足利氏館(日本100名城) 7 北門と蛭子堂伝説 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

毎日UPでブログ

昨日の続きです。

今回は北門と蛭子堂伝説です。

 

本堂裏面です。

この反対側は

 

北門です。

 

 

 

門の外に出ると

 

北門の外側から撮影しました。

 

北門の外側から撮影しました。

 

解説板です。

 

北門前から東側の堀です。

 

北門前から西側の堀です。

 

 

次は安産のききめがあるという、

蛭子(ひるこ)堂です。

 

蛭子(ひるこ)堂です。

 

蛭子(ひるこ)堂です。

 

解説板です。

蛭子伝説というのは


 足利義兼が源頼朝に従い、

足利を留守にした際に行わ

れた足利での花見の席で、

時子が侍女藤野が汲んだ

野水を飲んで腹が膨れた

ことが、騒動の始まりです。 

その頃、源姓足利家には

下司として、藤姓足利氏

の又太郎忠綱が滞在して

いました。

藤野は忠綱に恋をしていた

のですが、忠綱は全く顧み

なかったと言います。 

これを逆恨みした藤野は、

義兼が帰館した際に、時子

が忠綱と密通していたと

讒言をします。時子の腹

が膨れているのを見た

義兼は、これを信じて激

怒します。 忠綱は逃亡

し、時子は義兼に切られ

たとも自害したとも言い

ます。建久7年(1196年)

6月8日のことです。 

ところが時子の腹を開く

と、中から出てきたのは

大量の蛭だったのです。

時子の腹が大きくなった

のは花見で飲んだ水に

蛭がいて、これが腹中

で増えたためでした。 

このことを知った義兼は

藤野の手足を二頭の牛

に縛りつけ、体を裂き割

る「牛裂」の極刑に処し

たといいます。

義兼は時子の菩提を弔

うために邸内にお堂を

作りました。これが蛭子

堂です。 野水を汲んだ

のは鑁阿寺境内の井戸

だと言われ、義兼によ

って、これは二度と使

っては成らぬと封印さ

れました。中御堂東に

あるのが、この「開か

ずの井戸」だといいま

す。

 

本堂横にある伝説の

開かずの井戸です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 


 

 

読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。

希望があれば、読者相互登録します。

毎日午後8時半頃に更新しています。
「相手わかるように」に設定して読者登録してください。
読者のブログ村・ブログランキングは出来るだけ押しに行きます。

 

Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
 お手数ですが、よろしく。下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ
                                              にほんブログ村 歴史ブログへ

 

                                               ブログランキング・にほんブログ村へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

                                               
                  お願いします。