2015年12月18日

巡礼風味(4)~性地and聖地編~

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皆さま、どうもご無沙汰しています。
巡礼もようやく最終回です。いつまで放置すれば気が済むのだよ。。。

シルバーウィークの最終日はお彼岸、父とともに、母の墓がある生駒霊園へ出かけました。
いつもなら墓参りを終えたらそそくさと帰宅するところを、かねがね気になっていた隣の寺を見学したり、広大な霊園内を周回したりとにわか観光していましたが、いざ帰路につく段になり、わたしは突然気がついたのです。
信貴生駒スカイライン(有料道路)が、この墓地の目の前にあるということに!

P9236274. 墓地の隣にある寺の堂内で寝ている人。
 
 
このことが、何を意味するか? それは、新地マニアでなければおそらく分かりません。
しかし、わたしが密かに驚いていた矢先、父は父でこの有名なドライブコースが墓のこんなに近くにあるとは思っていなかったようで、「せっかくやから走ってみるか」と云い出し、わたしは何喰わぬ顔で、内心小躍りしながらその提案に乗りました。
スカイラインの先は二股に分かれており、一方が生駒山上遊園地、もう一方が宝山寺へと繋がっています。途中には、大阪平野を一望できる夜景スポットもあります。
宝山寺といえば、ガネーシャが日本風に変化した「聖天様」を祀っていることで有名なお寺。聖天様は、7代先までの子孫の福をかき集めて願いを叶えるという、強力なパワーをもっているそうです。またの名を「歓喜天」といい、その姿はガネーシャ由来の象頭をもつ、男女交合像。一般の参拝客の目の毒になると判断されているのか、宝山寺のみならず、長らく秘仏として祀られてきた神仏なのです。

P9236287 宝山寺の境内。立派な寺です。人がいない瞬間を狙って撮りましたが、この日は参拝客多めでした。

そんな、ちょっと曰くのあるご本尊も気になりますが、この一連の巡礼で宝山寺といったら、それは、関西新地最後の楽園・宝山寺新地に他なりません。しかもこの新地は、宝山寺の参道に存在しており、完全に普通の観光という隠れ蓑をまとって、しれっと新地巡礼を行えるという、唯一無二のエリアなのです。
昨日も実は、ここまで来たら、宝山寺まで制覇したかったな……という気持ちはありました。でも、さすがに昨日の流れで信太山からアクセスするには遠すぎるし、かと云って墓参りが終わって帰宅してまた出かけて……というのも億劫だしで、あまり現実的ではないなと諦めていたのです。いや、それでも生駒霊園というからには、きっと生駒スカイラインもそう遠くはないのだろうくらいの予測はあり、5%くらいの淡い期待もないではなかったのですが、まさか霊園のすぐ隣に入り口があるとは思ってもみず、これも新地の神様(って誰だろ?)のお導きであろうか……としみじみ物思いするのでした。

生駒ケーブルの「宝山寺駅」から寺までの、「観光生駒」(生駒観光ではないところが、なんだかざわざわする怪しさ)と名付けられた参道では、門前町らしく食堂やおみやげ屋、観光旅館が軒を連ね、古きよき観光地といった風情なのですが、この観光旅館の一部(数軒)が、件の新地なのです。
料亭・旅館風看板でそれと分かったこれまでの新地よりも、さらに水面下に潜っての営業形態。何しろ、どこからどう見ても普通の旅館です。その手の旅館かそうでないかを見分けるのは、玄関先に、小さく貼られた「18歳未満お断り」の札のみ。かなり目を凝らさないと分からないレベルです。事前に情報がなければ、おそらく見破ることはできないでしょう。
この日はお彼岸の万燈会で、参道には紙の灯籠が点々と配置され、観光客もそれなりに行き交っておりました。父親がなんの不審もなく、のんきに父散歩(ちい散歩風に、とうさんぽと読んでください)しているその隣で、わたしは観光客に擬態しながら、鋭利な刃物のような視線をぎらつかせていました。どれがそれで、それがどれなのか? まるで標的にブラックライトを当てて光を浮かび上がらせるかのように……。

P923631 関西新地中、最も高度な擬態かもしれません。

 
P9236355 どれも怪しいけれど、どれも怪しくない…。


P9236347 たいへん分かりやすい旅館の案内図。
  
 
聖地のお膝元にある性地。一連の新地巡礼のラストを飾るには、これ以上ないほどふさわしい地ではありませんか。しかも、大峰山と宝山寺は、ともに役行者ゆかりの地であるという繋がりまで!
性と聖には共通点がある。この旅路でうっすらと抱いていた仮定を、ここに来たことでわたしは確信しました。性地と聖地が、ここでは同じフィールドにある。しかも、聖地の本尊が男女交合の秘仏だというのは単なる偶然とも思えず、性と聖が混濁一体となっていることに驚くばかりです。陰陽がひとつの円であるように、正反対でありながら不可分である、性と聖。
新地巡りの動機が、下世話な好奇心であることは認めつつも、同時に、聖地と同じく、俗界とは一線を画する畏怖すべき場所という認識も強く持っているのです。
大峰山の女人禁制と、新地の女人禁制(働いている人たち以外、という意味で)が同じとは云いませんが、大峰山のお膝元である洞川には、かつては”精進落とし”と称して修験の男性たちが売春する遊郭が存在していたという話を聞くと、さもありなんと納得してしまう感じ。今の旅館群はそうではないでしょうが、あのはんなりとした、扇情的とも見える夜景は、飛田のそれにも似ていると云えば似ています。
性と聖の不可分性は、結婚における妻という存在に象徴されているとも云えないでしょうか。すなわち、娼婦と聖女、両方の役割を一人の女に、公式に担わせることでもある……。いや、そもそも女性のみならず人間自体、両方を持っている存在なのか。

聖地に魅了されるように、性地に心惹かれる。
しかし、もう少し厳密に云うならば、歌舞伎町のように臆面もない夜の街や、吉原や雄琴などのあからさまなソープ地帯よりも、これら新地を含むいわゆる「ちょんの間」の、吹けば飛ぶような儚さと、日陰の花のような秘めやかさに、より惹かれます。
売春の社会的道義、通行人のふりをして新地を訪れること、さらにはこんなレポを書くことをどう正当化しようかと考え始めると、甚だしく混乱してくるけれど、善悪の物差しとはまったく関係のないところで、ただ、心を奪われる。世界のどこかにある、まだ見ぬ秘境に憧れるのと同じように、いっそ堂々と、これはロマンなんだと云い切ってしまえたらいいのだけど……。もう少し真面目に云うなら、純粋なる民俗学的探求心なのかもしれません。
関西の新地巡りはいったんこれで終わりますが、わたしはしつこく、絶滅寸前と云われている秋田町や防府を夢見てしまいます。実際に行くかどうかは別として……。
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2015年11月01日

巡礼風味(3)~聖地to性地編

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天川と洞川、そして大峰山を満喫して帰宅した翌日、わたしは再び、天王寺駅へと降り立ち、しかし阿倍野橋駅から近鉄ではなく、JR阪和線に乗り込みました。
前回、時間的な都合で、天川からのアクセスを諦めた、2つの目的地へと向かうためでした。その地の名は、天王、そして信太山。
ただ漠然と、新地巡りの延長として考えていたその地と、図らずも足を踏み入れた大峰は、わたしの中で、「聖地から性地へ」という標語となって結びつきました。単に語呂の問題ではなく、そこにはなにか、共通点があると思えたからです。

天王寺から約1時間強、紀伊中ノ島は、和歌山駅のひとつ手前にある、とってもローカルな無人駅です。住宅地の中に駅舎型のUFOが降り立ったかのような駅で、駅前らしいにぎわいは皆無です。それでも、住宅地ですから人の気配はあり、何の変哲もなさそうな町に異邦人(ってほどでもないけど)がのこのこ歩いていると不審に思われないだろうかと、余計な心配がわいてきます。
第1の目的地・天王新地は、駅から歩いて5分少々のところにあります。なけなしのネット情報からの推測でしたが、けっこうあっさり見つかりました。駅から大通りにアクセスできた時点でもうゴールは間近。わたしは、大通り越しにその看板を発見したのですが、まったく心の準備ができておらず、しばらくはそこを遠目に見ながらぐるりと外周を歩きました。
新地は、あまりにも小規模で、隠れているのかいないのかも分からないほど密かに、当たり前のように溶け込んで存在していました。しかし、ひっそりと云っても、大通りにでかでかと料理組合のゲートがせり出しているので、何も知らなければ商店街でもあるのかと思って入ってしまうかもしれません。わたしも、"無知なる迷子”として歩くという、1回こっきりのカードを切って足を踏み入れました。車が通れないほど狭い道の両脇に、スナックのような看板を出す、数軒の店。玄関の横にせり出す小部屋にはこたつのような卓があり、決して若くはない女性が1人、退屈そうに座っていました。その距離感の近さは、かつてアムステルダムの飾り窓区域を歩いたときにも似て、ガラス越しとは云え、一気に心拍数が上がりました。
新地はU字型になっていて、Uの底の部分にある1軒では、外の洗濯機で若い女性とやや年輩の女性が洗濯していました。その、あまりにも普通の生活風景に戸惑いながら、息を殺してエリアを抜けました。ゲートからここまでの間、わずか3分程度だったと思います。

