こんにちは!
今週末には新刊の発売日です(-^□^-)
本日の試し読み第2弾は……
『六花爵(ろっかしゃく)と螺子(ねじ)の帝国』
著:糸森環 絵:田倉トヲル
★STORY★
精霊王の反撃を受けている青年貴族ジーンを見た奴隷の少女アオは、とっさに彼をかばって死んだはずなのに……。
目覚めたアオとジーンにはあり得ないことが起こっていて!?
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意識崩壊から、およそ半刻後。
ありえない現実は依然としてアオたちの前に存在した。
「――つまり、あれか。おまえたちは中身が入れ替わっているということだな?」
いち早く状況を把握したのはレンズだ。石化するアオたちの手足を興味津々の態度で矯めつ眇めつ眺め、しまいには服の中も確かめようとする。口内や目の奥まで覗き込まれたが、アオたちには抵抗する気力などひとかけらも残っていなかった。むしろレンズに、この驚愕の現実がなにかの冗談か嘘か幻であるといった証拠を今すぐ見つけてほしいくらいだった。
(ど、どうなっているの。どうなっているの! どうなっているの!! 落ち着こう、私!! いや、落ち着いている場合じゃない!?)
変だとは思っていたのだ。
いつまでたっても視力は悪いままだし、膝の上に置いた手もやけに大きくて滑らかだし、というより身体そのものが大きくなっているし――はっきり言えば、男性体に変わっている!!
「どういうことだ。なぜ私の肉体がそこにある。私は分裂したのか?」
恐怖と不安と驚きが申し分なく入り交じる、掠れた声を発してその人物が……アオの肉体を乗っ取った何者かが、両手をぎこちなく持ち上げた。
「これは、女? 女の肉体なのか? 私が女体化?」
手をひらひらさせると、偽アオはなにを思ったのか、疑うように眉間に皺を寄せた。そして両手で胸を掴む。さらに眉間の皺が濃くなった。
「……ずいぶん、平ら……」
「や、やめてください、揉まないで!」
アオは血相を変え、相手の両手を奪った。ただでさえすさまじい衝撃を受けている状態なのに、違う意味での傷など負いたくない。
しばし無言で見つめ合う。冷や汗がどっと流れた。相手の顔もこれ以上なく青ざめていた。
「夢でありますように! 夢でありますように!! 夢だと信じてます!!」
アオは半ば泣きながら、偽アオの両手を握り締めたまま全身全霊で祈った。
(運命が斜め上に残酷すぎる!! 殺すなら普通に殺して! いや、私はまだ夢の可能性を捨てていない!)
偽アオを見つめて、力強く訴える。
「夢が私たちを待っています。もう一度眠りましょう!」
母親を失って以来、こんなに声を張り上げたことはない。自分の『声』ではないが。
「……。わかった。眠る」
「えっ」
偽アオは素直に頷くと、アオの胸にこてりと額を押し付けた。本気で寝ようとしている。
「ま、ま、待ってください! 私を一人にして眠らないで!」
「眠れと言ったり、眠るなと言ったり、何様だ」
偽アオは億劫そうに頭を上げると、こちらを冷たく見遣った。
「肉体的にはあなた様です!」
号泣できる準備は整った。そう思ってしまうくらい、アオは精神的に追いつめられていた。
百歩も千歩も万歩も譲って、仮に。本当に、仮に! 『ジーン』という名らしき男性と、心が入れ替わっているのだとしたら。
「どうやって、元に戻れば……っ」
絶望的な思いでもう一度、偽アオを見つめる。アオ同様、相手も極度の混乱に陥っているのは確かなようだが、元々感情を表に出さない性格なのか、ずいぶん静かだった。
ただし表情だけは地獄から拾ってきたかのように、凄絶なことになっている。
(私って、こんなに凶悪な顔もできたんだ)
あまりのすごさに感心する。『風に揺れるちぎれた蜘蛛の糸のよう』とか『ふっと息を吹きかけた瞬間に消滅しそう』などと評されることなら多々あっても、犯罪者顔と言われたためしは一度もない。人間の表情ってやっぱり心が作るものなのか――そんな現実逃避をした直後、アオは全身に氷を詰め込まれたような気持ちになった。
入れ替わった相手はおそらく、この東塔の最上階で六枚の翅を持つ美しい精霊と対峙していた青年だ。アオが飛び込んだあとで、夢だと信じたいこの入れ替わり事件が起きたらしい。
正直に言えば精霊のほうが印象が強かったため、青年の顔貌をはっきりとは覚えていない。だが、容貌が定かでなくとも、身を包んでいる衣服を見れば、おのずとわかる。
(花族だ……!)
