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のろりと更新中!ひっそりとバヌアツ編が終了。。。(最終更新日:1/11)



※以前のホームページサービスがいきなり終了しましたので、引っ越しました。

http://hourouotome.web.fc2.com/



『五大陸を歩いた旅人が選んだ 世界の絶景88』 (JTBパブリッシング)
コメントをいくつか書かせていただきました。


『旅の賢人がつくった海外旅行最強ナビ』 (辰巳出版)
少~し原稿を書かせていただきました。


『決定版 女ひとり旅読本』 (双葉社)
たくさん原稿を書かせていただきました。

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2017年06月10日

「旅人の夜 第33昼 ありがとう10周年」に出ます☆

テーマ:

ひっさびさに更新したと思ったら、告知で申しわけありません。
もうお前はとっくに旅人ではなかろうと云われそうですが、昔のよしみできょきーとさん(片岡恭子さん)主催の旅イベントに出させていただくことになりました。
最近は白い運び屋として世界を飛び回るきょきーとさんを始め、「旅行人」から息の長い活躍を続ける旅行エッセイストの森優子さん、中東を撮り続ける写真家の常見藤代さん、先天性白内障と弱視を抱えながらがら世界一周した鈴木弘美さんなど個性的な面々のなか、己のしょぼい経歴が変に悪目立ちしそうですが、枯れ木も山のにぎわいということで、どうかお許しくださいませ。

以下、告知です。チラシも貼っておきます。
お暇な方、忙しい方、とにかく誰でも彼でもお越しください!

旅人の夜 第33昼 ありがとう10周年★スペシャル座談会★このさい語ろう! 旅のなんでもベスト10

 



日時:2017年7月8日 
OPEN 12:00 / START 13:00
会場:Naked Loft
http://www.loft-prj.co.jp/naked
入場料:10周年感謝! 予約/当日 ¥1000(飲食別)
※予約は以下のチケット予約ボタンまたは店頭電話にて03-3205-1556(17:00-24:00)
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/reserve?event_id=67994
(予約完売の場合、当日券の方は入場できない場合がございます。お早めのご予約をおすすめします。予約後にやむを得ずキャンセルされる場合は、必ずご連絡ください)
※ご入場順は、ウェブ予約→電話予約→当日券となります。

2007年7月7日にスタートした『旅人の夜』は、おかげさまで10周年を迎えます。主催片岡恭子が【旅好きたちの飲み会のノリ】で始めて以来、さまざまなテーマとゲストで回を重ねて、とうとう通算42回目!そこで今回は原点回帰のスペシャル座談会『旅のなんでもベスト10』。
世界の絶景、食べ物、人々、各自こだわりの旅アイテムや秘策などなど――これまで出演してくれた超個性的な人気ゲストを招いて、旅のおしゃべりに花を咲かせます。もちろん客席もどんどん巻き込みまっせー!

なお、世界への旅人の恩返しとして、会場経費をのぞいた収益のすべて(=出演者全員のギャラ分)を『非営利国際団体/国境なき医師団』に責任をもって寄付いたします。お客様が飲んで食べて楽しんでくださるほどに、誰かの笑顔につながる仕組み。10周年記念当日のみのスペシャルメニューも用意しています。ちょうどお昼時ですのでぜひお腹を空かせてお越しください!

※飛び込みゲストもあるかも? 決まり次第SNSでお知らせします。

●ゲスト
常見 藤代(つねみ・ふじよ)
中東を撮る写真家。2003年よりエジプトの砂漠で一人で遊牧する女性と暮らして取材。2012年「第19回旅の文化研究奨励賞」受賞。著書は『女ノマド、一人砂漠に生きる』『砂漠のサイーダさん』『ニワトリとともに』『女ひとり、イスラム旅』など。http://www.f-tsunemi.com/

野ぎく(のぎく)
会社員。大阪生まれ。2002年から約3年半、世界一周の旅に出る。会社員になってからは年1ペースくらいで海外へ。激務と浪費のため、最近はすっかり国内出張専門。旅した国は、現在83カ国。旅の記録は、すでに1年以上更新が止まっているサイト「放浪乙女」で読める。http://hourouotome.web.fc2.com/

鈴木 弘美(すずき・ひろみ)
旅中毒の会社員。視力左目0、右目0.07。障がい者手帳三級。盲学校在学中に「文字が大きくて見やすいから」と英語が好きになり、高二で英検二級を取得。某企業の障害者リーダー育成プログラムで半年間アメリカ留学。ある職場でのストレスから抗鬱剤を服用することになり、「薬でハイになるより旅行でハイになろう」と退職、2013年に世界一周・約半年間の一人旅へ出発。再就職後も休みのたびに世界へ飛び出す。ボサノバ好きで、たまにライブで歌を披露。

●司会
片岡 恭子(かたおか・きょうこ)
旅人の夜主催。プロバックパッカー。1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。スペインで強盗、ボリビアで暴動、アルゼンチンで遭難、ベネズエラで拘束、コロンビアで盗難と無駄な人生経験はやたらと豊富。下手くそなスペイン語と英語を話す運び屋として世界を暗躍中。2017年現在、50カ国を歴訪。http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-33331-0/

森 優子(もり・ゆうこ)
旅行エッセイスト。1967年大阪生まれ。『地球の歩き方』などの編集ライターを経て独立。著書は『旅ぢから』(幻冬舎)/『旅のそなた!』(旅行人)ほか。イラストと写真満載・関西弁のマシンガントークが炸裂する講演会が好評。渡航国数は約50カ国。いまだ海外でドロボーに遭ったことも下痢したこともない。
https://www.facebook.com/yuko.mori.944

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2017年04月18日

不妊治療のあとさき4

テーマ:上京後

不妊を抱えていると、景色や会話の端々に不意に現れる子どもの気配に、過敏にビクつくようになってきます。
例えば、通りすがりの子どもに、夫がごく自然な人としてのふるまいで子どもに笑いかけたりあやしたりすると、なんだかソワソワしてその場を立ち去りたくなる。電車の座席に座っているところに子連れの母親を見かけると、悪いことでもしているような心持になって慌てて立ち上がる。「保育園落ちた日本死ね」の話題になると、途端に離人症になったかのように幽体離脱してしまう。
さすがに友達の子を邪険に扱うとか、写真を見せられて目を逸らしたり、子どもの話題に耳を塞いだりはしないけれど、どうしたって自分の身に引きよせて考えてしまうので、100%ピュアな心で接することができません。接すると心が擦り剥けるから。まあ、ささくれが剥ける程度で大したことはないんですけどね。
無料なので登録してある情報商材系のメルマガでは、「不妊の原因。それは潜在意識なのです!」と力強く謳っており、それに従えば、わたしのこのマインドセットは妊娠できないに決まってる!ということになりそうです。

 

夫は、惨めに不妊治療にしがみつくわたしを気の毒に思うことはあっても、あまり自分事というふうには捉えていないのかなと思います。わたしが落ち込んでさえいなければ治療に失敗しても別段ショックを受けるでもなく(「だって成功率低いって聞くし」)、ただ落ち込んでいる姿を見たくないから失敗するよりは成功したほうがいい、というくらいのスタンスのようです。
「子どもはいなくてもいい」という言葉は、嘘ではないのでしょう。子がいればそれなりに経済的負担を強いられますし、最初の体外受精の際、「もし妊娠中に子どもに障害があるってわかったらどうする?」などと不安げに尋ねてきたこともありましたので、今に至っても積極的に望んではいないのかもしれません。
それでも、わたしの好きにさせておいてもらえて、何よりも子どもが産めないことを責めない点では、たいへんありがたい相手です。

 

年末、最後の移植がやって来ました。前日まで仕事で大阪にいて、そのまま泊まって帰りたかったけれど(なんと新幹線が炎上して運行見合わせとなり、いつ帰れるかも分からなかったのです)、無理やり夜行バスで戻ったその足で移植に向かいました。
最後と云っても正確には今ある胚盤胞が無くなるのが最後という意味ですが、金銭的にもこれ以上続けるのはさすがに、ギャンブル依存症にも近い危うさを感じていました。この結果次第では、進退を考えねばなりません。
4回目ともなると、移植はただのルーティーンです。消毒で棒を子宮に突っ込まれる際の痛さだけは慣れませんでしたが、すべてが工場のオートメーションのように進み、卵を戻すまでの一連の流れを手術台の上から画面で見るのですが、「今、卵が入ったの見えましたか」と問われるのも、慣れすぎて何の感慨も湧きません。まるで他人の胃カメラでも見ているような気分です。ここで、「ああ、わたしの赤ちゃん……」と思えないわたしに、母親になる資格はないような気もしてきます。

 

7日後の判定日は年末ギリギリ、本来なら会社が休みに入った翌日には実家に帰りたかったけれど、それもこのために待つことになりました。そのため、結果を聞いたらその足で実家に帰るつもりで、帰省の荷物を背負って通院しました。
本を読む集中力もなく、手持無沙汰に「SimCity」で街を育てながら待つこと1時間半。
いつものように事務的な前置きがあった後、先生から発せられた言葉は、
「残念ながら数値が上がっていないですね」
何が原因なのですか? もう問うことにも疲れたし意味もないのですが、今回も返ってきた答えはやっぱり「卵の質が悪い」でした。
「胚盤胞まで育って、これだけ移植しても妊娠しない、つまり可能性は低いということです。それでも続けるのかどうか、ご家庭で話し合って決めてください。もちろん、可能性がゼロではないですから、続けているうちによい卵が採れることもあるかもしれませんが」
不妊専門のクリニックで、こう云われるということは、相当に可能性が低いのでしょう。わたしはそれを聞いて、これ以上のギャンブルにお金をつぎ込む気にはなれませんでした。
単に年齢の問題なのか。それとも年齢以上に老化が進んでいるのか。なんだか分からないけれど妊娠能力がないのか。そのどれも正解なのか。1年続けて、もう1回世界一周できる金をかけて、結局すべてがブラックホールの中に消えていっただけなのか。


病院を出、予定通り実家に帰りました。
夫にLINEで報告すると、夫は「無理しないで帰ってきたら」と云うのでしたが、きっと慰めてはくれるのでしょうが、ささくれ立った心には時として火に油、どこに地雷があるか自分でも分からない状態で、また新たな争いを勃発させたくありませんでした。
新幹線はいつになく混んでいて、わたしは地べたに座ったまま2時間半を過ごしました。京都で降りて、ふらふらと買い物に出かけたらなんだか店の人やお客さんと盛り上がり、束の間、嫌な出来事を忘れました。そうだ、治療をやめたら、心置きなく服を買いまくれるじゃないか……(苦笑)。

 

治療を続けるなら生理3日目に来て下さいと云われていましたが、年始早々ということもあって、足を運びませんでした。
病院からはその後、凍結している精子の保存を更新するかどうかの確認書類が送られてきましたが、それも開封せずに放置していました。
しかしながら、助成金の申請期限が3月末とあって、それまでには書類の申請のため病院へ行かねばなりません。
3月になって仕事も落ち着き、山のような領収書をひとり整理していると、書類は申請する気力を萎えさせるかのようなややこしさで、領収書のコピーをA4にしてコピーするのも手間なうえ、今さらながらつらかったことがいちいち思い出されてきて、不妊治療の苦しさはどこまでも手を緩めないのだなあ、と妙に感心するのでした。
2か月半ぶりの病院は、ただ自分が離脱しただけで何ひとつ変化はなく、相も変わらずの盛況ぶりになんとも云えない脱力感を覚えました。
書類の申請にも1枚3,000円という金がかかり、あっという間に札が飛んでいきます。

