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2017年08月14日

悪所萌え

テーマ:東京秘境

『首都圏住みたくない街』がベストセラーになっているようです。
あの「東京Deep案内」の初の書籍ということで是が非でも読みたく購入したのですが、500ページもの大ボリュームでありながら、ページをめくる手が止まらず、久々に読書で夜更かしをしてしまいました。
あまりの口の悪さと偏見、差別すれすれの文章など、賛否両論あるのは分かるのですが、それを差っ引いてもじつに読み応えがあります。
 

「関東一下品な街」「文京区の面汚し」「空気みたいな駅」「ハードコアな貧民窟」「救いようのない暗黒街」「戦後の貧しさをいつまでも引きずったような町並み」「東急ブランド盲信者が住まう」「吉祥寺の下位互換の街」「非リア充は干からびて死ぬしかない街」(それぞれどこを指すかは本をお読みください)など、いちいち表現が酷いのですが、いちいち噴いてしまいます。
わざわざ言語化すると反感を買うけれど、多くの人が潜在的に抱いている偏見も含めて共通イメージは概ね合ってるんじゃないかと思うのです。何よりも、マイナー出版社の本でありながら爆売れしていることが、「やっぱみんなそう思ってたんじゃん」という十分な証左。この本における街や沿線のキャッチコピーで、クイズかるたとか作ったら面白そうです。


一方で、わたしはむしろ、ここで堂々ランクインしているような治安の悪い下品な街にこそ、興味をそそられます。
凶悪さや下品さは時として格好のネタになります。もっと云ってしまえば、笑いにさえ結びつきます。ヨハネスブルグを筆頭としたアフリカ都市部の伝説的な治安の悪さは、バックパッカーの間で長年語り草になっていますし、「クレイジージャーニー」だって丸山ゴンザレスさんのスラムレポートが大人気ではありませんか。
最近は、都内において、買い物以外でわざわざ週末に出かけたい場所もなかったのですが、久々に街歩きへの情熱が滾りました。悪所とはすなわち街の秘境(魔境とも云えますが)。さくら剛さん風に云えば「首都圏住みたくない街――でも本当は行きたいかも」つまり、逆説的に旅情を誘う本なのです。
なにもあからさまな悪所でなくても、例えば、どマイナーな街や駅なんていうプチネガティブ情報でも興味をそそられます。「なんも無さそうなそこに、なにがあるのか?」それだけでもう、旅する理由に値しますよね!

本編は、街ランキングに各沿線解説、バラック街ガイド、某宗教大学の学園祭レポートなどなど「東京Deep」ならではの攻めた読み物が満載ですが、巻末にある首都圏の駅を網羅したミニ辞典がまた秀逸で、某池田大作氏の出身地からウンコ煮込みおじさんの存在まで、一生知らなくても困らないプチ情報がてんこ盛り。改めて、大都会の光と影が作り出す万華鏡に驚くばかりです。

わたしが上京して最初に長く住んだ金町もランクインしていました。当時はそんなに酷いとも思わなかったのですが、今にしてみれば夜道もちょっと怖かったし(露出狂に遭ったこともあります)、駅前にはうっすらとしたうらぶれ感が漂っていました。下町というほどの味わいもなく、全体的にマイナー感のある街でしたが、住みやすいと感じてもいたのです。
それは、故郷の大阪府某市もまた昔から悪評高く、殺伐としたマイナータウンだったからかもしれません。近年、郵便局で口座変更の手続きに行った際、わたしの書類を見て「某市って…あの某市ですか」と局員が思わず呟いたことがありましたっけ。まあそんなイメージの街です。わたしの実家のあたりは特に凶悪というわけでもないのですが、妙にイメージが悪いので、『京阪神住みたくない街』というランキングがあったら間違いなくランクインしそうです。しかしそもそも京阪神はランクインしそうな街だらけなので、意外と圏外かもしれません……。

東京Deepの著者・逢坂まさよし氏は、「大阪市内の市営住宅が建ち並ぶ低所得者層の非常に多い地域」で生まれ育ったそうです。
曰く、「人間の出来不出来は育った環境に大きく左右される。(中略)だからDQN地域には住むな」。
“住みたくない街”育ちだからこそ、この本の説得力も増すというものです。どんなに街を口汚く(笑)罵っても、それは同じサイドからの物の見方であり、例えば、松本智津夫死刑囚がかつて偽薬を販売していた薬局のある街の写真が載っているのですが、そのなんとも云えぬ殺伐とした郊外感を、肌身で理解している感じが伝わってくるのは、わたしの錯覚でしょうか。
余談ながら、ちょっと似た系統にも見えるロードサイドカルチャーの第一人者・都築響一氏は、麹町生まれ&育ちだそうです(これまたこの本で知った豆知識)。どんなゲテモノをもポップカルチャーに昇華させる才能は、これまた育った環境の賜物であろうなと妙に納得しました。この違いを知らせたくて、わざわざ「麹町」の項目に都築響一情報を載せたのかなと邪推します。

 

前々から、素人女のくせに新地巡りに励んでいたことからも分かるよう、世間では悪所とされる場所に、時折、変態的に魅入られることがあります。
それは、下衆な旅人の好奇心、刺激を求める心によるところが大きく、常々、現代の秘境とはそういう場所にしかないと思ってもいるのですが、もう少しややこしく考えてみますと、こういうこともあるのかなと思いました。
わたしは、かわいいもの、美しいものなどを愛する一方で、それらからどうしようもなく排除されているという思いを拭えません(それは単純な被害妄想ではない、と思います)。で、持っていないから、ギリギリの財布から捻出してでも自分のものにするのですが、決して血肉にはならないのです。若い女子を金の力で我が物にするも、孤独と劣等感から逃れられない老年男の哀れにも似ているでしょうか……。つまりは、体現者ではなく、鑑賞者、いや傍観者であるしかない、決して当事者にはなれない悲しい存在なのです。
そんな自分を、使い古した布団のように暖かく包んでくれるのが、悪所なのかもしれません。古民家とかレトロ喫茶とか、そういう生ぬるいレベルではなく、もっと凄まじく鄙びて、救いようがないほど最果ての場所。そんな存在を知るだけで、自分も生きていてもいいんだ、と安心するのです。そこには、無意識に見下した感情があるのかもしれませんが、自覚の上ではむしろシンパシーと云ったほうがしっくりきます。
と云いながらも、暴力や犯罪が絡む本気の闇に、自ら進んで身を投じることはできませんし、悪所で暮らすのはメリットよりもデメリットの方が遙かに大きいでしょう。わたしとて、見るからに下品そうなヤカラが集団で、我が物顔で大騒ぎしている様子などを見ると、ほんとうに気分が悪くなります(何様w)。
しかし、少しの綻びも違いも許さないような選民意識が蔓延する世の中で、しぶとく生き残る悪所の存在は、安心感、そして勇気さえもたらしてくれるのです。「ザ・ノンフィクション」で、比較的救いようのない回を視聴した後のように……。

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2017年08月02日

後祭的旅人一問一答

テーマ:

「鉄は熱いうちに打て」…昔の人はいいことを云いました。
イベント直後の燻り感も、すっかり過去のこととなり、しぜんブログも放置…という、いつも通りの、悪い意味での自分らしさを発揮しておりますが、このままというのも後ろめたいので、続きを。でも今回で終わりです(汗)。

イベントで、想定されていた質問は多岐にわたっていたのですが、もちろんそれら全部に答える時間も必要もないことは承知のうえで、いちおう何が飛んできても回答できるように…と、簡単なメモを用意しておりました。
ということで、今回は、旅人一問一答と題して、もしこの質問が来ていたらこう答えていた、というのを列挙したいと思います。

①好きな国
会場の皆さんに配られたアンケートにも設問されていましたが、実際、これほどシンプルでありながら答えが難しい質問というのもないですね。
それでも、かつて長い旅を終えてから数年間は、必ずといっていいほどこの質問を受けていたので、いちおう用意せにゃなるまいて…と、しばらく使っていたのが「イエメン」という回答でした。あとはメキシコとかトルコとか、はたまたチベットと云ったこともあるかもしれません。
しかし、2017年夏現在、イエメンに代わる回答が編み出されたかというとそうでもなく、今回も頭を悩ませた結果、イエメンと書いた次第です。いったいベストオブ好きな国はどこにあるの!?
では逆に、嫌いな国は?と聞かれると、これまた今は特にないんですね…。当時はエチオピアやジンバブエ、インド、バングラデシュあたりを激しく恨んでいましたが(笑)、時の経過は偉大なもので、今ならもう1回行くのもやぶさかではないくらい。悪の権化みたいに云われているムガベ大統領も、藤永茂先生のブログを読んでから、ちょっと見方が変わったしなあ…。

②おすすめの国・都市
「好きな」は難しいけれど、例えば「かわいいものがいっぱいある」というような視点なら、まだ回答しやすいかも。今のところ、わたしの中でのかわいいのツートップは、メキシコとチェコですね。
メキシコは、死者の日に合わせて行ったので、ソノーラ市場の宗教&ガイコツグッズの充実度が半端なく、カラフルな墓飾り(って云うのか?)が満載だった強烈な記憶。とにかくメキシコのあれこれは、色使いがいい。カラフルで適度なキッチュ感。アートスクールのある街サン・ミゲール・デ・アジェンテは、いま写真を見返してもお店がハイレベルでした。サンクリストバル周辺の民族衣装もかわいい。チェコ(というかプラハ)は街そのものがファンタジックなおとぎの国の世界。

 

 ソノーラ広場にいた、独特の着こなしのおばさん。

③忘れじの料理
幸か不幸か、何を食べてもそれなりにおいしいと感じる雑な味覚の持ち主なのですが、おいしかったものは、
・エチオピアのアボカドジュース
・ラワールピンディのラグメン
・ベルギーで食べた生ガキ
いろいろと悲しい気分になったのは、
・キューバで食べたカサの夕飯
でした。白飯に極薄の豚肉が1枚だけ載っていたんですよね…。

 

 今思えばかなり贅沢なアボカド100%ジュース。

④絶景
アジア…エベレストやカイラスなどのヒマラヤ山系、アフガニスタンのバンデアミール湖、スリランカのシーギリヤ
ヨーロッパ=サントリーニ島
中近東=ワディ・ラム、サナア
アフリカ=サハラ砂漠、ビクトリア・フォールズ
南米=イースター島、レンソイス・マラニャンセス
中米=ポアス火山(今年の4月、63年ぶりに噴火して、湖の水がふっ飛んだというニュースが…;)

