・・・と、福島の話 が続いてしまったこともあり、

マンハイムの美術館で見た19世紀絵画 に引き続いては20世紀絵画のお話と

思っていたのがすっかり遅くなってしまいましたですなあ。


とまれ早速に!と思うところですけれど、ここで20世紀絵画と言っておりますのは

単にその作品が20世紀に入ってから制作されたというだけでの仕分けでありまして、

作家によっては「20世紀というより、世紀末なんでないの?」ということもあるとは思いますが、

他意はありませんので、そのようにお含み願えればと。


で、最初にもってきたのがフランツ・フォン・レンバッハ作の「自画像」(1902)となれば、

もうのっけから世紀末でないの?ということになってしまいますなあ。


フランツ・フォン・レンバッハ「自画像」


この眼光鋭いおじいさん、フランツ・フォン・レンバッハは画家であるという以上に

収集家であることの方が有名なのではとも思いますですね。

ご存知の方も多いと思いますが、ミュンヘンにあるレンバッハハウス美術館は

レンバッハのコレクションが中心になっていて、「青騎士」を構成した画家たちの

素敵な作品がたくさん見られる場所であったと記憶しておりまして。


かようなコレクションはこの眼光故に集められたものだったのであるか…と思って、

ついピックアップしてしまったというわけでありますよ。


「青騎士」に属した画家たちの作品は後で触れるとして、

お次は日本でも先年、回顧展の開かれたフェルディナント・ホドラー の作品です。


人物像や群像を描いた作品に個性を表出している一方で、

スイスの国民画家とも言われるからというわけではありませんが、

やはりスイスらしい風景を描いた作品の方を個人的には注目してしまうのでして。


フェルディナント・ホドラー「Thunersee mit Stockhornkette」


フェルディナント・ホドラー「Schnee im Engadin」


上が「Thunersee mit Stockhornkette」(1910)というタイトルで、

シュトックホルンの独特な形の岩峰群をトゥーン湖越しに描いたもの。

下は「Schnee im Engadin」(1907頃)、エンガディン地方の雪景色ですね。


特にシュトックホルンの山肌に見て取れますですが、

ホドラーの色遣いには独特のものがあるなと。

見当違いとは承知の上で、ホドラーの山を見るとつい思い出すのが、

広重の「箱根 湖水図」なのでありますよ。

一見、「山がこんな色してるはずがない」と思うも、じんわり「そうだなぁ…」とくるようなところが。


続いての2点はオスカー・ココシュカの作品。

ウィーン に点在する美術館を訪ね歩いたときには結構な遭遇率のあったココシュカですけれど、

それ以外ではあまり・・・でしたので、こうした作品を描いたのだっけということで2点。


オスカー・ココシュカ「Sonia Dungyersky Ⅱ」


オスカー・ココシュカ「Amsterdam, Kloveniersburgwall」


上が「Sonia Dungyersky Ⅱ」(1912)で、下が「Amsterdam, Kloveniersburgwall」(1925)。

制作年代の違いはあるにせよ、そして肖像画と風景画の違いもまたあるにせよ、

ずいぶんと作風が違うものですから、その点でも目を引いたものでありますよ。


と、ようやく冒頭に自画像を持ってきたレンバッハゆかりの「青騎士」のグループから。

まずはアウグスト・マッケ の「Afrikanische Landschaft(アフリカの風景)」(1914)を。

 