書類を受け取り、凍結精子も結局破棄した後、病院から電話がかかってきました。
「当院での治療は終了されますか? 終了される場合は二度とこちらで治療は再開できませんが」
二度とできない、と言われると、もともとのセコい性根がビビってしまいます。しかし、治療はともかく、この病院にすがりつく理由は見当たらない気がしました。会社に近いことと採卵が痛くないというメリットはあるけれど、値段が他より高額だし、先生も半ば匙を投げているところに行っても気分が滅入るだけです。
「わかりました。終了してください」
やめたら妊娠からは確実に遠ざかるでしょう。
しかし、すっからかんになるまで続けて結果が出なかったとき(今もすでにそんな感じだし)、やりきったから後悔はないと清々しい気持ちで言い切れる自信がありません。

 

もうこの1年のことは記憶から葬り去りたい。とか云いつつここに書き残すのは、いちおう葬式には出しておいたほうがいいかなと思うからで、誰かに何か有益な情報を提供できるわけではありません(むしろ有害?)。
どんな経験も無駄じゃないという考え方があるけれど、わたしにとってこの経験は、はっきりと無駄でした。
人生には、しなくていい経験があると思います。つらい経験には、その後の転ばぬ先の杖になったり、誰かの役に立ったりというメリットもあるでしょうが、いちばんいいのは、誰もそんなつらい経験をしなくて済むことでしょう。わたしは別につらい経験を売って生計を立てているわけでもないので、できればいらなかったです。
わたしは置かれた場所で咲くこともできませんし、嫌な出来事を神様のプレゼントとして有り難く受け取ることもできない狭小な人間です。
それでも、金銭がこんなにかからなければ、蚊に刺されたくらいのダメージで済んだのかもしれません。店内に入ることさえ憚られ、一生手に入れることもないであろうGUCCIの服やバッグも、治療費に置き換えたらいったい何個買えたのか……って、我ながら喩えが矮小かつ下世話!!

 

治療中、養子を考えたら、と人に薦められたこともありました。関連本も何冊か購入して読み、それはひとつの選択肢としてありかと思いましたが、実際のところ養子を迎えるまでの登録料金は不妊治療以上にかかるうえ、子どもの親として適齢で、ちゃんとした家に住んでいて、ちゃんとした仕事についていて、それなりに裕福な収入があって、子を迎えるための訓練に合格し……つまり、世の中的に相当「まとも」でなければ養子の親にはなれないのです。
その一方で、どんなに社会的に不利な条件下にあっても、性交によって孕めば親になる資格がある。やっぱり世の中は不公平にできているし、努力は万能じゃないですね。ビッグダディの美奈子さんみたいな妊娠能力は、つくづく稀有な才能ですよ。妊娠能力もなく、社会的にも不安定な人間にとって、子どもは超がつくほどの贅沢品というわけですか。

 

それでも、すべてを諦めたころにまさかの妊娠! みたいな記事が世の中には蔓延していて、そんなこともあったりするのかなあ……なんて空しい希望を、完全に捨てられるわけもなく、しかしそんな希望が叶うこともなく今に至ります。
先述の友人が妊娠したクリニックは、予約しても初診が半年後らしいですが、まだ前の病院に通っていたころ、友人が「とりあえず予約だけでも入れておいたら? 妊娠したらキャンセルすればいいんだし」というので、それだけ入れっぱなしにしてあります。ぜんぜん順番が回って来ませんが(苦笑)。
自然妊娠はいろんな意味で難しそうですが、排卵日ごろになると、そうは云ってもやっといたほうがいいのかなあという変なプレッシャーに襲われ、前クールのドラマ「奪い愛、冬」で水野美紀が、帰宅が遅い夫に対して「今日排卵日なのにいいい~!」と般若の形相で叫ぶシーンを思い出して、勝手に気が滅入っています。

 

ということで、この件は完全に吹っ切れたわけでもなく、さりとてなにか前進したわけでもないのですが、ひとつの区切りとして、書き残すことにした次第です。
次回は、もう少し軽い話題でお目にかかりましょう。

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2017年04月04日

不妊治療のあとさき3

テーマ:上京後

自暴自棄になってあと2つ残った卵を放棄するほどの無謀にもなれず、次の移植日まで大人しく薬を飲み続ける日々が再スタートしました。
「産む機械」という物議を醸した発言が昔あったけれど、今のわたしはまさに、自ら産む機械になろうとしているかのようです。
薬、薬、薬……1日3回も薬を飲む日が続くと、不妊は病気じゃないとか云うけれどやっぱり病気なんじゃないの? と思ってしまいます。

 

医者に云われたことを忠実に守っても、結果が出ないのが不妊治療の可笑しいところです。
2回目の移植にもあっけなく失敗し(科学流産ですらありませんでした)、残る胚盤胞もあと1つとなりました。
冷静になってみれば、体外受精の妊娠確率はせいぜい20~30%程度、はずれのほうが圧倒的に多い宝くじみたいなものなのですが、なまじ医療だけに、そして高額なだけに、外れれば少なからぬダメージを喰らいます。
毎回、残念な結果報告を受けた直後は、まるで最初から分かっていたかのように心の表面は静まり返っているのですが、しばらくすると急激な嘔吐の如き勢いで、沼底のほうから得体の知れない衝動が湧いてきます。
このたびは、セカンドオピニオンが聞きたくて不妊ルームというところに光の速さで無料相談メールを送り、ふだんなら見向きもしない情報商材系のメールマガジンにまで登録しました。不妊治療関連の新たな電子書籍を購入することも忘れません。
不妊ルームからは、まずはクリニックまで来てみては? という返信が来たのみでした。若干鼻白みながらも、まあ無料相談じゃそうなるか……と、カウンセリングに行くことも考えましたが、すでにホットヨガにも通えていない現状で、電車を乗り継いで新たなクリニックに足を向けるのもそれなりに気合が必要です。

 

そして、汚物となった感情の吐き出し先については、夫に吐いた場合のシミュレーションはすでに見えすぎているので今回はなんとか思いとどまったものの、口蓋を閉め切ることができず、その矛先を父に向けてしまいました(それでもさすがに仕事では微塵も出ませんが……社畜万歳だね)。
わたしは、こともあろうに、次のような主旨のメールを父に送ったのでした。
「この先、夫が子どもに恵まれないのも気の毒なので、離婚して、子どもの産める女性と再婚してほしいと思っています。そもそもの人生設計を誤ったわたしがバカでした」
30代をいろんな意味で浪費したわたしの偽りない心ではありましたが、正直ならなんでも許されるわけではなく、果たして、父はかなりショックを受けていました。そりゃそうです、結婚式からまだ半年も経っていないというのに、いきなり離婚を云い出すなんて、気でも狂ったか!
しかも、人生設計を間違えたなどと云ったために、「お母さんが早く死んで、あんたたちには好きなことをさせてやろうと思った結果がこれか。ちゃんと線路を引いてやれなかったことが悔やまれます」と、父に余計な反省をさせることになってしまいました。
こんなことを老いた親に云わせるわたしは、つくづく罪深い。こんなしょうもない人間に成り果てたという意味では親の後悔にも一理あるけれど、人生設計は決して親のせいではなく、わたしが選んだ末にこうなっているのです。似たような、もっとブラック度の高めの業界で働く弟は、家も建てて3人の子どもをもうけ、いっぱしの大人として生きているのですから。


と同時に、わたしも所詮は、世間で云われている幸福のかたちに自分を合わせようとしているだけなんだな、ということが分かって脱力するのでした。家、仕事、結婚、子ども……ここまで生きていてわたしが欲しかったものって、結局それだったのか? それらがわたしにとって、いったいなんだというんだよ? そんなものに縋らないと、生きている意味がないのか?
いや、そもそも、命や人生に意味を求めるのが間違っているんじゃないのか? わたしが子どもを産めないのは、ただの生理現象に過ぎず、わたしが生きていることすらもただ心臓が停止していないからで、別に意味はないんだろう。

 

不妊で子どもを作れない自分を否定し、価値のない人間だと思うことは、すべての不妊に悩む女性、いや選択して子を産まないと決めた女性たちまで否定しているようで、そこまで思い至って、やっと少し、冷静になります。
例えば、いちばん身近なのは、子どものころから可愛がってくれた叔母夫婦。祖母が未だに、叔母のことを「あの子になんで子がおらんのやろなあ、かわいそうになあ」と嘆くのを見るたびに、わたしはいたたまれない気持ちになります。不妊がわが身に降りかかってきた今となってはなおのことです。
叔母のことをかわいそうだなんて云いたくない。子どもがいないから不幸だと決めつけたくない。でも、叔母も、自ら産まない選択をしたのではなく、子どもが欲しかったけれどできなかったのです。昔のことだからどのくらいのレベルのものかは分かりませんが、病院にも通っていたと聞きました。切なる希望が叶わなかったとすれば、やっぱりそれは不幸なのだという気もしてきます。
現に今、欲しくてもできないわたしは明らかに暗い気持ちになっていて、その気持ちは即座に自分を否定してかかることに繋がるのです。どんなことであれ、「できなかった」という結果は、それを一生覆せないなら余計に、人の心を曇らせてしまうものだと思います。そして、誰のせいにもできないから、自分を責めるしかない。誰に云われたわけでもないのに、私は価値がないと審判を下したくなる。

 

どうしてこんなに暗い森に迷い込んでしまったのか。計画的に人生を歩まず、自らの性に無頓着に生きてきた罰なのか。そんなふうに思いたくないけれど、特にどこといって健康に問題があるわけではないわたしには、それがまだしも納得できる理由です。
「年だからさ。」(再びシャアの声で)
夫は夫で、なんとか自分にも悪いところを見つけようと思うのか、「結婚をずっと先延ばしにしていたせいで、こんなことになってごめん」などと云います。
でもそれって、わたしがそこまでして結婚したいとも思えない人間だったからでしょうし、なんだかさらに夫が哀れというか、こんなカスと結婚することになってほんとうにかわいそう……などと思い始め、気がつけばまた同じ思考地点に帰っているのでした。
自分を責めても、他人を責めても、待っている結果はロクでもないとわかっているのに。ロクでもないことに対しては、どんな対処法が正解なのかな。ロクでもないから避けるというのも違うような気もする。ロクでもなくても、この悲しさをなかったことにはできない自分がいる。人生になのか、世の中になのか、刻みつけずにはおれない。なんでだろ~なんでだろう(泣)。

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2017年03月21日

不妊治療のあとさき2

テーマ:上京後

移植が失敗したあと、順調に事も無げに生理はやってきて、次はまた採卵からやり直しということになりました。
しかし、この月(7月)はなんと、自身の結婚式というイベントがあり、どうも採卵予定日とばっちりかぶりそうという運の無さ。家族だけのイベントとはいえ、さすがに半年前から決まっていた結婚式をずらすわけにはいくまいて……。

 