⑤人
何しろコミュ障気味なので、心温まる交流エピソードはわたしの弱点(笑)とも云うべきところ。それでも敢えて挙げるなら、中国・深圳で居候させてもらったMさん。今、どうしているのかな…生きているのかな…。

⑥笑わせてくれる国・モノ
国を上げて笑わせてくれるのは、インド、エチオピア。
すっかり有名になりましたが、ミャンマーやタイのド派手寺&地獄寺も、最高に脱力させてくれます。

⑦好きな航空会社
残念ながら、これは特にないんですよ…。イベントではこの質問だけ飛んできましたが(笑)。
だいたい、飛行機を選ぶ基準は、安さがすべて。リーマンパッカーになってからは、乗り継ぎのよさとかも考えるようになりましたけど、この航空会社じゃないと!というこだわりはゼロに等しいのです。初めての海外で乗ったシンガポール航空はたいへん快適だったけれど、それ以降は可もなく不可もなく。ただ、今年になって、ブリティッシュ・エアウェイズのエコノミー席に乗る機会があったのですが、その狭さにはけっこう驚きました。BAには勝手にいいイメージを持っていたので…。

⑧おすすめ旅ルート・スタイル・テーマ
ルートは、やっぱりアフリカ縦断一択ですかね。ウソです。
スタイルは、もうすっかりいい大人なんですけど、結局バックパッカーがいちばん気楽で、出張も帰省もすべてバックパックです(出張だと多少おしゃれ感を気にしつつも、やっぱりリュックなのです)。1週間以上だと、キャリー付きのバックパックを持って行って行きます。前の長旅が終わってからは、キャリー付きの、SOLO-TOURISTという、シブい国産メーカーのバックパックがお供です。
テーマは、昔から同じこと云っていますが、ありません!!もちろん、その時々のプチテーマはあるとしても(マレーシアでプラナカンの衣装&雑貨を買うとか、ギリシャで聖闘士星矢の舞台を訪ねるとか)、1つの旅に対して大きなテーマは無いのです。つまらない旅人ですみませんね!

⑨治安・怖かった話
旅人の9割がもっていると云われている、すべらない話ならぬ、危険エピソード。私の場合は、ジンバブエで強盗、インドで空き巣が2枚看板ですかね。だいぶ危険度は下がりますが、バングラデシュで深夜の覗きもなかなかの恐怖でした。あとは、闇両替も怖いですよね。結果大丈夫だったとしても、そこまでのプロセスが心臓に悪い。
一般に、治安が悪いとされる街では危険度も上がるわけですが、基本的に人が普通に住んでいる場所で、白昼堂々命の危険を感じるようなことはあまりないかと…。昨年、マニラの地図空白地帯・トンドにも行ってきましたが、さわりだけしか歩いていないこともあり、「歩いてるだけで殺されそう」なんて雰囲気はさすがになかったです。
一瞬ですが「死」が頭をよぎったのは、パキスタンのフンザで、ウルタル氷河のトレッキング中に酒を飲んで、呼吸困難になったときでした。
ベトナムの夜行バスで、後ろの席のイスラエル人にゲロを吐かれたときも怖かった、というかショックだったわ…。

⑩乗り物
地獄(凶悪)度合でいうと、エチオピアの全ての、チベット→ネパールまでの乗り合いバス、スーダンの列車が3強(3凶)。意外と楽しかったのは、寝床が持参のハンモックというアマゾンの船旅。

 

 半屋外状態ですが、不思議と不潔な感じはなかったアマゾン船。

⑪体を壊した話
ケニアで盲腸、ミャンマーで肺炎、ジンバブエで頭部炸裂(三大疾病話)。

⑫旅の必須アイテム・おすすめアイテム
Kindle paperwhite(ただしガイドブックは紙の本がおすすめ)
ハウジング(ダイビングには必須。水中写真はぜひ撮りたい!でもこないだのフィリピン旅行で部屋に忘れ、無理やりむき出しのカメラで潜ったら敢えなく水没。。。))
耳栓(音に敏感なので…でもつい忘れて後悔する)
コイルヒーター(長期の場合。湯が手軽に沸かせると幸せ度がアップ)
ウインドブレーカー(防水防雨そして軽量、山も行ける)
ぎょさん(昔は便所サンダルを持参していたが、ぎょさんは便所サンダルの丈夫さと、ビーチサンダルのかわいさを兼ね備えている)
大判のカラフルな布(未だに、ケニアで買ってメキシコで無くしたピンクの布の万能さを思い出しては胸が痛む)
芯なしトイレットペーパー(急なトイレ、ハンカチ代わり、手持ちの水で濡らせばウェットティッシュにも)
SASUKE(万能プラグ)

⑬〇〇ではこれを買ってくる
これはネタがない…あまり国をリピートしないので…。

⑭旅先へのおみやげ
ほとんど持って行かないけど、フリクションのボールペンは喜ばれそうな気がします。

⑮旅のモットー
まあこれも、旅のテーマと同じで特に決めてはいないのですが、自分の旅傾向としてあるのは次の3つ。

予約しない
1週間程度だとそうもいかないけれど、できることなら無予約・無計画で旅したい。これはネットの発達で、かえってやりやすくなったと思います。ギリギリまで決めなくても、ネット環境さえあれば、agodaとかでポチッとするだけで直前予約もできますしね。

写真は多ければ多いほどよい(むしろ撮りまくる)
心に焼き付けたはずの画像は、デジタルデータよりも早く風化します。大部分は後で見返さない可能性が高いけれど、荷物になるものでなし(フィルム時代は荷物になりました)、無いよりはあったほうがいいと思います。

民族衣装を着る
コスプレを楽しみつつ、現地へのリスペクトも示せる優れもの。

⑯宿・ホテル
ハンガリーのテレサハウス。初沈没宿。
最近だと、フィリピンのソルソゴンで泊まった、世界的建築家ミロ・ナバルが設計した「シアーマホテル」。今のレートで1泊約10,000円。シックだけど高級感溢れる美しいホテル。これで10,000円だったらだいぶ得した気分になれます。

⑱旅テクニック
庶民(ふつうの市民)に混ざる
いざとなったら泣く(決しておすすめはしません)
洗濯はシャワーとともに行う
目立たず、しかし堂々と歩く(昔、歩き方ですぐ日本人だと分かったと、日本人の在住者に云われたことがあり、以後気をつけているつもりです)

⑲トイレ
これまで最低だったトイレは、1999年の中国・昆明駅前のトイレ。あまりの臭気に鼻のみならず、目が潰れそうになった(空気が黄色かった)。2004年時点でも、中国の田舎のトイレは涙なしには入れなかったところも…。

⑳クリーン
今まで泊まったなかでいちばん清潔で高級な宿は、タイの「チバソム」(もちろんビジネストリップ)。今まで乗ったなかでいちばん清潔で高級な乗り物は、チバソムまでのリムジン(3時間も乗った)。

21)美容
今は分かりませんが、化粧水という商品は諸外国にはなかったですね。あるとしたら韓国・中国くらいでは?

22)〇〇へ行くなら△△へ行ってみて!
今あるのか不明ですが、ボリビアのラ・パスにあった「アレキサンダーコーヒー」でチーズケーキを食べてみてください。

23)面白い、変、すごい、きれいなもの
面白さ、変さ、すごさ、きれいさを兼ね備えているのは、メキシコのウルトラバロック教会たち。

 

…いかがでしたでしょうか?
最後のほう、かなりやっつけ回答になっているのがあからさまですが(笑)、まあこんなことを話そうと思っておりました。後で思ったのは、これだけの数のトピックなら、くじ引きトークでもよかったかもしれないですね。客席の方にも引いてもらったりして。ともあれ、いろいろと勉強になったイベントでした。改めて、お越しくださったみなさま、どうもありがとうございました!

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2017年07月10日

イベントのお礼と反省

テーマ:

イベントにお越しいただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。
チケットは予約完売し(若干の当日券は出たようです)、多くのお客様にお越しいただき、盛況に終わりました。寄付や飲食もしてくださり、重ね重ねありがとうございました!寄付額は追ってお伝えさせていただきます。→33,850円を、国境なき医師団に寄付させていだきました!

わたし個人に関しては、今回はもう、ごめんなさいのひと言に尽きます。
休憩を入れて3時間のイベント中、わたしはほとんど発言らしい発言ができず、見に来ていた夫に「酒飲んでただけじゃん」と笑われても、なんも云えねえ…という体たらくでした。枯れ木も山のにぎわいと告知文には書きましたが、むしろ狭い舞台の1人分を占拠した罪に問われそうなほどの地蔵ぶり…。
仕事でなかったことが不幸中の幸いで、芸人だったらもう二度と番組に呼んでもらえないレベルだし、ボランティアだからいいようなもののこれで出演料をもらっていたら完全にギャラ泥棒です。
わたしの告知を見て来てくださったという方も何人かいらして、なかには愛媛から夜行バスでわたしに会いに来られたという天然記念物並みに貴重な方もおられて、わたくし如きにはもったいないことこのうえなく、ゆえに余計に反省が天井知らずに膨れ上がるばかりです。
…なんてことは自意識過剰になっているだけで、むしろわたしが喋っても場が白けた可能性も大いにあるので、他の出演者さんのトーク、イベント全体で楽しんでいただいていれば、それで無問題ではあるのです、けどね。

