名古屋市公館(2012/02/19)
平成24年2月19日(日)
名古屋市役所や愛知県庁の裏(東側)にある名古屋市公館にて
「名古屋城の将来を語る市民大討論会」が開催されました~
“名古屋城検定「中級」 をもつ名古屋市民”として
これは聞き逃すわけにはいかないと、1枚のハガキに望みを託してみたところ、
見事当選したんですっ!
名古屋城実測図の「複写パネル」展示
名古屋城天守閣や本丸御殿などの建造物24棟は、
国宝一号(旧国宝)に指定された素晴らしい建造物でしたが、
昭和20年5月、第二次世界大戦中の空襲で残念ながら焼失してしまいます
名古屋の誇りだった天守閣は、昭和32年に再建工事が始まり、
2年後の昭和34年にエレベーター完備の鉄筋コンクリート造で無事竣工
・・・それが「今の天守閣」の姿。
さらに、2009年からは約9年の歳月をかけて、
「本丸御殿」の復元工事 が、着々と進められているところ。
そんな折、河村たかし名古屋市長が、
「名古屋城の天守閣を木造で造り直すぞぉ~!」と言いだした時は、もうびっくり
最初の頃は「ビッグマウスで何か言うとるわぁ~」と軽く聞き流していたのですが、
その後も何度か口にしていたので、かなり真剣に考えていたのですね~
「H23 中部大学・片岡研究室の卒業制作」の名古屋城木造模型が凄かった!
そもそも、河村たかし名古屋市長は、
なぜ「天守閣を木造で復元し直す」と言い出したのでしょうか・・・
今現在、天守閣が焼け落ちたまま何もないわけではなく、
昭和34年に再建した鉄筋コンクリート造EV完備のご立派なものがあるというのに
言い出しっぺの市長の思想の原点に立ち返ると
名古屋がかかえる“観光資源の乏しさ”が見えてきたように思えるのです。
名古屋城(2011年3月撮影)
今の名古屋城は、実は3代目
初代は、慶長15年(1610) 徳川家康公の命により、
家康の9男・義直(初代尾張藩主)の居城として、天下普請で築城されたもの。
2代目は、築城から140年経った宝暦2年(1752)、
石垣が沈んで西北方向に傾いた天守閣を直す大規模な修理が行われたあとのもの。
(この宝暦大修理時、天守の重量を軽くするため、屋根が土瓦から銅瓦に変更)
3代目が戦争時の空襲後、昭和34年に再建された現在の天守閣。
石垣の土台の地中深くにケーソン沈下工事を施した上に鉄骨を組み立てた
鉄筋コンクリート造でエレベーターと空調も完備。
おまけに7階の展望室の窓を実際よりも大きく改造して、観光客のために眺望を確保。
耐震性・耐火性はバッチりなバリアフリーにも対応した“近代バージョン城”!
この今の天守閣。
外観はそこそこ頑張っているのに、
評判が悪いのは、内部が博物館のような展示施設だから
あの徳川家康公が息子のために天下普請で造らせた“天下の名城”。
「やっぱり“本物”が見たい!!」という観光客の意見もごもっともです~
名古屋城の実測図(原本)
討論会の当日、会場には名古屋城の秘密の場所(?)に保管されているという、
とても貴重な名古屋城実測図「原本」が、1枚だけ特別に展示されていました
立派な“再建”天守閣があるというのに、今さら木造で天守閣を復元という意見が出てきたのも、
昭和5年から進められていた天守閣の実測や多くの写真があり、
腕のいい専門家により詳細な「実測図」が作成され、数多く残っているからこそ
正確に木造復元が可能だ、という想いがあるからでしょう。
ここまでの精度の高い「実測図」が数多く残されているのは名古屋城だけで、
他の城では真似のできないことなんですって。
そんなことを聞くと、せっかく先人が残してくれた詳細な実測図や写真があるのだから、
木造天守閣を復元して欲しいと思えてきたり~
名古屋城の実測図(原本)
名古屋市の発表によると、木造天守閣を復元するには
建設費・・・ 342億円
必要な木材・・・ 4,900立方メートル(一般的な木造家屋の200軒分に相当)
工期・・・ 12年
単純に「復元」といっても
初代の慶長15年バージョンまで戻すのか、
2代目の宝暦大修理バージョンなのか?
「実測図」が宝暦大修理時の姿をみて作成されていることから、
これはきっと2代目の宝暦大修理時バージョンで確定でしょうね
でもそうなると、「本物がみたい~!」という観光客の想いにホントに応えているのか?