さて、話は少し前後しますが、判定日で撃沈した後、わたしは目にも止まらぬ早さで、友人がそこに通って妊娠できたという某鍼灸院に予約を入れました。
そこで云われたのは、「ああ、この体じゃ妊娠はできないよ~」
先生曰く、卵は半年前のコンディションで決まってくるから、最低でも3カ月は通わないと卵のコンディションは改善されないとのことでした。
ホルモン値がよければいいというものでもないんだよ、とも云われました。まあわたしは、ホルモン値が特にいいわけでもないんですが……。
しかし、そんなに自信満々に「妊娠できない」と云われても、具体的になぜできないのか説明があるわけでもないので、今いち腑に落ちません。
このときはまだ生理が来ていなかったので、「生理が来たらまた変わるかもしれないけどね」と云われ、何が何やらわかりませんがとりあえず落ち込んで、帰路についたのでした。

 

さらに、春ごろに久しぶりに会った同い年の友人が、7年不妊治療したという大先輩(無事に出産)だということがわかり、そのうちご飯でもと云っていたのを早急にアポを入れました。
春に会ったときはゆっくり話す時間もなかったのですが、いったいどんな気持ちで、どうやって乗り越えてきたのか、教えてほしかった。でもまだ、そのころは自分の気持ちにも余裕があったのです。友人にも「とりあえず胚盤胞になってるなら希望あるよ!」と云われ、タカをくくっていたところがありました。
しかし移植に失敗して、わたしは心の拠り所をなくしていました。経験者である友人、わたし以上に苦しんだであろう先輩に、具体的な指針を得たいという切実な気持ちが瞬く間に溢れてきました。
すでに出産して子どももすくすく育っている友人は、不妊治療はひととおりなんでもやったというだけあって、1冊くらい本を書けそうなほど熟知していました。
結局のところは、あきらめずに採卵と移植を繰り返したことなのでしょうが、成功した周期でなにか思い当たることがあるとすれば、ホットヨガに週3回くらい通うようになったことだとか。
「鍼も漢方もやってみたけど、わたしにはあんまり効果が感じられなかった。でも、運動すると単純に体も気持ちもすっきりするし、それがよかったのかもね~」
なるほど……。わたしは毎日自転車通勤していることですっかり運動している気になっていましたが、聞けば自転車なんてウオーキングの10分の1くらいの運動量しか無いらしいしなあ……。

 

8月になり、採卵に向けて粛々と病院に通う日々が続きました。
ところが今度は、またしてもホルモン値がうまく上がらずに採卵予定日がずれ、難航した末やっとのことで決まった撮影日と重なるという事態に……!!!
今さら撮影はずらせない、しかしまた採卵を見送るのもつらい……。会議で移植を見送ったことはいまだに後悔しているのです。
わたしは、無い頭をフル回転させて、うまいこと撮影を抜け採卵し、再び現場に戻るプランを緻密に立てました。その撮影には、広告主が絡んでいるため、その人たちが来るまでには絶対に戻らないといけない。しかし、さいわい物撮りだし、セッティング中なら、カメラマンさんと調整して抜けられないこともない。さすがに最初から不在にはできないけれど、頭だけ立ち会って、しばし抜け、広告主が来る前に戻る。さいわい、スタジオは渋谷で、病院が表参道。自転車を爆走させれば行けないことはない。
カメラマンさんのご厚意(と云ってもさすがに病院のことは話していませんが)により、わたしはまんまとこのプランを遂行することができました。そして、採卵結果もこれまでで最高の10個! 採卵日がずれた際に、すかさず鍼灸治療を入れたのもプラスに働いたのかもしれません。むしろ卵が採れすぎて多嚢胞性卵巣症候群の疑いがあると云われたくらいです。

 

しかし、それで生半可に喜ぶことはできません。すぐに試練がやって来ます。
採卵の翌日、翌々日、そして5日後に卵の経過を確認する電話を入れるのですが、これがもうほんとうにつらいイベントです。
だいたい、10個採れたって、どんどん脱落していくのです。まず受精できない、受精しても分割できない、分割しても止まってしまう……。そして誰もいなくなった……というね!
ところが、このたびは、なんと4つが胚盤胞になりました。電話口でしばし呆然としたほどの好結果に、わたしは、もし妊娠できたらあのときのカメラマンさんに真っ先にお礼を云おう! と迷惑な決意を固めました。

そして、その勢いのまま同周期で移植を試みましたが、ホルモン値(エストロゲン)が低く、あっけなく見送りになりました。
またホルモン値ですか!なんだよ、もう閉経が近いのかよ……??
 

わたしは、現在の自然周期から、ホルモン補充周期(薬でホルモン値をコントロールする方法)に切り替えることに抵抗がありました。

薬を毎日規則正しく飲み続けられるかどうかにも不安がありましたが、もし妊娠したら2カ月間、5日おきに病院に通わなければならず、その日は1日もずらすことができないという厳しさを何よりも心配していました。ただでさえ不規則な仕事で、今だって必死で調整しているのに、2カ月間も縛られるなんて……。あとは、投薬によってまた治療代が跳ね上がることも懸念材料でした。
しかし、自然周期ではホルモン値が上がるかどうかもわからず、移植日の当日まで移植できるかどうかわからない、値が上がらなければ見送りという不安定さは明らかにデメリットではあります。

 

9月は、夏休みを取ってフィリピンに行くことにしたので、移植は見送りました。
またそんなことで! と叱責されそうですが、見送った周期は、精神的にはとても楽なのです。まあ薬は毎日飲まねばなりませんが……。
その代わりというわけでもないですが、ホットヨガを始めることにしました。もう、溺れる者は藁をも摑む典型的な行動です。鍼灸は結局、月に3回程度通ったものの、場所が微妙に遠いのと、体が変わったともなんとも云われないままただただ通う曖昧さに疲れ、フェイドアウトすることに……。
そして翌月、自然周期かホルモン補充周期かを決める日がやってきました。わたしはまたも例の友人にアドバイスを請いました。
彼女はさすがに7年も治療して結果を出しただけあって、云うことがいちいち理に適っています。
曰く、「5日おきは確かにたいへんだけど、その時点ではもう妊娠しているわけだから、妊婦として堂々と病院に行けばいいと思うよ。それに2カ月前にあらかじめ通院日が分かっているなら、仕事の調整もかえってしやすいんじゃない?」
そうか、確かにそうだ……。今までは、不妊治療というあやふやな内容の病院通いにどこか後ろめたさみたいなものを感じていたけれど、晴れて妊娠すれば正々堂々、通院してよいのではないか。それに、2カ月も先の予定はさすがに仕事のことだって決まっていないのだから、治療に合わせて予定を立てていけばいいではないか。

 

それでも、いざ次の周期が始まる際は、ギリギリまで躊躇っていました。
最終的にホルモン補充周期を選択することにしたのは、自然周期との値段の差はかかっても1周期で3万円くらいだということが分かったからでした。
いや、冷静に考えたら3万円でもそれなりの出費なんですけど、この治療をしていると、金銭感覚は完全に狂ってきますので、ああ、それくらいなら、ギリギリまでホルモン値に振り回されるリスクを避けるために払っても許せるか……と考えてしまうのでした。
この月は引っ越しもあり、またフィリピンで患った風邪が長引いて心身ともにかなり参りましたが、病院で「どうしますか?」と選択を迫られた結果、半ばやけくそで「(ホルモン補充周期を)やります!」と答えたのでした。
移植までの道のりは、まず生理2日目に通院し、そこから「ジュリナ」という薬を、8時、16時、24時という決まった時間に飲みます。特に仕事中の16時などは忘れる可能性大なので、1日3回アラームをセット。どうか込み入った仕事のときに鳴りませんように……と祈るばかりです。
さらに、「エストラーナ」という腹に貼るテープを渡され、1日置きに張り替えます。1枚が直径3cmくらいあるピップエレキバンのようなテープを、8枚も貼らねばなりません。それも、1日置きに、右→左→右→…とはがす順番も決まっているのです。嗚呼めんどくさい、そして痒い! それもこれも、更年期の予習だとでも思えばいいんでしょうか……。

 

移植の段になって、4つあった胚盤胞の1つがひっそり死んでいたことが分かりました。
この件において悲しまない心を長らく育ててきたわたしにとって、胚盤胞とはスーパーマリオの1機くらいの感覚でしかなく、命がなくなったという重みはありません。ただ、シンプルに「もったいない……」と思うばかりです。
採卵もさして痛くはないですが、移植に至っては当日安静にする必要もなく、まあちょっと大げさな注射を打ちに行くようなものです。この日も移植後すぐ、会社に戻りました。
そして、ここからはまた新しい薬を処方され、毎日飲みます。人生でこんなに薬漬けになった期間があったでしょうか……。
移植も2回目なので、前回のように判定日までのわずかな体調の変化を“兆候”と捉えて検索魔に陥ることは控えました。

 

判定日は折しも、入籍した日でした。
いい報告ができたらなあ……と少しは期待もしながら、午前中の撮影と午後のイベントの合間を縫って病院へ。いつものように採血して2時間近く待った結果、「着床はしたようだけど化学流産ですね」。
はい残念、また次回~♪ ……とは別に云われていないけれど、どこかからそんな声が聞こえてきたような。せっかくホルモン補充周期に変えたのに、結果これかよと、悲しみよりも激しい徒労感に襲われました。
夫には帰宅するまで黙っておこうと思いながらも耐え切れず、LINEで結果を事務的に報告すると、「落ち込んでないか心配」というごく当たり前の返信。いや、落ち込んでるよ……落ち込んでるけど……。
夫の反応は極めてノーマルなのに、そこでなぜか火がついて錯乱状態になってしまうのが、わたしの人格破綻者たるゆえんです。
「落ち込んでないよ!元気元気!」と返信し、ふざけたスタンプを10連発くらい送ったあげく「生命力のないやつは死んで当然♪」「妊娠してから流産するよりは、早めに死んでくれて助かりました」とまで書き送ったのでした。
夫からは、「仕事も治療も、苦しそうな姿を見ているとつらい気持ちになる。昔の野ぎくちゃんに戻ってほしい」と返信が来て、確かにそれらは夫を悲しませてまでやることなのか、いや待て、夫のためにわたしは生きているのか、むしろ夫がわたしの人生のよすがならわたしはただ、笑顔で生活費を稼いでくればいいのか……などとまた詮無いことをぐるぐる考えましたが、病院の後は夜遅くまで仕事があり、実際は落ち込んでいる余裕もありませんでした。
そういう時間の無さが体を蝕んでいるのか、考える暇も与えられないことで救われているのか、ただただすべてが間違っているのか……。

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2017年02月10日

Instagramで「かわいいもの」始めました♪

テーマ:かわいいもの
80歳を越えて突如Instagramで“かわいい”を発信し始めた黒柳徹子さんに倣い…というわけでもないですが、このブログで不定期にアップしていた「かわいいもの」シリーズを、Instagramで再スタートすることにしました。
 
半ば仕事の入り用でアカウントだけ作ることになって、たま~に気が向いたらアップしていましたが、今いちInstagramの活用どころが分からず、放置しておりました。だって、他人の楽しそうなアルバムを眺めていたら空しくなるし、まして自分でアップするとなったら旅以外では特に写真に残したいものもなく、なによりInstagramはおしゃれさを求められている気がして敬遠していたのです。
最近になってようやく、古着屋さんや好きなお店のフォローをしてカタログ感覚で活用するようになり、そうかこうやって使えば便利じゃんと思っていたところ、買い物と云えば長年サボっていた「かわいいもの」(散財の記録)をここでやればいいのではないかと思い立った次第です。
やっぱり、写真向き、テキスト向きのコンテンツというのはありますね。Instagramに登録したてのころは、いったい写真だけで何を語れというのだよ、と疑問に思っていましたが、かわいいものシリーズは、むしろだらだら語らず写真だけで紹介すればよかったコンテンツだったのです(多分)。
 