アウグスト・マッケ「Afrikanische Landschaft」


「青騎士」と聞けば、即座にカンディンスキー を思い出すのではないかと思いますが、

ミュンヘンから近いムルナウで描いていた頃のカンディンスキーは

これとも似た鮮やかな色遣いをしておったなと、

それこそレンバッハハウス美術館の展示が蘇ってくるような気がしますですよ。


モーリス・ド・ヴラマンク「Dorf im Schee」


と、いささか唐突ながら、モーリス・ド・ヴラマンク の「Dorf im Schee(雪の村)」(1920)です。

フォーヴィスムは鮮烈な色遣いを想起するところですけれど、ヴラマンクは至って暗め。

ですが、そのタッチをして「野獣」と言ってはなんですが、実に大胆でありますよね。


ヴラマンク「Dorf im Schee」部分


雪景色を純白で描けば「きれいきれい」にはなるものの、

人の往来がある場所の雪は踏み跡はシャーベット状になったり、

薄く積もったところは下の土が透けていたりと、実際はそんなに単純なものではない。


といって、その汚れの部分までを精細に写し取ることをやるのでなくして、

ヴラマンクは生活道路の道端の雪はこうであろうというものをあの筆致で再現するのですな。


うねり、のたくり、かすれ…といったところが、

現実に見られる汚れた雪を写し取ったかのように見事に描写しているではありませんですか。

ヴラマンクの雪景色はいつどこで見ても、食い入ってしまいますですよ。


ここで一転、クールな世界へ。

お待たせしました?「青騎士」の雄ヴァシリー・カンディンスキーの作品でありますよ。

「Rund und Spitz」(1930)というタイトルは「まるととんがり」とでもいいましょうかね。


ヴァシリー・カンディンスキー「Rund und Spitz」


抽象絵画ですので部分に何かを見つけるというのが果たしていいのかどうか…でもありますが、

福島の話を書いてきたあとだけに真ん中のとんがり(おそらくは山ですけれど)は

高圧送電線に見えてしまいますなあ。


そうした点を離れてみれば、ポップではあるものの静謐さを伴っているといいますか。

ここでのクールとは「かっこええ」より「ひんやり」ということで。


フリッツ・ヴィンター「Lichtsäulen」


こちらも相当にひんやりしておりましょう。

フリッツ・ヴィンター作「Lichtsäulen(光の柱)」(1935)という作品です。

レトロSF(とはよく使ってしまうものの、矛盾を孕んだ言葉でもありますが)の映画、

例えばフリッツ・ラングの「メトロポリス」みたいな雰囲気が漂う点で、

ひんやりというより「冷徹」とでも言いますか、そんな空気を感じるところです。


と、ずいぶんと長くなってきましたので、ちと端折り気味に。

これは見ての通り、いかにもなジョルジョ・デ・キリコ 作品ですし。

「Piazza d'Italia Metafisica」という1950年頃の作品です。


ジョルジョ・デ・キリコ「Piazza d'Italia Metafisica」


で、最後に控えておりますのは、マックス・エルンスト

こちらは「Mutter und Kind auf dem Erdball(地球の上の母子)」(1953)という一枚です。


マックス・エルンスト「Mutter und Kind auf dem Erdball」


シュルレアリスム絵画もまた、全体像からのイメージを感覚で捉えるべきかもですけれど、

エルンストのわりには見た目からタイトルが想像しやすい(分かった気にさせられる)ような。

そして、もう一枚。


マックス・エルンスト「Möwenflug」


一見してエルンストとは思いもよらず、

どこの誰かしらの要するに「きれいきれい」の作品のひとつかなと思ってしまうところでしたが、

キャンバス上をよくよく見れば「いろいろやってんなぁ」と。

右下へんの青い辺りはデカルコマニーらしいところが見て取れるのではなかろうかと。


それでも見た目のファンタジックな印象から、

ポール・ギャリコの「雪のひとひら」を思い出したりしてました。

ですが、実際には「Möwenflug(かもめの飛行)」(1957)というタイトル。

となれば、かもめの群れ飛ぶ姿となりましょうけれど、それでは素直すぎる。

ついついエルンストなのだから…と深読みに走りたくなるのですなあ。


てな具合に、Kunsthalle-Mannheimを概観してみたですが、

訪ねてみればいずこの美術館にも「おお!」と思うものはあるなとは、ここでもまた。

わざわざ訪ねる人も少ない(日本人に限らず)だけにほとんど館内独占状態で見て回れるのは、

たとえ超有名作との邂逅は無くとも大いなる至福を味わったひとときでありましたですよ。


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