 
P9226226 けっこう目立つ入口。

P9226221  ゲートをくぐって坂を下りる途中。ごく普通の、ちょっと鄙びた下町という雰囲気。

 ゲートの隣には、インド料理屋があり、休日の昼時とあってかけっこう繁盛しています。とりあえず、ここで昼食を取ることにしました。すぐ隣に新地があるとは思えないほど、日常的なランチ風景。ここに食べに来ている人たちは、その存在に気づいているのかいないのか……。
かつては、最寄りのバス停はその名も「天王新地」だったようですが、今は変わっています。
ランチの後、反対側のゲートから、もう一度だけ、意を決して、メイン通りではない方の坂を下りました。そこもかつては、店が並んでいたようですが、いまはどこも廃業している模様。目視する限りでは、営業しているお店は4軒のようです。台風か何かで吹っ飛んだらしい、U字の左側のゲートは、修復されないままこの先も放置され続けるのでしょうか。再びここが興隆を極めることはなさそうに見えるので、すべては朽ち果てるままに任せるのかもしれません。
先ほど洗濯機を回していた旅館の前を通り過ぎると、視界の端に、中瀬ゆかりを餅のように引き伸ばした感じの年輩の女性が、小部屋の中で長い髪を乾かしている様子が映りました。そうと知らなければ近所のおばちゃんの日常の一コマのようでもありますが、しっかり塗られた化粧と黒いスリップ姿には、やはりドキッとさせられます。
町にへばりつくようにして、あまりにも密やかに営まれる新地。ネットで初めて見た時に抱いた終末感はそのままでしたが、どこか牧歌的でもありました。それにしても、ここへ流れ着いてくる客の男性、働く女性は、なぜ"ここ”なのでしょう? あえてここなのか、それともここしかないのか……疑問がひときわ涌いてくる新地ではあります。


P9226231 更地も多く、現役のお店もかなり年季が入っています。

紀伊中ノ島を後にし、次は同じく阪和線に乗って大阪方面へ引き返します。途中の信太山駅までは約50分。
紀伊中ノ島に比べたら、駅前にスーパー玉出や商店群があり、いくぶん駅前らしさはありますが、格別にぎわっている感じはしません。そこから新地までは、徒歩5分。ここに新地がある理由はきわめて単純明快、近くに自衛隊の駐屯地があるからです。
目印は、ファミリーマートと、その先の寿司屋。寿司屋の角を曲がると、いきなりあの世界が広がります。やはり住宅地の中の一角ではありますが、お店の数も多く(ネット情報によると約40軒)、天王新地にはない緊張感が張りつめています。
ここは、今里と同じく旅館形式で、女性は置屋から派遣されてくるので店頭にはいません。ただ、独自システムとして「スタンド」と称した小さなスナックが何軒かあります。ゴールデン街の飲み屋のように窮屈に並ぶスタンドのドアには、「来店お断りします」の小さな注意書き札が。ここは、お店ではなく、女性の斡旋所なのです。
細かく入り組んだ路地には、びっしりと旅館――と云っても、門構え以外はごく普通の住宅の造りですが――が密集しています。どこも、開店したてという感じで、玄関は隙がないほどきれいに整えられていました。たまに、早い時間からのお客さんもちらほら歩いており、店内の奥のおばちゃんにわたしの姿ははっきりと見えないのか、「お兄ちゃん、どんなコがええのん!?」と声がかかり、飛び上がりそうになりました。。。
途中、小さな神社があったのでお参りしようかと思いましたが、密集する旅館のあまりの圧迫感に、立ち止まることは許されないような気持ちになって、ひたすら前に進みました。まだお天道様の高い時間ではありますが、営業中ということもあり、飛田並みに写真などもってのほかな雰囲気です。


P9226244. これはかなり外郭からのショット。ごく普通の住宅地でしかない風景。
P9226252 
P9226252 写真に困ったときは、玉出さんにご登場願います(新地とは関係ないんですけど、新地の近くには必ずあるという法則はここでも発動していました)。


息を詰めるように歩いていたせいか、新地を抜ける頃には、わたしの心臓は緊張によって真っ白に燃え尽きていました。
もう少し周辺を散策してみようと、駅とは反対方向に歩いていくと、巨大な昭和の団地が建っていて、敷地内の公園では、おばあさんが1人でブランコを漕いでいて、哀愁を漂わせています。
団地からぐるっと回って、線路沿いの道路に出てみました。しばらく歩くとたこ焼きスタンドがあり、その隣にある勝手口は、たこ焼き屋のものかと思いきや、"旅館"の裏手になっていて、そこからも入店できるようになっていました。さらに、その隣のマンション(のように見える建物)には「仲居募集」の貼り紙が。普通のマンションは、仲居を募集しないはずなので、ひょっとすると、いや、ひょっとしないでもこのマンションは置屋なのでしょう。この擬態っぷりに、劣情にも似た感情を催すわたしは、心のどこかが病んでいるのでしょうか……。
その後も、あくまで安全圏からの視察を試みましたが、限界を感じて退散しました。とは云え、せっかくこんなに遠くまで来たことだし、普通に町の散策でも……と駅前の案内板を見ると、かの有名な池上曽根遺跡がすぐ近くにあって驚きました。町というものは、実にいろいろなものを共存させて成り立っているのだな……と、妙なところで感心しました。


P9226250  たこ焼き屋と旅館のミスマッチな並び。

P9226267 いちおう遺跡もちゃんと見学。手前に見えるのは、呪いの藁人形……ではなく、神様だそうです。
 

ここで、わたしの関西新地巡礼は、いったん終わるはずでした。
何故なら、翌日は墓参りに行くことになっており、その晩には夜行バスで東京に戻ることになっていたからです。
しかし……奇妙な偶然によって、もう1回、続くのでありました。

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2015年10月25日

巡礼風味(2)~聖地編

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また間が空いてしまいましたが、天川村の続きです。
朝イチのバスでここを出て、和歌山に行けば午後には着けるか……とぼんやり思いながら眠りにつきましたが、翌朝起きた時点で、その目論見はもろくも砕け散りました。
午前中に周辺の観光をして、12時ごろのバスで出たとして、和歌山に着くのは限りなく夕方に近い午後。さすがにもう1泊して帰るってのも、父親に怒られそうだし……。
わたしの計画では、JR紀勢本線で下市口から和歌山にアクセスすれば効率がいいはずでしたが、どうもNAVITIMEで調べると、ほとんどの時間帯で出てくるのは、「下市口から阿部野橋に戻って、阪和線で和歌山へ」というルート。阿部野橋まで戻るんなら、家に帰った方がよくない? いや、まあ家から阿部野橋だって40分くらいはかかるけれども、宿泊費やら荷物のことを考えたら、いったん家に帰って出直した方がいいんじゃないの?


……まあいいや、午前中は観光しよう。話はその後だ。
ここに来たのがほとんど偶然のようなものだったので意識していませんでしたが、洞川温泉は、女人禁制で有名な大峰山の麓にあり、山登りの人たちにとってはここが起点ともなる場所です。
昨夜、陀羅尼助屋の店主に、なんとなくこの辺の観光について教えてもらうと、温泉街から女人結界門の間に、徒歩で回れる見どころが、いろいろとあるらしいじゃないですか。
ここまで来て、それらをひとつも見ずに帰るなんて……と、昨日とまったく同じMOTTAINAI思考回路で判断し、大峰山の女人結界門の手前にある、母子堂(役行者の母を祀っている寺)をゴールに定めて歩くことにしました。
攻めるべきポイントは、蟷螂/蝙蝠の岩屋、蛇之倉七尾山、ごろごろ水、母子堂です。ざっと3時間あれば見て回れるはず。
最初にさしかかるのは、蛇之倉七尾山です。道路ギリギリまでせり出した御堂が朝靄の中に浮かぶさまには、ゆんゆんと霊気あるいは妖気が漂っていました。おおお、やっぱ大峰山ってなんか、異世界の雰囲気あるなあ。お堂にお参りして、すぐ側の蟷螂の岩屋へ。看板には「大峰山一之行場」と書いてあります。
入り口では、歯の抜けたおじいさんが1人で屋守をしていました。年季の入りまくった懐中電灯を2つ渡され、洞窟の前でおじいさんが般若心経か何かを唱えて祈りを捧げてから、わたし1人で入場。
役行者が山を開く際、仮住まいにしていたという洞窟は、明かりを消すと、非常に純度の高い闇の中に放り出されます。こんなところで飲まず食わずで修行したら、そりゃ超能力もつきそうです。蝙蝠の岩屋のほうは、もう少し大きく、昔行った人によると実際に蝙蝠がわんさかいたらしいですが、このときはまったく姿を見かけませんでした。

P9216054. 蛇之倉七尾山の立派な門構え。

P9216065 右手に見えますのが蟷螂の岩屋の入り口。手作り感あふれる看板に小屋。

その後、母子堂まで脇目もふらずに歩き、目的も果たしたので引き返そうとしたら、お寺の人に「ここから女人結界門まで、たった2キロだよ、行かないの?」と声をかけられ、む、たった2キロの手間を惜しんで引き返すのは旅人の名折れ……と、さらに先へ進むことに。
車道の両側はひたすら杉杉杉で、ところどころ伐採されていたりもするので、景観としてはさほどではないものの、ただ好奇心に駆られて歩いていると、心の底から満ち足りてきます。ああ、いつまでもこうして、ただの旅人として歩き続けられたらいいのに……松尾芭蕉になれたらいいのに……。
茶屋が見えると、その先が結界門です。門の周りには、さまざまな行者講が建てた供養塔が林立しており、わたしが入れるのはここまでです。女人結界門から山へと続く道は、うっそうと茂る木々の影で、あまり先の方までは見えませんでした。
男性なら誰でも登山できるので、神秘的と云っても案外間口は広い気もしますが、世界遺産登録の際、未だに女人禁制というのは女性差別だとして、問題にもなったみたいです。まあそれは正論ですけど、神聖さというのは往々にしてクローズドなところにしか保たれないという側面もあるわけで、日本に1カ所くらい、そんな場所があっても罰は当たらないんじゃないでしょうかね。山に吸い込まれるようにして歩いていく男性の旅人をただ見送っていると、羨ましい気持ちにはなりますけどね。

P9216124 この先、女人禁制。


P9216135
 茶屋にて、コーヒーとようかんのセットで朝食。壁には行者講の寄せ書きの布や紙がびっしり貼られています。


あとはもう、来た道を洞川まで下るだけです。
途中、うわさの名水・ごろごろ水を空いたペットボトルに汲みました。採水場は駐車場になっていて、各駐車スペースに1つ、採水用の蛇口があり、みんなタンク持参で車でやってきて、大量の水を汲んで帰るようです。駐車料金がそのまま水代ってことですね。駐車不要の徒歩の人間は無料で汲めます。
その前には、鍾乳洞とそこに至るトロッコがあり、無論心を惹かれたのですが、ここで行ったらもう、和歌山に行くなんてことは無理。諦めて、先に進みます。
蟷螂の岩屋の入り口横に「嫁ヶ茶屋」という店があり、朝通りかかったとき、ウインドウに飾られていた「大峰山一合目 どくだみエキス」というボトルが気になっていたので、立ち寄ってみることに。
ちゃきちゃきしたお店のおねえさんが、よかったらお茶でもどうぞと促すままに着席し、店に遊びに来ているらしい女性と3人でしばし歓談。その女性は、東京のゲストハウスで働いていて、数週間前、大峰にやって来てそのまま居着いているらしい。と云っても、もうすぐ東京には戻るみたいですが、わたしもそんなふうに、気に入ったらしばらく滞在できる暇と金がほしい……。
その人に、七尾山は登りましたか? と訊かれて、いや、朝お寺に参っただけですと答えると、女性禁制の大峰のかわりに登る女性が多いんですよ、そして「霊感とかは特にないんですが、あそこは何か居るって感じます」と云います。
わたしは、霊感があると思ったこともなく、まったくそういうスピ的なものとは縁がない俗物なので、そうなんですかー、と話半分に聞いていましたが、七尾山の開祖が、仙人さまと呼ばれている行者だと云われると、がぜん興味が沸いてきました。


P9216152 一家で採水中。


P9216153 「嫁ケ茶屋」のおねえさんが強力にプッシュする名物・カレーうどん。確かに、絶品です!


