昨日のアランの記事ですが、電車でうとうとしながら気付いたら更新していました!爆
書いた内容をあんまり覚えてなくて朝何度も読み直しました笑
でも、真の私の声なんだね・・・最後の方とかすっごく素直に書いてるもん
今日は昨日買ったアランの本を読んでいました
「だいじょうぶ、あなたはすべてうまくいく」
日本人向けに書いた本で、書店に並ぶのはもう少し後だそうです
この本を読みながら昨日のアランの言葉と
瞑想したことを思い出し1日を過ごしていたのですが・・・
友人とのLINEのやりとりの中でふと降りてきた言葉がありました
嫌なことを頑張るために、自分にご褒美を与えてる。
ご褒美を与えるのはいいことだね
でもさ、その嫌なことは選択しなくても良いんだよ?
びりりりり身体に電気が走るーーーーー
例えば、、、
コンサートでパワー充電したから(本当は疲れてるけど)仕事頑張る!
美味しい物食べたから(早く帰りたいけど)残業頑張る!
プライベートは充実しているんだから(もうこの仕事辞めたいけど)仕事頑張る!
と、いった感じに・・・
これの何がいけないの?と思う方もいると思います。
でも、私が感じたのは・・・これこそが罪悪感じゃないのかなって。
心のどこかで、嫌なことと嬉しいこと(ご褒美)を天秤に乗せて
バランスがとれるようにしてしまっているんじゃないかな?
と思ったのです
日本人には罪悪感がある、アランのこの強烈ともとれる言葉ですがわかる気がする・・・。
私たちはどうしても世間や周りの人の目を考えてしまう。
もし、これが仕事もすっごく楽しくて嫌なことなんてひとつもなくて
休日はやりたいことやって自由奔放に生きていて独身主義でお金持ち♪
となったら、「周りに妬まれるんじゃないか?」
「苦労もしてない姿は見せてはいけないんでないか」
という、自分ひとり幸せになってはいけないんでないかという思考(罪悪感)
が潜在意識の中にある気がします
実はこの“自分ひとり幸せは良いのか?論”は最近自らがはっと気付いたことなんです。
久々に会った地元の友達に
「最近どう?」と聞かれると今まで「う~ん、ぼちぼちだよ」って答えている自分。
その言葉こそが呪縛なんだけど、なんか遠慮しちゃうというか・・・
だから言葉から変えようと思い立ったとき、同じ友人に
「すっごく楽しくて良い感じだよ」と言ったんです。
そしたら「え?そうなの?」とあんまり良い反応じゃなかったんだよね(笑)
その友達も無意識だったと思うけれど、
きっと私=大変な環境というイメージだったんでしょう
嫌なことは選択しなくても良い!
楽しいこと、嬉しいこと、やりたいことだけやっても良い!
アランが話してくれた日本人の相談者(クライアント)のお話。
日本人は誰かから与えられる許可を求めています。
クライアントに「“あなたの本当にやりたいことは何ですか?”」と聞いて
私は言います。
「どうぞ、やってください」
「え?!良いんですか?!」
「はい。私が許可します」
するとクライアントは必ず「ありがとうございます」と感謝するんです。
この“許可”というワードも凄く気になりました。
私は、自分が幸せになることを“許可”したいと思います。
嫌な環境に身を置いて頑張らなくて良いんだよ。
好きな事だけをやって良いんだよ。
と、いま自分に許可します
人生、たったの一度きり。
もう29歳。
疲れる環境に身を置くのは、もったいない。