ヨハネ20章6,7節 亜麻布が置いてあるのを、見た(4) | ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書をとおしてイエス・キリストを知る

20:6~7

シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、
イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、
離れた所に巻かれたままになっているのを見た。

一方、「ちくしょう、ぬかしやがって。」とか言って、
後から走ってきたシモン・ペテロは 立ち止まっているヨハネを横目に、
まっしぐらに墓の中へと進んでいったのです。

シモン・ペテロはユダヤ人でしたが、ヨハネが思い出した律法など、
忘却の彼方に、完全に置き忘れてしまったのか、
何の迷いも戸惑いもなく、墓の中へと突進していったのです。

ここに、二人の明らかな違いが分かりますね。

イエスの裁判の時は、大祭司の中庭に、ヨハネが先に入ってペテロを導きました。
今度は逆です。

大祭司の中庭にある門の所で、立ち往生しているペテロを、先に、顔パスで入ったヨハネが、
導き入れています。

なんで顔パスか、って言うと、ヨハネは大祭司の知り合いだったからです。
「はい、お疲れ様」、とか何とか言って、そのまま、すんなりと中に入っています。

この大祭司の中庭で、シモン・ペテロは非常に重要な信仰のレッスンをしました。

イエスが事前に彼に語った、「鶏が二度鳴く前に、三度裏切る。」、という、
ペテロの真実の現在地、神の視点から見たペテロの本当の姿が実際にあらわにされたのです。

ペテロは、本当の自分の現在地を、思い知らされ、受け取らざる得ませんでした。

ペテロはイエスが語られたことばを思い出し、外に出て号泣しました。
信仰の大レッスンをした大祭司の中庭には、ヨハネによって導かれ、
イエスが復活された空っぽの墓には、ペテロによってヨハネは導かれたのです。

この関係が、信仰者同士の互いの関係、理想的な関係であると思います。


もし、あなたが、互いの、という関係を他の信仰者と持っていないのなら、
主に与えられるよう、積極的に祈り求めてみてはどうでしょうか。

信仰生涯において、無くてはならない大切なことであるし,
主は必ず与えてくださると、確信します。

墓に入ってきたペテロが最初に見たものは、イエスの遺体をくるんだ亜麻布。

ヨハネ19章40節でこう書かれています。

“そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料と一緒に亜麻布で巻いた。”

アリマタヤのヨセフとニコデモは、丁寧にイエスの死体に香油をぬり、丁寧に亜麻布で巻いたのでしょう。

墓の中には、アリマタヤのヨセフとニコデモが、イエスの体に巻いた亜麻布だけが、置いてあって、更に、イエスの頭に巻いてあった布切れは、巻かれたままの、丸い形のそのまんまが、
少し離れた所に置いてあるのを、ペテロは見たのです。
そして、マリヤが言ったとおり、イエスの遺体は、無くなっていたのです。

このことを目撃したペテロは、仰天して、大声で叫びながら、ヨハネに向かって、
墓の中の状況を説明したと思われます。