着用している衣服は上等の布地で仕立てられている。学院指定の制服ではないが、きっと使徒の一人に違いない。それにこの、あかぎれひとつない、清潔で滑らかな手。
「――」
奇麗なものには触れられない。汚れ物以外は、だめだ。
アオは息を呑み、両手を中途半端な位置に上げた。偽アオは――『ジーン』という名の青年は、怪訝そうにアオの行動を見ている。
「……おまえは先ほど、私を助けようとして突進してきた女だな?」
偽アオは困惑の滲む口調で尋ねた。
「私が何者か、知った上での行動か?」
「え――?」
「知らないから、助けようとしたのか?」
偽アオがどういった意味で問いを投げかけてきたのかは、わからない。自分は花族だ、と主張するために質問してきたようには見えなかった。
「おまえは誰だ?」
正体を問われ、ぞっとするような感覚が全身を駆け抜けた。
偽アオはまだ気づいていない。自分がどういう身分の者と入れ替わってしまったのか。
その事実に気づいたとき、どんな反応を見せるのだろう。
罵倒だけではすまないはずだ。髪を切られ、丸裸にされた少女の姿が脳裏に浮かぶ。
冷たい汗が首筋を伝った。自然と呼吸も荒くなる。
「名を尋ねただけなのに、なぜ急に怯える?」
がたがたと震え始めたアオをじっと見つめて、偽アオはこてりと首を傾げた。ゆっくりと視線が動く。アオの手から自分ほうへ――つまり清潔な『ジーン』の手から、労働で荒れた『アオ』の手へと。途端、恐怖よりもいたたまれない気持ちが強くなった。
「見ないでください」
反射的に腕を伸ばし、偽アオの指を握る。
偽アオは迷惑そうに眉をひそめると、アオの指を冷たく振りほどいた。
「私はこんなに情けない顔ができたのか? 信じられない」
あかぎれの手がアオの顔へと向かって伸びてくる。ランプの明かりがはっきりと、手の荒れ具合を浮き彫りにした。そのかさついた指が頬に触れた瞬間、アオはとっさに目を閉じた。
「あっ……」
「動くな。触らせろ」
輪郭を確かめるように顎へと下がり、また頬を上がって鼻筋へ。それから瞼の上。すっとこめかみへ流れて、耳に辿り着く。柔らかな指の動きと感触に、背の中心が引きつるようなくすぐったさを思えた。瞼を閉ざしているせいで、感覚が鋭敏になっているのだ。
「私が分裂したわけではないようだ」
残念そうな響きに、アオは恐る恐る目を開けた。ぎょっとし、勢いよく仰け反る。
今更な話だが、距離が近い。本来の肉体の持ち主はこの偽アオであっても、刺激を認識するのはこちらなのだ。顔に触れられるだけならまだいいが、胸のほうに手が下りていくと、狼狽えてしまう。女性体ではなくともだ。
助けを求めてレンズのほうへ顔を向けると、彼はアオたちの会話に耳を傾けながらも熱心な目で観察を続けていた。
「ううん、何度『視』ても、間違いなく魂の色が入れ替わっているな……というより混ざり合っている。まずいな、これはもしかすると私のせいか?」
レンズはアオの視線に気づくと、後ろめたそうに呟き、頭を掻いた。
「私のせい、とは?」
偽アオが耳聡く聞きつけ、尋ねる。レンズは突如呻き、両手で自分の頬をこすった。
「説明する前に、ううっ、その強烈な美声はやめてくれんかね。ちょっと声音を変えるなどの配慮をだな……ああ、そうか! それでおまえはわざと野太い声を出していたんだな?」
レンズは「納得した」というように、自分の膝を叩いた。
アオは項垂れた。自分の地声は異様にいいらしい。
だがアオ自身はこの声が心底嫌いだった。それで常日頃から声を潰している。
「魔性の美声はともかくも。——おまえたちの中身が入れ替わっているのは確かだ。今後どうするかを話し合わねばならんだろうが、ひとまず場所を変えないか? ここで騒ぎすぎた。人に見つかっては厄介だ」
「待ってください、先生。先ほどの『私のせい』とはどういう意味です」
「あと、あと。おまえたち、立てるかい?」
レンズに急かされ、アオたちはのろのろと身を起こした。多少目眩がするものの、座っていたおかげで身を蝕んでいた倦怠感がなくなり、かなりましになっている。だが、偽アオのほうは後頭部の痛みが取れないらしい。立ち上がる途中で動きを止め、再びつらそうに座り込む。
「仕方がない。落ち着くまで待つしかないか」
レンズは階下を気にしながら呟いた。
~~(続きは本編へ)~~