが巨人化してたら悪い奴等に滑り台で拘束プレイされてて
なんかエレンが巨人に助けられたらシキシマに言葉責めされてて
なんかエレンがミカサと再会した途端にシキシマに肉体責めされてて
なんかよく分からないけどデブが死んだよ。んなこんなで物語も佳境です。

(終始こんなテンション)

そんなこんな(ホントにそんなこんななんだよね。緊迫感もクソも無いから)でシキシマの魔の手から逃れたエレンとミカサとモブ集団。だがシキシマは死んでいなかった!早く死ねばいいのに!サンナギさんの代わりに!
荷台に飛び込んでくる怪物さとかもうなんかターミネーター2のT-1000みたいっすね。
イイね!いや!ヨクナイね!



この映画を見ればサンダ対ガイラも2001年宇宙の旅もターミネーター2も楽しめるもんね!じゃあオリジナル見ますホントつくづく、あんな素晴らしい映画評を残してた人がどうしてこんな脚本を……まぁ、批評家が凄い映画を作れるかというとまた違う問題だしね。閑話休題。
ここで多分一つか二つ位は褒められるポイントで、あんまり意外性ないけどシキシマが実はエレンを救い出した巨人である事がシキシマの変身で明かされる。ここの自らの心臓を刺して、激昂しながら内側から内臓や骨を剥き出しにしていきながら巨人へと変身する場面は、グロテスクながらも、異形かつ人知の及ばぬ存在へと変化および進化していく様がインクレディブルの方のハルクみたいな人間が人間を超えていく時の様な格好よさと禍々しさに溢れていて、ここは素直にカッコよかったね。
(アン・リー版も悪くないけどこっちのハルクは異形のヒーロー的でもっと好き)

後いい所?後……うん、エンドロールをすぎてあのクソ茶番が終わって劇場が明るくなった瞬間かな。これほど開放感に満ちている映画もないと思う。拘束時間(90分弱)という意味で。
何てこった!シキシマが巨人だったなんて!信じられないよ!ケニーが死んじゃった!この人でなし!


(我ながら懐かしい)

みたいな反応をするエレン達に反してあ、うん……とテンションが未だに低く、Uボートの乗員の如き気分に陥っている僕達をよそに、皆!丸太……じゃなかった、立体起動装置その他を持ったな!いくぞぉ!的なノリ

(多分マルティストならどう料理しようと楽しむから次彼岸島やりなよひぐちっち)

でエレン達は巨人化したシキシマへと挑む。本来ならば最早後退が出来ない(背後壁だしね。視聴者どころか登場人物共も忘れてそうだけど、突き進むしかない総力戦、筈なのだがこれがやはり燃えない。本当に、だ。本当にこの映画がきちんとした物語と演出を踏まえているならばこのシーンは前編のどのシーンにも、あのエレン巨人化覚醒をも凌ぐ筈の激燃えシーンになった筈である。それが何故、こんなにも不燃焼なのか。シケるのか。

これは最後のある人物(ボカす意味もねえけど)との決戦でもそうなのだが、の映画における最大の欠点、「カタルシスの欠如」が理由だと僕は考える。
このレビューを書く前に行った、物語の筋道だけを抜き出した時に(あくまで僕からすれば)感じた(前編を参照して頂けると助かります)一見すると面白そうな、ちゃんと見せ場も踏まえている様に思えるこの映画だが、それらを冗長な演出、代わり映えのしない人物描写、不快感しかない暴力描写、無意味なキャラクターの死亡etc……余計な物、が一つだけならともかく数珠繋ぎの様に出てくる。これがどういう事になるか。次第に、登場人物達にも映画にも感情移入する事が馬鹿馬鹿しくなるのだ。
言うなればどうでもよくなる。こいつらがどうなろうと、何をしようと。そんな映画のどこに興奮を見出せるのか。
同じ映画である筈なのに、何故前編と後編でこうも反応が違えてしまうのか。

それは(前編の時点で賛否はあったとは思うが、それは一先ず置いておいて)前編がひたすら主人公であるエレンに過酷なドラマを担わす事で主人公のエレンを、そして見ている僕達観客にも同じ目線の地獄をサディスティックに味わせ、味わせ続けた末の巨人化による殺戮のクライマックスがそのまま尋常じゃないカタルシスを与えてくれたからだ。
僕が前編について書いたブログ記事を読んで頂けると、いかに僕がそのカタルシスという面で興奮していたか、尚且つ(本当にごめんなさい)深作監督を引用してまで、前編に漂うドラマツルギーに感銘を受けたかちょっぴりでも分かっていただけるかと思う。そう、進撃の巨人実写版の前編は、例え細部が死ぬほど爪が甘くても、その未曾有のカタルシスを感じさせてくれるだけでも最高の作品だった。