ホームページに始まって、ブログ、Facebook、Twitter、そしてInstagram。次々に現れるネット上のサービスを、敢えて使わないということも含めて、どう使いこなすのか。
わたしの中では、プライオリティは未だにホームページにあるのですが、思いとは裏腹に更新頻度はほぼゼロベース。ブログも月1がやっとだし、Facebookは本名で登録してしまったので、主に現実世界でのたまの告知と、飲み会やバンド練習の連絡用。
Twitterにはあんまりテーマはなく、燈籠流しのように呟いておりましたが、ここ3年ほど過労に苛まれてつらいとか労働のない世界で暮らしたいとか書いていたら、友人から「最近の野ぎくちゃんはどうかしています。もうフォローを外そうかと思います」と、励ましとも怒りともつかぬメッセージを受け取り、以来どうも呟く手が止まってしまいました。いっそアカウントごと消そうかと思いましたが、最近はベーシック・インカム関係のツイッター論客の人たちがたいへん面白いので、専らそのROMにいそしんでおります。
 
そんな中で、Instagramはわたしにとって最も疎遠のサービスだったのですが、最近、かわいいものを上げ始めたらテンションも上がってきて(笑)、珍しく毎日アップしています。トルソーに、今日は何を着せようかなと考えるのも楽しい。毎晩、寝る前に着せ替えして、朝、出勤前に光の入る場所で撮影するというのが日課になりつつあります(但しまだ4日目)。
写真の加工は若干めんどくさいですけど、ブログに上げていたようなプレーンな写真は、Instagramで見ると、どうにも色褪せて見えるという不思議。
ただ、かわいいもの専門だと写真が追いつかないので、旅っぽい写真もちょいちょい織り交ぜようと思っています。昨年、フィリピンでデジタルカメラが水没して以来、iPhoneでしか写真を撮らなく(撮れなく)なったので、そういう写真もたまっていますし…。
 
Facebook、Twitter、Instagramはすべて連動できますが、それぞれに適した文脈があり、単にシェアすればいいというものでもないな、と思います。
わたしには、Facebookがいちばん中途半端で、Twitterは短文テキスト(写真は見づらい)、Instagramは写真(テキストはあんまり読まない)、長文は結局ブログってことになりそうです。
 
ということで、一部、「かわいいもの」を楽しみにしてくださっていた皆さまには、ぜひ、Instagramにも足を運んでいただけたらさいわいです☆
なんとか3日坊主の3日は越えられたので、しばらくはアグレッシブに更新したいと思います(で、ブログは…?)。
 
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2017年01月09日

不妊治療のあとさき1

テーマ:上京後

本件のブログは、1回目の胚盤胞に失敗したところで更新が止まっておりますが(なんと3月!…サボりすぎやろ)、治療自体はその後も粛々と続いていました。
さすがにその間は、いろんなことがあったのですが、更新しようと思って途中まで書いたブログも結局アップしないまま、ついに年まで改まってしまいました。いったい、わたしの時間軸はどうなっているのでしょうか。。。
しかし、自分の気持ちを清算する意味でも、一度ここらで気力を振り絞りたいと思います。

 

1回目の失敗の後、わたしは大人しく治療を続けることにして、2回目採卵→4つ受精卵→1つ胚盤胞まで進みました。
1回目よりは一歩だけ、前進です。胚盤胞1つというのはあまりに心許なく、グレードもBCといって決してよくもなかったのですが……。ついでに精子も凍結して、もう夫が病院に来なくてもいいようにしました。この日程の件で険悪になるのがいちいちストレスになるからです。
本来なら、その周期に胚盤胞を戻す(移植する)はずでしたが、あいにく数カ月前から友人との旅行を決めてしまっており、移植は見送って凍結することになりました。たかが旅行などで延期するわたしには、まだ真剣さが足りないのかもしれません。しかし、後で聞けば、凍結胚のほうが着床率が高い(一周期、子宮を休ませるため)ということだったので、まあ結果オーライなのかなと、そのときは思っていました。
ところが次の周期、移植日までは順調に決まったところで、急にその時間に会議が入ったのです。せめて1日、いや午前か夕方にでも、いや30分でもずれていれば移植に行けたのに!!!病院にかけあってみても、その時間に帰れるとは断言できないので、今回は見送った方がいいのではと云われました。旅行で見送ったと思ったら、今度はまた、たかが会議で!しかし、ちょうど新しいチームに臨時で入って最初の合同会議だったため、社畜のわたしはずらしてほしいと云えなかったのです。

 

さらに、見送った次の周期は、生理3日目がゴールデンウィークにかかって病院に行けず、12日目に来院というイレギュラーなスケジュールを取ったせいか、いや、移植判定日の朝まで働いて(校了日だったのです)徹夜で血液検査を受けたせいか、ホルモン値が足りなくて移植は見送りになりました。
「(GWに休んで薬を飲まなかったから)あなたの自力ではホルモン値が上がらないということがわかりました」と淡々と告げられ、その言葉はわたしの脳内では「お前の卵巣はもう死んでいる」と翻訳されました。
この移植日というのがまた、早朝から来院して、血液検査をして、その結果によって午後移植するか否かが決まるという、ほんとうに労働者を振り回すスケジューリングなのです。
この日は、血液を採った後、1時間半も待合室の背もたれのない椅子で、睡魔と戦いながら待機したあげくこの結果となり、帰り道は思わず人生をやめたくなりましたが、おとなしく帰宅して布団に倒れ込みました。

 

そして翌月、ようやく初の移植を行うことになりました。
と云っても、この周期も前途多難でした。まず、前月の仕事のストレスが過大すぎたのか、排卵日が大幅に遅れました。わたしは年齢のせいで黄体機能不全気味みたいですが、生理周期はわりと規則的なのです。それがなかなか卵胞が大きくならず、そのせいで病院の検査も通常より多く行かねばならなくなり、「ちっ、また余計な金が……」といらついておりました。採卵や移植ではもっと大金がかかっていますが、小悪が大悪を隠すがごとく、小さい金額の方がなぜか気になってしまうのが、いかにも貧乏人のセコい性という感じです。
そもそも今期は排卵しない可能性もあると云われ、もはや妊娠どころか体がボロボロになっているのでは……と落ち込みましたが、幸か不幸か次の来院でホルモン値が上がって排卵しました。生理から20日も経って排卵など、ここ何年もなかったのにな……いよいよ閉経に近づいているのかもしれないと思うと、徒労感が募るばかりですが、まずはよかった。

排卵日(と思われる日)から5日後が、移植日になりました。
何とか仕事もゆるい日に当たってホッとしたのもつかの間、朝の血液検査でのホルモン値が、前回ほどは低くないにしても、微妙なラインだと告げられました。
このくらいの数値の場合、他の人はどうしているんですか?と尋ねると、移植を見送る人もいれば踏み切る人もいるとのこと。しかし、踏み切って着床できたとしても、その後2カ月間は、なんと5日おきに来院してホルモンを補充しないと妊娠が継続できない可能性が高いとのこと。
ど ん だ け 茨 の 道 な ん で す か……!!!
でも、ここで見送ったとして、また同じ薬を繰り返して飲んで(薬は変えないと云われました)、ホルモン値が変わるという保証もない。そのうえ、1カ月後は1カ月分老いることは確実なわけで、それなら少しでも若いうちにやった方がいいのかも……。
「じゃあ、やります」半ばやけくそでした。だって、今日の午後なら会議とかいきなり入らないし。と、もはや目の前のことしか考えられないわたし。

 

凍結卵を解凍する際に、卵がダメになることもたまにあるみたいですが、その関門はクリアできました。
移植は、採卵とほぼ同じく無痛でした(この点、こちらの先生は凄腕だと云われているのも納得です)。それより、採卵の時もそうでしたが、消毒をグリグリつっこまれる方がよほど苦痛でした(この点は凄腕ではないんでしょうか……)。
移植は難なく終わって仕事に戻りましたが、業務がゆるやかな日だったので、つい検索魔になってしまいました。何か症状や兆候はあるのか、このホルモン値でも無事に着床した人はいるのか、着床した後も病院に通い続けている人はいるのか……。しばらく読むこともなかった不妊治療のブログも久しぶりに読み漁って、希望を持てたり、絶望したり。

判定日まで1週間、1日3回、決まった時間に飲む薬が3錠。そして朝昼夜に膣につっこむ膣剤。これらが本当に面倒でした。
飲む薬の方はアラームを鳴らして、膣剤はトイレに行くタイミングで持ち込んで、毎回綱渡りするような気持ちで服用していました。
膣剤はタンポンと同じアプリケーター形式のもので、特別痛いわけでもないのですが、1日3回もこんなものを膣につっこまねばならない(しかも勤務時間中に!)という手間が精神的苦痛でありました。そのうえ、後から後から紙粘土のような白いかすが出てきて、おい、全部流れて来てるんとちゃうの?!と心配になるくらい……。おりものシートは必須ですと云われた理由がよく分かりました。

 

胚盤胞まで行ったということは、それなりに生命力のある卵のはず。というか、ここまでかかった手間とお金を考えたら、せめて着床くらいはクリアしてくれないと報われない。
でも、確率論で見れば、高度不妊治療なんて云っても、50%も成功していないわけで……。冷静に考えたら、大したクソゲーです。大金払って、得られるものは精神的苦痛だけとかね!いくらわたしがM体質でも、全然、1ミクロンも楽しいと思えません。

判定日の前日、友人たちと食事に行ったのですが、わたしが治療していることを知っている人に(まあこんなに大々的に書いてるもんな……)、その後どう?と尋ねられ、思わず、明日判定日なんですよ~と答えてしまいました。帰り際、がんばってな!と云われて、もうがんばることないですけどねと笑って別れた時には、妙に清々しい気分でした。
翌朝、最後の薬も飲み終わって、病院へ。血液を採って1時間半後、診察室に呼ばれました。渡された紙に記されていたのは、hcg0.1という数値。
「残念ながら、着床はしていませんでした」
はい。としか云えませんでした。卵の力が弱かったんですね。はい。次はまた生理3日目に来てください。はい。何か聞きたいことはありますか? いえ、大丈夫です。

 

こうして、初めての移植はあっけなく終わりました。
移植が終わった日、後で改めてカレンダーを見たら、その”着床後5日ごとの来院”日に、自分の結婚式が見事にぶち当たっていて、慌てて病院に電話して「この日はどうしても行けなくて……」などと悲愴な声で伝えたことも、今となっては笑ってしまいます。杞憂杞憂杞憂すべて杞憂!!!

悲しんでも1円の得にもならないし。自分を余計に傷つけるだけだし。別にわたしが悪いんじゃないし。これからできることを考えた方がいいし。だから、悲しむことも自暴自棄になることも禁止。
……と云いつつも、しばらく頭がぼーっとして、まただらだら検索魔になりかけていましたが、仕事が立て込んでいたのでそれどころではなくなりました。
仕事のおかげで忘れられる。仕事しているからお金も出せる。でも、仕事のせいでストレスが溜まって、ロクでもない卵しか産卵できないのかもしれない。だとしたら、わたしがほんとうにやるべきことって何なの??

