わちゃわちゃしとります | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

フェイズが変わったら、頭のなかも切り替えないといけませんよね。

こうやってブログを書くというのは、自分の思考の中に深く潜っていく作業です。
だから、ある程度まとまって何かについて思いを凝らす必要があります。

ところが、最近、いろんな世界に首を突っ込むことになり、その都度違うモードを呼び出さなくてはなりません。
自業自得ではあるんですが、その切替がうまくいかないと、「母親」という世界に生きる自分の感覚と、「私」という単独の世界、その私が興味を持って関わっている小説とか映画とか芝居の世界に対する感覚とがごちゃまぜになってしまいます。

母親としての側面では、自分の子どものこと、その子が所属している世界のあれこれ、さらには、よその子の親との関わりなどに頭を悩ませます。
ほんとに、人それぞれの価値観があるんだなあと痛感させられるのは、子どもをめぐるあれこれに直接かかわるとき。
集団登校の時間、グループ分けといった、一見なんでもないような簡単なことですら、あの人この人そっちの人あっちの人の思惑が複雑にからみ合って、一朝一夕には解決することができません。

小学校の学級会を思い浮かべてもらうと、なんとなくわかるかもしれませんね。
それも、4年5年あたりの、そろそろ自意識が芽生え始めて、他人の存在を意識し始めるころ。
やたら正義感の強い女子がいたり、仕切りたがる子がいたり、マイペースの子がいたり、付和雷同型の子が集まってみたり。
何か一つ決めるにも、意見百出、ようやく決まっても必ず陰で不満が出たり。
「あの子のあのやり方は気に食わない」とか「ああいうやり方は間違ってると思う」とかいった意見が出たりして、変なわだかまりが残ったりします。

非常にデリケートかつナイーブな対応が必要で、ちょっと対応を間違えるとものすごくこじれてしまう。きっかけはうんと些細なことでも、感情が絡むとおおごとになることもあるんですね。
こういうとき、私はなんとなく「世間知に長けた世話焼きのおばさん」みたいになります。
そういうタイプじゃないと思っていたんですけど、年をとったんでしょうか、気がついたら若いお母さんたちにアドバイスなんかしちゃったりしてる。ひやひや。


かと思えば、読み聞かせ界からお声がかかって、書類やらポスターやらを作ることになったり。

芝居も見に行きました。映画も見に行きます。本も読みます。
いろいろやりたいこと、やらなくてはいけないことがたくさんあって、切り替えないままの頭はパンク寸前です。

折しも、こうやって、ぎりぎりの時間にブログを書いている真っ最中に、夫がスマホを床に落としました。パジャマの胸ポケットに入れていたのが滑り落ちたようです。
そもそもなんでパジャマに胸ポケットがあるんだ、いやそれよりも、なぜ夫はパジャマの胸ポケットなんかにスマホを入れたりしているのか。
勢い良く床にたたきつけられたスマホは、あわれご臨終と相成りました。
液晶画面が中で稲妻のようにひび割れ、通信不能になってしまいました。
そのことについての手当(買い直す手はずなど)も考えなくてはいけません。
夫はぶつくさ言っています(笑)。

なんでこんなに次々にいろんなことが起きるかなあ。私の許容量を超えてます(泣)

というわけで、今夜は愚痴ブログでありました。m(__)m