ひとつ言い訳をさせてもらうと、わたしの写真が、1枚もスライドに上がらなかったんです。
事前に聞いていた”話題に上がりそうなネタ”の種類を鑑みると、1つのネタにどんどん話をかぶせていくと、なかなか話題が進まないかなと余計な忖度(笑)をして、自分の写真が出てきたら喋ろうと思ったのが裏目に出ました。
来ていただいた方にしか分からない説明で恐縮ですが、たとえば、写真家の常見藤代さんがオマーンの写真を紹介したとき、オマーンの男性は紳士的で痴漢もいないという話になったんです。
そこで例えば、「いやいや待ってください、わたしは2日間で数回おっさんに売春を持ちかけられたんですよ!痴漢に遭った国は他にもあるけど、買われそうになったのは世界中でオマーンだけ!」と、すかさず大阪のオバハンに変身して割り込むべきだったかなと思います。
それでも、後半のどこかでは写真が出るものと油断しており、休憩中、声をかけてくださったお客さんにも「後半はがんばって喋ります♪」なんて調子よく云って、余裕をこいていたのです。せめてラスト30分で、もう自分の写真は出ないということを悟って、流れをぶった切ってでも、人の話に割り込んででも発言すればよかったかな…。
会話は聞き手に回ったほうがいいというのは、トークライブのゲストとしてはむしろやっちゃいけないことでしたね。ちょっとでもエサ(ネタ)があったら、ハイエナのように飛びつくガッツが必要だということを痛感。「サンデージャポン」で初めて登場する売り出し中のタレントくらいの、炎上も辞さぬ攻めの姿勢で臨むべきでした(ちなみに先日、尼神インターの渚ちゃんが出演していてビックリ。売れっ子になったなあ)。
いや、別に芸人やタレントではないしそれもズレているような気もしますが、お客さんを楽しませようという気概が明らかに足りていなかったのは猛省せねばなりますまい。

そのお詫びとかいうとどうにも恩着せがましいのですが、せめて放置状態のブログを書くことで、特にここを見てお越しくださった方に多少のお返しができたらと思います。
もともとは、おすすめの国・場所と、食べ物や人、乗り物などで計6枚の写真を用意することになっていて、わたしは絞りきれずに倍の12枚を送っていました。
ホームページに載せた写真もあるので新鮮味には欠けますが、一部ここで列挙してみます。

ワディ・ハルファ(スーダン)

ヒマラヤ、カラパタールへの途中(ネパール)

バンダミール湖(アフガニスタン)

イナリ(フィンランド)


ダンジェネス(イギリス)


この「おすすめの場所」にはひとつ共通項がありまして、どれも「なにもない」ということなんです。
例えばスーダンのワディ・ハルファ。今思い出しても、ここからアフリカの旅が始まるというオープニングの地としてはこれ以上ないほど緊張感のあるロケーションでした。日の陰り始めた砂漠の町は、町って云っていいのかよ!?というくらいのミニマルさ、簡素な家が並ぶエリアは廃墟のように静まり返っていて、宿の床は砂でシャワーはペットボトルでほとんど屋外…。未だに静かなる衝撃として印象に残っています。
ここから首都ハルツームまで、2泊3日の列車旅になるわけですが、この車窓風景も清々しいほど何もなく、ワディ・ハルファはまともな町だったと錯覚を起こしそうになるほどでした。ちょっと後悔しているのは、敢えてバスを乗り継ぎながらハルツームに行くというルートもありでしたね。あんな広大な砂漠を列車ですっ飛ばした(と云っても、たいへん過酷な旅路でしたが…)のはもったいなかったかも。

人生の大半を大阪と東京で暮らしてきた身には、何もない場所というのは旅先でしか体感できません。
”現地の人々との交流こそ旅の至高”とされる思想(?)は昔も今も変わらないと思いますが、全き孤独になれるということもまた、旅のひとつの大きな醍醐味であるでしょう。そしてこうした場所で抱く孤独には不思議と寂しさがなく、ただ削ぎ落とされたような気持ちよさがあるだけで、これはひとり旅ならではの特典だなと思います。
岩山と荒野が織りなすネパールヒマラヤのカラパタールは、最近仕事で日本の3000メートル級の山に登る機会があり、懐かしく思い出して選びました。3000メートル以上の山の世界というのは独特の崇高さと清潔さがあって、それはたぶん、生命の少なさに起因するものではないかと思います。
その意味では、他に選んだバンダミール湖(2009年、アフガニスタン初の国立公園になったそうです)や、ラップランドの果てに近いイナリ(イナリで検索すると、右側の小窓になぜか、わたしが氷原でピースしている写真が出てきます…)、イギリスのダンジェネス(ここはイギリス唯一の砂漠なんだとか。知らんかった)なんかもすべからく、地球にいながら宇宙を感じさせる、或いはこの世とあの世の彼岸のような場所、聖俗の境界にあるような世界ですね。

そして、ここに挙げた場所は、まるっきりなにもないわけではなく、ほんの少し人の気配があるところもまたいいのです。
渋谷のスクランブル交差点なんかを通勤路にしていると、そこでは一時的にせよ人間の価値というものが極度に下がり、通行の邪魔をするインベーダーにしか見えなくなることがあります(よくあります)。その遠因は労働による疲労にあったりして、ますますげんなりしてしまうんですけどね…。
これがイナリでは、そんなことは露ほども考えられません(笑)。人がいること、明かりがあること、店や宿があることがいちいちありがたく、その温かさが骨身に沁みます。まあ暮らしたいかと問われたら口ごもってしまいますが、時にはこうした場所へ赴き、己の人間観、ひいては世界観を補正することも必要だなと。高城剛じゃないですけど、移動は精神のバランスを保つために有効な手段であると思います。

つらつらと書いてしまいましたが、やっぱこんな話をしてもイベントは盛り上がらなかったかな…笑う要素皆無だしな…。
そのほか、こんなネタをふりますというお題の回答を簡単に用意していたので、次回はそれをセコく記事にします(笑)。

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2017年06月10日

「旅人の夜 第33昼 ありがとう10周年」に出ます☆

テーマ:

ひっさびさに更新したと思ったら、告知で申しわけありません。
もうお前はとっくに旅人ではなかろうと云われそうですが、昔のよしみできょきーとさん(片岡恭子さん)主催の旅イベントに出させていただくことになりました。
最近は白い運び屋として世界を飛び回るきょきーとさんを始め、「旅行人」から息の長い活躍を続ける旅行エッセイストの森優子さん、中東を撮り続ける写真家の常見藤代さん、先天性白内障と弱視を抱えながらがら世界一周した鈴木弘美さんなど個性的な面々のなか、己のしょぼい経歴が変に悪目立ちしそうですが、枯れ木も山のにぎわいということで、どうかお許しくださいませ。

以下、告知です。チラシも貼っておきます。
お暇な方、忙しい方、とにかく誰でも彼でもお越しください!

旅人の夜 第33昼 ありがとう10周年★スペシャル座談会★このさい語ろう! 旅のなんでもベスト10

 



日時:2017年7月8日 
OPEN 12:00 / START 13:00
会場:Naked Loft
http://www.loft-prj.co.jp/naked
入場料:10周年感謝! 予約/当日 ¥1000(飲食別)
※予約は以下のチケット予約ボタンまたは店頭電話にて03-3205-1556(17:00-24:00)
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/reserve?event_id=67994
(予約完売の場合、当日券の方は入場できない場合がございます。お早めのご予約をおすすめします。予約後にやむを得ずキャンセルされる場合は、必ずご連絡ください)
※ご入場順は、ウェブ予約→電話予約→当日券となります。

2007年7月7日にスタートした『旅人の夜』は、おかげさまで10周年を迎えます。主催片岡恭子が【旅好きたちの飲み会のノリ】で始めて以来、さまざまなテーマとゲストで回を重ねて、とうとう通算42回目!そこで今回は原点回帰のスペシャル座談会『旅のなんでもベスト10』。
世界の絶景、食べ物、人々、各自こだわりの旅アイテムや秘策などなど――これまで出演してくれた超個性的な人気ゲストを招いて、旅のおしゃべりに花を咲かせます。もちろん客席もどんどん巻き込みまっせー!

なお、世界への旅人の恩返しとして、会場経費をのぞいた収益のすべて(=出演者全員のギャラ分)を『非営利国際団体/国境なき医師団』に責任をもって寄付いたします。お客様が飲んで食べて楽しんでくださるほどに、誰かの笑顔につながる仕組み。10周年記念当日のみのスペシャルメニューも用意しています。ちょうどお昼時ですのでぜひお腹を空かせてお越しください!

※飛び込みゲストもあるかも? 決まり次第SNSでお知らせします。

●ゲスト
常見 藤代(つねみ・ふじよ)
中東を撮る写真家。2003年よりエジプトの砂漠で一人で遊牧する女性と暮らして取材。2012年「第19回旅の文化研究奨励賞」受賞。著書は『女ノマド、一人砂漠に生きる』『砂漠のサイーダさん』『ニワトリとともに』『女ひとり、イスラム旅』など。http://www.f-tsunemi.com/

野ぎく(のぎく)
会社員。大阪生まれ。2002年から約3年半、世界一周の旅に出る。会社員になってからは年1ペースくらいで海外へ。激務と浪費のため、最近はすっかり国内出張専門。旅した国は、現在83カ国。旅の記録は、すでに1年以上更新が止まっているサイト「放浪乙女」で読める。http://hourouotome.web.fc2.com/

鈴木 弘美(すずき・ひろみ)
旅中毒の会社員。視力左目0、右目0.07。障がい者手帳三級。盲学校在学中に「文字が大きくて見やすいから」と英語が好きになり、高二で英検二級を取得。某企業の障害者リーダー育成プログラムで半年間アメリカ留学。ある職場でのストレスから抗鬱剤を服用することになり、「薬でハイになるより旅行でハイになろう」と退職、2013年に世界一周・約半年間の一人旅へ出発。再就職後も休みのたびに世界へ飛び出す。ボサノバ好きで、たまにライブで歌を披露。

●司会
片岡 恭子(かたおか・きょうこ)
旅人の夜主催。プロバックパッカー。1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。スペインで強盗、ボリビアで暴動、アルゼンチンで遭難、ベネズエラで拘束、コロンビアで盗難と無駄な人生経験はやたらと豊富。下手くそなスペイン語と英語を話す運び屋として世界を暗躍中。2017年現在、50カ国を歴訪。http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-33331-0/

森 優子(もり・ゆうこ)
旅行エッセイスト。1967年大阪生まれ。『地球の歩き方』などの編集ライターを経て独立。著書は『旅ぢから』(幻冬舎)/『旅のそなた!』(旅行人)ほか。イラストと写真満載・関西弁のマシンガントークが炸裂する講演会が好評。渡航国数は約50カ国。いまだ海外でドロボーに遭ったことも下痢したこともない。
https://www.facebook.com/yuko.mori.944

