話は再びクローネ・ブラウハウス のあった小路に戻って、
この小路を抜けたところが広場になっていた…というところから。
賑やかさの点では市庁舎前のマルクト広場よりも、
レストラン、カフェ、いろいろなショップが取り巻いている分、
観光客が集まりやすいということになりましょうか。
で、この広場(Am Sande)の向こう側に威圧感のある胴廻りをした塔が見えておりました。
廻りの建物に比べてちとスケールが間違っているのでは?と思ってしまうところですけれど、
これもまた教会の威厳でしょうか、聖ヨハニス教会でありました。
この教会のそもそもは9世紀に始まるそうですから、大した由緒でありますね。
現存している建物は12~14世紀にかけて造られたものだそうですが、
「身廊、側廊が全部で5つ」(五廊式=身廊の両側の側廊が二つずつ)あって、
「教会建築様式でも例が少な」いものなのだとか。
ここの教会はありがたいことに堂内の見所を紹介する日本語の解説シートが置かれていて、
上の引用もここからですが、現地語のほかに英語版解説を見かけることはあるものの、
さすがに日本語版まではそこここにあるわけでない。
早速利用させてもらい、これを手に堂内を一巡すると、
どれもこれもが歴史的な由緒ある、あるいは価値のある美術工芸品に思え、
ありがたさも増すような気がしてきますですね。
例えば、内陣にある大祭壇ですけれど、
地元のマイスター3人の手によって1430年から55年がかりで作られたものだそうで。
この手の木彫りの祭壇は訪ねたそれぞれの教会で、
あるいは聖アネン博物館 でも目にしたところでありまして、
確かに細かく作っているなあと思ってはいましたが、そんなに年数を掛けて作っていたのかぁ…と。
こちらはまた大層手の込んだ細工に思われますが、教会を象ったホスチアの容器とのこと。
1480年頃の作なのだそうです。
大祭壇に比べると小ぶりなこの祭壇は左手身廊側のチャペルのもの。
1507~08年頃の作とこれも古いものですが、元は聖ランベルト教会という別の教会にあったそうで。
その聖ランベルト教会は、製塩所
の近くにあったがために地盤沈下が起こり、取り壊されることに。
時に1861年とは、機械化も進む中、さぞやガンガン掘った挙句のことでしょうか。
その際、この祭壇と洗礼盤は聖ヨハニス教会に移されたそうなんですが、
こうした経緯はリューネブルクならではのことだなぁと思うところです。
でもって、またまたそれぞれの教会でご自慢のオルガン。
原型としては1551~53年にオランダの職人によって手掛けられ、
1715年に現在の規模に拡大されたそうな。
バッハ
の曲を弾いたりするには、古いオルガンでは対応しきれないようでもありますから、
こればかりは古いままがいいとは言い切れないようですね。
ちなみに、ここのオルガンは、オルガン弾きとしても有名な
アルベルト・シュヴァイツァー博士も弾いたことがあるとか(ないとか?)。
(確実に弾いたことのあるのは、日本の現・皇太子殿下だそうで。1985年9月のこと)
と、古いものが続きましたけれど、このステンドグラスは新しいですね。
第二次大戦に出征した兵士の家族が、戦後彼らの無事帰還を感謝して寄贈したものだそうです。
さぞや平和への祈念が込められていることでしょう。
ところで、広場から最初に見えたでっぷりした塔ですけれど、
108mの高さがあって、「毎朝9時にトランペット
奏者が朝の挨拶を聴かせてくれる」と知れば、
リューネブルクで一泊というのもありだったなぁと。
で、これだけの高さがありますから、
登ってみればさぞやリューネブルクの町を一望にと思うところながら、
一般の人は登れないようになっているのだそうですよ。
なぜか?それは次に訪ねた場所に明らかになりますので、ちょっとお待ちを。