そんな作品が、本当なら前編を超える筈のカタルシスを魅せつけてくれるであろう後編に憎しみ増し増しのレビューをぶつけてしまうのか、僕自身分からない。これこそ可愛さ余って憎さ百倍という感覚なのだろうか。ツイッターにも貼ったが、今の僕の心境はこれ以外にない。


(正直地球破壊爆弾ぶちかましたいレベル)

茶化してはいるが、本当に不思議なのだ。当なら、エレンが自分達を嘲笑い、利用し傷つける輩に、復讐の巨人と化しその拳で反旗を翻すだなんて死ぬほど興奮する話になる筈なのに。そろそろここらで止めておく。愚痴を読んでもらい申し訳ない。いやこの記事自体全部愚痴だけど。

首筋だ!首筋を狙え!とシキシマにわさわさピーターパンみたいに飛び跳ねて近づくエレン達。ミカサが掴まれたりジャンを庇ってエレンがふっとばされたー!されたり色々あるが、エレンがいつも通り巨人化。かくして皆待っていた……待ってたよね?



シキシマ対エレンの巨人同士のラウンド2が幕を開ける。でも正直この構図、大学デビューしてちょっと調子乗った学生君が好きだった女の子を口も手も早い飲みサーのチャらい先輩に抱かれて逆上してる様にしか見えないよね。エレン君、やっぱ前編で筆下ろししてもらうべきだったんだよ君は。
何かボカボカ殴り合って(前編が強烈すぎたのか、殺陣のアイディアが切れたのか、新鮮味がまるでない。本当、燃える筈のタイマンなのにね)、かつてジャンを土に沈めた飛び膝蹴りを顔面にぶちかましてシキシマを沈めるエレン。さぁ、後は皆すっかり忘れてそうな壁を爆破して穴を塞ぐ作戦を叶えるだけだ!頑張れ!後3分くらいで終わらせてくれないと俺達は持たない!
(超大型巨人とウルトラマンが戦う映画とかあればいいのに)

モブA、じゃなかった、アルミンの指示の元、不発弾(そんなのあったね)を巨人エレンの力を借りながら壁の上部へと運んでいくアルミン達。だがそこに意外な人物が姿を現す。なんとあの冒頭で岩の下敷きになってクバルが生きていたのだ。クバルはどこからか持ち出した機関銃を手に、いきなり高笑いしながらアルミン達とエレンを襲う。クバルの攻撃を受けたエレンが動きを止めてしまいついでに不発弾も後一歩で寸止めされこりゃ絶体絶命だ。どうしよう。


(ホントにどうでもいい)

もしも、町山さんが巧い脚本を書ける人ならばここは二通りの手に汗握るサスペンスが展開されてこれ以上泣くドキドキハラハラ出来ていたと思う。一方は巨人化しすぎたせいでそろそろタイムリミット来ちゃってるエレンをミカサがどう助けるか、一方は、クバルをどうその場から退けるか。この二つのラインを巧く調理するなら同時並行で描ける筈である。さて、町山大先生はどう調理したのだろうか。

クバルはサシャの三連激弓矢で刺殺
正直ここのぶった切りというかぶっ刺し自体は悔しいけど面白かった
ミカサは普通にエレンを救出。

……もう、もういいや。疲れたよパトラッシュ


(ここら辺リアルに眠気もやばかった)

ついでにこの前後の青年と中年、つうか厨年の主張大会とか触れたくもない。
で、クバルはクタバル前に叫びながらまさかの超大型巨人、全ての発端であり、最も憎むべき黒幕である超大型巨人へと変身する。さぁ、とうとう黒幕が真の姿を現した!これから最終決戦にして総力戦だ!お!エレンが巨人じゃなく、人間の姿のままで戦うぞ!カッコいいゾ!どうにかこうにかクバルに近づこうとするけどなんか肌が溶岩みたいで熱いしジャンが在庫整理的にバラバラ死体にされるし、アルミンは後編だと終始一貫いい所ない癖にサシャと仲睦まじくなってるし、サンナギさん死んじゃうし、
世界は残酷すぎてお腹が空いた。早く終わらないかなこれ。

おっと~~~主役は遅れてくるもんだぜ~~~~!