これまでのさまざまな言動や傾向から、わたしは今後、夫とは妊娠・治療・子どもについて、聞かれない限り話さないというスタンスを取ることに決めていましたが、どうしても自分の胸中だけに収めるのが苦しく、こうしてブログを書いて吐き出すにも時間がかかるので、とりあえずメールで最低限の報告だけはしました。
今後のことはまた近々話し合おうという返信が来たので(別居しているので、すぐには話せないのでした)、あまりせっつかないことにし、この件についての愚痴も一切メール・電話はしないと決意を新たにしました。別に夫は、世間一般と比べて特別冷たい反応をしているわけでもないのですが、そして仲もいい方ではありますが、これだけはどうしても、永遠に分かり合えないんじゃないかと思えてきます。

 

徹底的に合理主義、現実主義になる。それしかこの治療を続ける方法はない。
治療は助成金が下りる回数まで(今年はあと2回)。失敗が続くなら転院も考える(仕事しながら今より遠い病院に通い続ける自信がないのですが……)。鍼や漢方、サプリ、代替療法なども面倒がらず試してみる(これは合理的ではないか?)。愚痴はブログ以外では吐かない。過去は振り返らず、未来も心配しない。不妊治療の先輩の話を直接聞く。間違っても「奇跡の妊娠」とかで検索しない。
文字に起こすと頭も多少整理されてくるけれど、ふとした瞬間に、導火線に着火したかのように呪詛と怨念が脳内を支配する。些細なことを思い出して悔しくなったり、自分はやっぱり生きている価値がないと思ったり……。
わたしが最初に不妊治療の話をブログに書いた頃、二人目不妊だという友人からメッセージが来て、お互い慰め合いのやりとりをしていたけれど、気がついたら彼女はとっくに妊娠して出産していたこととか。
数年前、妊婦の友人に「おなかさわると妊娠菌がうつるらしいよ~」なんて云われて素直にさわったりしたものでしたが、今はもう恥辱プレイ以外のなにものでもないと思ったりとか(笑)。
地震の話題になった時、子持ちの人に「野ぎくさんはいいわね~守るものがなくって」とさらっと云われたこととか。
昔、「才能のない人間は繁殖要員なんだからさっさと結婚して子ども作った方がいい」と、まあこれは名指しで云われたわけじゃないけど今さら思い出して心に刺さったりとか(才能も繁殖能力もない場合は死んだ方がいいですか?)。
…って、こんなことにいちいち反応していたら、いわゆる”不妊様”の典型じゃないか…まさに負のスパイラル!
子どもができたって、大して可愛がれる自信もないのにね。夜泣きだ保育園の申し込みだで悩まされたら、それまでの苦労も忘れて「子どもなんか産まなきゃよかった」とか平気で云いそうだし。そんな女のところに、赤ちゃんも来たくないよね……まだ新居すら構えてないしね……。
ただ、このような精神論もきっと妊娠の可否とは関係なくて、単に「BBAだからさ」(シャアの声でお願いします)としか云いようがないのが切ない限りです。

 

次回に続きます。

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2016年12月14日

初恋芸人~青春のハリガネロック

テーマ:偏愛

どうも、生きてます。お久しぶりです。
未だかつてないほど更新していないのは、仕事のほうで時間も気力も絞り尽くされて、ブログなど書いている余裕がないというのが最たる理由ですが……そうやって遠ざかると、ますます距離ができてしまいますね。わざわざ閉鎖宣言するほどのブログでもないけれど、もはや半永久的に休眠状態でいることになんの呵責も抱かなくなっております。

 

そんな中、突如このエントリーをアップした理由は、ユウキロックの本『芸人迷子』を読んだからです(久々にログインしたら、アメブロの仕様、だいぶ変わってるやんけっ!)。
少し前から関西出身の友人がお笑いにはまり、ちょくちょくライブに誘われるようになり、「M-1」の観覧も申し込んでくれ!と頼まれ(流石に外れました)……という流れから、M-1を久々に見、いやー今回は白熱してたなあとネットのM-1評を漁っているうちにたどり着いたのが、ユウキロックのコラムでした。M-1評も的確でしたが、何よりわたしの目を引いたのは、もうすぐ新刊が出るというニュースでした。
何故なら、かつて……わたしがいちばんお笑いに夢中になった時期に、いちばん好きだった芸人がハリガネロック、というかユウキロックだからです。彼は、わたしにとって“芸人に恋する”という意味での、初恋の人でした。

 

高校生から大学生、社会人にかけてくらいの間、「爆笑BOOING」「すんげー!Best10」「マジっすか?」「吉本超合金」など深夜に放送されていた若手芸人のお笑い番組を欠かさず見ていました。見始めのころの二大スターは千原兄弟とジャリズムで、特にジャリズムのボケであった現在の桂三度は明らかに天才でしたし、山下しげのりのツッコミも冴えわたっていました。まだ陣内智則がリミテッドとして活動しており、最も面白くないコンビと揶揄されていた時代です。大学生になってからは時々、心斎橋二丁目劇場のライブも見に行きました。確か「すんげー!Best10」の公開録画なんかがあって、友達と帰りの出待ちの人ごみに混じったりもしました。
忘れてはならないのが、今も放送が続く「オールザッツ漫才」、関西人必修の年末特番です。初めて見たのはたぶん94年か95年で、リットン調査団の強烈な記憶しかありません。途中の大喜利コーナーで、「新しい体位を考える」というお題で水野透が「岬めぐり」「仏壇返し」と回答していたのが未だに脳裏にこびりついています。
96年にはシャンプーハットがまさに彗星の如く現れて優勝をかっさらいました。シャンプーハットは結局、関西ローカルに留まっていますが、ルックスはいいしネタは面白いしで、全国で売れてもまったくおかしくないコンビでした。その時のコンビとネタを全解説したレポートが「月刊タルワキ」というミニコミ誌に掲載されていて、ずっと大切に取ってあります。フットボールアワー結成前に岩尾望と後藤輝基がそれぞれ組んでいた「ドレス」と「後藤・天満(後にエレキグラム)」がたいそうシュールなネタをやっていた記録もしっかり残っています。

 

閑話休題。振り返り出すと止まらなくなってしまいました。
関西で生まれ育った人間には、それぞれの“お笑い史”があると思います。わたしは、幼少期からどっぷりというわけでも、ダウンタウンを神と崇めていたわけでもありませんでしたが、自分の人生を時代的な何かに結び付けて振り返るとき、全国的な芸能や音楽、サブカルチャーなどよりお笑いの方がよほど指針になります。
さて、ネタ番組を見漁っていたころは、単純に面白いコンビはみんな好きという、大雑把なお笑い好きでした。それが、ユウキロック(個人的にはユウキロックというよりも松口祐樹のほうがしっくり来るのですが、それはさておき)という1人の芸人に夢中になり、この人のファンであると自覚し、ほとんど恋するような気持ちで好きになったのは、いったいどういう心の作用だったのか……。
怒りから昇華された笑いこそ至高だとわたしは思っています。当時のハリガネロックの漫才にはそれが漲っていました。貧乏とかモテないといった自身のコンプレックスから来る怒り、はたまたイチャコラしているカップルのような世のスタンダートというものに対する怒り。とにかくユウキロックは怒っていて、その怒りのエンジンが漫才に素晴らしい疾走感とキレ味を与えていました。それに応える相方の大上邦博は怒りとは程遠いようなのほほんキャラだったけれど、エアバッグのように軽やかに、ユウキロックを受け止めていました。
加えて、上昇気流に乗っている芸人特有のオーラと色気がありました。暑苦しいほどの野心と気迫が、一歩間違えればウザくなりそうなギリギリのカッコよさを生み出していました。それは、著書の中で何度も書いているように、漫才に人生を賭けている熱量の表れだったのだと思います。
目が離れていて意地悪そうなユウキロックの顔は好みというわけではなかったけれど、文句垂れの毒吐きキャラにはとても合っていて、いい男に見えました。ネタの最後に「センキュー!」と吠えて去るあのフリを思い出すと、恋の死骸を掘り起こしてしまったような狂おしい気持ちになります。
わたしの恋心(?)は2001年くらいがピークでした。旅に出る前、彼にひと目会えないものかと、若手芸人が通うという居酒屋に足を運んだこともありましたっけね……。怠惰でお金もなかったので追っかけをするには至りませんでしたが、2ちゃんねるのハリガネロックスレを目を血走らせながら読み漁って、彼女情報などが出るたびに一喜一憂していました。ああ、恋のゾンビが蘇るよ……。
2002年の3月に外国に旅立ってしまったため、そこからはユウキロックのこともほとんど考える暇もなく、さすがに3年以上も外国にいると忘れてしまいました。でも、外国をほっつき歩いている間にハリガネロックは長い低迷期に入り、久しぶりにユウキロックをテレビで見たのは、「アメトーーク!」の家電芸人企画でした。

 

そんなことを走馬灯のように思い出しながら、本を読みました。
ベイブルース、みのなが、水玉れっぷう隊、2丁拳銃、ストリーク、ビッキーズ……懐かしい芸人さんたちの名前がたくさん出てきて、この人たちと自分は何の面識も関わりもないはずなのに、その行く末を思って胸が締めつけられました。
低迷するハリガネロックを目の当たりにしなかったことは幸せだったのかもしれません。だって、M-1で準優勝したころ、関西にいたわたしにとって、彼らは間違いなく売れっ子芸人でした。居酒屋でうっかり会えるなんて思う方が間違っている、スターだったのです。わたしは中川家も好きでしたので優勝に異存はありませんでしたし、ハリガネロックは準優勝でも充分に存在感をアピールできたと思っていました。その後、ほどなくして「爆笑オンエアバトル」でのチャンピオンになりましたが、わたしはその頃にはもう旅先にいたので、本当の頂点をリアルタイムで見ることなく今に至っています。
東京に進出して失速した原因は、本にもいろいろ書いていたけれど、とうにファンを離れたわたしには判断のしようもありません。ただ、うっすらと思ったのは、M-1で準優勝だったことが、予想以上に後の活動に大きく影を落としてしまったのかも……ということでした。

 

本では、相方の大上くん(と昔は呼んでいたのでそう書こう)についてもわりと赤裸々に言及されていましたが、予想外ということもなく、確かに大上くんはそういうキャラなんだろうなと思いました。ユウキロックが以前コンビを組んでいたケンドーコバヤシのような強さや個性はないのです。だからこそユウキロックはケンコバではなく大上くんを選び、それがオンバトの頃までは功を奏してもいたのですが、現在のケンコバの立ち位置を見るにつけ、いろんな“If”を、運命の皮肉を、ボタンの掛け違いを考えてしまいます。前述のシャンプーハットのように、関西でそれなりの地位を築き、活動していくこともできたでしょうが、ハリガネロックはそれをよしとしなかった。そして長い低迷の末、解散に至った。そのことを、往年のファンだったわたしは、今さらながらに噛みしめ、心をざわつかせています。
大上くんは家庭を持っていたので、一時は3つもバイトを掛け持ちしていたと書いてあり、低迷期の苦しさがひしひしと伝わってきました。ずっと売れていなかったならともかく、一発屋でもなく、地道にメジャーへの道を進んでいたからこそ、そのエピソードは切実な悲しみを帯びています。
華やかな世界の光と影。ユウキロックが影の側に回るなんて当時は思ってもみなかった。でも、アグレッシブなキャラクターの裏にあった弱さや自信の無さを知って、それでもやっぱりお笑いの世界で生きていこうともがく姿を知って、昔の旅路で、辛くても、惨めでも、つまらなくても、誰にも必要とされなくても生きるんだと決めたときのことを思い出しました。

