長老マニュアルの不思議な文面 - 排斥された親族と交わる | エホバの証人研究(ブログ)

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1991年の長老マニュアル(王国宣教学校教科書)単元5(イ)で
長老たちは以下のように学びます。

普通,近親者が,排斥された人と交わるとしても,霊的に交わる
のでなければ
,あるいは排斥された人の間違った歩みを正当化し
たり弁護したりしようとするのでなければ,その人自身が排斥さ
れることはないでしょう。
「あなた方自身と群れのすべてに注意を払いなさい」104ページ

さて、不思議だと思う点を幾つか指摘させていただきます。

まず

「霊的に交わるのでなければ」

この業界用語をGoogle検索 「霊的に交わる」で調べてみました。

一つだけ当てはまりそうなものを見つけました。

Yahoo!知恵袋 エホバの証人の交わりってなんですか?あと、霊的に っていうのはどういったことですか?


結論としては

「霊的に交わる」=「聖書的な観点、神の観点で交流する」

という意味合いなのでしょう。

例えば排斥された親族を含む食事会の席で、
排斥された親族が励ましや助言が必要であったとします。
その場合は、孔子の言葉を使って教えることはできますが、
聖書の言葉を使うとNGということになります。

なんか変です。

カナダの大学教授のジェームズ・ペントンは、協会のこのような
あいまいな指針の作り方は、結果として一般のクリスチャン兄弟姉妹が
排斥された親族を全面的に忌避することにつながっていると指摘しています。
Apocalypse Delayed (2nd ed.) p.331


続いて、もう一つの表現。
普通,近親者が,排斥された人と交わるとしても,霊的に交わる
のでなければ,あるいは排斥された人の間違った歩みを正当化し
たり弁護したりしようとするのでなければ
,その人自身が排斥さ
れることはないでしょう。
「あなた方自身と群れのすべてに注意を払いなさい」104ページ

「排斥された人の間違った歩みを正当化し
たり弁護したりしようとするのでなければ」


この表現。

いくら親族でも歴然たる「間違った歩み」そのもの
を正当化したり弁護したりはしないでしょう。

そもそも弁護というのは「間違った歩み」と
その処分が釣り合わないと感じたり、
誤解があると感じるときにするものなのです。
(例えば協会の教えに異議を唱えて排斥された
場合は、それに疑問を感じる親族は多いはず)

まるで戦時下の軍法会議です。そこでは
「弁護・公開・上告は認められていなかった」
とあります。by Wikipedia

数時間の裁判で即日死刑。
弁護した人間も死刑。
公開禁止。

これはもう戦時下です。

霊的な戦いをしているのでしょうから、
ある意味正しいのだと思います。