(※ハンジさん)

って感じで(多分自由にさせすぎるとなんでも解決しちゃいそうだから戦車に封印されてた僕らのハンジさんがロケラン片手に復活!復活!復活!景気付けにクバルにデカくて太い一撃をぶちかます!ええぞ!ええぞ!でもれで出番終りだよ!ふざけんな!
ハンジさん復活も意味なくとうとう追い詰められたエレン。巨人化出来ず刃も折れ、後は死を待つだけ状態(こっちはとっくに死に体だよ)。おまけに下で折角の起爆装置が不発状態だったポンコツモブ野郎に代わり不発弾を起爆させようとするが、そこに昔のチャラ夫が現われ俺らやっぱ付きあお?と迫る!曲解無し)どうするミカサ!しょうじきもうどうでもいいけど!

一体何を吹き込まれたのかは描写されないが、急に思い出したようにアナーキスト魂、というか死んでもらわなきゃいけないキャラみたいな感じで不発弾を抱えたシキシマがクバルの口に不発弾をシュッ――――――――!
超!人員整理!
(実際こんなCM程盛り上がらないよこれ)

かくして悪い奴は脚本の都合という最も姿が見えず、なおかつ巨大な巨人に軒並み殺されたのであった!なんかビッグオーのビッグヴィヌス思い出すね。知らない人はググってね。ついでにこれよりビッグオーの方が10倍は面白いよ。
(でも実際実写版進撃って結構ビッグオーっぽい。まぁ遡ればダークシティだけどさ)

クバルとシキシマの共倒れで壁も倒れる、というか目論見通り崩れてくれたお陰で外の世界を見れる様になったエレン達。イイ奴(主にデブ)も悪い奴(本当に悪い奴は映画の外にいるが、絶対に倒されない)も皆死んでしまったが、エレン達の戦いはまだ始まったばかりだ!
だがエレン達は知らなかった。



その遠い海の真ん中に、朽ちた自由の女神像が立っている事を……。



次回、続・進撃の巨人にご期待ください。



正直こういう終わり方して欲しかったね。あんなのを用意する位なら。
という訳で最後までこんな見にくいし醜いレビューに付き合って頂き真に、本当にありがとうございました。まさか物語の突込み所を掘り下げる、もとい竹中直人の笑いながら怒る人状態でここどうなの?と疑問視するだけでもこんなに長い文章になるとは思いもしなかったです。
(心の中は割と怒髪天衝いてる)

正直真面目にちゃんと、町山さんの各雑誌の発言を取り上げつつ問題点を糾弾する形でこの映画に向き合おうと思ったんです。けどやっぱ何度かそれらを読み上げていくうちにこりゃもう踊るアホ状態になった方がいいなとおもい、中盤から完全にふざける事にしました。真面目に読んでいたのに!という方には心からお詫び申し上げます。町山さんの発言等を取り上げる特集については後編の記事で行ないますので、宜しければ付き合っていただけると嬉しいです。では物語編が終わって早々また苦難ですが、キャラクターについて触れていきましょう。頑張って!あと少しだよ!


・キャラクターについて

さて、ここからあくまで僕の私見ですがキャラクターに関して掘り下げていこうかなと思う次第です。にしてもあまりに物語に対する突込みが長くなりすぎた(自分でも分割になるとは思いもしなかったです……)ので手短にやりたいかなぁと……出来るかなぁ。
大まかに主人公であるエレン、キーマンのシキシマ、ラスボスのクバル、ミカサ達サブキャラクター達についてちょこちょこ弄っていこうと思います。

『エレンは結局主人公として成長したのか?』
ある種この映画における最大の疑問点、と思う部分がここです。
物語編でも言及しましたが、エレンは序盤では壁の向こうを見てみたいと夢見る、無鉄砲な青年でした。そんな青年が、(生きていたとはいえ)目の前で大切な幼馴染が死に、故郷を巨人達に蹂躙され、一瞬で何もかも失ってしまう過酷にも程がある運命に巻き込まれたのを切欠に、例え愚直であろうと頑なに自分の手で大切な物を守ろうと躍起になる。定番と言えば定番ですが、エレンはそんな普遍性のある主人公として造形されていました。要は分かりやすく視覚的にも物語的にも、これは地獄や、地獄絵図や……な状況にエレンが落とされていくのを、僕達観客は指を咥えて見ているしかないのです。