そして、あの頃、ギラギラしていたユウキロックに胸を焦がしたのと同じくらい、年を取ってコンビを解散し、人生を模索する彼の姿にも、なんだか堪らないような狂おしい気持ちになってしまうのでした。

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2016年06月14日

わたしと服飾についての小話

テーマ:かわいいもの
1つ前の号の「SWITCH」は小泉今日子特集で、表紙では、赤いジャージを着たキョンキョンが原宿のどこかをバックに立っていました。
わたしはキョンキョンに対してそれほど思い入れはないのだけど、キョンキョンが原宿というキーワードと結びついたとたん、特別な存在にメタモルフォーゼしてしまい、気がつけば本を抱えてレジに向かっていました。思えば、数年前に発売された『原宿百景』というタイトルの、「SWITCH」でのキョンキョンの連載をまとめた単行本も持っているわたくしです。
「SWITCH」では、スタイリストの伊賀大介氏によるひと言コメントがついていて、キョンキョンって、アイドルで女優で、文章も評価されたりしているけれど、実は最高にファッションの人なんだわ!と、なんだか感動を以て納得したのでした。モデルでもない、若くもない、身長も小さいのに、本当に何でも似合ってしまう。ミルク、シアタープロダクツ、メルシーボクー、キャンディーストリッパーでさえも、キョンキョンが着ればまったく痛くないのであります。容貌がいいからってのは大前提としても、40を越えてもさらっと原宿ファッションを着こなす神業……。ちなみに、今回のグラビアでキョンキョンが着ていたミントデザインズ×フレッドペリーのワンピースは、実はわたしも持っております。
同じころに発売された「MEKURU」のキョンキョン特集の方が売れているっぽかったけど、わたしにとっては、ファッションの人としてのキョンキョン、そして原宿を舞台にした「SWITCH」の特集の方が、遙かに重要で、興味をそそられます。
原宿とキョンキョンと云えば、昔、旅仲間と原宿の「大炊宴」で飲んでいたとき、友達が「窓際の席、キョンキョンがいるよ」と小声で囁いてきて、度肝を抜かれたことを思い出します。わたしの席からはとても見づらかったのですが、無理して振り返ってみると、確かにキョンキョンが座っていました。あまりにも普通に連れの男性と談笑していて(恋人という感じではなかったです)しかしやっぱりキョンキョンであるという事実に、胸がざわざわしたのを今も覚えています。

……閑話休題。キョンキョンの話が長くなってしまいました(実はわたしはファンなのだろうか)
「かわいいもの」シリーズと称した爆買いコーナーが、いつの間にかふっつりと途絶えているのはわたしの生活や精神になにか大きな変化でもあったのだろうか? 不妊治療のために貯蓄の鬼と化しているのだろうか? などと思っていた読者の皆さま。安心してください、まったくそんなことはありません(泣)。
単に写真を撮って記事を書いてアップする余裕がないだけで、かわいいもの(主に服飾)道楽は今もなお、続いております。いや、続けちゃいけないだろう! と思うけれど、もはやこれは宿痾……。アルコール中毒者は病院に送られますが、幸か不幸か、かわいいもの中毒者は病人とは見なされないどころか資本主義社会にとってはいいカモなので、野に放たれたまま、病を抱えて生きているのです。

今勤めているの会社の面接を受けたとき、部署の上長から「もし入社されることになったら、服装は変えていただく必要があるかもしれませんね」と、あくまでもやわらかい物言いで、しかしはっきりと云われました。
そして、転職した年は、その言葉が象徴するように服装の自由との戦いになりました(冬の時代)。
最初の頃は自分なりに気を遣って、手持ちの服の中でもなるべく地味なものを選びに選び、その後、新たに買う服も全面ドーナツプリントとかではなく胸のあたりにさらっとMILKのロゴのみ、しかしパフスリーブでちょっぴり主張する程度に留める日々が続きました。Jane Marpleなんかは上のラインのドン・ル・サロンになると大人っぽいものも多いので、これからはこっちの路線にするか……と、自分の中で折り合いをつけようとしていました。
それでもつい、自分らしさ(爆)がちょいちょい顔を出してしまい、耳元にチェリーをぶら下げたり、靴下にイチゴをくっつけたりしているうちに、当局、いや当時の上司からがっちり睨まれ、後から聞いた話では「またあんな服を着て!」と裏でかなり怒られていたようです。いや、裏だけでなく表立って「そんな靴で、○○○○(某高級ブランド)の展示会に来ないでくれる!?」と注意を受けたこともありました。ちなみにこの靴というのは、VOPPER TOKYOの黒い厚底靴で、黒の無地、別珍素材で、わたしの持っている靴の中では比較的シンプルな方なのですが……そんな説明は通用しません。まあ、その後○○○○で見たコレクションは、無地の厚底よりよっぽどぶっ飛んだカラー&デザインの靴がずらりと並んでいたのですがね。

一時は、自分の能面みたいなビジュアルを生かせそうな、シンプル&ユニセックス路線に走ろうかと思いつめたこともありました。それはそれで、悪くないと思いつつも、これまで買い続けてきた好きな服といきなり決別するのは、貧乏根性がしみついていることもあり、身を切るような試練です。
しかし翌年、GUCCIのクリティブディレクターが変わったことで、風向きが変わりました。先輩社員から「今季のグッチ、すごく好きそうな世界観よ!」と興奮気味に云われ、見てみればなるほど、KEITA MARUYAMAを髣髴とさせるガーリッシュなお花や自然のモチーフに、リボンやフリルやレースが多用され、ロリータテイストすら漂わせるコレクション。もしや、ついにフリフリの時代が来ましたか?!
それ以上に、皆さんの目が慣れてきたのでしょう、わたしが自主規制していた服も、おそるおそる解禁してみると、一瞬刮目されはするものの、それほど大騒ぎされなくなりました。それどころか、一部の人たちには楽しみにされ、ついには会社の公式インスタにまで上がってしまったことも……(はわわ)。
まあ別におしゃれな人ということではなく、半分道化みたいな感じなんだと思いますがね……。これで調子こいていたらまた思わぬ落とし穴にはまりそうですが、怒られて委縮しているよりは100倍幸せです。


わたしにとって、やっぱり服、というか、好きな服を着るという行為は、自由の象徴なのです。誰かのために着る服じゃなく、ただ自分のために、自分が好きな服を着る。
一般的に見れば、わたしはMILKを始めとするかわいい服が似合うタイプの容貌ではありません。まして、もうすぐ30代が終わろうとしている昨今など、半ば冗談で云っていた「ミルクを着た妖怪」というホラーは、日々現実化しつつあります。
しかし、あまりにしつこくこれらの服を着ていたがために、もはや、似合わないだの年甲斐もないだのという真っ当な指摘をする人もいませんし、むしろわたしのアイデンティティと一体化しつつあります。
そこに固執するあまり、物理的および金銭的にはとても不自由しているのがなんとも云えず複雑な気分ですが、精神的な意味での自由を支えてくれているのは、やっぱり服飾なのです(あとは旅への思い)。

ちなみに、僕が人生で一番服にお金をかけてたのは、人生で一番貧乏な時でした。逆に言えば、金持ちだから服にお金をかけれるってのは、所詮、服なんかあまり好きじゃないってことでしょう。渇いてる時に求めるものこそ。満たされてる時に与えたいものこそ。

これは、KEISUKE KANDAのデザイナー、神田恵介さんのツイート。まるでわたしを擁護してくれるかのような(笑)。
わたしがいつか、ほんものの自由(ってなんだろ?)を手に入れたら、服飾で武装する必要はなくなるのかもしれません。でも、社会のなかで、せめて心だけでも自由でいたいと思うとき、わたしはどうしても、かわいいものを買って装着せずにはいられないのです。
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2016年04月14日

労働なき世界

テーマ:上京後
年間の80%くらい、あー休みたい……としみじみ、切に思っています。
自分では、比較的頑張れると踏んで選んだ職業ではありますけれども、実はまったく向いていない、いやそもそも、働くこと自体向いていないのかもと思うことが、多々あります。

そんなときに、仕事のことを真剣に考え、わたしの努力が、能力が足りないんだ、わああああもう役に立たないから死んだほうがいいですかねみたいなドツボにはまらないための、処方箋的な本を、今回はご紹介してみたいと思います。
働かないで食べていく系の本はいろいろとありますが、大半は、投資や資産運用やアフィリエイトで途方もない貯金を築いてから(或いは、自動的に稼げるしくみを作ってから)アーリーリタイア、という道筋を提示しています。怪しげな情報商材とかもそうですね。
しかし、そういうのは結局、会社には雇われなくても働かないといけませんし、努力も才覚も必要ですから、やはり選ばれし人しかできないわけです。
ところが下記の本は、純粋に”働かない”ことを追求・推奨するという点で、アーリーリタイア系の本とは根本的に違います。まあ、これはこれで難しいのかもしれませんが、社会的に無能な人間にとっては、いっそ働かないという選択肢もあるのだと思うことで、とりあえず自爆を思いとどまるくらいの勇気は涌いてくるってものです。まあ、共感する人の方が少なそうなので、今回はいつにも増して、横目で読んで下されば。

新宿の「模索舎」は、家から自転車で行けることもあって、予定のない週末にはよく行っています。小さなお店の存続を願う身としては、最低1冊を購入して帰ろうという気構えがあるのですが、あまりに興味深い商品ラインナップなので、予定外の冊数になることもしばしばです。
そんな模索舎で、昨年見つけたのが、栗原康さんの『はたらかないで、たらふく食べたい』。まるでわたしの心境を露出したかのようなタイトルに、かわいらしい装丁も相まって、即決購入でした。
栗原さんは、いま気鋭の、そしてイケメン学者として売り出し中(?)の政治学者です。と云ってもその実態は、30代半ば、非常勤講師、年金暮らしの両親と同居。年収は10万円。月9ドラマ「デート」の高等遊民・長谷川博己を地でいくような人となりなのです。わたしはあの高等遊民に少なからず共感を抱いていたので、当然この栗原さんにも同じように、いやむしろ実在の人物なので余計にシンパシーを感じたのでした(とは云え、仮にも先生であり、本まで出せている人なのでドラマの高等遊民とイコールにしたら怒られそうですが……)。