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2017年04月18日

不妊治療のあとさき4

テーマ:上京後

不妊を抱えていると、景色や会話の端々に不意に現れる子どもの気配に、過敏にビクつくようになってきます。
例えば、通りすがりの子どもに、夫がごく自然な人としてのふるまいで子どもに笑いかけたりあやしたりすると、なんだかソワソワしてその場を立ち去りたくなる。電車の座席に座っているところに子連れの母親を見かけると、悪いことでもしているような心持になって慌てて立ち上がる。「保育園落ちた日本死ね」の話題になると、途端に離人症になったかのように幽体離脱してしまう。
さすがに友達の子を邪険に扱うとか、写真を見せられて目を逸らしたり、子どもの話題に耳を塞いだりはしないけれど、どうしたって自分の身に引きよせて考えてしまうので、100%ピュアな心で接することができません。接すると心が擦り剥けるから。まあ、ささくれが剥ける程度で大したことはないんですけどね。
無料なので登録してある情報商材系のメルマガでは、「不妊の原因。それは潜在意識なのです!」と力強く謳っており、それに従えば、わたしのこのマインドセットは妊娠できないに決まってる!ということになりそうです。

 

夫は、惨めに不妊治療にしがみつくわたしを気の毒に思うことはあっても、あまり自分事というふうには捉えていないのかなと思います。わたしが落ち込んでさえいなければ治療に失敗しても別段ショックを受けるでもなく(「だって成功率低いって聞くし」)、ただ落ち込んでいる姿を見たくないから失敗するよりは成功したほうがいい、というくらいのスタンスのようです。
「子どもはいなくてもいい」という言葉は、嘘ではないのでしょう。子がいればそれなりに経済的負担を強いられますし、最初の体外受精の際、「もし妊娠中に子どもに障害があるってわかったらどうする?」などと不安げに尋ねてきたこともありましたので、今に至っても積極的に望んではいないのかもしれません。
それでも、わたしの好きにさせておいてもらえて、何よりも子どもが産めないことを責めない点では、たいへんありがたい相手です。

 

年末、最後の移植がやって来ました。前日まで仕事で大阪にいて、そのまま泊まって帰りたかったけれど(なんと新幹線が炎上して運行見合わせとなり、いつ帰れるかも分からなかったのです)、無理やり夜行バスで戻ったその足で移植に向かいました。
最後と云っても正確には今ある胚盤胞が無くなるのが最後という意味ですが、金銭的にもこれ以上続けるのはさすがに、ギャンブル依存症にも近い危うさを感じていました。この結果次第では、進退を考えねばなりません。
4回目ともなると、移植はただのルーティーンです。消毒で棒を子宮に突っ込まれる際の痛さだけは慣れませんでしたが、すべてが工場のオートメーションのように進み、卵を戻すまでの一連の流れを手術台の上から画面で見るのですが、「今、卵が入ったの見えましたか」と問われるのも、慣れすぎて何の感慨も湧きません。まるで他人の胃カメラでも見ているような気分です。ここで、「ああ、わたしの赤ちゃん……」と思えないわたしに、母親になる資格はないような気もしてきます。

 

7日後の判定日は年末ギリギリ、本来なら会社が休みに入った翌日には実家に帰りたかったけれど、それもこのために待つことになりました。そのため、結果を聞いたらその足で実家に帰るつもりで、帰省の荷物を背負って通院しました。
本を読む集中力もなく、手持無沙汰に「SimCity」で街を育てながら待つこと1時間半。
いつものように事務的な前置きがあった後、先生から発せられた言葉は、
「残念ながら数値が上がっていないですね」
何が原因なのですか? もう問うことにも疲れたし意味もないのですが、今回も返ってきた答えはやっぱり「卵の質が悪い」でした。
「胚盤胞まで育って、これだけ移植しても妊娠しない、つまり可能性は低いということです。それでも続けるのかどうか、ご家庭で話し合って決めてください。もちろん、可能性がゼロではないですから、続けているうちによい卵が採れることもあるかもしれませんが」
不妊専門のクリニックで、こう云われるということは、相当に可能性が低いのでしょう。わたしはそれを聞いて、これ以上のギャンブルにお金をつぎ込む気にはなれませんでした。
単に年齢の問題なのか。それとも年齢以上に老化が進んでいるのか。なんだか分からないけれど妊娠能力がないのか。そのどれも正解なのか。1年続けて、もう1回世界一周できる金をかけて、結局すべてがブラックホールの中に消えていっただけなのか。


病院を出、予定通り実家に帰りました。
夫にLINEで報告すると、夫は「無理しないで帰ってきたら」と云うのでしたが、きっと慰めてはくれるのでしょうが、ささくれ立った心には時として火に油、どこに地雷があるか自分でも分からない状態で、また新たな争いを勃発させたくありませんでした。
新幹線はいつになく混んでいて、わたしは地べたに座ったまま2時間半を過ごしました。京都で降りて、ふらふらと買い物に出かけたらなんだか店の人やお客さんと盛り上がり、束の間、嫌な出来事を忘れました。そうだ、治療をやめたら、心置きなく服を買いまくれるじゃないか……(苦笑)。

 

治療を続けるなら生理3日目に来て下さいと云われていましたが、年始早々ということもあって、足を運びませんでした。
病院からはその後、凍結している精子の保存を更新するかどうかの確認書類が送られてきましたが、それも開封せずに放置していました。
しかしながら、助成金の申請期限が3月末とあって、それまでには書類の申請のため病院へ行かねばなりません。
3月になって仕事も落ち着き、山のような領収書をひとり整理していると、書類は申請する気力を萎えさせるかのようなややこしさで、領収書のコピーをA4にしてコピーするのも手間なうえ、今さらながらつらかったことがいちいち思い出されてきて、不妊治療の苦しさはどこまでも手を緩めないのだなあ、と妙に感心するのでした。
2か月半ぶりの病院は、ただ自分が離脱しただけで何ひとつ変化はなく、相も変わらずの盛況ぶりになんとも云えない脱力感を覚えました。
書類の申請にも1枚3,000円という金がかかり、あっという間に札が飛んでいきます。

書類を受け取り、凍結精子も結局破棄した後、病院から電話がかかってきました。
「当院での治療は終了されますか? 終了される場合は二度とこちらで治療は再開できませんが」
二度とできない、と言われると、もともとのセコい性根がビビってしまいます。しかし、治療はともかく、この病院にすがりつく理由は見当たらない気がしました。会社に近いことと採卵が痛くないというメリットはあるけれど、値段が他より高額だし、先生も半ば匙を投げているところに行っても気分が滅入るだけです。
「わかりました。終了してください」
やめたら妊娠からは確実に遠ざかるでしょう。
しかし、すっからかんになるまで続けて結果が出なかったとき(今もすでにそんな感じだし)、やりきったから後悔はないと清々しい気持ちで言い切れる自信がありません。

 

もうこの1年のことは記憶から葬り去りたい。とか云いつつここに書き残すのは、いちおう葬式には出しておいたほうがいいかなと思うからで、誰かに何か有益な情報を提供できるわけではありません(むしろ有害?)。
どんな経験も無駄じゃないという考え方があるけれど、わたしにとってこの経験は、はっきりと無駄でした。
人生には、しなくていい経験があると思います。つらい経験には、その後の転ばぬ先の杖になったり、誰かの役に立ったりというメリットもあるでしょうが、いちばんいいのは、誰もそんなつらい経験をしなくて済むことでしょう。わたしは別につらい経験を売って生計を立てているわけでもないので、できればいらなかったです。
わたしは置かれた場所で咲くこともできませんし、嫌な出来事を神様のプレゼントとして有り難く受け取ることもできない狭小な人間です。
それでも、金銭がこんなにかからなければ、蚊に刺されたくらいのダメージで済んだのかもしれません。店内に入ることさえ憚られ、一生手に入れることもないであろうGUCCIの服やバッグも、治療費に置き換えたらいったい何個買えたのか……って、我ながら喩えが矮小かつ下世話!!

 

治療中、養子を考えたら、と人に薦められたこともありました。関連本も何冊か購入して読み、それはひとつの選択肢としてありかと思いましたが、実際のところ養子を迎えるまでの登録料金は不妊治療以上にかかるうえ、子どもの親として適齢で、ちゃんとした家に住んでいて、ちゃんとした仕事についていて、それなりに裕福な収入があって、子を迎えるための訓練に合格し……つまり、世の中的に相当「まとも」でなければ養子の親にはなれないのです。
その一方で、どんなに社会的に不利な条件下にあっても、性交によって孕めば親になる資格がある。やっぱり世の中は不公平にできているし、努力は万能じゃないですね。ビッグダディの美奈子さんみたいな妊娠能力は、つくづく稀有な才能ですよ。妊娠能力もなく、社会的にも不安定な人間にとって、子どもは超がつくほどの贅沢品というわけですか。

 

それでも、すべてを諦めたころにまさかの妊娠! みたいな記事が世の中には蔓延していて、そんなこともあったりするのかなあ……なんて空しい希望を、完全に捨てられるわけもなく、しかしそんな希望が叶うこともなく今に至ります。
先述の友人が妊娠したクリニックは、予約しても初診が半年後らしいですが、まだ前の病院に通っていたころ、友人が「とりあえず予約だけでも入れておいたら? 妊娠したらキャンセルすればいいんだし」というので、それだけ入れっぱなしにしてあります。ぜんぜん順番が回って来ませんが(苦笑)。
自然妊娠はいろんな意味で難しそうですが、排卵日ごろになると、そうは云ってもやっといたほうがいいのかなあという変なプレッシャーに襲われ、前クールのドラマ「奪い愛、冬」で水野美紀が、帰宅が遅い夫に対して「今日排卵日なのにいいい~!」と般若の形相で叫ぶシーンを思い出して、勝手に気が滅入っています。

 

ということで、この件は完全に吹っ切れたわけでもなく、さりとてなにか前進したわけでもないのですが、ひとつの区切りとして、書き残すことにした次第です。
次回は、もう少し軽い話題でお目にかかりましょう。

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2017年04月04日

不妊治療のあとさき3

テーマ:上京後

自暴自棄になってあと2つ残った卵を放棄するほどの無謀にもなれず、次の移植日まで大人しく薬を飲み続ける日々が再スタートしました。
「産む機械」という物議を醸した発言が昔あったけれど、今のわたしはまさに、自ら産む機械になろうとしているかのようです。
薬、薬、薬……1日3回も薬を飲む日が続くと、不妊は病気じゃないとか云うけれどやっぱり病気なんじゃないの? と思ってしまいます。

 