そんな僕達に限りないカタルシスを与えてくれたのが、エレンの巨人化、からの巨人達への猛反撃です、この場面のどこが凄いのかといえば、エレンが巨人化する前の絶望度が本当に容赦無く、救い無く描かれている点です。
自分を好いたヒアナが目の前で食われ、奮起して立ち上がるも手足をもがれて、尚且つ丸呑みにされる。そんな展開からあの駆逐してやる……!はエレン自身の心の叫びであると共に、観客をもシンクロさせる劇的な展開にして、一気にエレンを成長させた瞬間でもあります。凄まじい紆余曲折を経て、エレンは地獄をイヤという程に味わった。しかし巨人化によりそんな地獄を自らの体で渡る事が出来る、出来るんだと。こんな経験地200%獲得した様な経験をしたエレン。後編ではそれはさぞ格好良く……。

……なっている筈なんですね。まだ滑り台に拘束プレイされてた時に、クバルに俺を使う度胸も無いのかと吼えた時はおっ、成長してるじゃん!と心なしか嬉しくなったのですが、その後のシキシマに騙されたと知った時のトラウマフラッシュバック&ムンクの叫びっぷりといい、最終決戦のクバルに対する問答といい、あの巨人化してた青年はどこにいったのかという経験値プラマイゼロっぷりにただただ閉口しました。
でもこれ、町山さんの脚本が悪いのか、それとも相方の渡辺さんが悪いのか何とも言えないんですよね。でも何にせよ脚本の至らなさに加え、演出のありようにも問題がある気がします。なんでエレンは一度でも、黙って何かを成そうという行動をしないんでしょうか。一々叫んだり自分の思想をそのまま口に出さないと死んじゃう病なんでしょうか……。という感じですかね。無理やり纏めると、例えエレンが製作陣からすれば並々ならぬ成長を遂げている、と思っていてもそれを脚本や演出が無碍にしているのなら何の意味もない。という事です。

『シキシマは結局便利キャラでしかなかったのか?』
色々な人の感想を読んでいると、シキシマは映画オリジナルのキャラクターとしてではなく割と(本当に割とです)純粋に好いている人が多く見られました。これは恐らく演じている長谷川さんが演劇調の演技メソッドを全力で投じている為、良くも悪くも作品内で最も漫画的、さすれば架空の人間としてあえて人間味ゼロにしているお陰で最初から変なキャラとして見れる事が理由ではないかと思います。

恐らくですが、町山さんに取って一番書きやすいキャラはシキシマじゃないかと邪知しています。理由として、オリジナルキャラクターとして動かしやすい、難解な台詞や意味深な台詞を言わせても浮かない(キャラ的に)、そして何よりエレンを阻害しやすいという意味でシキシマは非常に町山さんにとっては扱いやすいし、自分の思想をストレートに台詞に起こしやすいキャラではないかと。
あの無駄に長いエレンとの殴りあい宇宙とか、地下シェルターでのザ・文学的台詞とか、あのラストの取って付けた様な未来託し台詞とか終始町山さんの顔つきがチラついて変に笑ってしまいました。と同時に結局シキシマというキャラの人間性はどこにあるんだろうな?と。いや、人間ではないんだけど。

というかぶっちゃけ町山さん、これダークナイトのジョーカーですよね。主人公の良心を揺さぶろうとするカオスの権化って意味で、ならそのまんま敵の方が良かったと思うんですが……。

『何故クバルは急に小物化したのか?』
これに関しては突っ込むのも野暮かな……と思いましたがまぁ、この人も色々おかしかったですね。まだですよ。まだ冒頭でエレンを言葉責めしてる所は良いですよ。あのエレンの幼少時の回想も加えてこいつが本当の悪役である事を示していて。それでいて、ラストに壁に登ってきてエレン達を襲う瞬間の良く頑張りました!うん、良い。

それでいいのになんで急にべらべら喋りだすのか。
あのですね、エレンに対する立ち憚る壁枠としてなら、もうシキシマで十分な訳ですよ。
クバルはそんなシキシマすらも凌駕する本当の敵、政府側の人間としてならもう下らぬ問答四の五の言わず、すぐさま超大型巨人へと変身するべきだったんじゃないかなと僕は思うんですよ、あくまで僕は。あのサシャによる会話強制終了の弓矢三連発も、サシャをどっかで使おうかな……あ、ここでいいじゃん!な割り当てにしか思えないのですよ。