現代人は働かないでぶらぶらしていることに、ある種の罪悪感を覚えるようしっかり刷り込まれているので、彼のように堂々と、「キリギリスとして生きて何が悪い!」と宣言する言説は、聞く気にさえなれないのではないでしょうか。甘ったれるな、子どもかお前は、社会人として不真面目だ……いくらでも批判できそうです。第一、こんな考えがメジャーになっては、社会が成り立ちませんしね!
……でも、so what? 社会を成り立たせるためにわたしは生まれてきたのでしょうか? 社会の側から見ればそうだとしても、わたしの側から見ればそれはとるに足らないことであり、社会のために生まれてきたなんて思ったら、人生がますます寂しいものになりそうです。人として立派である、という幻想のために、自分を押し殺して我慢して働くことが美徳とされている世界。その世界の一助を担ぐことに人生を捧げているなんて、ああ、今こうして言葉にしただけで、空しさの靄に包まれます(苦笑)。
これはベーシックインカムの是非とも関わってくるのですけど、労働と、賃金=生存のためのリソースが結びついているということが、人間を激しく不自由に縛っていると思います。生存にまったく必要のない服飾(精神的武装という意味では生存にも関わってくるけれども)で散財しているわたしが云っても何の説得力もないものの、生存だけでも保障されていたら、身を粉にして働く必要もないのにな、疲れたら1年くらい休めるのにな、自分のために時間を使えるのにな、って。
彼の論説を、幼稚な戯言だとせせら笑ったところで、わたしも含め大多数の人間に、根深い病理としての奴隷根性があることは認めざるを得ないと思います。
「生の負債化」と彼は説きます。あらかじめ負わされる、労働や結婚、納税、道徳といった、特に理由も分からずに、とにかく生きていくうえでせねばならないこととして認識されているこれらを、栗原さんはばっさりと解体します。

「これがおもしろいとおもってわれをわすれ、なにかに夢中になってのめりこんだ経験のないひとなんているのだろうか。あとは、それがやましいことだとおもわなければいいだけのことだ」
「なんの負い目も感じずに、好きなことをやってしまえばいい」
自由ってどういうことなのか? 労働に人生を食い潰されていると思うとき、それでもやっぱり働かねばならない、という主旨のどこかで聞いたことのあるような説教を読むよりもずっと、精神がラクになります。
また、一遍上人、高野長英、本居宜長、大杉栄といった歴史上の人物から、少しずつそのノウハウを抽出しつつ、時代を飛び回り、縦横無尽に放談が進むので、じつにドライブ感あふれる読書体験でした。
栗原さんは専門がアナーキズム研究ということで、大杉栄の評伝『大杉栄伝・永遠のアナキズム』も上梓しています。これがまた面白く、それまで興味のなかった「大逆事件」周辺のことを知るよいきっかけになりました。金子光晴御大といい、大正時代はぶっ飛んだ文化人が多数輩出されていますね。そして、つい最近出たばかりの新刊は、大杉栄のパートナー、伊藤野枝の評伝! これも早く読まねばなりますまい。

発売当初、近所の大型書店の新刊コーナーでたまたま目にし、興味を引かれて買いました。
軽い読み物ではありますが、金を稼いでからアーリーリタイアを推奨する本とは違い、ほとんど稼がずにリタイア……いや、“隠居”した男性の実録という貴重な本。しかも、まだ20代!20代本といったら、『20代でしておきたい17のこと』やら『20代で年収の9割は決まる』やら、将来への不安を煽るタイトルが多い中、隠居とは実に痛快です。
もう5年くらい隠居しているそうです。東京郊外(多摩)のアパートに住み、週2回介護施設で働いて、月に7万円台の生活費(家賃などすべて含む)で暮らす。数字だけで見れば、完全に低所得者層になるわけですが……。
本に関するインタビューで、「(自由時間には)どのようなことをしているんですか?」という質問に、「掃除、洗濯、散歩、読書、料理、長風呂、メールチェック、食材の買出し、公園で日向ぼっこ、食べられる野草を摘みに行く……(以下略)」と答える著者の大原扁理さん。その清々しい回答には、低所得者にありそうな惨めさはなく、むしろ、なんて優雅で人間らしい生活なのかと羨ましくなります。
しかも、食材はオーガニックの野菜や玄米、全粒粉パンなど、安かろう悪かろうではないチョイス。そこに無料の野草が加わったりして、質素ながら体によさそうな食生活です。
ゲイの男性なので、この先、家庭や子どもといった問題からはある程度、自由ではあるのかもしれません。普通に子どものいる家庭を望んでいる人間には難しい部分もあるとは思いつつ、それでも、彼の生活のどこが間違っているのかと云われたら、何も間違っていなくて、むしろこれが正しい人の営み、“生活”なんじゃないかと思える。半年くらいは働かなくて済む貯蓄もあるみたいで、ちゃんと堅実さも兼ね備えています。
大原さんはアメブロでブログを書いているので、しっかり読者登録して、時々「いいね!」を押しています(笑)。のんびりと楽しそうに生きていて、完全なる超俗というわけでもない人間味もあって、心が洗われます。
隠居は、完全なる世捨て人ではなく、社会とたまに関わる、そのくらいのスタンスはなんとも心地よさそうです。


資本主義の範疇で自由を求めるのか、資本主義の外で自由になるのか? わたしは後者に強く惹かれながらも、前者の姿勢で生きていて、ストレスを感じるのはそのせいなのかもしれません。
でも、お金を使うことも好きだからなあ……。かのショーペンハウアー先生も、著書では孤独と禁欲を説きながら、実生活では名声や金銭や女を貪欲に求めていたそうですから、なかなかそうした快楽と手を切ることは難しそうですね。ただでさえ、あれを買えこれを買え、これがあると幸せだぞ、と世の中はけしかけてくるのですから。
……となると結局、投資込みのリタイアになっちゃうわけで。そろそろもう、細かい物品においては、だいたい欲しいものは揃ったと思うんですけどねえ…。
それにしても、こんな逸材(しかもほとんど社会と接していない!)にアクセスして本を出させた編集者はすごいです。


著者のume_ponさんとは、共通の友達が何人かいるので、薄く知り合いという感じですが、ここ数年のツイッターの論客ぶりには目を見張ります。政治的な問題が気になったとき、わりと真っ先に彼の立ち位置をチェックしています(笑)。
今は、この本よりもさらに思想が発展していると思いますが、根本的な部分は変わっていないはず。
大量の恵方巻が捨てられ、定期的に断捨離せねばならないほど物に囲まれ、空き家は増える一方。そんなに物が余っているのに、雇用は安定せず、子どもの6人に1人が貧困という世の中は、何かが著しく歪んでいないでしょうか? わたしは、街を歩きながらいつも思うのです、「高級マンションが次から次にバンバン建ってるけど、いったい誰が住めてるの?」と。ベーシックインカムの話になると、決まって財源はどこから?という議論になりますが、少なくとも物資は確実に余っているはず。直近では、パナマ文書によって、富もけっこう有り余っていることが分かったようですし……。
ume_ponさんは、あり余る富と物資を、雇用を媒介せずに、再分配というかたちで広く行き渡らせることを主張しています。貧困に陥っている子どもがいるのに恵方巻を廃棄するのも、まだ使えそうなものをゴミとして捨てるのも、空き家が増えているのにピカピカの高級マンションをバンバン建てるのもすべて、雇用を介して富を分配しようとするから起こる歪み。富と物資を、無駄なく分配することで、今の社会にある不幸の大半は解決すると云ったら云い過ぎでしょうか。
わたしは、能力のない人間は食えなくて当然、自己責任、何なら死ねばいいと思っていそうな世の中の“優秀な”人たちに対して、わたしは能力のない側の人間として、常に相容れないものを感じています。弱肉強食は自然界の掟、人間とて同じという考え方は単純で分かりやすいけれど、じゃあ何のためにここまで社会制度が構築されてきたのでしょうか。別に、徒競走でみんなで手をつないでゴールする必要もないけれど、何も生存まで脅かさなくても、と思います。
「雇用なしに富を与えたら、誰も働かなくなる」という反論が当然出てくるわけですが(生活保護に対する批判と同じく)、人工知能のイノベーションが進めば、人間はますます雇用にあぶれるはず。いや、前向きに云えば、働かなくてもよくなるわけです。まさに、「働かないで、たらふく食べられる」日が来るかもしれない。
しかし、現実はというと、世の中が加速度的に便利になって、いろんな手間や時間が短縮されているはずなのに、週休3日にはならないし、2週間の休みも許されないし、残業も休日出勤もなくなりません。労働という形で、人は本当に幸せになれるのでしょうか。


日本一有名なニート、いや、もう35歳を過ぎたのでニートとは呼ばれないようですが、phaさんの最新刊。処女作の『ニートの歩き方』は未読なのですが、二作目の『持たない幸福論』より、新刊はより整理されて読みやすかったです。
phaさんと云えば、懐かしい「世界一周バイヤー」にもエントリーされていましたっけね……。お会いする機会はありませんでしたが。
本編以上に、冒頭のインパクトが大でした。「10年後や20年後も食いっぱぐれがない仕事を見つけないといけない」「仕事をがんばるだけじゃなくて家庭のことも両立しないといけない」「健康のためにはもっと野菜を食べなきゃ、もっと運動もしなきゃ」「1日は24時間しかないのだからもっと時間を有効に使わなければダメだ」……といった、無数の“しなきゃいけないこと”が書き連ねられた見開きページ。わたしもそうだけど、現代人の頭の中って、きっとこんな感じなんだろうなあと、激しく頷きました。
これは、働かないというテーマとはずれる本ですし、読んでいるというより、お守り代わりに持っているような感じです。もう古い古い本なので、ここに書かれている内容の大半は今の時代にそぐわないですが、“失踪という手段”を覚えておこうという意味で、わたしにとっては有用な本です。
旅が終わって再就職してからというもの、ある日突然いなくなろうかな……というやや危ない妄想にずっと取りつかれています。もちろん、いつもいつもというわけではありませんが、つらくてどうしようもないなら失踪すればいい……そんな考えが、常に心のどこかにあります。結婚したばかりでそんなことを云うわたしはどうかしていますかね(汗)。
友達から聞いた話ですが、とある会社に勤めていた編集者が、ある日、PCをたたき壊して行方知れずになったとか……。これを聞いて、社会人としては「会社の備品を壊して失そうするなんて最低だ」と感想を抱くべきなのですが、わたしはどこか、痛快にさえ感じてしまうのです。

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2016年03月28日

俺は絶対不妊治療に向いてない(下)

テーマ:上京後

採卵日までは中1日、初日は点鼻薬を打ち、2日目は6時間ごとに3回、座薬を入れるという義務が課せられます。これは、早まって排卵してしまわないための対策で、うっかり忘れたりすると採卵できないこともあるらしい。
座薬は勤務中に入れねばならないため(なんかイヤだな~)、ポーチに保冷剤を入れて保管し(座薬は溶けやすいのです)、時間になったらトイレで注入。さいわい、外出予定のない日だったので何とかなる……はずだったのですが、2回目、夕方の座薬を入れ忘れたことに、夜になって気がつくという大失態を犯してしまいました。
病院に電話するにも、すでに閉院後。もはやどうしようもありません。3回目の座薬は何とか入れたものの、こんなケアレスミスで採卵できなくなったら、ほんとうに自分を殺したくなる……。