ここで七尾山に登ったら、もう和歌山どころの話じゃないけれど、シルバーウイークはまだ半ば、アクセスを考えれば、明日出直して、今日のところはとことんこのエリアを極めようではないか。こんな山奥まで来て、見るべきものも見ないで帰るのは、わたしの貧乏根性が許さない。
いいんです、旅の予定なんていうものは、こうして修整され続けていくものなのですから!
寺の脇から始まる、階段になった登山道は、両脇に行者の錫杖を象った柱がびっしりと並び、一種異様な雰囲気です。それは別に、この世のものならざる何かを察知しているわけではなく、単なるイメージなんですけどね。
整備されているけれどどことなく手作り感漂う階段を、黙々と登っていきます。寄贈されたおびただしい数の柱のなかに、『ガラスの仮面』の美内すずえ先生のお名前を発見したり、奥の院を見上げてなんとなくトラブゾンの修道院を思い出したりして、40分くらい歩いたでしょうか。
奥の院の前は小さな広場になっており、「孔雀門」と書かれた門の奥にお堂があります。その先の洞窟内にご本尊があり、案内人なしでは入れません。神様を拝みにいくには、大人一人がやっと入れるくらいの狭さの穴からつり下げられたくさり梯子を上っていきます。神のご加護か、いままで怪我した人はいないそうですが、けっこう不安定で怖いです。しかも、「六根清浄と唱えながら上ってください」と云われ(しかも、♪ドードレミーミー、ソーミレミーミーみたいな音階と節回しあり)、こういうパフォーマンスが極度に苦手なわたしは、余計な冷や汗をかきました。いかにも健やかそうな4人家族と一緒の参拝で、子ども達が素直に唱えているのが、さらにプレッシャーを与えてきました(苦笑)。
梯子の先、洞窟の2階のような場所には、岩が自然に削れて現れたという立ち仏の本尊(真宇王大権現という名前だそうです)、何かを塞いだような岩戸、蛇の神様と称された白い鍾乳石が自然のトライアングルを描いています。、目の錯覚でないくらいにはきちんと仏の姿をしていて、これが自然にできたものなら確かに神のしわざと思ってもおかしくはないかなと思いました。岩戸の奥には、神様の会議室があり、ここに入れるのは開山した仙人さまだけだそうです。物理的に見ると、人間どころか生き物も入れなそうなくらい塞がれていますが、鍾乳石も、洞川には2つ大きな鍾乳洞もあるので、珍しくもないのかなと思ったりしますが、こんなところで妙に冷静になってしまうから、“何かが居る”とか、感じられないんだろうな……。いや、それでも不思議な場所であるとは思いますけどね。そこに一筋の鍾乳石があるというのも、確かに白い蛇とか竜みたいに見えますし。
そんなわけで、スピ体験はなかったものの、お参りのあと案内人の方のお話があり、わたしは今まで修験道というものに思いを馳せたことがなかったけれど、神道でもあり仏教でもありながら、そのどれとも厳密には同じではなく、新興宗教のようでもあるけれど宗教ともちょっと違う、不思議な立ち位置に興味を惹かれました。
この山は、その山口神直さんという仙人さまが開くまでは、村では長年、大蛇が出ると恐れられていた禁域で、開山に反対する声も多かったそうです。わたしは、自分の資質的に霊の存在や神秘体験を信じきれませんが、子どものころ、図書館にあった『日本の民話』というビジュアルブックシリーズを異様に愛読していたためか(数年前、ヤフオクで全巻セットを見つけたときは狂喜乱舞しました)、土地の言い伝えや土着的信仰は単なる迷信ではなく、異次元とつながる鍵のようなものを内包しているのではないかとは思っています。修験道に感じるある種の神秘性も、そういうものに近いのかもしれません。

P9216167 奥の院からの眺望。

山から降りたところで観光にも満足し、と云いつつ麓の龍泉寺にも寄って、いっそのこと洞川温泉センターで風呂でも入ろうかしらと思ったけれどそれはさすがに諦めて、最終の1本前のバスで帰路につきました。
行きは歩きだったので、とんでもなく遠い山奥のように思えた洞川も、バスに乗れば一瞬で天川川合に着き、うとうとしているうちに下市口に到着していました。
帰りの近鉄からは、大きなオレンジ色の夕日が、とてもきれいに見えました。 
  
P9216205 アンパンマン発見。 

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2015年10月10日

たまには人の応援とかね☆

テーマ:偏愛

※最初にアップしていた記事が、なんと、アメブロの検閲(爆)に引っかかって強制非表示になってしまいました。いいね!くださった方、すみません。。。


前回の流れから、いきなり話ぶった切ってすみませんが、お友達が、BL小説の(BLダメな人は今回はスルーしてください)、読者投票式賞レースにノミネートされています。
3人のうちの、月田朋さんという人です。
Charade新人小説賞
今回は、ささやかながらその応援記事を。


「BL作家を目指してる友達に、小説の下読みを頼まれてるんだけど……」
ある友達からそんな相談を受けたのは、もう3年くらい前だったでしょうか。その友達は、まったくBL読みの素養がないのでどうしたものかと思案していたところ、光栄にも(爆)わたしのことが頭に浮かんできたらしい。
いや、わたしはどっちかというと、やおいっ子だけど商業BL読みではなくて、『聖なる黒夜』とか『李歐』とか、どう考えたって怪しいストーリーでありながら、しれっと一般小説として出ているくらいの位置づけのものか、本物のゲイが書いたゲイ小説、あるいは二次創作ものとその原作を主食としているんです!なんて説明は、この世界になじみのない人にしたら、はぁ?だよな……。
ともかく、そんな縁で、わたしは会ったこともない友達の友達のBL小説を下読みすることになり、そのままその子とも友達になって、今に至ります。
わたしも編集者の端っこのさらに端くれ、渡された処女作にはお節介な赤字校正を入れまくって読みました(笑)。文章は上手いけど、構成がぎこちないなとか、なんでこの2人は惹かれあったのかよく分かんないなとか、所々に引っかかって読了した覚えがあります。
でも、その後、彼女はコツコツと小説を書き続けて、新しい作品は書くごとにこなれてきて、小説らしさを増しているのが、適当下読み係のわたしにも分かるようになりました。あ、これが、成長するってことなんだ、と。親かわたしは……。
その後は、無料の小説サイトで作品公開したり、ブログやツイッターもアカウントすら持っていなかったのを、作品宣伝のために開設したりして、地道に、じわじわと読者を増やしている様子。そして今、その処女作を改稿した作品が、商業BLレーベルの賞レースに乗っているのです。きっと、本人的には努力のわりにあんまり報われてないと思っているかもしれませんが、ここまで進んだことは大した前進です、ほんとうに。だいたい、わたしなんかからしたら、ブログの1本書くのもおぼつかないのに、小説という長大な架空の世界を築き上げられるだけでもすごいことです。


あまり小説の内容のことを書くと、読む楽しみがなくなるのでやめておきますが、出色のポイントは、やっぱり受のキャラクターなんじゃないかなと思います。すごく愛情持って描いているのが、ひしひし伝わってくる。
気まぐれで、淫蕩で、なのに侵しがたい気品があって、天才肌で、美形(まあ美形はこの世界のお約束だけど(笑))。これって、ひとつの理想の受タイプだと思うんです。や、人それぞれ理想は違うでしょうし、萌えというのは他人が予想する以上にはるかに細かいものですが、わたしが思い描く受の、理想の典型のひとつってのは、こんな感じ。
でもって、これって自分の彼氏になって欲しい男性像なのかというと、それはちょっと違ってて、どっちかというと自分がなりたい像なのかもしれない。でも、この属性をそのまま女性に当てはめたら、とたんに魔法が解けてしまうんですよね。このへんが、やおい論の難しいところ(なのか?)です。
この典型が、お手本のように、というか、完全にわたし好みに描かれている、教科書にして金字塔たる作品があるのですが、それは残念ながら非商業の同人誌なので、ここではあえて紹介しません。でも、彼女の目指している受像は、わたしの理想の受に近い気がしています。
ちなみに、この候補作には続きがあって、それも無料で読めます。受けキャラの魅力が全開になったこの2作目が、わたしは好きです。
※小説サイトに直リンするとまた削除されかねないので、詳しくはご本人のブログでどうぞ。