兎にも角にも、シキシマもクバルも、きっと巧く書けば魅力的な敵キャラクターになれたでしょうね……。ひたすら残念な気持ちで一杯です。

『結局、実写版進撃の巨人はキャラクターをどう描いていたのか』
総括すると町山さんや樋口さん(と渡辺さん)の都合によって動かされていた便利な駒に過ぎないんじゃないかなと雑な見識ですが、それが一番近い気がします。
エレンもシキシマもクバルも、ミカサもアルミンも兵団の連中は町山智博という名の政府の役人の脚本家でも面白い映画の脚本は書けるという実験により作られた哀れな彼奴等だったんですよ……。目を閉じると聞こえてきませんか?

「驚いたな、本気でこの映画に怒ってる人間がまだいるぞ」
「映画は思い通りにいかないからおもしろいんだよ」
※ボコーダーボイス

・アクションについて

思った以上にキャラクター編も長くなってしまい申し訳ないです。こう、好きだったからこその憎さアブラ豚辛目マシマシって事で許してください……。という事でアクションについてです。これはホントに短く纏めます。何故ならいいたい事は早々としてはっきりしているからです。

この映画における最大の欠点、それはしつこく繰り返していますが、「カタルシスの欠如」が最大にして最低の理由です。同じ映画で同じスタッフが作っているのに、何故前編と後編でこうも抱く印象に違いが生じてしまうんでしょうか。
答えは至極シンプルで、ドラマの伴わないアクションはただの舞台装置に過ぎないからす。何故前編があれだけ様々な層に、多くの人に支持されたのか、僕なりに考えたらこういう結論が出ました。

これも物語編で言った事の反復になってしまいますが、エレンと観客が同じ目線で苦境を味わう事により、その終盤を全力で覆すようなカタルシスを与えてくれたからです。そこにはきちんと、例え演出や台詞が稚拙でも、俳優さん達の演技が大仰と言われても、その数十分のカタルシスを、未曾有のカタルシスを感じさせてくれる為のドラマがきちんと機能していたからじゃないかと。
何度も宣伝申し訳ないのですが、僕がアクション、以上にそのドラマについて代興奮していたのは前編について書いたブログ記事を読んで頂けると、いかに僕がそのカタルシスという面で興奮していたか、尚且つ(本当にごめんなさい)深作監督を引用してまでですね、評価してたんです。

アクションとしての見せ場を簡単に羅列すれば
・エレン対シキシマの巨人同士の対決
・超大型巨人との決着

の二つの大きな流れがありますよね。で、どっちも本来ならば強大な敵との戦い、そして決着と前編以上に(もう何度も同じ事言ってますが悔しいので何度も言わせてください)本来ならば
興奮しすぎて死ぬかもしれない、とすら思ってしまう程のシチュエーションな筈なんですよ。
エレンが自分達を嘲笑い、利用し傷つける輩に、復讐の巨人と化しその拳で反旗を翻すだなんて死ぬほど興奮する話になる筈なのに……。
前編で出来ていた事が、いえ、正確にはこうですね。
前編で露出していた粗を覆い隠す程の魅力を、後編はスタッフ自ら剥ぎ取ってしまったんですね。それで世界がどうだのこれは世代間の闘争のメタファーだの……根本の「面白い映画」ってのがグダグダな癖にそういう細部を詰めてもしょうがないだろ!いい加減にしろ!
(上映後の僕の心のイメージ図)

失礼しました……うん、つまりここまで色んな点で実写版進撃の巨人の後編を色々突っ込んで来ましたが(本当、ここまでお付き合いして頂いて心から感謝します。殆ど愚痴な内容に付き合ってもらって度々すみません……)、最終的に言いたい事はアクション編で書いた
どれだけ特撮やメタファーや俳優に拘りを持って作られても、映画というのは大本のストーリーが何にせよ要になります。そこを後編は一気に空ろになってしまったかなと。

さて、これが本来はどんな映画になる予定だったのか。
次が最後の章、町山さんの発言から辿って、本当の実写版進撃の巨人後編とはなんだったのかを考えてみようと思います。また大分間が空きますが、次はようやく後編もとい最終回です。宜しければお付き合い、宜しくお願いします。。。