阿蘭陀異聞 モルガン雪 | 辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

創作人形作家辻村寿三郎の作品を皆様にご紹介いたします。

阿蘭陀異聞 モルガン雪
ジュサブロー館の創作日記
2001年制作
Canon EOS 7D
EF100mm F2.8 マクロUSM
撮影・目黒雅叙園

モルガン雪

祇園の芸妓、雪は、アメリカの大富豪ジョージ・モルガンに求婚され、
望まない結婚をする。アメリカ、パリの社交界で評判になる。

夫の死後日本に戻るが冷たい仕打ちに遭い、波乱万丈の生涯を閉じる。

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細かいディテールをご覧ください。

阿蘭陀異聞 モルガン雪
ジュサブロー館の創作日記
2001年制作
Canon EOS 7D
EF100mm F2.8 マクロUSM
撮影・目黒雅叙園
祇園でお茶屋兼置屋を経営していた姉の影響で、14歳で芸妓となる。

歌や舞に優れており、特に胡弓が上手であった。

1901年にアメリカ人のジョージ・モルガンと出会い、求婚された。

雪には当時京都大学在学中の恋人がいたが、この騒動が新聞に掲載されたために破局。

その後、当時4万円という莫大な身請け金によりモルガンに引き取られ、
1904年(明治37年)に横浜にて結婚、アメリカに渡り、後にパリに移る。
阿蘭陀異聞 モルガン雪
ジュサブロー館の創作日記
2001年制作
Canon EOS 7D
EF100mm F2.8 マクロUSM
撮影・目黒雅叙園

現地の社交界で大変な評判を呼んだが、1915年(大正4年)に夫は亡くなる。

その後、遺産相続をめぐる夫の一族との裁判に勝ち、莫大な資産を得て、
ヨーロッパで悠々自適の生活を送っていた。

1938年(昭和13年)、第二次世界大戦勃発により京都に帰る。

終戦後、キリスト教の洗礼を受け、以後はカトリック信者として世間から身を潜めるように余生を送った。

再婚をすると遺産を夫の遺族に
没収される可能性があったために再婚もできなかったとされる。

望まない結婚によりアメリカ人の妻となったにもかかわらず、
排日法によりアメリカへの帰化は許可されず、
また帰国後は「金に目がくらんだ女」として
世間の冷たい視線にさらされて辛酸をなめ、
その生涯は波瀾万丈であった。
ジュサブロー館の創作日記

彼女の半生は1951年、日本初のミュージカルとして帝国劇場で上演された。

モルガン雪は当時宝塚歌劇団在団中でタカラジェンヌだった越路吹雪が演じた。