ヨハネ福音書20章20、21節 あなたがたを遣わします (12) | ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書をとおしてイエス・キリストを知る

20:20

こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。


20節にきて初めて弟子たちは喜んだ。と書かれています。
19節では、余りにもビックリ仰天して、喜ぶ実感もなかったのではないでしょうか。
何しろ弟子たちは、見たことしか信じない、不信仰の極み、神不在の極みだったのです。

どん底の極みにいる弟子たちに、突然、復活の主が現れた。
ということは、南極大陸から一挙に南アフリカに行くほどの温度差、信仰の温度差だったでしょう。
突然、復活のキリストが現れた時は、あのペテロでさえ、アクションを起こせなかったのです。

憐れみ深い主は、固まっている弟子たちに、ご自分の傷ついた手を、「ほら見てごらん。」って示され、着ている服をまくられて、わき腹の傷も見せられた。この傷こそ、私たちを真にいやし、赦し、平安を与える神の小羊としての傷でした。

何という慰め、何という憐れみでしょう。何という一方的な恵み、アガペーの愛でしょうか。

それぞれ、一人一人、思うところはあったはずです。後悔や恥ずかしさが。
でも復活の主を前にして彼らはそれら一切の裏切りの思いを、イエスの憐れみの衣で覆われ、
復活の喜びで満たされたのでした。

20:21
イエスはもう一度、彼らに言われた。
「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、
わたしもあなたがたを遣わします。」


「絶対、無理だって」って、あなたは思いませんでしたか?
今の今まで隠れていた弟子たちなんだから、と。

イエスは二度、「平安があなたがたにあるように。」と彼らを祝福しました。
一度目は、恐れている彼らに。二度目は、世界宣教に遣わすために必要な、
イエスの絶対的な平安,目の前で起きる状況に一切、左右されない、
神から与えられる天的な平安を、彼らに与えたのです。

彼らは今後も、紆余曲折しますが、最終的には、自らのいのちを顧みずに、
イエスが言われたとおり、イエスが一人ひとりに計画したとおりに、
世界宣教へと遣わされて行くのです。


使徒の働き2章で、聖霊を受けて、イエスが言われたことが爆発的な勢いで実現していきます。