思いもしない知らせに
ただただ驚き
悲しみだけが押し寄せて来たのでした
桜の花のような人でした
桜が大好きで
ハンドルネームも「桜千夜」と書いて「さちよ」と言いました
私たちはサッチーと呼んでいました
6年ほど前、「鉄腕○ASH」の掲示板で知り合った人達がいました
掲示板の私物化論争が起きた時、ある人がHPを作って掲示板を提供してくれました
そこには60人ほどのメンバーが集りました
でも、そこでも問題が発生して一年も経たずに掲示板を閉めることとなりました
その時に、新たにHPを作って掲示板を提供してくれたのがサッチーでした
サッチーのHPに集ったメンバーはほんとに気の合う人達だけでした
翌年の2月22日だったか…
私の企画で梅の咲く鎌倉でオフ会をしました
大阪、奈良、三重、千葉、神奈川、東京、埼玉から集って10人ほどでした
その時にサッチーも一緒でした
小柄で色が白く、髪が長く、桜の花のように綺麗な人でした
その後もサッチーとは、何回か機会があって逢う事がありました
月に何回か長いメールも交わし合いました
それから…私がサイトを立ち上げたのは2005年3月のことでした
サッチーは私のサイトにも立ち寄ってくれました
私が鬱病になった時も一緒に鬱の原因を怒ってくれたり、サッチー風の励まし方で私を支えてもくれたのでした
去年、紫陽花咲く鎌倉でプチオフ会をしました
前列私の隣にいるのがサッチーです
待雪草さん(左後方)と福井の友達ポトスさんと4人で会いました
この時に見せてもらったサッチーの桜で飾った携帯
サッチーのHPの掲示板に夏ごろまでは本人の書き込みがありました
9月に入って2回、10月には1回だけでした
私の掲示板には10月6日に書き込みをしてくれたのが最後でした
昨日の夕方、サッチーのご主人様から電話がありました
昨日の午前零時にサッチーが亡くなられたということでした
言葉が出ませんでした
HPに現れないサッチーを誰もが心配して気にかけていました
2月に3週間入院したというメールをサッチーからもらっていたので、その後も体調が良くないのではないかと感じていました
何度もメールをしようかと思いながらもなんとなくその気が起きませんでした
サッチーという人は、優しくて人を気遣う人でした
心配をかけたくないという気持ちが働いていたと思います
ご主人様の話ですと入退院を繰り返していたそうです
たまに書き込みがあったのは家に戻っていた時だったようです
自分に余裕がなくてサッチーを気遣ってあげることができませんでした
サッチーは鬱病の私を気遣ってくれて自分のことは何も言わなかったのだと思いました
何度もメールをしようと思いながら・・・なんとなくできなかったのです
自分に何かあった時は
この人達に連絡を・・と頼まれていたそうです
全て私から連絡の取れる人達でした
ご主人様の代わりに私がみんなに連絡することになりました
サッチーの掲示板にも書き込みで載せることにご主人様の了解を得ました
名簿の一番上に私を持って来たことはサッチーの配慮だったように思えました
全て、サッチーには読まれているなぁと今更に思います
頭脳明晰な人でした
何もかもわかっているという・・そんな感じの人でした
この桜のように明るく優しく美しい人でした
まだ40代の若さで逝ってしまいました
涙が止まらずこころが苦しいです
今年も迷わずにオフ会を誘うメールをしておけば良かったと・・・
ただただ後悔の念が湧いて来ます
多分、それでも病状を考えると逢うことは叶わなかったのではないかと思えます
入院中のお見舞いもサッチーは望まなかったようにも思えます
なにもかもわかっているサッチーは、自分の病気のことを私たちが知ればどうするかということも
私は淋しいよ~~
もう一度
会いたかったなぁ
もう一度だけ会いたかったなぁ
涙がとまらないよ~
こんなわたしの気持ちも見抜いて天国で笑っているようなサッチーのような気がするよ…
私より先に天国に逝っちゃうなんて悲しいよ、サッチー
でも、たくさんの優しさをほんとにありがとね
サッチーの言葉を思い出していつも笑顔を貰う言葉があるよ
ご主人様のことを言った時のサッチーの言葉
「私が高校生の時、奴は中学生だった」
何故か私が一番気に入ってる、サッチーのご主人様への愛がこもったフレーズだよ
こころからご冥福をお祈りいたします 風花