医者に云われたことを忠実に守っても、結果が出ないのが不妊治療の可笑しいところです。
2回目の移植にもあっけなく失敗し(科学流産ですらありませんでした)、残る胚盤胞もあと1つとなりました。
冷静になってみれば、体外受精の妊娠確率はせいぜい20~30%程度、はずれのほうが圧倒的に多い宝くじみたいなものなのですが、なまじ医療だけに、そして高額なだけに、外れれば少なからぬダメージを喰らいます。
毎回、残念な結果報告を受けた直後は、まるで最初から分かっていたかのように心の表面は静まり返っているのですが、しばらくすると急激な嘔吐の如き勢いで、沼底のほうから得体の知れない衝動が湧いてきます。
このたびは、セカンドオピニオンが聞きたくて不妊ルームというところに光の速さで無料相談メールを送り、ふだんなら見向きもしない情報商材系のメールマガジンにまで登録しました。不妊治療関連の新たな電子書籍を購入することも忘れません。
不妊ルームからは、まずはクリニックまで来てみては? という返信が来たのみでした。若干鼻白みながらも、まあ無料相談じゃそうなるか……と、カウンセリングに行くことも考えましたが、すでにホットヨガにも通えていない現状で、電車を乗り継いで新たなクリニックに足を向けるのもそれなりに気合が必要です。

 

そして、汚物となった感情の吐き出し先については、夫に吐いた場合のシミュレーションはすでに見えすぎているので今回はなんとか思いとどまったものの、口蓋を閉め切ることができず、その矛先を父に向けてしまいました(それでもさすがに仕事では微塵も出ませんが……社畜万歳だね)。
わたしは、こともあろうに、次のような主旨のメールを父に送ったのでした。
「この先、夫が子どもに恵まれないのも気の毒なので、離婚して、子どもの産める女性と再婚してほしいと思っています。そもそもの人生設計を誤ったわたしがバカでした」
30代をいろんな意味で浪費したわたしの偽りない心ではありましたが、正直ならなんでも許されるわけではなく、果たして、父はかなりショックを受けていました。そりゃそうです、結婚式からまだ半年も経っていないというのに、いきなり離婚を云い出すなんて、気でも狂ったか!
しかも、人生設計を間違えたなどと云ったために、「お母さんが早く死んで、あんたたちには好きなことをさせてやろうと思った結果がこれか。ちゃんと線路を引いてやれなかったことが悔やまれます」と、父に余計な反省をさせることになってしまいました。
こんなことを老いた親に云わせるわたしは、つくづく罪深い。こんなしょうもない人間に成り果てたという意味では親の後悔にも一理あるけれど、人生設計は決して親のせいではなく、わたしが選んだ末にこうなっているのです。似たような、もっとブラック度の高めの業界で働く弟は、家も建てて3人の子どもをもうけ、いっぱしの大人として生きているのですから。


と同時に、わたしも所詮は、世間で云われている幸福のかたちに自分を合わせようとしているだけなんだな、ということが分かって脱力するのでした。家、仕事、結婚、子ども……ここまで生きていてわたしが欲しかったものって、結局それだったのか? それらがわたしにとって、いったいなんだというんだよ? そんなものに縋らないと、生きている意味がないのか?
いや、そもそも、命や人生に意味を求めるのが間違っているんじゃないのか? わたしが子どもを産めないのは、ただの生理現象に過ぎず、わたしが生きていることすらもただ心臓が停止していないからで、別に意味はないんだろう。

 

不妊で子どもを作れない自分を否定し、価値のない人間だと思うことは、すべての不妊に悩む女性、いや選択して子を産まないと決めた女性たちまで否定しているようで、そこまで思い至って、やっと少し、冷静になります。
例えば、いちばん身近なのは、子どものころから可愛がってくれた叔母夫婦。祖母が未だに、叔母のことを「あの子になんで子がおらんのやろなあ、かわいそうになあ」と嘆くのを見るたびに、わたしはいたたまれない気持ちになります。不妊がわが身に降りかかってきた今となってはなおのことです。
叔母のことをかわいそうだなんて云いたくない。子どもがいないから不幸だと決めつけたくない。でも、叔母も、自ら産まない選択をしたのではなく、子どもが欲しかったけれどできなかったのです。昔のことだからどのくらいのレベルのものかは分かりませんが、病院にも通っていたと聞きました。切なる希望が叶わなかったとすれば、やっぱりそれは不幸なのだという気もしてきます。
現に今、欲しくてもできないわたしは明らかに暗い気持ちになっていて、その気持ちは即座に自分を否定してかかることに繋がるのです。どんなことであれ、「できなかった」という結果は、それを一生覆せないなら余計に、人の心を曇らせてしまうものだと思います。そして、誰のせいにもできないから、自分を責めるしかない。誰に云われたわけでもないのに、私は価値がないと審判を下したくなる。

 

どうしてこんなに暗い森に迷い込んでしまったのか。計画的に人生を歩まず、自らの性に無頓着に生きてきた罰なのか。そんなふうに思いたくないけれど、特にどこといって健康に問題があるわけではないわたしには、それがまだしも納得できる理由です。
「年だからさ。」(再びシャアの声で)
夫は夫で、なんとか自分にも悪いところを見つけようと思うのか、「結婚をずっと先延ばしにしていたせいで、こんなことになってごめん」などと云います。
でもそれって、わたしがそこまでして結婚したいとも思えない人間だったからでしょうし、なんだかさらに夫が哀れというか、こんなカスと結婚することになってほんとうにかわいそう……などと思い始め、気がつけばまた同じ思考地点に帰っているのでした。
自分を責めても、他人を責めても、待っている結果はロクでもないとわかっているのに。ロクでもないことに対しては、どんな対処法が正解なのかな。ロクでもないから避けるというのも違うような気もする。ロクでもなくても、この悲しさをなかったことにはできない自分がいる。人生になのか、世の中になのか、刻みつけずにはおれない。なんでだろ~なんでだろう(泣)。

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2017年03月21日

不妊治療のあとさき2

テーマ:上京後

移植が失敗したあと、順調に事も無げに生理はやってきて、次はまた採卵からやり直しということになりました。
しかし、この月(7月)はなんと、自身の結婚式というイベントがあり、どうも採卵予定日とばっちりかぶりそうという運の無さ。家族だけのイベントとはいえ、さすがに半年前から決まっていた結婚式をずらすわけにはいくまいて……。

 

さて、話は少し前後しますが、判定日で撃沈した後、わたしは目にも止まらぬ早さで、友人がそこに通って妊娠できたという某鍼灸院に予約を入れました。
そこで云われたのは、「ああ、この体じゃ妊娠はできないよ~」
先生曰く、卵は半年前のコンディションで決まってくるから、最低でも3カ月は通わないと卵のコンディションは改善されないとのことでした。
ホルモン値がよければいいというものでもないんだよ、とも云われました。まあわたしは、ホルモン値が特にいいわけでもないんですが……。
しかし、そんなに自信満々に「妊娠できない」と云われても、具体的になぜできないのか説明があるわけでもないので、今いち腑に落ちません。
このときはまだ生理が来ていなかったので、「生理が来たらまた変わるかもしれないけどね」と云われ、何が何やらわかりませんがとりあえず落ち込んで、帰路についたのでした。

 

さらに、春ごろに久しぶりに会った同い年の友人が、7年不妊治療したという大先輩(無事に出産)だということがわかり、そのうちご飯でもと云っていたのを早急にアポを入れました。
春に会ったときはゆっくり話す時間もなかったのですが、いったいどんな気持ちで、どうやって乗り越えてきたのか、教えてほしかった。でもまだ、そのころは自分の気持ちにも余裕があったのです。友人にも「とりあえず胚盤胞になってるなら希望あるよ!」と云われ、タカをくくっていたところがありました。
しかし移植に失敗して、わたしは心の拠り所をなくしていました。経験者である友人、わたし以上に苦しんだであろう先輩に、具体的な指針を得たいという切実な気持ちが瞬く間に溢れてきました。
すでに出産して子どももすくすく育っている友人は、不妊治療はひととおりなんでもやったというだけあって、1冊くらい本を書けそうなほど熟知していました。
結局のところは、あきらめずに採卵と移植を繰り返したことなのでしょうが、成功した周期でなにか思い当たることがあるとすれば、ホットヨガに週3回くらい通うようになったことだとか。
「鍼も漢方もやってみたけど、わたしにはあんまり効果が感じられなかった。でも、運動すると単純に体も気持ちもすっきりするし、それがよかったのかもね~」
なるほど……。わたしは毎日自転車通勤していることですっかり運動している気になっていましたが、聞けば自転車なんてウオーキングの10分の1くらいの運動量しか無いらしいしなあ……。

 

8月になり、採卵に向けて粛々と病院に通う日々が続きました。
ところが今度は、またしてもホルモン値がうまく上がらずに採卵予定日がずれ、難航した末やっとのことで決まった撮影日と重なるという事態に……!!!
今さら撮影はずらせない、しかしまた採卵を見送るのもつらい……。会議で移植を見送ったことはいまだに後悔しているのです。
わたしは、無い頭をフル回転させて、うまいこと撮影を抜け採卵し、再び現場に戻るプランを緻密に立てました。その撮影には、広告主が絡んでいるため、その人たちが来るまでには絶対に戻らないといけない。しかし、さいわい物撮りだし、セッティング中なら、カメラマンさんと調整して抜けられないこともない。さすがに最初から不在にはできないけれど、頭だけ立ち会って、しばし抜け、広告主が来る前に戻る。さいわい、スタジオは渋谷で、病院が表参道。自転車を爆走させれば行けないことはない。
カメラマンさんのご厚意(と云ってもさすがに病院のことは話していませんが)により、わたしはまんまとこのプランを遂行することができました。そして、採卵結果もこれまでで最高の10個! 採卵日がずれた際に、すかさず鍼灸治療を入れたのもプラスに働いたのかもしれません。むしろ卵が採れすぎて多嚢胞性卵巣症候群の疑いがあると云われたくらいです。

 

しかし、それで生半可に喜ぶことはできません。すぐに試練がやって来ます。
採卵の翌日、翌々日、そして5日後に卵の経過を確認する電話を入れるのですが、これがもうほんとうにつらいイベントです。
だいたい、10個採れたって、どんどん脱落していくのです。まず受精できない、受精しても分割できない、分割しても止まってしまう……。そして誰もいなくなった……というね!
ところが、このたびは、なんと4つが胚盤胞になりました。電話口でしばし呆然としたほどの好結果に、わたしは、もし妊娠できたらあのときのカメラマンさんに真っ先にお礼を云おう! と迷惑な決意を固めました。

そして、その勢いのまま同周期で移植を試みましたが、ホルモン値(エストロゲン)が低く、あっけなく見送りになりました。
またホルモン値ですか!なんだよ、もう閉経が近いのかよ……??
 

