阿蘭陀異聞 マダム蝶々 | 辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

創作人形作家辻村寿三郎の作品を皆様にご紹介いたします。

阿蘭陀異聞 マダム蝶々
ジュサブロー館の創作日記
2001年制作

外国とゆかりのあった女性をテーマに制作した「阿蘭陀異聞」のなかで、
ゆいいつ物語の中の人物、ほかの作品はすべて実在の人物である。

「蝶々夫人」(ちょうちょうふじん、Madama Butterfly, マダム・バタフライ)、
プッチーニによって作曲された2幕もののオペラである。

現在ではヴェルディの『椿姫』、ビゼーの『カルメン』と合わせて、
「蝶々夫人」は世界三大オペラといわれている。

1904年2月17日ミラノ、スカラ座で初演。

ジュサブロー館の創作日記

長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描く。

物語は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアの弁護士ジョン・ルーサー・ロングが
1898年にアメリカのセンチュリー・マガジン1月号に発表した短編小説(Madame Butterfly)」
を原作にアメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコが制作した戯曲を歌劇台本化したものである。

1904年2月17日、ミラノのスカラ座で初演は大失敗だったが、
同年5月28日ブレシアで上演された改訂版の成功以来、標準的なレパートリー作品となっている。

色彩的な管弦楽と旋律豊かな声楽部が調和した名作で、
日本が舞台ということもありプッチーニの作品の中では日本人に最もなじみの深い作品である。

第2幕の「ある晴れた日に」は非常に有名である。

反面蝶々役の歌手にとっては終始出ずっぱり・歌のパートも長く多いため、
また若く愛らしい娘の役であるにも拘らず、プッチーニのソプラノ諸役の中でも特にテッシトゥーラが低く、
中低音域に重点を置いた歌唱が求められるため『ソプラノ殺し』の作品とも言われる。
ジュサブロー館の創作日記

蝶々夫人の舞台となった日本では長らく「蝶々夫人のモデルは誰か?」
ということが議論されてきた。

ロングの実姉サラ・ジェニー・コレルは、
1890年代初頭から鎮西学院五代目校長で
宣教師でもあった夫とともに長崎の東山手に住んでいた。

ロングは、姉のコレル夫人から聞いた話から着想を得て、
小説を執筆したとされている。

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長年、有力視されていたのは、幕末に活躍したイギリス商人
トーマス・ブレーク・グラバーの妻、ツルである。

これは彼女が長崎の武士の出身であることや、
「蝶」の紋付をこのんで着用し「蝶々さん」と呼ばれたことに由来する。

長崎の旧グラバー邸が長崎湾を見下ろす南山手の丘の上にあることも、
物語の設定と一致する。しかし、ロングの小説で具体的に記述されている蝶々夫人の経歴に、
ツルの生涯と似ている部分があるが、重要部分で異なる点も多いため
モデルと考えるのは不自然との意見もある。

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一方、グラバーとツルの間に生まれた長男の倉場富三郎がペンシルベニア大学に留学していたこと、
ロング本人が、「姉は倉場富三郎に会ったことがある」と語ったと言われることなどは、
「蝶々夫人=グラバー・ツル」説を裏付ける要素とされている。

但し、ロングは小説が実話に基づくとは明言しておらず、
また、彼自身がアメリカ士官を貶めているともとれる小説の人物設定について
多くの批判を受けていたこともあり、真相は曖昧にされたまま現在に至る。

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当時の長崎では、洋妾(ラシャメン)として、
日本に駐在する外国人の軍人や商人と婚姻し、
現地妻となった女性が多く存在していた。

ロシアの皇太子時代のニコライ2世や、
ドイツ人医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトにも、
長崎駐留中には日本人妻がいた。

金銭的に余裕がある高級将校などは居宅に女性と暮らしていた。
しかしこの物語のように外国人男性との関係が真実の恋愛であった例は稀である。

現に、シーボルトの日本人妻だった楠本滝は、シーボルトの帰国後に婚姻・離婚を繰り返している。
まして、夫に裏切られて自殺をした女性の記録は皆無であり、
蝶々夫人に特別なモデルはいない創作上の人物であると考える説も有力である。