まあ、BLもだいぶ世間に認知されてきたとは云え、ダメな人には、ちょっと読むのはキツいかなあとも思うんですけどね。でも、興味のある方は、ぜひサイトを見に行ってみてください! 毎週火曜日更新で、2週目の今は、まだナニのシーンはありません(笑)。
しかし、ほかの2作品も、さすがに選考に残ってくるだけあって巧いし読ませるし、どんな結果になるのか目が離せません……。
昔むかし、世界一周バイヤーとかアルファポリスとかの投票で毎日、一喜一憂していた自分のことを思い出すと、そしてそれを応援してくださっていた方々のことを思い出すと、今度は自分が応援する側になって、ささやかながら力になれたら、と思う次第です。

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2015年10月04日

巡礼風味(1)~生地to聖地編

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会社員であること。それは、世間の足並みに合わせた休みしか、基本的には与えられないということです。
分かっていながら、未だに世の大型連休に海外旅行という事業が果たせない、ダメ人間のわたくしです。いつもギリギリまで休みが脅かされてきたトラウマが色濃いこともありますが、単に「計画性が無い」、このひと言に尽きます。
豪雨被害のあった地域へボランティア、という旅も考えられなくはなかったのですが、前夜まで激しく残業が続いたため、申しわけないけれど仕事的なものからは解放されたく……。側溝の泥出しとかは、そこそこ重労働ですしね。
しかし、激戦のチケット争いをしてまで観光・行楽地に行く気力もなく、またも安易に実家に帰ったのでありました。なんだかんだで、時間さえずらせば座れる新幹線の自由席は最強です。
初日は、朝から洗濯作業に追われ、どうせ朝に出発できないんならと原宿へ買い物に行き、大阪に着くともう宵の口。この日は父と天満橋で外食をしたのみでした。

P9195837 天満橋~淀屋橋あたりの川の夜景を見ると、大阪に帰りたくなります。
 
翌日、わたしは完全なる思いつきで、「天川村」を目指すことにしました。
と云っても、ダーツで決めたわけではなく、吉野以南の、いわゆる“奥奈良”エリアに、前々からうっすらと興味があったのです。わたしの中では、日本の数少ない秘境エリアのひとつであり、「天河伝説殺人事件」がまた、そのイメージを増幅させていました。ストーリーも映像もほぼ覚えてはいないものの、金田一耕助風味の土着感漂う雰囲気が、やけに神秘的に感じられた記憶だけはあります。
いや、本当の秘境を目指すのであれば、十津川村か、三重・和歌山・奈良の県境にある飛び地・島津村あたりまで行くべきなのですが、実はもうひとつ計画がありまして、そのルートを選ぶならば天川村あたりが妥当だったのです。
ということで、天川村の中に、映画の重要なモチーフとなった天河神社があるという情報以外、何も知らないまま、大阪阿部野橋から近鉄特急に乗って下市口へ。ここが天川村への鉄道の玄関口です。
そこからさらに、バスに揺られること約1時間で天川村の観光案内所前に到着。下市口の駅前バス停には、わたしの前後にも数十名程度の観光客が、バス待ちをしていました。駅前で待っているタクシーはまる無視状態だったのが、なにやら切なかったです……。そんなわたしも、さすがにタクシーを借り切って天川村へ行く懐の余裕はないのですけど。
地図やら時刻表が充実した観光案内所で資料を一式手に入れ、まずは天河神社を目指します。ほどなく見えてくる天ノ川(てんのかわ、と読みます)は、エメラルドグリーンの川面を湛え、この先の旅路を祝福しているかのようです。
ああ、この感じ、数年前に初めて奥多摩に行ったときと似ているかも!あのときも、軍畑駅を降りてほどなく見える多摩川が、まぶしいほどキラキラしていて、めちゃくちゃテンションが上がった記憶があります。
あまり人は歩いていませんが、河原ではちらほら、釣りをしている人や、バーベキューセットを広げている家族連れも見られます。
途中、新しそうなラーメン屋の看板が出ていたので、ふらふらと吸い寄せられました。人の家みたいな不思議なつくりのラーメン屋でしたが、桜塩を使ったラーメンは美味しく、なかなか繁盛していました。




P9205862 垣間見えるエメラルドグリーン!
 
  
 P9205874 「ラーメンGOZU」のさくらラーメン。桜塩は入れ放題☆

観光案内所のある天川川合から神社までは3kmなのですが、やっぱ歩くとそこそこ時間がかかりますね。みんなきっと、車で来ているんだろうな……。
にわかにかき集めたネット情報を集約すると、”何かがいる”と感じるパワースポットのようで、”呼ばれていなければたどり着けない"なんてことも書いてあります。
しかしながら、さほど大きくはない敷地内に、それなりの観光客が押し寄せていると、スピリチュアルな何かは消え失せるのでしょうか。神殿の前に能舞台があり、「五十鈴」というこの神社独自の鈴と、芸能の神様という珍しさはあるものの、人を寄せ付けないような霊的な雰囲気は特に感じられませんでした。周りは民家ですしね。オフシーズンだったらまた印象が違うのかな?
お参りを済ませたあとは、徒歩数分のところにある日帰り温泉「天の川温泉」へ。けっこう込み合っています。入浴はそこそこで切り上げ、畳の休憩所で湯冷まし。寝転がって、テレビから流れてくる「どぶろっく」の歌を聞いていると、こういう時間こそが幸せであり平和なのだなあとしみじみ思います。

P9205907 立派な本殿。
  
P9205926 昼寝にうってつけの広間。

神社に温泉、そこまでの川べりの道も歩いたし、なんとなく天川村を制覇した気になったところで、さて、次のアクションをどうしたものか?
このあと、わたしは和歌山にアクセスしようと考えていました。目的を明かすのはしばしお待ちいただくとして、実は和歌山には親しくしている親戚もおりまして、夜はそこに泊めてもらってもいいかなという目論見もあり、少なくとも最終のバスで下市口駅まで戻るつもりでした。
しかし、天川川合に戻ったのは15時半過ぎ。最終のバスまではまだ時間があるし、もう少し散策してもいいのかも……。わたしは脇目もふらず神社を目指しましたが、この辺りの見所は神社よりもむしろ、「みたらい渓谷」というウォーキングコース、そしてここから6km先にある「洞川温泉」なのです。まあ温泉はさっき入ったばっかりだからいいとして、せめて峡谷くらいは見て帰らないと、家から3時間もかけて来た元が取れないのではないだらうか……と、いつものMOTTAINAI精神が、むくむくと頭をもたげてきました。
まだまだサマータイムとは云え、この時間から新たな目的地を目指していいのかよ!?かという不安の声を背中に聞きながら、わたしは歩き始めました。そして、いったん歩き始めたら、戻るのがMOTTAINAIので戻れない、それが貧乏性というものです。壊れた機械のように歩くことをやめられないのです。
みたらい渓谷を過ぎても、わたしの中には「戻る」というボタンが内蔵されていないため、洞川温泉へと至る山道をずんずん歩き進めていました。渓谷で記念撮影をしていた観光客たちの姿もふっつりと消え、けもの道ではないにしろ、そろそろ日の陰り始めた山の中を一人で歩いているとそれなりに不安も募ってきます。
天川村で一泊してもいいかなとはうっすら考えていたものの、洞川温泉に行くつもりはまったく無かったのですが、ここまで来たらもう、行くしかありません。まあ、この一寸先を絶えず変更・更新していくことこそ旅の醍醐味なんですよ! 誰かそうだと云って!
温泉までは山を歩くコースも続いていたのですが、これ以上暗くなると本当にケモノが現れそうなので、車道の端を歩きました。車道は特に見るべきポイントもなく、ひたすら「陀羅尼助丸」(薬)の看板が続くのみですが、それがなにやら山奥の村への妖しい誘いのようにも見えて、ちょっとわくわくします。

P9205948 みたらい渓谷に至る車道からも、こんな川の色が!


P9205969 写真では明るいですが、一人で歩いているとそこそこ暗くて不安になります。。。
 

結局、6kmですから1時間半くらいでしょうか、歩き続けて洞川温泉街に至ったときは、「村じゃあ!村が見えたぞお~!」と、『日本昔ばなし』のさまよえる旅人にでもなったような気分でした。

しかし、そこは妖しの村でもなんでもなく、わたしはついぞ知りませんでしたが人気の観光地。公共の温泉センターの駐車場にはびっしり車が並び、温泉街のメインストリートを観光
客がそぞろ歩いています。木造旅館が建ち並び、旅館の裏手には川が流れ、昔の宿場町のよう。車道の看板が物語るとおり、旅館と同じくらいかその次くらいに多く「陀羅尼助丸」を売るお店があります。旅館・陀羅尼助屋・旅館・旅館・陀羅尼助屋・旅館・喫茶店・陀羅尼助屋……こんな感じの並びです。陀羅尼助丸とは、修験道の行者が山行の際に携帯する”はらぐすり”で、仁丹くらいの大きさの黒い丸薬です。1300年くらい前からあるらしいです。

P9205999  山奥にこんな立派な温泉街があるというだけで感動します。

 

さて、街歩きをのんびり楽しんでいる場合ではありません。わたしがまずすべきことは……宿探しだ! 今がシルバーウィークだということは重々承知していますが、こんなに旅館もたくさんあることだし、1人が泊まれる部屋くらいあるんじゃないのと高をくくって、どの宿がいいかな~と完全に買い手市場目線で物色していました。

しかし、程なくして「シルバーウィークをなめんてんじゃねーぞこの腐れ旅人が!」と旅の神様から叱責を受けることになりました。5~6軒は続けて断られたでしょうか、小ぎれいな人気っぽい宿は避けたつもりでしたが、そして最初は眼中にもなかった端っこの方の宿にも当たりましたが、どこもかしこも満室! まあ、大型ホテルじゃないし、部屋が有り余っているってことはないよね……。
町外れの、食堂と旅館が一緒になっている、ここなら行けそうと思った宿もアウト。すごすごと店を退散しかけたら、食堂で夕食を食べていた夫婦が話しかけてきました。
「わたしたちが泊まっている宿は、空いてそうだったわよ。ここからも近いし、聞いてみたら?」
これぞ神の声! さっそく、フリーペーパーに載っていたその宿に電話をかけてみましたら、「え? 今晩ですか?」と一瞬ひるまれながらも、一部屋空いてますのでどうぞ、とのありがたいお答えが!!
わたしは、しみじみと思いました。自分にとって"いい宿”の条件。それは、きれいだとか、サービスがいいとか、食事がおいしいとかではなく、「泊まれる」ということである……と。そうだよ。このハイシーズンでもふらりと行って泊まれる部屋がある。これ以上のすばらしい宿があるだろうか?!