わたしは、現在の自然周期から、ホルモン補充周期(薬でホルモン値をコントロールする方法)に切り替えることに抵抗がありました。

薬を毎日規則正しく飲み続けられるかどうかにも不安がありましたが、もし妊娠したら2カ月間、5日おきに病院に通わなければならず、その日は1日もずらすことができないという厳しさを何よりも心配していました。ただでさえ不規則な仕事で、今だって必死で調整しているのに、2カ月間も縛られるなんて……。あとは、投薬によってまた治療代が跳ね上がることも懸念材料でした。
しかし、自然周期ではホルモン値が上がるかどうかもわからず、移植日の当日まで移植できるかどうかわからない、値が上がらなければ見送りという不安定さは明らかにデメリットではあります。

 

9月は、夏休みを取ってフィリピンに行くことにしたので、移植は見送りました。
またそんなことで! と叱責されそうですが、見送った周期は、精神的にはとても楽なのです。まあ薬は毎日飲まねばなりませんが……。
その代わりというわけでもないですが、ホットヨガを始めることにしました。もう、溺れる者は藁をも摑む典型的な行動です。鍼灸は結局、月に3回程度通ったものの、場所が微妙に遠いのと、体が変わったともなんとも云われないままただただ通う曖昧さに疲れ、フェイドアウトすることに……。
そして翌月、自然周期かホルモン補充周期かを決める日がやってきました。わたしはまたも例の友人にアドバイスを請いました。
彼女はさすがに7年も治療して結果を出しただけあって、云うことがいちいち理に適っています。
曰く、「5日おきは確かにたいへんだけど、その時点ではもう妊娠しているわけだから、妊婦として堂々と病院に行けばいいと思うよ。それに2カ月前にあらかじめ通院日が分かっているなら、仕事の調整もかえってしやすいんじゃない?」
そうか、確かにそうだ……。今までは、不妊治療というあやふやな内容の病院通いにどこか後ろめたさみたいなものを感じていたけれど、晴れて妊娠すれば正々堂々、通院してよいのではないか。それに、2カ月も先の予定はさすがに仕事のことだって決まっていないのだから、治療に合わせて予定を立てていけばいいではないか。

 

それでも、いざ次の周期が始まる際は、ギリギリまで躊躇っていました。
最終的にホルモン補充周期を選択することにしたのは、自然周期との値段の差はかかっても1周期で3万円くらいだということが分かったからでした。
いや、冷静に考えたら3万円でもそれなりの出費なんですけど、この治療をしていると、金銭感覚は完全に狂ってきますので、ああ、それくらいなら、ギリギリまでホルモン値に振り回されるリスクを避けるために払っても許せるか……と考えてしまうのでした。
この月は引っ越しもあり、またフィリピンで患った風邪が長引いて心身ともにかなり参りましたが、病院で「どうしますか?」と選択を迫られた結果、半ばやけくそで「(ホルモン補充周期を)やります!」と答えたのでした。
移植までの道のりは、まず生理2日目に通院し、そこから「ジュリナ」という薬を、8時、16時、24時という決まった時間に飲みます。特に仕事中の16時などは忘れる可能性大なので、1日3回アラームをセット。どうか込み入った仕事のときに鳴りませんように……と祈るばかりです。
さらに、「エストラーナ」という腹に貼るテープを渡され、1日置きに張り替えます。1枚が直径3cmくらいあるピップエレキバンのようなテープを、8枚も貼らねばなりません。それも、1日置きに、右→左→右→…とはがす順番も決まっているのです。嗚呼めんどくさい、そして痒い! それもこれも、更年期の予習だとでも思えばいいんでしょうか……。

 

移植の段になって、4つあった胚盤胞の1つがひっそり死んでいたことが分かりました。
この件において悲しまない心を長らく育ててきたわたしにとって、胚盤胞とはスーパーマリオの1機くらいの感覚でしかなく、命がなくなったという重みはありません。ただ、シンプルに「もったいない……」と思うばかりです。
採卵もさして痛くはないですが、移植に至っては当日安静にする必要もなく、まあちょっと大げさな注射を打ちに行くようなものです。この日も移植後すぐ、会社に戻りました。
そして、ここからはまた新しい薬を処方され、毎日飲みます。人生でこんなに薬漬けになった期間があったでしょうか……。
移植も2回目なので、前回のように判定日までのわずかな体調の変化を“兆候”と捉えて検索魔に陥ることは控えました。

 

判定日は折しも、入籍した日でした。
いい報告ができたらなあ……と少しは期待もしながら、午前中の撮影と午後のイベントの合間を縫って病院へ。いつものように採血して2時間近く待った結果、「着床はしたようだけど化学流産ですね」。
はい残念、また次回~♪ ……とは別に云われていないけれど、どこかからそんな声が聞こえてきたような。せっかくホルモン補充周期に変えたのに、結果これかよと、悲しみよりも激しい徒労感に襲われました。
夫には帰宅するまで黙っておこうと思いながらも耐え切れず、LINEで結果を事務的に報告すると、「落ち込んでないか心配」というごく当たり前の返信。いや、落ち込んでるよ……落ち込んでるけど……。
夫の反応は極めてノーマルなのに、そこでなぜか火がついて錯乱状態になってしまうのが、わたしの人格破綻者たるゆえんです。
「落ち込んでないよ!元気元気!」と返信し、ふざけたスタンプを10連発くらい送ったあげく「生命力のないやつは死んで当然♪」「妊娠してから流産するよりは、早めに死んでくれて助かりました」とまで書き送ったのでした。
夫からは、「仕事も治療も、苦しそうな姿を見ているとつらい気持ちになる。昔の野ぎくちゃんに戻ってほしい」と返信が来て、確かにそれらは夫を悲しませてまでやることなのか、いや待て、夫のためにわたしは生きているのか、むしろ夫がわたしの人生のよすがならわたしはただ、笑顔で生活費を稼いでくればいいのか……などとまた詮無いことをぐるぐる考えましたが、病院の後は夜遅くまで仕事があり、実際は落ち込んでいる余裕もありませんでした。
そういう時間の無さが体を蝕んでいるのか、考える暇も与えられないことで救われているのか、ただただすべてが間違っているのか……。

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2017年02月10日

Instagramで「かわいいもの」始めました♪

テーマ:かわいいもの
80歳を越えて突如Instagramで“かわいい”を発信し始めた黒柳徹子さんに倣い…というわけでもないですが、このブログで不定期にアップしていた「かわいいもの」シリーズを、Instagramで再スタートすることにしました。
 
半ば仕事の入り用でアカウントだけ作ることになって、たま~に気が向いたらアップしていましたが、今いちInstagramの活用どころが分からず、放置しておりました。だって、他人の楽しそうなアルバムを眺めていたら空しくなるし、まして自分でアップするとなったら旅以外では特に写真に残したいものもなく、なによりInstagramはおしゃれさを求められている気がして敬遠していたのです。
最近になってようやく、古着屋さんや好きなお店のフォローをしてカタログ感覚で活用するようになり、そうかこうやって使えば便利じゃんと思っていたところ、買い物と云えば長年サボっていた「かわいいもの」(散財の記録)をここでやればいいのではないかと思い立った次第です。
やっぱり、写真向き、テキスト向きのコンテンツというのはありますね。Instagramに登録したてのころは、いったい写真だけで何を語れというのだよ、と疑問に思っていましたが、かわいいものシリーズは、むしろだらだら語らず写真だけで紹介すればよかったコンテンツだったのです(多分)。
 
ホームページに始まって、ブログ、Facebook、Twitter、そしてInstagram。次々に現れるネット上のサービスを、敢えて使わないということも含めて、どう使いこなすのか。
わたしの中では、プライオリティは未だにホームページにあるのですが、思いとは裏腹に更新頻度はほぼゼロベース。ブログも月1がやっとだし、Facebookは本名で登録してしまったので、主に現実世界でのたまの告知と、飲み会やバンド練習の連絡用。
Twitterにはあんまりテーマはなく、燈籠流しのように呟いておりましたが、ここ3年ほど過労に苛まれてつらいとか労働のない世界で暮らしたいとか書いていたら、友人から「最近の野ぎくちゃんはどうかしています。もうフォローを外そうかと思います」と、励ましとも怒りともつかぬメッセージを受け取り、以来どうも呟く手が止まってしまいました。いっそアカウントごと消そうかと思いましたが、最近はベーシック・インカム関係のツイッター論客の人たちがたいへん面白いので、専らそのROMにいそしんでおります。
 
そんな中で、Instagramはわたしにとって最も疎遠のサービスだったのですが、最近、かわいいものを上げ始めたらテンションも上がってきて(笑)、珍しく毎日アップしています。トルソーに、今日は何を着せようかなと考えるのも楽しい。毎晩、寝る前に着せ替えして、朝、出勤前に光の入る場所で撮影するというのが日課になりつつあります(但しまだ4日目)。
写真の加工は若干めんどくさいですけど、ブログに上げていたようなプレーンな写真は、Instagramで見ると、どうにも色褪せて見えるという不思議。
ただ、かわいいもの専門だと写真が追いつかないので、旅っぽい写真もちょいちょい織り交ぜようと思っています。昨年、フィリピンでデジタルカメラが水没して以来、iPhoneでしか写真を撮らなく(撮れなく)なったので、そういう写真もたまっていますし…。
 
Facebook、Twitter、Instagramはすべて連動できますが、それぞれに適した文脈があり、単にシェアすればいいというものでもないな、と思います。
わたしには、Facebookがいちばん中途半端で、Twitterは短文テキスト(写真は見づらい)、Instagramは写真(テキストはあんまり読まない)、長文は結局ブログってことになりそうです。
 
ということで、一部、「かわいいもの」を楽しみにしてくださっていた皆さまには、ぜひ、Instagramにも足を運んでいただけたらさいわいです☆
なんとか3日坊主の3日は越えられたので、しばらくはアグレッシブに更新したいと思います(で、ブログは…?)。
 
