先に聖ミヒャエリス教会 を訪ねた折に、
ハンブルクには5つのHauptkirche(主たる教会)があることに触れましたですね。
そのうち、すでに3つには足を運んでおりますから、この際残りの2つも行ってみようと。


ツォル運河沿い@ハンブルク


地下鉄のメスベルク駅からツォル運河沿いに進んでいきますと、
道の左側、橋の向こうはいかにも港が近く、

往時は貿易関係で賑わいを見せたであろう佇まいが見えてきましたですが、
そこら辺まで来ますと、Hauptkircheのひとつである聖カタリーネン教会は

もう目と鼻の先でありました。


聖カタリーネン教会


ミッヒェルのように塔屋の上には外に開けたところがありますが、
それが二重になっているのが聖カタリーネン教会の特徴でありましょうか。


聖カタリーネン教会のパイプオルガン


大バッハ はここの教会のパイプオルガンも弾いたことがあるそうなのですけれど、
あいにくと空襲で堂宇もろとも焼け落ちてしまい、今では代替わりしたオルガン。
それでも先に聖ヤコビ教会で聴いた、アルプ・シュニットガーの名を冠したオルガンコンクール
ファイナルの会場がここでしたから、やはり大層なオルガンではあるのでしょう。


聖カタリーネン教会のステンドグラス① 聖カタリーネン教会のステンドグラス②


そして、デザイン的には再建時の、これも新しい絵柄と思われますが、
ステンド・グラスがなかなかに綺麗なものでありましたですよ。


おそらくは再建された古風な街並み


と、いささか端折り気味に聖カタリーネン教会を後にしますと、
木組みに煉瓦という古そうなデザインながら、
ここも再建されたものなのだろうというエリアを通り抜けることに。


再建もここまでなるとしっくりするような…


この辺の考え方は、やはり空襲で丸裸にされた日本の町の再建とは違うものですね。
ただ、そもそもが木と紙でできた家々の広がりであったところを
一気に近代化するという意識であったのでしょうけれど。


そうこうするうちに、ハンブルクのHauptkirche最後のひとつ、
聖ニコライ教会がやおらビルの隙間から顔を覗かせているのに遭遇。
どんなだろうとは思ってたですが、このように足場に取り囲まれているとは。


足場にくるまれた聖ニコライ教会


他の教会同様に、聖ニコライ教会は1943年のハンブルク大空襲で破壊され、
何故だか、戦後に再建されることはなかったそうなのですね。
長らく廃墟のままとして、戦争犠牲者のメモリアルとされているようなのですが、
この足場からすると再建途上なのでしょうか。


近くまで行ってみますと「なるほどこりゃあ廃墟だね」という佇まい。
全体に焼け焦げというか、煤というか、黒ずんだ残骸と言う感じでありましたですよ。


聖ニコライ教会は廃墟になって…


中に入る…といっても、天井は全く無くなっており、
外構から辛うじて教会であったろうと偲ぶことができるような具合。


見上げれば、直接空が…


壁が一部残るだけ…


ところどころに解説板が置かれてありまして、
それによるとハンブルク大空襲とは1943年7月のこと。
その被害は35,000人以上の死者がでるとともに、
250,000棟の家屋が破壊されて、90万人が住むところを失ったのだとか。


ですが、この廃墟が追悼する対象は大空襲の被害者と同時に
ヨーロッパにおけるドイツの残虐行為による犠牲者をも悼むものとなっているという。
英語でもはっきり「German atrocities in Europe」と書かれておりました。
こうしたことも歴史和解のステップのひとつなのではないですかね。


PRAYER FOR PEACE@聖ニコライ教会


残骸の片隅には祈りを捧げる像があり、
「PRAYER FOR PEACE」と名付けられてました。
この像もまた、かつての敵も味方もない人類の平和を

ひたすらに祈り続けているのでありましょうね。