ヨハネ福音書20章22、23節 聖霊を受けなさい (13) | ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書をとおしてイエス・キリストを知る

20:22

そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」



イエスの、弟子たちに対する本気度が分かりますね。

イエスの働きを継承していくのに、第一に必要なことは、世の平安ではなく、イエスが与える平安を受け取ること。次は、キリストの息キリストの息を超間近に感じていること。

死をも乗り越えた全能の力が脈々と放たれる、復活のいのちを持ったイエスの息をいつも間近で受け止めていること。そしてイエスの息は聖霊に確実につながっている。

これが世界宣教には無くてはならないことであることを語られました。

20:23
あなたがたが誰かの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたが誰かの罪をそのまま残すなら、
それはそのまま残ります。

ヨハネ福音書8章10節で、姦淫の現場で連れてこられた女に対して、
8:10 イエスは身を起こして、その女に言われた。

「婦人よ。あの人たちは今、どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」


またマタイ9:2で、中風の者に
「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われ、

6節では、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」


イエスは人の罪を赦すことの出来る唯一のお方です。
なぜなら全人類の罪が、神のみ前に赦されるために、この地上に来られた神の御子だからです。

では今、この23節で言われたイエスのことばは、何を言っておられるのでしょうか。

それは、全人類の罪を、神のみ前に赦すために、イエスは十字架に架かり、今、まさに復活されたのです。

自分の罪が、神の小羊キリストの流された血によって、神のみ前に赦されている。
ということを心から受け入れ、告白する時、

神は、キリストの血によって、告白した者の罪を赦し、断絶していた神との交わりを回復させ、
新しい復活のいのちに私達を生かしてくださるのです。

隠れ家にいる弟子たちに、イエスの十字架と復活によって成し遂げられた神側の赦しと、
それを信じる信仰によって罪赦され、神の子供になる特権を、全世界の人々に伝える者として、
主は、彼らに平安を与え、使命を与え、息を吹きかけ、聖霊を受けよ。と言われた。

そしてこの弟子たちが、使徒の働き2章以降、実際に聖霊を受けて、イエスが言われた通りに立ち上がり、
あらゆる苦難を超えて、復活されたキリストのグッドニュース、福音を携えて世に出て行った時に、

ある人が、こう、告白したとする。

「私には罪があります。神のみ前に罪があります。この罪のために、イエス様が十字架に架かられたことを信じます。」と言った時、主から委ねられた、23節で与えられた権限を持って、

「あなたの罪は赦されました。」と言えるのだ。
ということをイエスは話されたのではないかと思います。

それでは、“あなたがたが誰かの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。”

とは、どういうことなのか。それは、この罪を赦す権威が与えられた者が、
やっぱり面倒くさいからとか言って、己のためだけに生きるなら、
あなたに与えられているその人たちの罪の赦しは、あなたの怠慢によって、
そのまま残ってしまう。

という、権威を与えられた者たちだけが、受け取らなければならない、
厳しい現実を、主が語られた、と私は思います。

ヨハネ福音書12章32節に、
「わたしが地上から引き上げられるなら、すべての人を自分のところに引き寄せます。」

すべての人をご自分に引き寄せる熱き情熱を持って、主は地上に来られ、枕するところもないほどの過酷な地上生活をおくられ、全人類の罪、人間が毎日垂れ流す汚物の、
何千億倍以上の汚れた罪を、盃に入れて、罪を犯したことのない聖なる清いお身体で、
汚れた人の罪を全部飲み干された。

そして全身、罪人として、血みどろの十字架刑に架かり、三日目に復活された。

それは、すべての人を、ご自分のところに引き寄せるために。

イエスは、ご自分のいのちをかけて、すべての人を救うという、大事業を成し遂げられ、
復活されました。

しかし、地上にいつまでも居られるわけはなく、父なる神の右の座に着かれるために
天に上って行かなくてはならない。

ヨハネ16章7節で主はこう言われました。

「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとっても益なのです。それは、もしわたしが去っていかなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」

こんな素晴らしい福音を携えていながら、そして罪の赦しの権限が与えられていながら、それを行使せず、見て見ぬふりをして、自分だけの必要のために生きるなら、あなたに与えられた、その誰かの罪は、そのままその人に残ってしまう。

主は厳しいおことばを、キリストのいのちを与えられた者に語られたのだと思いました。

だからこそ、神にとって最も価値あるこの尊い働きのために、聖霊という助け主を、遣わしてくださる。
そう主は確約され、使徒の働き2章で実現されました。

みことばを土台にして、復活のキリストとの個人的な関係をもって、聖霊に頼り、
聖霊によって、主の働きが前進されていきますように。

私たち一人一人に、主が与えてくださっている、「誰か」に福音を語り、

その人に罪の赦しが与えられるために、助け主である聖霊によって、主の働きに漕ぎ出して行きたい。
と思います。

祈りつつ、主の働きに前進して行けるよう、聖霊様に期待していきましょう。