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2017年01月09日

不妊治療のあとさき1

テーマ:上京後

本件のブログは、1回目の胚盤胞に失敗したところで更新が止まっておりますが(なんと3月!…サボりすぎやろ)、治療自体はその後も粛々と続いていました。
さすがにその間は、いろんなことがあったのですが、更新しようと思って途中まで書いたブログも結局アップしないまま、ついに年まで改まってしまいました。いったい、わたしの時間軸はどうなっているのでしょうか。。。
しかし、自分の気持ちを清算する意味でも、一度ここらで気力を振り絞りたいと思います。

 

1回目の失敗の後、わたしは大人しく治療を続けることにして、2回目採卵→4つ受精卵→1つ胚盤胞まで進みました。
1回目よりは一歩だけ、前進です。胚盤胞1つというのはあまりに心許なく、グレードもBCといって決してよくもなかったのですが……。ついでに精子も凍結して、もう夫が病院に来なくてもいいようにしました。この日程の件で険悪になるのがいちいちストレスになるからです。
本来なら、その周期に胚盤胞を戻す(移植する)はずでしたが、あいにく数カ月前から友人との旅行を決めてしまっており、移植は見送って凍結することになりました。たかが旅行などで延期するわたしには、まだ真剣さが足りないのかもしれません。しかし、後で聞けば、凍結胚のほうが着床率が高い(一周期、子宮を休ませるため)ということだったので、まあ結果オーライなのかなと、そのときは思っていました。
ところが次の周期、移植日までは順調に決まったところで、急にその時間に会議が入ったのです。せめて1日、いや午前か夕方にでも、いや30分でもずれていれば移植に行けたのに!!!病院にかけあってみても、その時間に帰れるとは断言できないので、今回は見送った方がいいのではと云われました。旅行で見送ったと思ったら、今度はまた、たかが会議で!しかし、ちょうど新しいチームに臨時で入って最初の合同会議だったため、社畜のわたしはずらしてほしいと云えなかったのです。

 

さらに、見送った次の周期は、生理3日目がゴールデンウィークにかかって病院に行けず、12日目に来院というイレギュラーなスケジュールを取ったせいか、いや、移植判定日の朝まで働いて(校了日だったのです)徹夜で血液検査を受けたせいか、ホルモン値が足りなくて移植は見送りになりました。
「(GWに休んで薬を飲まなかったから)あなたの自力ではホルモン値が上がらないということがわかりました」と淡々と告げられ、その言葉はわたしの脳内では「お前の卵巣はもう死んでいる」と翻訳されました。
この移植日というのがまた、早朝から来院して、血液検査をして、その結果によって午後移植するか否かが決まるという、ほんとうに労働者を振り回すスケジューリングなのです。
この日は、血液を採った後、1時間半も待合室の背もたれのない椅子で、睡魔と戦いながら待機したあげくこの結果となり、帰り道は思わず人生をやめたくなりましたが、おとなしく帰宅して布団に倒れ込みました。

 

そして翌月、ようやく初の移植を行うことになりました。
と云っても、この周期も前途多難でした。まず、前月の仕事のストレスが過大すぎたのか、排卵日が大幅に遅れました。わたしは年齢のせいで黄体機能不全気味みたいですが、生理周期はわりと規則的なのです。それがなかなか卵胞が大きくならず、そのせいで病院の検査も通常より多く行かねばならなくなり、「ちっ、また余計な金が……」といらついておりました。採卵や移植ではもっと大金がかかっていますが、小悪が大悪を隠すがごとく、小さい金額の方がなぜか気になってしまうのが、いかにも貧乏人のセコい性という感じです。
そもそも今期は排卵しない可能性もあると云われ、もはや妊娠どころか体がボロボロになっているのでは……と落ち込みましたが、幸か不幸か次の来院でホルモン値が上がって排卵しました。生理から20日も経って排卵など、ここ何年もなかったのにな……いよいよ閉経に近づいているのかもしれないと思うと、徒労感が募るばかりですが、まずはよかった。

排卵日(と思われる日)から5日後が、移植日になりました。
何とか仕事もゆるい日に当たってホッとしたのもつかの間、朝の血液検査でのホルモン値が、前回ほどは低くないにしても、微妙なラインだと告げられました。
このくらいの数値の場合、他の人はどうしているんですか?と尋ねると、移植を見送る人もいれば踏み切る人もいるとのこと。しかし、踏み切って着床できたとしても、その後2カ月間は、なんと5日おきに来院してホルモンを補充しないと妊娠が継続できない可能性が高いとのこと。
ど ん だ け 茨 の 道 な ん で す か……!!!
でも、ここで見送ったとして、また同じ薬を繰り返して飲んで(薬は変えないと云われました)、ホルモン値が変わるという保証もない。そのうえ、1カ月後は1カ月分老いることは確実なわけで、それなら少しでも若いうちにやった方がいいのかも……。
「じゃあ、やります」半ばやけくそでした。だって、今日の午後なら会議とかいきなり入らないし。と、もはや目の前のことしか考えられないわたし。

 

凍結卵を解凍する際に、卵がダメになることもたまにあるみたいですが、その関門はクリアできました。
移植は、採卵とほぼ同じく無痛でした(この点、こちらの先生は凄腕だと云われているのも納得です)。それより、採卵の時もそうでしたが、消毒をグリグリつっこまれる方がよほど苦痛でした(この点は凄腕ではないんでしょうか……)。
移植は難なく終わって仕事に戻りましたが、業務がゆるやかな日だったので、つい検索魔になってしまいました。何か症状や兆候はあるのか、このホルモン値でも無事に着床した人はいるのか、着床した後も病院に通い続けている人はいるのか……。しばらく読むこともなかった不妊治療のブログも久しぶりに読み漁って、希望を持てたり、絶望したり。

判定日まで1週間、1日3回、決まった時間に飲む薬が3錠。そして朝昼夜に膣につっこむ膣剤。これらが本当に面倒でした。
飲む薬の方はアラームを鳴らして、膣剤はトイレに行くタイミングで持ち込んで、毎回綱渡りするような気持ちで服用していました。
膣剤はタンポンと同じアプリケーター形式のもので、特別痛いわけでもないのですが、1日3回もこんなものを膣につっこまねばならない(しかも勤務時間中に!)という手間が精神的苦痛でありました。そのうえ、後から後から紙粘土のような白いかすが出てきて、おい、全部流れて来てるんとちゃうの?!と心配になるくらい……。おりものシートは必須ですと云われた理由がよく分かりました。

 

胚盤胞まで行ったということは、それなりに生命力のある卵のはず。というか、ここまでかかった手間とお金を考えたら、せめて着床くらいはクリアしてくれないと報われない。
でも、確率論で見れば、高度不妊治療なんて云っても、50%も成功していないわけで……。冷静に考えたら、大したクソゲーです。大金払って、得られるものは精神的苦痛だけとかね!いくらわたしがM体質でも、全然、1ミクロンも楽しいと思えません。

判定日の前日、友人たちと食事に行ったのですが、わたしが治療していることを知っている人に(まあこんなに大々的に書いてるもんな……)、その後どう?と尋ねられ、思わず、明日判定日なんですよ~と答えてしまいました。帰り際、がんばってな!と云われて、もうがんばることないですけどねと笑って別れた時には、妙に清々しい気分でした。
翌朝、最後の薬も飲み終わって、病院へ。血液を採って1時間半後、診察室に呼ばれました。渡された紙に記されていたのは、hcg0.1という数値。
「残念ながら、着床はしていませんでした」
はい。としか云えませんでした。卵の力が弱かったんですね。はい。次はまた生理3日目に来てください。はい。何か聞きたいことはありますか? いえ、大丈夫です。

 

こうして、初めての移植はあっけなく終わりました。
移植が終わった日、後で改めてカレンダーを見たら、その”着床後5日ごとの来院”日に、自分の結婚式が見事にぶち当たっていて、慌てて病院に電話して「この日はどうしても行けなくて……」などと悲愴な声で伝えたことも、今となっては笑ってしまいます。杞憂杞憂杞憂すべて杞憂!!!

悲しんでも1円の得にもならないし。自分を余計に傷つけるだけだし。別にわたしが悪いんじゃないし。これからできることを考えた方がいいし。だから、悲しむことも自暴自棄になることも禁止。
……と云いつつも、しばらく頭がぼーっとして、まただらだら検索魔になりかけていましたが、仕事が立て込んでいたのでそれどころではなくなりました。
仕事のおかげで忘れられる。仕事しているからお金も出せる。でも、仕事のせいでストレスが溜まって、ロクでもない卵しか産卵できないのかもしれない。だとしたら、わたしがほんとうにやるべきことって何なの??

これまでのさまざまな言動や傾向から、わたしは今後、夫とは妊娠・治療・子どもについて、聞かれない限り話さないというスタンスを取ることに決めていましたが、どうしても自分の胸中だけに収めるのが苦しく、こうしてブログを書いて吐き出すにも時間がかかるので、とりあえずメールで最低限の報告だけはしました。
今後のことはまた近々話し合おうという返信が来たので(別居しているので、すぐには話せないのでした)、あまりせっつかないことにし、この件についての愚痴も一切メール・電話はしないと決意を新たにしました。別に夫は、世間一般と比べて特別冷たい反応をしているわけでもないのですが、そして仲もいい方ではありますが、これだけはどうしても、永遠に分かり合えないんじゃないかと思えてきます。

 

