前回(Part10)だけでは書き足りなかったため、本日はPart10の番外編という位置付けにします(笑)。
ただ大河ドラマとは遠く離れた内容になってしまうことを、最初から宣言しておきますw。
さて、前回はもっとも人気が高かった回「第33話 友の死」に絡んで、総長・山南敬助について、いろいろ書いたけど、その山南の最期について、もう一度考えてみようと思います。
山南の死から、晩年の永倉の談話を集めた「新撰組顛末記」が出るまでのおよそ50年間…新選組関係者の誰1人と山南の死の詳細には触れていない。
新選組大幹部の1人が脱走して切腹するというのは大事件であり、もっと公になってもよさそうなもんだけど、誰1人とその詳細について触れていないのが、なんとも不思議である。
山南の死の1ヵ月後、沖田が故郷に書いた手紙で死について触れてはいるが、ついでに付け足したって感じで死亡した日にも誤りがあり、なんかそっけない。しかし、そのそっけなさの裏には、何かが隠されていたように思えてならない。
その手紙の「段々ご厚情くだされし山南兄先月26日死去つかまつり候ついでをもってちょっと申し上げ候」この一文から…
隊内に緘口令が敷かれていたのだが、故郷に手紙を書くのに、試衛館時代からの仲間であり、尊敬する兄貴的存在であった山南の死を隠すことはできないという純粋な気持ちと、そっけないフリをせざるを得ない事情の狭間でもがき苦しむ沖田の姿が見え隠れする。さらに、死亡日を誤って書いてしまったところを見ると、相当動揺していた感じもする。
また、死後6日後に書いた土方の手紙、1ヵ月後に書いた近藤の手紙に関しては、山南の死にすら触れていない。とにかく不自然極まりない…。
山南の死を頑なに隠さなければならない事情があったとしたら、それはいったい何だったのだろうか…!?。
いくつかの史料を見てみよう…
まず、部外者ではあるが西本願寺の侍臣西村兼文の手記では、「西本願寺への移転をめぐって、土方らと対立し、一書を残して自刃した」とある。屯所を移転するしないの問題だけで、自殺に追い込まれたとは考えにくいが、同時代にわりと近い時期に書かれたものなので、この自殺説を最優先したいところだが…部外者の手記ということは、人伝に聞いた話をまとめたものに過ぎないので、すべてを信用をしていいものかどうか…。
そして、永倉の談話を集めた「新撰組顛末記」では、「伊東甲子太郎に敬服し、密約を持った…」「隊を脱走し、京都からほど近い大津の宿に泊まっていた…」「追手である沖田に見つかり、屯所に連れ戻されて切腹…」とある(抜粋したけど…)。この話は、山南の死から50年ほど後に年老いた永倉がある新聞記者に語ったものである。同時代からかなり遠ざかっており記憶違いも多いが、新選組幹部の話だけに、この説も信用するに値してしまう…困った…(苦笑)。
さて、これらの史料をもとに俺なりの推測でもしようかな…どちらを参考資料としよう…ここは幹部である永倉新八の話を最優先するってことにしよう…(苦笑)。
勤皇思想を持つ山南と伊東は、互いを認め合い、何かをしようとした…そして、隊を脱走して大津の宿に泊まっていた…とあるが、これは偶然ではなく大津の宿に居なきゃいけない理由があったからではないだろうか!?。おそらく誰かに合うためだったはずで、合うとすれば幕府側ではなく勤皇側の志士だったのは当然の流れである。伊東との密約とは…おそらく倒幕に関わることだと思われる。しかし、大津に行くだけのためなら脱走という形を取らなくてもよかったはずなんだけどなぁ…。
まぁ話を進めると、とにかく脱走という形をとった山南は、隊規に背くこととなり近藤が追手に命じた沖田により捕縛され、屯所に連れ戻された。そして、隊規違反の罪により切腹させられた。
またもや気になるのは、沖田があっさりと山南を見つけてしまったこと…大津といっても京都から少し離れており、宿に身を隠していたことを考えるともっと日数がかかってもおかしくない。切腹の前日の22日に脱走したとするなら、1日もかかってないことになる。これは、沖田が始めから大津の宿に居ることがわかっていたんじゃないのか!?。そうなってくると、もちろん追手を命じた近藤や土方もわかっていたことになる。
ってことは、山南が大津の宿で勤皇派に合うことを、事前に近藤らに垂れ流していた人物がいたということになる。そして、その人物こそが山南に計画実行を促したのではないだろうか…とすれば、山南は罠にはまってしまったということになる…!!。
じゃぁその人物とは!?。その人物を推測する時、山南が居なくなることでメリットがある人物がいるとすれば誰だろうか??という疑問にぶちあたる…。
それはズバリ、伊東甲子太郎ではないだろうか!?。
山南と密約を持ったというのはフリであり、大津の宿に勤皇志士が来るということはデマであった…そして、山南本人は大津の宿に行っただけで脱走とは思っていなかった。しかし、伊東は山南の行動を脱走にすり替え、近藤らに通告する。これを聞いた近藤は内心喜び(近藤、土方と山南の間に対立があったため)捕縛命令を出した。武装した新選組隊士総勢で捕縛に向かった。そんなことは何も知らない山南は無理矢理捕縛され屯所へ連れ戻された後、処刑された。抵抗したにちがいないが、近藤らの権力の前には成す術もなかった。策士伊東は、その権力をいい様に利用し、同位置に君臨する総長・山南を蹴落とすことに成功した。…と自分の推測したのはいいが、出世したいためだけに、ここまでするかなぁとも思ってしまった(苦笑)。
なんか伊東甲子太郎を悪者に仕立て上げちゃって申し訳ありません(苦笑)。
はっきりいって謎のままだけど…もっと有力な史料が発見されないかぎり、どれも推測の域を超えませんw。
長々語ってしまいました。
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