宿は、昔からある行者宿のようで、応接間には、行者講の寄せ書き布がたくさん飾ってありました。簡素な和室は、一人で泊まるには十分すぎる広さで、共同浴場も田舎のおばあちゃん家のような雰囲気ではありますが、しっかり温泉。
わたしは、すっかり勝ち誇った気分になって、さっきとは打って変わった足取りで、夜の温泉街を散策しました。
旅館や陀羅尼助屋はいずれも風情のある純和風建築で、オレンジの光がそこここから漏れ、通りに面した縁側では宿泊客が思い思いにくつろいでいます。有名な観光地ではあるんだろうけど、山奥に突如現れるレトロな温泉街は、どこかフィクションの世界のようでもあります。つい安直に「千と千尋的な」とか形容してしまう、そんな佇まい。
洞川の名水・ごろごろ水の店で水のレクチャーを受けたり、亀仙人の服を着たおじさんが焼く炉端焼きの店で子持ち鮎を食べたり、行者グッズのお店に入ったりと、ひととおり観光してから宿に帰ってもまだ9時前。はああ、いっぱい時間があるうう! 家と違って、気が散るようなものもなく、なんというか、無色透明のまっさらな自由時間が差し出されたような気分!
……だったんですけど、明日の予定をどうするか悩んで検索魔になっていたら、あっという間に深夜になっていました。そして、なんだか長くなりそうなので、次回に続きます。

P9206019 名物の子持ち鮎。食べさしですみませんが、とても美味でした!

 P9206025  温泉街のはんなり夜景。 
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2015年09月17日

Red Light Special

テーマ:
はあ、また放置してしまった……しかも、不妊とか重めの話題のあとに(苦笑)。
気を取り直して、前にここで宣言しましたとおり、7月の帰省の折に新地ラリーを更新してまいりましたので、そのご報告をば。
あまり時間がなかったため1カ所のみですが、次回もう1カ所行けば、とりあえず人生の中で大阪五大新地は踏破ということになります。
訪れたのは、生野区にある今里新地。
事前にあまり情報収集もせずに、「鶴橋の隣くらいやろ」という適当さで行ったら、炎天下のなか、空腹を抱えて1時間近く歩く羽目になってしまいました……。巡礼は計画的に。
まあ、鶴橋も駅周辺の韓国料理屋くらいしか行ったことがなかったので、あの辺の雰囲気を知るという意味では、まったく無駄足というわけではありませんが、今里方面を目指すにあたっては、ディープめの韓国タウンではないエリアを歩くことになり、ひたすら住宅街が続いたのが失敗でした。
せめて、『パギやんの大阪環状線案内』くらいは東京の家から持ってくるべきでした。この本は、大阪出身の在日韓国人のシンガーが書いているのですが、わたしが知りたい大阪、つまり東京の劣化版としての大都市ではない、"土着大阪”ともいうべきエッセンスがぎゅっと詰まっています。

さて、今里新地には公式HPというものがあります。
そこに書いてある、●●×丁目付近という記述を鵜呑みにして目指してみたんですが、それってあくまでもヒントだったのよね! おかげで、×丁目を20分くらいは、おかしいな~見つかんないな~とさ迷い歩いてしまいました。本当は▲丁目なのよね。確かに、×丁目“付近”っちゅーのは間違ってない!
ネットで調べると、「今里新地」というド派手なゲートが目印になっているのですが、それはすでに撤去された模様。これも目印だと思っていたから、余計に混乱する羽目になりました。
今里新地の最大の特徴は、コリアンタウンと共存しているということです。×丁目の方はほとんど韓国系の店はなかったのですが、▲丁目に入ると途端に様相が変わって、いきなり鶴橋駅周辺のビカビカした色合いに。鶴橋とは正反対の静けさだったのは、たまたまアイドルタイムだったのか、それとも完全に夜の街で昼間は眠っているのか……。
韓国料理屋とカラオケとスナックが混在する区画の中を、件の“料亭”ストリートは主に4本、走っています。飛田のようにずらりとそれオンリーではなく、普通の料亭も隣り合わせになっていて、一見しただけでは区別がつかないことも……。まあもちろん、「18歳未満お断り」の札が小さく貼られているので、見分けはつきますが。それにしたって、なかなかの溶け込み感です。飛田や松島みたいに明らかに異質な感じではなく、“料亭”のおばさんたちが、道路に水撒きなどしているのも、それと知らなければスルーしてしまう風景でしょう。夜は、軒先に赤やピンクの明りが灯って、途端に異空間と化すのでしょうか……。
ただ、今里は飛田などと違っておねえさんたちの顔見世がないようなので、案外、夜も普通の料亭然としているのかも……いや、そんなことはないか。

わかりますでしょうか、下の3枚の写真の、どこに件の店があるのか……。

P7285033 

P7285036 

P7285037 

昼間とは云え、うっすらと妖気に当てられたようで、帰りの電車でしばらくの間、新地の光景を脳内でリフレインしておりました。
次回に備えて、地元から信太山へのアクセスでも調べるか、大阪でも南の方だから、結構遠いんだよなあ……などと心の中で呟きながらスマホにかじりついていましたら、わたしの検索はいつしか、和歌山の天王新地なる場所へとたどり着いていました。
その写真と見知らぬ人のレポートを見て、わたしの胸は異様な高まりを覚えました。
このマイナーな終末感、都築響一的世界からさらに三段階くらいディープなロードサイド感……!!
飛田や松島など、ここに比べたらずいぶんと華やかでメジャーな場所に思えてきます。今里はおろか、滝井でさえもここよりは明るさがあるのではないでしょうか?
これまで新地に感じていた淫靡さや妖しさとはまったく別種の、離島の秘密の儀式にでも迷い込んだような胸のざわつきを抑えられず、取り憑かれたようにこの手のマイナーな色街を検索しまくりました。
さらなるアンダーグラウンドへと誘われた先には、徳島の秋田町にある、何の看板も出さず料亭どころか住宅に擬態して営業している数軒のちょんの間、山口の防府にあるたった2軒のガラス張りのスナックなど、47都道府県の風俗を制覇しようという猛者でもなければ一生知ることもなさそうな場所が。
それらを知ってどうしようというのか? 女のわたしがそこで買うわけでも、まして売るわけでもない。例えばアイスランドに行きたいというのと同じノリで、好奇心だけに任せて全国を飛び回るつもりもない。
それでも、いつか行きたい秘境リストと同じく、ある種の聖域として刻まれ、恐れながらも夢見る風景として、わたしの心に留まり続ける。いや、むしろ、日本に残されている本当の秘境とは、案外こういう場所だったりするのだろうか。
絶滅してしまった色街の、名残の建物も決して悪くはありませんが、あまりにもひっそりと存在し、摘発されれば一気に絶滅が危惧される、風前の灯火のような現役の“新地”や“ちょんの間”の方に、より心を惹かれてしまいます。この思いは、好奇心であることは間違いないけれど、もっとなにか、郷愁とかブルース的なものと云った方がしっくりくるかもしれない。

そんな流れで、カストリ出版という謎のレーベルが、長年、幻の本とされていた『全国女性街ガイド』の復刻版を出していたので、それを5,400円も出して入手。ついでに、竹久夢二調のレトロな表紙がかわいい『全国遊郭案内』も購入しました。まあ、文字だけの本ですし、結局はこれらの内容も、絶滅した色街を偲ぶよすがにしかなりませんが……。
さらに、興味は海を渡って韓国へ……『[定本]韓国全土色街巡礼』という本へと至りました。わたしは、韓国を旅するイメージというのがあまり明確でなかったのですが、この国独自の赤線街の風景は美しく、大いに旅情をそそられました。
夜を妖しく照らす赤い光を見ていると、不思議と心が安らかになるのは何故なんでしょうか。本当にどうしようもない人間です。


P7285038 「青春を返して」という、ちょっとお茶目な店名のカラオケ。この改行すらキュンと来る(笑)。
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2015年08月10日

赴任、じゃなかった不妊

テーマ:上京後

藪から棒になんやねんというタイトルですが、文字通り、不妊で悩んでおります。
いやあんた、結婚もしてないし、悩む順番間違ってない?と云われそうですけど、基礎体温はもう4年くらい計り続けていて、なるべくそれを目安に子を作る行為もしていたりして、まあ妊娠できたら結婚しようという話で、ここ数年推移してきたわけなんです。
しかし、一向にできないもんですから、高度不妊治療なるものをいよいよ考えねばとなった時に、未婚でいるとそれらが受けられないので(人工授精までは大丈夫みたいですが)、今さらながら結婚も同時進行で考えているんですけどね。

 

不妊のことを考えると、もう笑ってしまうほど簡単に絶望的な気分になれるもので、この週末も、高温期が続いてうっすら期待したと思ったら高温のままリセットという流れになって、もうアホみたいに落ち込んでしまい、貴重な土日を悶々と無駄に過ごしてさらに落ち込むというデフレスパイラルに陥っておりました。生理のせいなのか、だらだら寝ていたせいか、体は重いし、頭痛は治らないし、食欲はないし、吐き気はするしで、これで数時間後は月曜日で仕事かよと思うとさらに頭痛がひどくなってくる始末です。体調が悪いと、心も簡単にマイナス方向へ引きずられますね。今後は、週末はジムにでも通って、もう少し健康的に、建設的に過ごそう…。
転職する数ヶ月前――2年前の初冬です――、やっぱり婦人科にちゃんとかかろうと思って2ヶ月くらい通っていたこともあります。それで、検査を進めるうち卵管造影検査で引っかかりました。卵管が1つ閉塞していて、このままでは自然妊娠はほぼ難しいですねえと云われて、卵管を通すFT手術もやりました。生まれて初めて全身麻酔したんですが、あの感覚ってすごいですよね。ほんと、スイッチを切ったみたいに意識が完全になくなって、ああ、死ぬときってこんな感じなんかなあ…と思いました。
その手術で卵管は通ったんですが、その後、転職が決まったこともあり、病院には行かなくなって、今に至ります。検査もしていませんから、再び卵管が閉塞している可能性も十分あります。手術は保険で半額以上のお金が出たし、彼氏には精液検査までしてもらったというのに…(苦笑)。
転職自体を後悔しているわけではないけれど、あのまま前の会社に在職していれば、もうちょっと真面目に不妊治療を続けられたのかなと思うと、計画性がなさ過ぎる自分のふがいなさを呪わないでもありません。しかしまあ、そんなもしも話をしてもしょうがない。

