さてフランクフルトへの移動日となり、
最後の最後になってしまったマインツの市街巡りはあいにくの雨模様で始まったのでありました。
朝のうちにホテル
をチェックアウトした上で荷物は預かってもらい、
中央駅からバスで赴いたのはライン河畔に近くのフィッシュトーア(Fischtor)、
直訳すれば魚の門です。
魚のモニュメントが置かれた木立の奥がライン川ということになりますが、
雨模様ではこれまでに見てきた陽気で爽やかなライン河岸
とは趣きを異に気分もどんより。
踵を返して街なかへと石畳の道を踏んでいけば、「おお!」と。
正面にはマインツ大聖堂、右手にはグーテンベルク博物館が見え、
マインツ観光の中心地に到達したのだなあという思いが。
当然にしてどちらをも訪ねるわけですが、それは後に譲るとして、
大聖堂の北側にあるマルクト広場を覗いてみるといたしましょう。
マルクトはマーケット、市場のことですから、市の立つ場所ですけれど、
先ほど見た「魚の門」はライン川で獲れたか、ライン川経由で海の魚が入ってくるか、
いずれにせよライン河岸で陸揚げされた魚がマルクト広場の市に持ち込まれる、
つうことで「魚の門」だったのかもしれませんなあ。
現在のマインツでは火・金・土の朝市が開催されているそうで、
ちょうどこの日は金曜日でしたので、テントが立ち並んで活況を呈しておりました。
おそらく雨が降ってなければすれ違うこともできないくらいではないですかね。
マインツの町もハンブルク などと同様、
第二次大戦下に徹底的な空爆を受けて瓦礫と化したわけですが、
何とも律儀なことに破壊前と寸分違わぬ町を再建したそうな。
中世以来、大聖堂にへばりつくように周囲を建物が取り囲み、狭い路地が入り組んでいるのは
近代的には決して便利ではないながら、その辺に再開発的な要素を持ち込むことがなかった。
だもんですから、マルクト広場は現在でも
実に実に窮屈な感じで屋台がひしめく状況になっているのだとか。
それはともかく日本のマーケットとは雰囲気も並んでいるものも異なりますから、見ていて楽しい。
何かとカラフルな店先に、雨降りの気分が少し晴れてくるような気がしたものです。
で、お店のテントとは別にモニュメンタルなものも見えてきました。
ひとつはこれまた泉であるようですが、マルクト・ブルンネンというもの。
元は1526年、時のマインツ大司教であったアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクによって
建てられたそうな。
拡大してみると、てっぺんに幼子イエスを抱いた聖母マリアの像が見えますですが、
マインツの栄光を表すかのようにきらびやかな冠を被ってますですね。
「黄金のマインツ」の最後の姿とその後の三十年戦争などでの荒廃を
見守り続けてきたのでありましょうか。
これとはまた別にモニュメンタルというより何とも唐突にそこにあるという印象なのがこちらでして
「巨人の柱」(Heunensäule)と呼ばれるものです。
謂われの紹介がほとんど見つけられなかったものですから、断片的な情報で想像すると、
大聖堂を建てる際の石材として使われなかったもの…てなことになりましょうか。
「巨人の柱」という名前から勝手な妄想を巡らすほうがよかったかも、です(笑)。
と、このような雰囲気であるマインツのマルクト広場。
先に申しましたように、続いてはグーテンベルク博物館のお話となりますが、
これはこの次にということで。