徹底的に合理主義、現実主義になる。それしかこの治療を続ける方法はない。
治療は助成金が下りる回数まで(今年はあと2回)。失敗が続くなら転院も考える(仕事しながら今より遠い病院に通い続ける自信がないのですが……)。鍼や漢方、サプリ、代替療法なども面倒がらず試してみる(これは合理的ではないか?)。愚痴はブログ以外では吐かない。過去は振り返らず、未来も心配しない。不妊治療の先輩の話を直接聞く。間違っても「奇跡の妊娠」とかで検索しない。
文字に起こすと頭も多少整理されてくるけれど、ふとした瞬間に、導火線に着火したかのように呪詛と怨念が脳内を支配する。些細なことを思い出して悔しくなったり、自分はやっぱり生きている価値がないと思ったり……。
わたしが最初に不妊治療の話をブログに書いた頃、二人目不妊だという友人からメッセージが来て、お互い慰め合いのやりとりをしていたけれど、気がついたら彼女はとっくに妊娠して出産していたこととか。
数年前、妊婦の友人に「おなかさわると妊娠菌がうつるらしいよ~」なんて云われて素直にさわったりしたものでしたが、今はもう恥辱プレイ以外のなにものでもないと思ったりとか(笑)。
地震の話題になった時、子持ちの人に「野ぎくさんはいいわね~守るものがなくって」とさらっと云われたこととか。
昔、「才能のない人間は繁殖要員なんだからさっさと結婚して子ども作った方がいい」と、まあこれは名指しで云われたわけじゃないけど今さら思い出して心に刺さったりとか(才能も繁殖能力もない場合は死んだ方がいいですか?)。
…って、こんなことにいちいち反応していたら、いわゆる”不妊様”の典型じゃないか…まさに負のスパイラル!
子どもができたって、大して可愛がれる自信もないのにね。夜泣きだ保育園の申し込みだで悩まされたら、それまでの苦労も忘れて「子どもなんか産まなきゃよかった」とか平気で云いそうだし。そんな女のところに、赤ちゃんも来たくないよね……まだ新居すら構えてないしね……。
ただ、このような精神論もきっと妊娠の可否とは関係なくて、単に「BBAだからさ」(シャアの声でお願いします)としか云いようがないのが切ない限りです。

 

次回に続きます。

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2016年12月14日

初恋芸人~青春のハリガネロック

テーマ:偏愛

どうも、生きてます。お久しぶりです。
未だかつてないほど更新していないのは、仕事のほうで時間も気力も絞り尽くされて、ブログなど書いている余裕がないというのが最たる理由ですが……そうやって遠ざかると、ますます距離ができてしまいますね。わざわざ閉鎖宣言するほどのブログでもないけれど、もはや半永久的に休眠状態でいることになんの呵責も抱かなくなっております。

 

そんな中、突如このエントリーをアップした理由は、ユウキロックの本『芸人迷子』を読んだからです(久々にログインしたら、アメブロの仕様、だいぶ変わってるやんけっ!)。
少し前から関西出身の友人がお笑いにはまり、ちょくちょくライブに誘われるようになり、「M-1」の観覧も申し込んでくれ!と頼まれ(流石に外れました)……という流れから、M-1を久々に見、いやー今回は白熱してたなあとネットのM-1評を漁っているうちにたどり着いたのが、ユウキロックのコラムでした。M-1評も的確でしたが、何よりわたしの目を引いたのは、もうすぐ新刊が出るというニュースでした。
何故なら、かつて……わたしがいちばんお笑いに夢中になった時期に、いちばん好きだった芸人がハリガネロック、というかユウキロックだからです。彼は、わたしにとって“芸人に恋する”という意味での、初恋の人でした。

 

高校生から大学生、社会人にかけてくらいの間、「爆笑BOOING」「すんげー!Best10」「マジっすか?」「吉本超合金」など深夜に放送されていた若手芸人のお笑い番組を欠かさず見ていました。見始めのころの二大スターは千原兄弟とジャリズムで、特にジャリズムのボケであった現在の桂三度は明らかに天才でしたし、山下しげのりのツッコミも冴えわたっていました。まだ陣内智則がリミテッドとして活動しており、最も面白くないコンビと揶揄されていた時代です。大学生になってからは時々、心斎橋二丁目劇場のライブも見に行きました。確か「すんげー!Best10」の公開録画なんかがあって、友達と帰りの出待ちの人ごみに混じったりもしました。
忘れてはならないのが、今も放送が続く「オールザッツ漫才」、関西人必修の年末特番です。初めて見たのはたぶん94年か95年で、リットン調査団の強烈な記憶しかありません。途中の大喜利コーナーで、「新しい体位を考える」というお題で水野透が「岬めぐり」「仏壇返し」と回答していたのが未だに脳裏にこびりついています。
96年にはシャンプーハットがまさに彗星の如く現れて優勝をかっさらいました。シャンプーハットは結局、関西ローカルに留まっていますが、ルックスはいいしネタは面白いしで、全国で売れてもまったくおかしくないコンビでした。その時のコンビとネタを全解説したレポートが「月刊タルワキ」というミニコミ誌に掲載されていて、ずっと大切に取ってあります。フットボールアワー結成前に岩尾望と後藤輝基がそれぞれ組んでいた「ドレス」と「後藤・天満(後にエレキグラム)」がたいそうシュールなネタをやっていた記録もしっかり残っています。

 

閑話休題。振り返り出すと止まらなくなってしまいました。
関西で生まれ育った人間には、それぞれの“お笑い史”があると思います。わたしは、幼少期からどっぷりというわけでも、ダウンタウンを神と崇めていたわけでもありませんでしたが、自分の人生を時代的な何かに結び付けて振り返るとき、全国的な芸能や音楽、サブカルチャーなどよりお笑いの方がよほど指針になります。
さて、ネタ番組を見漁っていたころは、単純に面白いコンビはみんな好きという、大雑把なお笑い好きでした。それが、ユウキロック(個人的にはユウキロックというよりも松口祐樹のほうがしっくり来るのですが、それはさておき)という1人の芸人に夢中になり、この人のファンであると自覚し、ほとんど恋するような気持ちで好きになったのは、いったいどういう心の作用だったのか……。
怒りから昇華された笑いこそ至高だとわたしは思っています。当時のハリガネロックの漫才にはそれが漲っていました。貧乏とかモテないといった自身のコンプレックスから来る怒り、はたまたイチャコラしているカップルのような世のスタンダートというものに対する怒り。とにかくユウキロックは怒っていて、その怒りのエンジンが漫才に素晴らしい疾走感とキレ味を与えていました。それに応える相方の大上邦博は怒りとは程遠いようなのほほんキャラだったけれど、エアバッグのように軽やかに、ユウキロックを受け止めていました。
加えて、上昇気流に乗っている芸人特有のオーラと色気がありました。暑苦しいほどの野心と気迫が、一歩間違えればウザくなりそうなギリギリのカッコよさを生み出していました。それは、著書の中で何度も書いているように、漫才に人生を賭けている熱量の表れだったのだと思います。
目が離れていて意地悪そうなユウキロックの顔は好みというわけではなかったけれど、文句垂れの毒吐きキャラにはとても合っていて、いい男に見えました。ネタの最後に「センキュー!」と吠えて去るあのフリを思い出すと、恋の死骸を掘り起こしてしまったような狂おしい気持ちになります。
わたしの恋心(?)は2001年くらいがピークでした。旅に出る前、彼にひと目会えないものかと、若手芸人が通うという居酒屋に足を運んだこともありましたっけね……。怠惰でお金もなかったので追っかけをするには至りませんでしたが、2ちゃんねるのハリガネロックスレを目を血走らせながら読み漁って、彼女情報などが出るたびに一喜一憂していました。ああ、恋のゾンビが蘇るよ……。
2002年の3月に外国に旅立ってしまったため、そこからはユウキロックのこともほとんど考える暇もなく、さすがに3年以上も外国にいると忘れてしまいました。でも、外国をほっつき歩いている間にハリガネロックは長い低迷期に入り、久しぶりにユウキロックをテレビで見たのは、「アメトーーク!」の家電芸人企画でした。

 

そんなことを走馬灯のように思い出しながら、本を読みました。
ベイブルース、みのなが、水玉れっぷう隊、2丁拳銃、ストリーク、ビッキーズ……懐かしい芸人さんたちの名前がたくさん出てきて、この人たちと自分は何の面識も関わりもないはずなのに、その行く末を思って胸が締めつけられました。
低迷するハリガネロックを目の当たりにしなかったことは幸せだったのかもしれません。だって、M-1で準優勝したころ、関西にいたわたしにとって、彼らは間違いなく売れっ子芸人でした。居酒屋でうっかり会えるなんて思う方が間違っている、スターだったのです。わたしは中川家も好きでしたので優勝に異存はありませんでしたし、ハリガネロックは準優勝でも充分に存在感をアピールできたと思っていました。その後、ほどなくして「爆笑オンエアバトル」でのチャンピオンになりましたが、わたしはその頃にはもう旅先にいたので、本当の頂点をリアルタイムで見ることなく今に至っています。
東京に進出して失速した原因は、本にもいろいろ書いていたけれど、とうにファンを離れたわたしには判断のしようもありません。ただ、うっすらと思ったのは、M-1で準優勝だったことが、予想以上に後の活動に大きく影を落としてしまったのかも……ということでした。

 

本では、相方の大上くん(と昔は呼んでいたのでそう書こう)についてもわりと赤裸々に言及されていましたが、予想外ということもなく、確かに大上くんはそういうキャラなんだろうなと思いました。ユウキロックが以前コンビを組んでいたケンドーコバヤシのような強さや個性はないのです。だからこそユウキロックはケンコバではなく大上くんを選び、それがオンバトの頃までは功を奏してもいたのですが、現在のケンコバの立ち位置を見るにつけ、いろんな“If”を、運命の皮肉を、ボタンの掛け違いを考えてしまいます。前述のシャンプーハットのように、関西でそれなりの地位を築き、活動していくこともできたでしょうが、ハリガネロックはそれをよしとしなかった。そして長い低迷の末、解散に至った。そのことを、往年のファンだったわたしは、今さらながらに噛みしめ、心をざわつかせています。
大上くんは家庭を持っていたので、一時は3つもバイトを掛け持ちしていたと書いてあり、低迷期の苦しさがひしひしと伝わってきました。ずっと売れていなかったならともかく、一発屋でもなく、地道にメジャーへの道を進んでいたからこそ、そのエピソードは切実な悲しみを帯びています。
華やかな世界の光と影。ユウキロックが影の側に回るなんて当時は思ってもみなかった。でも、アグレッシブなキャラクターの裏にあった弱さや自信の無さを知って、それでもやっぱりお笑いの世界で生きていこうともがく姿を知って、昔の旅路で、辛くても、惨めでも、つまらなくても、誰にも必要とされなくても生きるんだと決めたときのことを思い出しました。

そして、あの頃、ギラギラしていたユウキロックに胸を焦がしたのと同じくらい、年を取ってコンビを解散し、人生を模索する彼の姿にも、なんだか堪らないような狂おしい気持ちになってしまうのでした。

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