議論は、やっぱり尽きないのです・・・
「H23 中部大学・片岡研究室の卒業制作」の名古屋城木造模型が凄かった!
完全な復元をするために必要な、大径木の木曽ヒノキ。
規模の大きい名古屋城レベルの量を調達することは、かなり困難・・・。
さらには、大量の木材を大量に乾かす技術も必要です。
近年行われた木造天守閣の復元といえば想い出すのが、
静岡県の掛川城や愛媛県の大洲城。
なかでも大洲城は、2010年末に訪れたばかり。
平成になってからの天守閣木造復元ということでとても興味深く見てきましたが、
木材の多くにかなり“割れ”が起きていました
大洲城は木材調達の仕方が特殊でしたので引き合いに出しにくいのですが、
名古屋城はその何倍ものスケールの大きな城なので、やはり気になるところ。
木造天守閣を復元した大洲城レポ 日本100名城 No.82 大洲城
討論会で配られた資料
天守閣を木造で復元するとならば、かなり高層の木造建築。
「本物」にこだわるならエレベーターはつけるなと言うことになるけれど、
さまざまなお客様に対応するためには、そうはいかない
地震への対策も気になるところですが、討論会でのパネリスト・中部大学の片岡教授によると
熱田神宮の修理の際には、「免震」対策をあえて止めたとか。
当時の趣を生かすためには、人工的な免震・制振装置は考えるべきだそうです
さらには・・・木造天守閣を復元する際の法の壁は、建築基準法とバリアフリー法。
でもこれらは、文化財復元のための「適用除外認定」を受ければクリアです~
名古屋城天守閣(2011年4月撮影)
河村たかし名古屋市長が、
「とにかく自慢になるものを造りたい。
自慢になるものとなると、やっぱり名古屋城」と言っていたけれど、
これって“なごや人特有の名古屋気質”そのものからくる発言だなぁ・・・としみじみ。
名古屋人って“見栄っぱり”だで、しゃーないわねっ
名古屋城の木造天守閣
見たいか見たくないかと聞かれたら、もちろん見たいです
慶長時にはたった2年で築城した初代の名古屋城ですが、
平成の世では12年かかるというのなら、頑張って足腰を鍛えて長生きしますよ
でも実際問題今さら木造で復元なんて、かなり前途多難なのは百も承知。
昭和34年に再建した今の天守閣に要した費用は、6億4千万円。
そのうち、2億円は当時の市民からの寄付だったということを聞くと、
コンクリートの耐用年数が残り40年以上もあるのに、安易に取り壊すのは勿体ない
平成22年度の城郭入場者数で名古屋城は全国第3位!
今回なによりも嬉しかったのは、
正確な実測図や写真が残っているんだから、木造復元は可能
・・・ならば、実現するためにはこれだけの課題があるということを有識者に試算させ、
名古屋市民の前に公表し、討論会まで開いてくれたということ
ものすご~い“夢”を見せてもらったような気がして・・・
木造天守閣復元について市民が討論会をやっていたんだということが、
ずっとずっと未来に語られたとき、その場に居たことで“歴史の生き証人”になれたような・・・
それほどまでに、討論会はとっても有意義だったんです。
河村さんが歴史好きな市長さんで、ホントよかったなぁ~
きっと別の人が市長さんだったら、初めっからこんな論議も出ないでしょうし、
“夢”を見ることもないままでしょうしね。
河村市長さんのお母さまは、天守閣が空襲で燃えてしまうのを見ていたそうで、
焼け残った天守の石垣を見て泣いていたそうです・・・
木造復元の課題を討論して、試算して、さらには住民投票をして、
議論を重ねて、名城の価値をさだめて、
しっかり検証してから、どうするのか結論を導き出せばいいではないかな?
今の鉄筋コンクリート造の名古屋城だって50年もの間、名古屋を見守ってきたんだから
価値があるし、そろそろ「登録有形文化財」になるでしょうしねっ
次の世代へ「名古屋城」をどう渡すのか。
復元とは、いったい「何を復元」するのか。
今も昔も名古屋人の誇りの“名古屋城の未来の姿”について
もっともっと掘り下げて考えていかなくてはっ!
・・・もし、もしも木造天守閣復元が実現するのなら、
急勾配の階段を登り切れるように、足腰を鍛えて長生きしなくちゃいけないですよぉ~~