 

世の中には、もっと努力してお金もかけて真剣勝負で治療に通っている人もいるわけなので、こんな、妊活とも云えないようなレベルで落ち込むのはちゃんちゃらおかしいですよね。葉酸サプリやらルイボスティーやらも適当にしか飲んでないし、腹巻もしてないし、何より規則正しいストレスフリーな生活とは無縁!でも、一方で、そこまでしなくてもできる人にはできるわけで、だから不妊は悩みが深いんだと思います。だって、できるとできないとでは、かなり人生設計も変わってくるのに、ほとんど博打みたいなもんじゃないですか。わたしだって、今はっきりと、妊娠の可能性がゼロだと分かれば、さっさと荷物をまとめて再び旅暮らしに移行したいですよ(笑)。ゼロではないとか思っちゃうから、そこの悩みから抜け出せない。
ま、こんな年になるまで放っておくほうが悪いとか云われたら、何も反論できませんが、世間並みに相手が見つかって、結婚できて、子どもができて…というステップを、どういうわけか、なかなか踏めない人間だっているんですよね…。
不妊で悩む人の大多数が陥る行動だと思いますが、生理直前になると異常なほどの検索魔になって、「高温期 ●日 妊娠」「生理前 妊娠 違い」果ては「生理が来たのに妊娠」とかわらをも掴むような(笑)検索ワードまで入れて、少しでも希望を見つけようと躍起になるのが、我ながら滑稽です。中国製の安い妊娠検査薬も、無駄と分かっていながら試してしまいます。


そんなことで悩むより先に結婚だろう!と、世の中的にはそうなるでしょうし、何より高度不妊治療を受けられませんので(受けられる病院もあるにはあるようですが、ほとんどはダメみたい)、ようやく今は、先に結婚してからにしようと思うようになりました。まあ、妊娠してから準備すると何かとたいへんそうですしね。
それでも、結婚してやっぱりわたしが子どもの産めない体だと分かったら、申し訳ないという気持ちを引きずらずに結婚を続けることができるのだろうか…と不安はあります。
もし未婚でも既婚者と同様に高度不妊治療ができるのなら、本当はそうしたいと、今でも思います。その壁があるから、「やっぱり1秒でも早く体外受精しないとダメかも!」という思いこみモードに突如入ってしまっていきなり結婚を迫るという、実に悪質な行動を取ったのも、一度や二度ではありません(苦笑)。


ただでさえ更新の少ないこともあり、この手の生々しい話は長らく避けていたのですが、今夜は何だかあまりにも頭が痛くて気分が優れないので、ついここで発散してしまいました。
次回(いつだ?!)は、何事もなかったように新地めぐりの話でもしたいと思います。

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2015年07月31日

家族の人生

テーマ:上京後

つい先日、またまた実家に帰っておりました。
ここ数回は、戻りの夜行バスで涙を流すほどの激しいホームシックはさすがになくなりましたが(自宅から近いバス乗り場に変えたのがよかったみたい)、その代わり、確実に流れている人生の時間をいちいち痛感することが多くなりました。
最も、自分の感覚的には、長い旅から戻った後はほとんど時が止まっていまして、まあそれというのも己の成長とかイベントごとがほとんど無いせいもあるんですが、2015年の半年の間にも、わたしが上京時に1ヶ月だけ居候していた親戚宅の末っ子は成人式を迎え、姪は小学生になり、かと思えば近しい親戚が老人ホームに入り、高校時代の友人は結婚して大阪を出…と、周りの人生は目に見えて変わっているのでした。
そうした周りの状況を、わたしはまるで『ポーの一族』のバンパネラのように半ば取り残されたような、傍観者の心持ちで眺めているのですが、バンパネラと違って肉体は確実に年を取っているのですから切ないですね。まあ、本当に心も体も年を取らなくなったら、それもつらいとは思いますが……。


それでも、昔読みふけった本が並ぶ実家の本棚を見ていると、成長ないとか云っても、いちおう自分の人生もいくつかのステージ(段階)を経て変遷してきていることが分かって、なんだか遠くまで来ちゃったなあという気にはなりますね。おそらくもう人生で読み返す時間もなさそうな本を眺めてみると、軽く死に支度に入ったようでもあり、もう長くないのかも…などと、あらぬ想像を始めてしまっていけません。
GWと先日の帰省では、実家の台所を大掃除しまして、わたくし同様捨てられない体質の父親が、溜めに溜めこんだレジ袋、割り箸、謎の書類、謎の薬、その他ガラクタ類を一気に処分しました。自分の部屋は片づけられないのに、他人の(っても実家だけど)空間は容赦なく片づけられたので我ながら驚きました。
実家に降り積もった物たちは、そのまま時間の堆積でもあって、ブルドーザーのように片づけているとまるで父親の人生を削り取っているような感覚がなきにしもあらずで、小さく胸は痛んだのですけどね。まあ、レジ袋が父親の人生を形成しているわけではないだろうから、いっか!
物も事も、どれほど積み重ねてもやがては無に帰するということに、日に日にリアリティが増していくのは、確実に死に向かっている証拠なんでしょうか。そして、実家は今でもわたしにとって「帰ってくる場所」ではありますが、それとて長い目で見れば仮の宿でしかなく、決して永遠ではないことを思うと、もう人生で何を信じたらいいのか分からなくなってきますね(笑)。


ところで今回の帰省には、いちおう目的がありまして、叔母から「じいちゃんがだいぶ弱っています」というメールを受け取ったため、本当は一人でハワイでも行くかな~とぼんやり計画していたのを止めて、祖父の顔を見に行くことにしたのでした(ちなみに母方です)。
ここ数年で別人のように弱った祖父とは、あまり会話らしい会話が成立しなくなっており、正月に帰った時も、完全にボケてはいないのですが常に半分寝ているような、もったりと重なったヴェールの向こうにいるような感じでした。それに反比例するように祖母は本当によく喋り、ちょこちょこと祖父をディスっては、たまに祖父がしゃきっと蘇った時に怒られたりしていました。
そしてこのたび帰省してみると、母屋の従妹が「今回はもうほんまにあかんかと思った」と云っていたのもうなづけるほどの弱り具合。わたしと父のことはかろうじて認識できているようですが、話しかけてもまともな答えは返ってきません。正月まではずっとかけていた眼鏡を外したのも、弱った印象を増長する一因で、「なんで眼鏡かけてへんの?」と叔父に訊いたら、「もう眼鏡かけてまで見るもんもないんやわ」という答えが…。
それでも、わたしと父が帰省すると聞いて少し魂が戻ってきたのか、数日前は起き上がることもできなかったのが、起きてソファに座れるくらいには回復したようで、なんなら家の中を歩くこともできていました。それを見て、みんなが「おお、歩いた!」と歓声を上げるのがまるで幼児に対する反応のようで、"人は赤ちゃんに還るのだ”という言葉を目の当たりにした感じでした。しかし、それを是と取れるほど、わたしはこのような状況に慣れておらず、どうしても"人生って残酷だな”という気持ちのほうが先行してしまうのでした。こんな豆腐の如きメンタルでは、仮に父親の介護などするようになったら、まともにやっていけるのか甚だ心配です。


ここ最近ですが、祖父母の家に来たら必ずやることがあります。それは、昔の写真アルバムを、そこに居合わせているみんなで見ることです。
データの時代になって、なかなかプリントや整理をしなくなってしまいましたが、このアナログアルバムの威力はなかなかにすごいものがあり、何と云ってもいちばん盛り上がるのは家族写真です。逆に、撮っている時はやたらと気合いの入る旅行先の写真(特に風景)は今いち盛り上がりません。
わたしは戦前の写真が見たくて、特に祖父母の結婚式の写真が残っていたらいいなあと思ったのですが、あいにく叔母が持ち出しているとかで、見ることは未だ叶っていません。その代り、祖父の尋常小学校時代の集合写真が出てきまして、さすがにこれくらい古い写真になると、発見しただけで感嘆の声が洩れます。ティーンの頃の祖父の顔なんて分かるはずもないと思いましたが、意外とこれが判別できたりして。
「じいちゃん、男前や~ん!」などと盛り上がるわれわれの傍らで、すうすうと寝息を立てている祖父、その寝顔を眺めながら、当たり前だけど祖父にも子ども時代があって、青年に、壮年になって今に至っているのだなあ…と、祖父の長い長い人生を想像したら無性に感極まってくるのでした。
祖父はあとどのくらい生きられるのでしょう。祖母は元気そうだけど、もう90を過ぎているし、それを云ったら父親だって、まだまだ死にそうにはないものの、いずれは現在の祖父のように、会話もままならなくなるのかもしれません。「みんな、長く生き過ぎたなあ…」と、ふと漏らす父の表情には、確実に老いと死の陰が見えるようで、なんとも云えぬ苦しい気持ちになりました。