翌朝は8時15分にクリニックへ。旦那さんも採精の必要があるので同行していただきました。
こちらのクリニックは、無麻酔での採卵です。説明会で聞いていたので今さらビビってもしょうがないのですが、卵巣に針を刺すという行為が果たしてどれくらい痛いものなのか、まったく想像がつきません。
採卵に呼ばれるまでは、治療服に着替えて、トイレを済ませて、ベッドで待機。カーテンで仕切られていますが、お隣のベッドには、もう一人、採卵の人がいました。
採卵室では、わたしも含めて全員がケーキ屋さんのようなヘアキャップをかぶっていて、なんだか人体実験にでも赴くような気分になりました。
ベッドに寝て、子宮を消毒。いつもながらこの、子宮に何かをグリグリ突っ込まれるのが痛いというか、不快というかで、早く終わんないかなと思います。
わたしは、最近自分のなかでよく唱えているまじないとも祈りともつかない言葉を心の中で繰り返し、ただひたすら一連の作業が終わるのを待ちました。
しかし、肝心の採卵は、いったいいつ採卵されたのかよく分からないほど、あっけないものでした。後で思い出したのは、説明会の時に聞いた、「技術があるので他のクリニックより細い針(注射針くらい)を使うことができるから、一般的な採卵よりは痛くないはず」という話。某KLCから独立した先生の技術は、伊達じゃないということでしょうか。


結局、採卵できたのは1個だけでした。
これは座薬忘れのせいなのか何なのか分かりませんが、わたしは採卵できない可能性も考えていたので、まあ採れただけよしとしよう……という、かなり謙虚な気持ちでした。
旦那さんも無事に採精できたようで、10時半頃にはクリニックを出ることができました。
採卵日は1日安静に、と云われていましたが、全く痛くもなければ体に違和感もなかったので、そのままご飯を食べに行きました。しかも、その日の夜も飲み会があり、懸念はしつつも至って普通の体調だったため、しっかり参加。お酒はさすがに控えましたが、食欲もいつも通りでしたので、家で臥せってないで、来てよかった!と思いました(笑)。
ただ、出席者の中には自然妊娠でもうすぐ双子が産まれるという年上の友人がいて、テーブルはその話でもちきりになり、いったいわたしとの差は何なのだろう……と、しばしば物思いに沈みそうになりましたがね。


採卵が終わったとて、それはごくわずかな歩みに過ぎず、妊娠のスタートラインにすら立てていないというのが現実です。ここから毎日のように、受精確認、分割確認、そして胚盤胞確認と電話を入れなければなりません。本当に心臓に悪い行為です。
翌日の受精確認、翌々日の分割確認は無事に終わりました。あとは採卵から5日後の胚盤胞確認。ここを乗り越えれば、「アメリカ横断ウルトラクイズ」に例えると、アメリカ大陸に着陸したということになるでしょうか。いや、単に成田を出発できただけのことでしょうか。
これからいったい、どれだけ障害物を越えていかないといけないのでしょう? ホルモン調整、採卵、受精、分割、培養、移植、着床、妊娠、継続……数メートルごとにいちいち問題が出されて、1問でも不正解だったら、容赦なく帰国ですよ。クイズと違って、伊達や酔狂でやっているわけではないので、正直楽しくもありません。


果たして……5日目の朝の電話で、受精卵が5分割で止まったことを告げられました。
5日目で胚盤胞になっていなければ、その周期で移植することはできません。今は分割が止まっているけれど7日目まで培養して育てば凍結しますと云われた時点で、わたしは完全に自暴自棄になっていました。
「そんな卵、さっさと廃棄してくれや!」「こんな腐れマ●コも、もう要らねえし!」などと、ナチスの将校もびっくりぽんの優生思想が地獄の底から沸々と涌き上がり、仮にも己の体から出てきた受精卵に対しても「もう死ねばいいよ」と軽々云えるくらい、すべてを破壊し尽くしたい衝動がごうごう燃え盛ってわたしの心を焼き尽くします。年を取って少しはマシになったかと思ったけれど、やっぱわたしの本性って、所詮これか……。
すでにさわるものみな傷つけるギザギザハート状態でしたが、社畜なので仕事だけは冷静に遂行しました。仕事は基本的にやりたくないけれど、このときだけは、仕事があってよかったと思えました。


そして……7日目の朝の確認。ほとんど絶望しながらも、一縷の望みをかけずにはいられませんでしたが、結局分かったのは、正式に失敗したということでした。アメリカ妊娠ウルトラクイズにおいては、成田を飛び立つことすら叶わなかったようです。
別居している旦那さんは側にいないのでどこにもぶつける場所がなく、悲しませるだけと分かっていながらも父に電話してしまいました。父はてっきり、結婚式の準備の進捗の問い合わせかと思ったらしく、ひとしきりその話を続け、わたしももう、何事もなかったように電話を切ろうかと思いましたが、父の声を聞いていると居てもたってもいられず、洗いざらいぶちまけて案の定困惑させ、「こんなとき、男親しかおらんで悪いな」などと云わせて、文字通りの泥沼に頭から突っ込んでいました。
さらには、「結婚式のことお父さんから聞いたよ、おめでとう」とLINEを送ってきた伯母に対しても、「不妊治療がうまくいかなくて結婚式どころじゃないです、そんなことより養子縁組のことでも考えたいです」などと返事を書く始末です。我ながら、よくそんなこと書けるよな……。
伯母は母の妹で、結婚はしていますが子どもがいません。そして、詳しく聞いたことはないけれど、かつて不妊治療をしていたようです。分かってほしいという甘えがあったのは否めません。でも、こんなふうに不妊治療がうまくいかない自分を貶めることは、即ち伯母を否定していることになりはしないのか。祖母は今でも、「あの子もかわいそうに…子どもがおらんでなあ」とつぶやいたりすることがあります。そんなこと云うなよと理性では思うけれど、伯母と同じ境遇になるかもしれない自分を激しく否定しているということは、結局、伯母をかわいそうだと思っていることに他ならないのではないか。引いては、産めない女性すべてに対して……。


それにしても……何なんでしょうか、この治療って。
高いお金を払って、時間を削って、心身にダメージを受けて(わたし自身は、体の方はそんなに感じていませんが)、自分だけでなく、周りもみんな不幸にして。
旦那さんに八つ当たりする→旦那さんも嫌気がさしてくる→浮気を考える→浮気相手だと何故か一発で子どもができる→離婚……というシナリオが容易に浮かんできます。
このままだと、身内だけでは済まななくて、今はまだ大丈夫だけど、子どものいる友人すべてと会うのが死にたくなるほど苦痛になる日も、そう遠くないかもしれない。そして、子どもという子どもを憎みかねない。
不妊治療がうまくいかなくて自殺した人とかいるのかな? 子どもがほしい人が自分の命を傷つけるなんて完全にナンセンスだけど、別に子どもを生むために生きているわけじゃないけど、そのくらいのこと頭では分かるんだけど、心がついていかない。それくらいダメージが大きい。もちろん、自殺する勇気なんかない。でも、いっそのことすべてを捨てて行方不明になれないかな、くらいのことは思う。自殺しないまでも、治療が何度も失敗して、うつ病になる人はいるんじゃないのかな。
もうこれは、難病だとでも思ったほうがいっそ楽になるのかも? 特に悪いところもなく、それなりに健康体で生きてきた身としては、なかなか認めにくいですけどね……。


1回の失敗でこんなに落ち込むんじゃ、繰り返してダメだったら、どうなっちゃうんだろう。失敗にもそのうち慣れて、何も思わなくなるのかな。そのころには、貯金も底をついているだろうな。でも、クソがつくほどあきらめが悪いから、借金してでも続けようと思うのかな。
セックスしただけで無料で妊娠する人なんて、いくらでもこの世にはいるのに(なんという下品な記述w)、何でわたしはこんな目に遭うかな。まともに人生設計もせずにキリギリスみたいに好き勝手に生きてきた罰なのかな。でも、性的にはまったく奔放には生きてこなかったけどな……。
いっそのこと、すべてを諦めて、また旅にでも出られたらいいのに。望みの薄い治療にはたいたお金で、未踏の地・西アフリカや中央アジアやカリブ海の島々だって余裕で行けますって!
いつも会計の時は、「これは透明なお金なんだ」とか思って、見ないふりをしているけれど、冷静に考えたら、なんで高いお金を払ってこんな思いをしなきゃいけないのかと、ほんとうに何もかもがいやになります。金金金って、金の話ばっかしてるな、わたし……。
それでも、ネガティブの権化のようなわたしが、『ザ・シークレット』とか『マーフィーの成功法則』とかを今さら読んで、ちょっとくらいのことで落ち込まないように、自分を励ましてきたんだよ……。宇宙のカタログからたくさんプレゼントがあるはず、とか云って(笑)。
最初でダメなことなんて、よくある話なのかもしれない。でも、今後は今より確実に老いていくのに、続けても確率なんて上がるんだろうか?それこそ、宝くじを買うくらいの空しいギャンブルなんじゃないのだろうか?


この日の夜、旦那さんが横浜で仕事で、その帰りに中華街でご飯でも食べようよと誘われました。
旦那さんは旦那さんなりに気を遣ってくれているのは分かるのですが、わたしはそれこそ、動きたくないほどショックを受けており、その辺はあんまり理解されていないのかな……と思ってしまいました。ま、とりあえず美味いもんでも食べて忘れよーよ!みたいな明るいノリで来られると、え、これって旦那さんにとっては失恋した友達を慰めるくらいの他人事なのかしら?と疑心暗鬼になってしまうのでした(苦笑)。
世の中にはそもそも不妊治療に非協力的な夫というのもいるだろうし、平均的に見れば恵まれている方だとは思います。当事者感が薄いのは、男性全般に云えることなのかもしれないし、お金を出しているのがわたしだからというのもあるのかもしれません。気を遣って「次は出すよ」と云ってくれるのですが、金額見たら、きっと目玉が飛び出ると思う……。
そんなことを云いながら、結局、横浜まで出向きましたけどね(動けとるやんけ!)。たまたま通りかかった「横浜媽祖廟」の前に、子宝祈願の文字が出ていて、思わず線香とお守りまで買って神頼みしてしまいました。


実際のところ、子どもが欲しいという気持ちは、他の人よりずっと薄いと思うんです。ただもう、年齢のリミットに焦っているというだけで、相変わらず買い物好きだし、旅行はしたいし、子育てしながら今の仕事を続けられる自信は限りなくゼロに近いし……。正直、よくそんな気持ちで大枚はたけるよなあと、我ながら不思議です。
何せ、未だに旦那さんとの同居すら実現できていないふわふわした身ですから、子どもがやって来たら生活も人格も破綻すんじゃねーか?と、ふと冷静にもなります。
妊娠と不妊のことを意識するようになってから、ずっと、体と心が分裂しているような気がしています。それでも、体がすごいスピードで老いている以上(と書いているけど、実感はありません。ただ、卵巣機能が低下していると云われるからそうなんかいなと)、手をこまねいていることはできません。
今のわたしの年齢だと、合計6回まで、東京都の助成が受けられます(かかった金額の1/4くらい)。あきらめる決断をするひとつの目安はそこですが、6回というのは果たして、多いのでしょうか、少ないのでしょうか…。1回50万かかるとして、6回もやったら自動車1台は買えるし、世界3周くらいできるんじゃないですかね! 高い家賃を払えないから家探しも難航しているっていうのに、お金の使い方、大丈夫か!?
そもそも生殖能力が備わっていないというのなら、自然界の掟的にはさっさとあきらめるべきなのかも……。それならいっそ、身よりのない子どもを引き取って世話をするほうが、よっぽど意味があるような気もする。でも、それだって日本ではけっこうハードルが高いんですよね。まっ、わたしみたいな人間に預けるのは、かなり不安だけど!
それでも、あきらめの悪いわたしは、次の生理が来たらまたおとなしく病院に行くのです。膿んだ希望を抱いて……。

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