10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう


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10月の蝉

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      片山るんのページ



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ユートピアというのは「どこにもない場所」のことなんだそうである。

碧野圭さんの「書店ガール5」を読んだ。
このシリーズは、一番最初の「ブックストア・ウォーズ」からずっと好きで読んでいる。
本が好きで、本屋が好きなので、心を熱くしながら読んでいるのであるが。

読むたびに、なんともいえない気持ちになる。
なぜなら、私は、あのシリーズに出てくる書店員さんのような人に会ったことがないからだ。
あんなふうに熱心に本のことや書店のことを考えて行動している人、店ってほんとにあるんだろうか、と思ってしまう。

坂木司さんの、歯医者さんの話を読んだときもそう思った。
あんな素敵な歯医者は、まず存在しないよなあ、と。
小説だから。フィクションだから、あんなふうに素敵なのだ。
まさしくユートピア、どこにもない場所だ。

映画やコミックや小説は、ある意味夢や理想を描くものだと思う。
だから、「お仕事」もの「職場もの」は、常に理想化された状態を描いているのだ。
それはわかってるけど、でも、あまりにもフィクションで描かれる仕事や職場の様子が素敵過ぎて、現実に戻ってくるのがつらくなる。

鋭く問題を見抜いて対処してくれる医者はいないし、こちらの気持ちに寄り添ってくれる人はいないし、カリスマ書店員もいない。
現実は厳しいんだよね。

だからこそ、熱血お仕事小説が好きなのかも。
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自分の人生を振り返って思うこと。
それは、「ごっこ人生」だったなあということだ。

なにをやっても、なんとなく「本当」「本物」という感じがしなくて、まるで子供のごっこ遊びのように思う。

ごっこ遊びは楽しいけど気楽だ。だって、「ごっこ」だから。
本物につきものの苦しさもなく、しんどさもない。
あっても、その「ごっこ」をやめてしまえばなくなるし、「ごっこ」だからやめるのも簡単なのだ。

3年間、シナリオ教室でシナリオの勉強をしてきたけど、そして50本ほどシナリオを書いたけど、一度だってそれが実際にどうにかなるようなものだとは思えなかった。
私の書くものは、教室の中の「お勉強」「練習」の中だけで成立するものだと。
だから、コンクールへの応募を勧められても、まったくその気になれなかった。
なんていうか、そういう「本物」の場へ出すような代物ではないと思っていたのだ。
今でも思う。

「公募ガイド」という雑誌を、たまに本屋で立ち読みする。
たくさんの公募が掲載されていて、賞金額を見ると「いいなー、すごいなー」と思うのだけれど、その場へ自分が参加するということが、どうしても現実的なことだと思えない。

小学生のころから、作家にあこがれてきた。
小説を読むのが好きだったから、なんとなくその延長で、自分も書いてみたいと思っていた。
でも、実際に書いてみてわかったのは、私には物語を紡ぐ力がない、ということだった。

子どものころは「作家になりたいと思ってる人ごっこ」をしてて、今では「作家になりたかった人ごっこ」をしてる。

芝居だってそうだ。
演劇は見るのも演じるのも好きだけど、それをつきつめて仕事にするような行動はとれなかった。
今はアマチュアで「演劇人ごっこ」をしてる。

専業主婦だって、私のは「ごっこ」だ。なんちゃって主婦、だと思う。
専業主婦の年収はいくらか、という話題で、200万という意見と0円という意見があって、まあ、どっちもありだよな、と思いながら見てた。
外注したらそれなりのお金がかかるんだから、それで換算したら200万でも少ないような気もするけど、主婦の仕事は家庭の維持だから、どこからも給料が出ない。(雇用主がいないんだからね。いたらそれは主婦ではなくなってしまう)
金銭で換算するような仕事ではないのだ、とても価値のある仕事なのだ、という意見もわかるけど、だったら、専業主婦のことを「ただ飯食ってる」とか「税金払ってない」と見下すのはやめてほしいよね。

ちょっと話がそれた。

私は今、いろんなとこで読み聞かせをやっている。
読み聞かせをする時間は、だいたいどこでも30分が限度である。
月に一度とか、週に一度くらいの頻度が多いが、いくつも掛け持ちすると、しょっちゅうどこかで絵本を読んでいることになる。
適当な絵本を適当に読めばいい、というわけではなく、それなりに本を選び、練習しなくてはならない。
でも、この読み聞かせって、ボランティア活動なんだよなあ。

別に今、報酬が欲しいというわけではないのだが、それでもときどき、なんでボランティアでしか読み聞かせができないんだろう、と思うときがある。
学校の先生や、教育に関わる人から、読み聞かせの重要さを説かれるたびに、「そんなに大事だっていうわりには、ボランティアにまかせっきりなんだよな」と思う。

本来、絵本などの読み聞かせは家庭で行なってほしいというのが本音なんだろうなと思う。
いわゆる「お母さんの優しい声で、子どもとの心の触れ合いを」みたいな感じ。
このスローガンは聞こえがいいし、間違ったことを言ってるわけではないけれども、これくらい現実離れしたお花畑な概念もないよな、と思う。
世界中の人がひとりの例外もなく「読書好き」というわけではない。
子どもに絵本を読む、という体験をしたことがない人もいるし、生活に追われて余裕のない人もいるだろう。
「本を読む」というのは趣味嗜好の一つなので、好きな人もいれば嫌いな人もいるのだ。