祖父は、仕事を辞めた後、1年くらいかけて膨大な写真を整理したそうです。そのおかげで、我が家にさえ無いらしい、父母の結婚写真が出てきたのでもらい受けてきました。
まるで他人のように若い父母の姿を見て、家族だからと云って何でも知っているわけじゃないんだな、むしろ、家族のことなんて何も知らないのかもな…と思いました。むしろ、豊臣秀吉とか小室さんの人生のほうが、遙かに熟知している気がします(苦笑)。
かく云うわたしだって、ネット上の不特定多数には公開しても家族にはまったく告げずに3年半近くも放浪していたのですから、家族についての情報をよく知らないのは珍しくないのかもしれませんが…。
わたしは、死んだ母のことも今ひとつよく知らないままです(仮に生々しい日記とか出てきても読むのを躊躇いますけど…)。そして、以前は「いつか帰ってきそうだな」という曖昧な感覚だったのが、今ではもう、他人のように遠く感じています。アルバムの中にいるいろんな年齢の母を、まるで歴史上の有名人のように認識してしまい、わたしには本当に母親がいたのだろうか…という感覚にさえ襲われます。前に誰かに、「お母さんが夢に出てきたり、ふっと気配を感じたりはしないの?」と聞かれたことがありましたが、そういうのも全くありません。我ながら、人として何か大切な感情が抜け落ちているのではあるまいかと不安になります。
わたしが母を思い出す時、なぜか真っ先に浮かんでくるのが、死の1年前くらいに一人で『オーメン』のシリーズを観ていた後姿です。わざわざレンタルしていたわけではなく、たまたまテレビでやっていたのでしたが、仕事から帰ってきてその姿を見たわたしは、「お母さん、ホラー映画なんか観るんや…」と、なんとも不思議な気持ちになったのを覚えています。その残像ばかりが浮かぶのは、母について実はあまり知らないことへのある種の後悔がそこに象徴されているのかもしれません。この世で最も血が濃いはずの母ですらこれほど他人のように感じられるのに、"血は水よりも濃い”なんて、果たして本当なんでしょうかね? 単にわたしが薄情すぎるだけでしょうか?
そんなこともあって、父親とはなるべく話すようにしているけれど(しかし旅の話題には触れないw)、それでもやっぱり、知らないことがほとんどのまま、別れの日が来るのでしょう。いや、家族どころか、自分のことも結局はよく分からないままで、人生は終わっていくのだろうと思います…って、あきらめたらそこで試合終了ですか。


というわけで、今回は、いつにもまして暗いエントリーですが、特にいま人生が不幸で満ちているわけではありませんので、ご心配は無用です(笑)。

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2015年06月29日

自由と欲望の狭間で、断捨離…とつぶやく

テーマ:上京後

部屋と人生は必ずしも一致しないとは思いつつも、このままだと人生が破綻してしまいそうな恐れすら抱かせる現在の部屋は、やはりどうにかしないといけないと、毎日のように考えています。
今さら云うまでもないですけど、とにかくモノが多い。大地震が来なくても、物理的に倒れてこなくても、今の状態ではモノに押し潰され、下手したらモノに殺されかねません。
モノが増えていくのは、ある段階までは幸せだったと思うんです。好きなブランドの好きな服、読みたい本、美しい雑貨…わたしは、好きなモノに囲まれて生きたかった。そしてそれは、ある程度、達成されました。
ところが、モノはあればあるほどいいかと云ったら、そうでもないらしいということに、やっとのことで気づき始めております。
ひとつひとつのモノは素晴らしいのに、わたしの小さな頭が把握しきれないために、モノの価値はどんどん暴落し、こないだ買ったアレよりも、お店でキラキラしているあの娘が欲しくなる。そして、かわいいあの娘をカオスな我が家に連れて帰って来た途端、お店での煌めきが魔法のように消え失せ…まではしないものの、半減してしまうのです。

 

そもそもは、引っ越ししたい→モノを減らさないと無理、というきっかけではありましたが、今は、引っ越しする/しないに係わらず、1日も早い身辺整理の必要性を感じています。近い将来に死期が迫っているのでしょうか…。
それで、春先くらいからボチボチ手をつけてはいたのですが、本は文字通りの二束三文にしかならず、あっという間にやる気が沈下。比較的単価の安い本でさえこんな気持ちになるなら、服なんて売ったら心がズタズタになるんじゃなかろうか。前に旅行資金に困って売ったときだって、「もう、お気に入りの服を売るような悲しい真似はすまい」なんて決意したくらいなのです。
そんなことを考え始めたら、当然ながらモノの処理は遅々として進まず、今に至っていたわけですが、最近、『ぼくたちに、もうモノは必要ない』という本を読んで、再びやる気が湧いてきました。
このテの本はもう読み飽きた、読んだ結果がこの部屋というザマだしな…と、懐疑的になっていたのですが、なぜかやる気になれたのは、この作者さんと、自分の背景がよく似ていたからです。
モノを買うのが大好きで、部屋はモノで溢れ返っていて、床と壁は本で埋め尽くされ、使う時間がないのにアンティークカメラをせっせとオークションで落とし、カメラの暗室まで作ったものの、現像した写真は整理しきれずにしまいこまれて、プリントとプリントがくっついてしまっている…。
「読んだ本は自分の一部だから、捨てたくない。興味のある映画や音楽を、他人にも示したい。いつか時間ができたえあ、とりかかりたい趣味がたくさんある」
ああ、わたしもまさにこんな感じだ。モノ=自分だと思っていて、だからモノを増やしまくっている。
そんな状態を彼は「マキシマリストだった」と表現しています。わたしも、モノの力で自分自身を増大させようとしている、まごうかたなきマキシマリストです。
昔の部屋と現在の部屋の写真が載っていますが、今はミニマリストを名乗るだけあって、居間には布団と木箱しかないところまで行きついています。ここまで変わると、そりゃ人生も人間性も変わりますよね。


本来なら荷物が少ないはずの旅人時代から人の5倍はモノが多かったわたしは、文字通りのミニマリストになるのは、たぶん、相当難しいと思います。
それに、禅寺みたいな部屋に住みたいわけでもないし(それはそれで憧れますが)、いくらモノがないったって、刑務所みたいな部屋は気分が滅入りそうです。
ただ、せめて、せっかくわたしの元に来てくれたモノたちを大切にできる部屋にしたい。わたしが好きになって、選んで持って帰って来たモノは、きれいに、大事に扱ってあげたい。「ああもう、ぐちゃぐちゃ!」とか云って無下にしたくない。モノを憎みたくない。
モノは、そこに居るだけで何も云わないけれど、何だかんだ手はかかるんですよね。特に服。白いシャツは、ちょっとメンテナンスを怠っただけで、すぐに襟の汚れが沈着する。いつ洗濯したのか記憶が定かでないから、えいっとクリーニングに出しては、それなりに金がかかる。車の維持費ほどじゃないけど、原理は同じです。
新しくモノを買うときもそう。あの機種とこの機種、どちらがいいか、どの本が面白いか、どの色柄がかわいいか…それを血眼になって検索しているとあっという間に時間は失われます。
つい先日もこんなことがありました。セールになっていたキティちゃんのワンピースを部屋着および近所出歩き用に購入、さっそく家で着てみた…まではよかった。その格好で、白いかばんについた赤カビらしきものを落とそうとしてカビキラーを吹きかけたところ、汁が服にこぼれてあちこちに色剥げがあああ!! わたしは思いました、「嗚呼、モノを減らすと云いながら、ついモノを買ってしまったからだ…」と。そして、その色剥げを隠すための方法を思案したあげく、キティちゃんのアップリケを貼り付けたらどうだろう!と思いついて、適切なアップリケをAmazonで30分近くもかけて探し、計2,500円分ものアップリケを買う…という結果になったのでした。
我ながら、“モノの奴隷"の見本のような人間だな、と呆れる以上に滑稽でした。
「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆる面倒が、ふりかかってくるものさ。運んだり、番をしたり……」と、旅人の理想像にしてミニマリストの神(?)、スナフキンも云っております。

 

そうは云っても、ここまで増えてしまったモノたちを一気になかったことにするのは、物理的にも精神的にも困難を極めます。
なんでもかんでも捨てて、「あースッキリした!」ではモノに申しわけなく、せめて、「ちゃんと使ったからもういいや」とか、「欲しい人の手に渡ったからいいや」とか思いたい。それが整理の歩みをのろくするんだけど、それでも、ね…。
モノの数を絞れば、埋もれて輝きを失っていたモノたちは、それはそれはありがたく蘇ることでしょう。だって、買ったときは、そのくらいありがたいと思って、これしかないと思って買ったのです。最初のときめきを再現しないまでも、せめて生き返らせてあげたいです。
モノが多くても、モノがイキイキと暮らしている空間というのはちゃんとあります。部屋しかり、デスクしかり。モノは多いし、ごちゃごちゃしてるけど、楽しげなオーラを放っているんですよね。せめて、そこに到達したいものですが…。

 

結局、何かを抱えていることは、心の不安と停滞につながるんだと思います。
それはモノだけじゃなくて、直近の仕事、煩わしい雑事、絶えず入ってくる有象無象の情報、複雑に絡み合う人間関係、将来に対する悲観……etc。
それらが一切なくなったら、人生はそりゃ味気ないものになりそうだけど、いまは抱えすぎてパンクしそう。いや、ふつうの能力の人ならこのくらいではパンクしないんだろうけど、低能かつ怠け者なので、キャパシティがたいそう低いんです(苦笑)。
一方で、衣食住も足りているのに、決して不幸なわけじゃないのに、常にどこかに欠損感があって、飲んでも飲んでも喉が渇く砂漠にいるような感覚に囚われます。
モノから解放されたいという自由への希求と、モノを手に入れたいという欲望と…この折り合いをつけるには、まだしばらく時間がかかりそうです。
でも、とりあえず、蔵書はもうすぐ段ボール4箱目を売ろうというところで、友達にもBL本を譲ったりして(笑)、少しずつ前進してはいます。部屋の見た目は未だ絶望的に変わっていませんが。。。

 

余談ですが、この手の「モノを捨てること・持たないこと」を推奨する本が、ことごとく電子書籍化されていないことに、いつも納得がいきません。超ベストセラーになった『断捨離』『人生がときめく片づけの魔法』あたりはkindle化されていますが、このジャンルではカリスマ的存在のドミニック・ロー●ーさんの電子書籍なんて、1冊もないですからね!
あれだけモノを減らすようにと迫ってくるのに、このような本棚のスペースを占領するモノを売るんですか、と、若干意地悪な気持ちになるんですよね。読んだら売るか捨てるかしてくださいって解釈すればいいの? それとも、ほかのどんなモノを捨ててもこの本だけは置いておく価値があるって云いたいの? …って、出版社の苦しい懐事情も分からないではないのですが。
まあでも、この本は面白かったから、特例でいいとしようか…1000円だし…。電子書籍で買えたら、文句なしにAmazonでいうところの5つ星評価だったのですけど(苦笑)。

