ヨハネ20章8,9節 見て、信じた(5) | ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書をとおしてイエス・キリストを知る

ヨハネ20:8
その時、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。
そして、見て信じた

「大変だ~!ヨハネ来てみろ。」 とか、ペテロは叫んだと思われます。
その叫び声を聞いたヨハネは、律法のことなど、どっかにすっ飛び、
我を忘れて墓の中にとっ込んで来た。そして二人で、見て信じた。

ついに、三年半もイエスに付き従ってきた弟子、それも側近中の側近の二人が、ついに信じた。
イエスが生前に、何度も語っていた、イエスの復活を、いよいよ信じたんだ~。 良かった!  

と思って9節をみると、ななんと!

20:9
彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。

では、何を彼らは信じたと、ハッキリくっきり書いてあるのか。

それは、肉眼で見たものだけを信じた。

つまり、亜麻布と、頭に巻いた布切れが、巻いたまま、丸い形を残したそのままの形で残っていて、イエスの遺体が無くなっている。
ということをただ、信じただけだった。

そんなの当たり前だと思わない。誰だって見たんだから、信じざる得ないでしょ。

ヨハネはここで何を言っているのかというと、マリヤが、
「誰かが墓から主を取っていきました。」と言った時、「まさか、そんなことがあるはずない。」
と思って彼らは疑ったんです。

でも、取りあえず墓に来てみたら、マリヤが言った、そのとおりの状況だった。


彼らが信じたのは、神の出来事ではなく、マリヤが仰天して彼らに話した、
「誰かが、墓から主を取っていきました。」
「ああ、やっぱりマリヤの言ったことは、本当だった。」

と、信じた、ということでしょうね。 これ以外に考えられないですよね。