でも、子どもの教育に関しては、「本を読むのはとにかく良いことだ」とされている。
だから、「子どもたちに良い本を与えなくてはいけない」ということになる。
学校の先生たちはとても忙しくて、絵本を読んでやる時間も心の余裕もない(らしい)
だから、ボランティアが入って、読み聞かせをしよう、ということなのだ。

それはいいんだけど、なぜボランティアでないといけないんだろうな、と思う。
ボランティアでやってるもんだから、「余裕があってすごいわね」なんて言われてしまう。
そういうことではないんだけど、金銭的価値が発生しないので、なんていうか「余裕のある人の遊び、もしくは暇つぶし」みたいに思われてしまう。

そこが、専業主婦と似てるなと思う。
どっちも、お金に換えられない大事な仕事だと言われながらも、無報酬のために軽く見られてしまう。


そういうあたりも、私に似合ってるのかなとも思うのだ。
もし、読み聞かせが職業として成立したとしたら、私はプロの読み聞かせ人にはなれないような気がする。そこまでちゃんとやれないんじゃないかと思ってしまうのだ。
私みたいな、半端な「ごっこ人」には務まらないような気がしてしまう。

もし、読み聞かせが職業として成立するとしたら、いったいどこからお金が出るんだろうな。
お金もそうだけど、プロとしての技術はどうやって磨くんだろう。今だっていろんな流派があるっていうのに。あ、それとも、流派ごとに会社が成立するかな?

それでも、お金を払って依頼できるようなところは限られてくるだろう。
子育てや教育関連のお金はとても少ないから(今だって四苦八苦してるところがたくさんある)、読み聞かせにお金を払うことなんてできないだろう。
そして、今読み聞かせをしている人たち自身も、自分たちの読み聞かせをお金に換算することを嫌がるんじゃないか、とも思う。「そういうことじゃないのよ」みたいな。わかんないけど。

明日も、幼稚園へおはなし会をしにいく。
絵本を読んだり、おはなしを語ったり、手遊びをしたりするのだ。
子どもたちはとても楽しみにしてくれているらしい。
厳密なことを言えば、それほど楽しくないと思ってる子もいるんだろうけど。
きれいな言い方をすれば、「子どもたちを見てるとこっちが元気になれる」んだけど、心の片隅に小さな疑問はいつも残る。
こういうやり方でいいんだろうか。こういうやり方しかないのかな。
他にアイデアがあるわけではないし、そもそもどれくらい本気の需要があるのかもわからない。
子どもの情操教育に絵本がよい、とされているから、読み聞かせがよいとされているから、とりあえずやってるけど、という感じがどうしてもしてしまう。


今公開されている「海よりもまだ深く」で、なりたい大人になれましたか、というキャッチコピーを見た。
なれてないなあ、というのがほんとのところ。
というか、私はいったいどんな大人になりたかったのだろう。
そんなこと、本気で考えたことなどなかったんじゃないか。
だから、いつまでたっても、予行演習のような、お稽古のような人生を送ってるんじゃないだろうか。そんな気がしてならない。
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通り沿いに、古いビルが建っているのを見ると、いつも少しだけ心がざわつく。
物悲しいような、懐かしいような、ふっと心がどこかへ流れ出ていってしまうような気持ちになる。

真新しい、大きなマンションのような建物だとそんなふうには思わないのに、壁面に雨の跡がついているような、外階段の手すりが赤くさびているような、3、4階建てくらいの小さなビルを見るともうだめだ。
それが住居用のビルだともっとだめだ。

住んでみたい、と思ってしまう。
昭和40年代、50年代に建てられたような鉄筋のアパートにもそそられる。
空室があると、ついじっと見てしまう。
カーテンのかかっていない窓から部屋の中が垣間見えると、いろいろ想像してしまう。


私の心の中には、若いころに古いアパートに住んでいたときの自分がまだ残ってる。
古かったり、狭かったりするアパートの部屋を、精一杯使いやすく整えて自分の暮らしを作っていたころ。
自分のためだけに、インテリアの小物を買ったり、好きな絵や小物を飾ったり。
小さな部屋が自分だけの城だったころ。

そういうことを思い出すのだ。

私は、自分用にカスタマイズされたものより、規格品をいかに工夫して使うかの方が好きなんだなと思う。
それは、私の「オリジナリティのなさ」にも通じるところがある。
無から何か生み出すのは苦手でも、今あるものをアレンジしたり、そこから発展させたりするのはけっこう得意なのだ。

だから、ゼロから作り出すシナリオ教室の課題はいつも苦労したんだと思う。
舞台の小道具を作る時も、まったくのゼロから作るよりも、身近にある空き箱などの廃品を組み合わせたり、利用したりして作るほうが楽しいし、うまくいくような気がしてる。


通り沿いの建物を見ながら、ふとそんなことを思った夜。
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