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2015年05月10日

新地の思い出

テーマ:

大阪にあって、東京にないものは?
というお題があったとして、わたしが真っ先に思いつくのは、「新地」と呼ばれる地域です。

日本最大の遊郭地帯・飛田新地はご存知の方も多かろうと思いますが、大阪には他にもいくつか、新地と呼ばれる色街があり、今も稼働しています。
飛田のほかには、松島、今里、信太山、滝井、そして兵庫と云いつつもほぼ大阪文化圏である尼崎のかんなみ、という新地があります(北新地ってのもありますが、ここは大阪の銀座みたいなもので、ちょっと別ジャンルですね)。
わたしが新地の存在を知ったのは、高校を卒業したばかりの頃だったでしょうか。友人(女)がどこからかそんな話を仕入れてきて、好奇心を抑えきれなくなったわれわれは、わざわざ男に変装して(と云っても、すっぴん、野球帽に眼鏡程度)、車で出かけて行きました。
車中から覗いての、時間にしたらおそらく15分くらいの探索だったので記憶の映像はかなりおぼろげですが、「松島料理組合」というアーケードの表示、古い割烹のような風情の日本家屋がずらりと並ぶレトロな景観、さらにはその玄関先がことごとく赤やピンクの照明に彩られ、その中には人形のように鎮座している女の子がいて…明らかに異界に足を踏み入れている、という印象は強烈でした。
ちょっと頑張って車の窓を開けると、家の玄関にいるおばちゃんにいきなり「にいちゃん!」と声をかけられてビビりました(苦笑)。男装はそれなりに功を奏していたようです。

その後、今に至るまで松島を再訪したことはなく、次に訪れたのは飛田でした。
最初はおそらく、通天閣周辺の観光の延長でした。あのあたりは、片方しか売っていない靴や、異様に安いドヤ(宿)に食堂、青空カラオケにスマートボール、やけに高く作られている西成警察署の門…など、外国に来たかのようなカルチャーショックを受けられるエリアで、よく"大人の社会見学”と称しては散策に出かけたものでした。その流れでしぜんに(?)飛田にも足を踏み入れたものと思われます。
飛田も松島と同様に「料理組合」の看板を掲げています。松島よりも大規模に古い日本家屋が通りを埋め尽くすさまは圧巻で、いかがわしいはずのピンクの照明も風情ありまくり。何も知らない外国人なら京都観光のノリで何枚でも写真を撮ってしまいそうです。日本人であるわれわれは、さすがに恐ろしくてカメラなど取り出すことすら憚られますが…。
何しろ、道ばたで覚醒剤が売られているという都市伝説さえある場所です。最もこれは伝説ではなかったようで、何度目かの散策で同行した友人は目撃したと云っておりました(注意力散漫なわたしはスルーしてしまいましたが…)。
そんなわけで、散策にはあくまでもただの通行人としての平静さ・無関心さが求められますが、新地の端っこには昔の遊郭の建物を改装した普通の料亭「鯛よし 百番」があって、ここで食事をするだけなら女性でも怪しまれず新地の空気をほのかに嗅ぐことができます。

この「料理組合」と「玄関先のおばちゃん」と「赤・ピンクの照明」は、新地の様式美とでもいうべき特徴です。
最も謎めいている「料理組合」については、新地は「あくまでも料理屋で、たまたま知り合った男女が恋愛の末コトに及んだだけ」という理屈で成り立っているのだそうです。ゆえに、表向きは「料理屋街」なのですね。
そう云えば、中国の阿里という街でも、似たような風俗街がありましたっけ。昼間は床屋なんですが、夜になると玄関先がピンク色に染まるという…。同じ理屈なのでしょうかね。

それからかなりの時が経って、数年前、アニマル柄の洋服を探しに千林商店街に行った際、一瞬だけ滝井新地に足を踏み入れました。
大阪の新地の中で最もマニアックと思われる滝井は、現在は数軒しかないようで、実家の周辺とさして変わらぬ住宅地のなかに紛れ込むように存在しています。ある程度、検索で当たりをつけて行ったとは思いますが、飛田や松島のように「ここなんか雰囲気違う…」的な分かりやすさは皆無で、角を曲がっていきなり出くわした!という印象でした。例の料亭様式に、玄関から覗く赤い照明。このセットで、分かる人には分かるけど…という感じ。

DSC_0081 1枚だけ写真が残っていました。

そして先日のGW、久しぶりに新地スタンプラリーを更新しました。尼崎のかんなみ新地です。
思えば、尼崎という街とは、これまでまったく無縁に生きてきました。梅田から急行で約10分という近さではありますが、わざわざ遊びに行く場所でもなく、数年前に起きた尼崎事件の際、事件マニアの友達に「尼崎ってどんな街なの?」と尋ねられて、そういえば関西育ちなのに行ったことが無いな…と、軽く驚いたのでした。
尼崎は、わたしがまだ学生の頃、まことしやかに噂されていた「関西三大危険都市」の筆頭格で、もう1つは山科、そして不名誉にも、最後の1つはわが地元だったりしたのですが(苦笑)、最近その話を地元の友人にすると「いや、どう考えても隣のK市のほうがやばい」という答えが返ってきました。噂の真偽はともかく、尼崎にはそのようなイメージがあり、事件の報道を聞いた時は「やっぱ尼崎って危ない街なんやな…」と思ったものでした。しかし、それと同時に、尼崎の街の雰囲気って、実際どんなもんなんだろう…?と、興味がむくむくと沸き起こったのも事実でして、今回の帰省にてその思いを遂げるべく、街を歩いてみることにしたのです。どちらかというと、事件の起きた杭瀬をメインに歩いたのですが、今回はその話は割愛します。
というところで、前置きが長くなりましたが、かんなみ新地は、阪神尼崎駅前から続く大きな商店街を抜けたところにあります。
普通の住宅街に忽然と現れるので、心の準備ができておらず、軽く動揺してしまいました。ちょっと滝井新地を思い出しますが、滝井がもっと、住宅街の片隅にひっそりと在るのに対して、かんなみは、ザ・生活通路といった感じの人通りの多い場所に、昔の文化住宅を思わせるような2階建ての長屋が、ある一角にひしめき合っているのです。建物の大きさに対して室外機がやたらと多いのが、異彩を放っていました。部屋の数だけ室外機があるのでしょうが、だとすると、どんだけ狭い部屋なのか…。
目と鼻の先には小学校があり、まあ吉原だってホテル街のど真ん中に公園があるくらいですから別に驚くことでもないのですが、なんというか、下町の日常に普通に存在している感じがどうにも見慣れない光景で、軽く混乱をきたします。
飛田などと比べると、建物が狭小のため、女の子がけっこう間近に見えます。横目で見るに、化粧濃いめのギャルっぽい娘が多いですが、かわいさはなかなかハイレベルです。新地名物(?)玄関先のおばちゃんもちゃんといらっしゃいます。

 P5064758 決死の覚悟で(?)撮った遠景。

わりといつも、帰省しても梅田や心斎橋で漫然と買い物していることが多いのですが、次回は、残りの新地(今里・信太山)を制覇しようかな…とまた、あまり人から共感されなさそうな野望を抱いております。
そんなに新地が気になるなら、いっぺん働いて来いや!と叱責されそうですが、別に新地に限ったことではなく、行きにくい場所、異世界ほど気になるという旅人的法則(?)が働いているまでのことです。単純に、しらない街に行ってみたい気持ちの延長であり、ただし小心者ゆえ、ちら見だけで終わりたいわけです。化け物のような野次馬根性ですみません。。。
男の人は、お金を払えば入れるからぶっちゃけちょっと羨ましいです。女の人だと、働く以外は完全に部外者ですからね…でも、働くにはなかなかハードルが高いよね…。
余談ですが、ネット検索してたどり着いたどなたかのレポートに「新地の近くには必ず「スーパー玉出」がある」と書いてあって、確かに!と思いました。松島に関しては記憶の彼方だけど、他はみんなそうだったかも?

DSC_0080 今回は写真が少ないので、玉出さんにもご登場いただきました。

わたしは、地元ということでの贔屓以外の気持ちで大阪を特別視することはあまりなく、周囲からの強固な“大阪のイメージ"に戸惑うこともしばしばです(いちばん困るのは、大阪人はみんな面白い・明るいというイメージです!)。
しかし、今回の帰省でふと思ったのは、大阪って、独特のいかがわしさがあるなあ…ということでした。新地があるから、という単純な理由だけでなく、もっと街全体が持っている何かに対してそう思う。決して、けなしているわけではありませんから!(笑)
なんとなく、闇の濃さを感じさせるっていうんでしょうか。地元の方はそうでもないのですが、大阪市内なんかは、ふらふら歩いていると、ふと異界に迷い込みそうな感覚に囚われますし、街なかの雑居ビルを見ると、妖の小宇宙が広がっているんじゃないのかと思って胸がざわざわします。
高村薫の『李歐』や東野圭吾の『白夜行』で描かれる30~40年くらい前の大阪には特に、ある種の隠微さ・或いは淫靡さが漂っていて、当時の風景が残っているような雰囲気の場所に出くわすと、萌えに近いような興奮を覚えます。その妖しさの根拠をいったいどこに求めたらいいのか分からないのですけど、昔から部落や在日の問題を抱えているという背景がそうさせるのか、外から来た人には日本というよりアジアっぽいと感じられるらしい雰囲気のせいなのか、大都市のわりに奇妙に土着臭が色濃いのか…など、推測は尽きません。
まあこれも勝手な“大阪のイメージ"ですけどね…。色気を愛するわたくしとしては、このへん、もう少し探ってみたいところです。また大阪に帰ったら、異界を求めて街をさまよい歩きたいと思います。

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