先日紹介した 茶目の刺激ある記事
見たいもの・聞きたいことの枠を超えること
この前 途中で断念したので 仕上げてみました
私の 古くからの読者のかたは もちろん
新しい読者の方でも かなり読み込んでくださっている方は
もう よく 分かっていらっしゃると思います
私が ブログでも セミナーでも いつも 言うことですね
「ヒトは 聞きたいようにしか聞かないし 見たいものしか見ない」
まったく 同じ話をしたとしても
その個人個人の 環境 状況 立場 そのときの感情 心の持ち方
性質 過去 経験 期待 忍耐力 などなど 多くの条件によって
発信した側の意図とは まったく 違うものとして
受けとられることは 少なくありません
茶目の記事から 一部抜粋しますと
言ったことが曲解して伝わるということ。
曲解というか、本人の中ではドストレートに正しく曲がらず受け止めているのだけども、
そもそも、自分の中にある物差しが曲がっているので
まがった基準で線を引くと結果も曲がってしまう・・・・なんていうことに陥りがち。
ふ~む うまく 表現されています
ヒトは そのときの環境で 入ってくる情報を処理します
聞きたいところだけを かいつまんで 聞いたりね
だから 次のヒトに伝わるときは 大幅に 本文は
削除されていて 違う物に なっていたりするんですわ
私の生徒さんでも セミナーの参加者の方でも そうですよ
セミナーレポートや 感想は 本当にそれぞれ
だから レポート読むの 楽しみなんです
そのレポートで みなさんが どんな状況 環境で
話を受け取っているのかが わかるからね
とても 私の勉強になり 次の話をするときの
すばらしい 参考になる
でね その 私の発信したかったものと 違っていて
がっかりしないのか って 聞かれますが
う~ん
そこで 満足するのも いいんじゃないかなっと
私は 思っていますのです
その本人にとって 都合のよいように考えるツールとして
情報を利用することで
自分の満足度や ハッピネスに繋がるのなら
それで よろしんではないかと
問題だと思うことは
何をどう受け取っても いろいろな壁にぶつかったり
ヒトと衝突して 苦しんだり ←苦しむってことは自信が伴っていない
生きにくかったり 自分の理解を超える障害を抱えたり
と言った場合でしょうか
そんなときは 自分の考え方自体を 見つめ直したり
なにかが おかしいっ っと気づくことから はじめなくちゃ
すべてのヒトに正しい答え なんて どこにも ない
科学的にだとか 統計学的にとか 大切だと思いますが
私にとっては 優先順位の 一番ではないだけのこと
・・・
そういったものも もちろん検証しますが 私の中での
ほかとの情報処理の際に しっくりこなければ
利用しないだけのこと
実体験 や 臨床 自分の過去からの経験や 現実に
目の前で起こる事象など これに まさるものは ない
かな っと そこに より多くの 臨床がもっと得られれば
もっといいし
知っていてその情報を使うのか または
知っていても それを重要ととらえず 手放すのか
これも 個人の 自由ですわ
どこに 自分の選択の鍵があるのか 決めるのも自分です
私には 本人が揺るがない 自信と幸福感を持てるのなら
それでいいと 思えますのです
それは 健康や医療での選択でも 生活のこまごまとした
選択でも 恋愛の問題に絡む選択でも 同じ
自分が 納得しているか どうか ってことかな
健康のこと とくに難しいですわ
たとえば ほとんどのヒトは 「自分の状態」 は 「特別なもの」と
思っているので どんなに 「体の仕組み」という 人間として
すでに 万人に備わっている身体の条件を 説明したあとにでも
「でも 私の これこれは こうなんです」 と
その 体の普遍的なところに 自分の症状をあてはめて みることが
できない ということが おこりますのです
「私のは 私のは シンドローム」とでもいいましょうか
それが 悪いのではありませんのよ けっこう
普通に みんなそう思う傾向がある ということ
別にまれなことではありません
また 私にとっても 驚くことでもないので
困ったことだとも あまり 思うことありません
ただ この人は そういうステージなんだな と
いう認識 ができるだけなのです
気づくまで 待てばいい かなっと
ってか こういうのって ヒトから示唆されて
はい そうですか って 聞けるものではないからねぇ
自分で ぶちあたって あれれ
うまくいかないぞ っと なってはじめて
立ち止まってみるものですわ
ここで 茶目は その先 なにをしていくか っていう
ことを 説いておりまする
すごいですな これって 個人啓発において
とても 重要なんだろうな~っと 思います
私は 仕事がら 逆に そういう事態に 慣れているので
相手を そのままで 受け止めてしまう傾向があります
つまり 勘違いしたままで いさせる っていうんでしょうか
あえて 勘違いを 放置してしまう
だって 本人以外 修正なんてできないし
まさに 茶目がいうように 「本人は 正しい
受け取り方を している気 満々」ですから
それは それで その人にとっては もう 真実になってる
実際には 私の発信したものとは もう 違うもの
だったりするんだけどね
その人の 指し示す 「勘違いした」 私からの発信を
「私のもの」として 受け取るヒトも 発生するということ
これまた 理解したうえで いること 大事です
発信するということは 自分の思うように その
情報が 100%伝わるばかりではないのだ と
覚悟することも 大切だと思います
そこに 「誤解」 といわれる ひずみが生じても
動じないで いられることも 必要かもなぁ
何かを伝えるって 難しい
ややこしい~ ね
この理論は 生活 恋愛でも 同じことですな
生きにくい方 や 人生・恋愛で 閉塞感のある方は
やっぱり どこかで 思考回路がうまく循環 しておらず
まわりとの 調和がとれていない ということですから
その 滞りを ほぐしていくためにも
プロに 話をきいてもらうってのも 手だと思いますよ
私の知ってる限りでは あまりたくさん いないので
ほかのブロガーさんの お勧めなんかも 調べてみたら
いかがかなぁ
私のお勧めでしたら ご存知 3大王
ビジネスや人生の岐路に立っているのなら 茶目
家庭 や 仕事 マイルドに 生活循環立て直し を
したいのでしたら ヒロ
恋愛で 堂々巡りで行き詰まっているのなら kenbout
かな~
お~ 全部 私の愛する男子ですわ~
もちろん 尊敬しておりますので 愛しております
愛しているから 尊敬しているのではないのよん
うふ みんな分かってるか
ま 愛するヒトにでなくては 愛する読者を任せられませんですわね
なはは
おっと 夕飯作らなくちゃですわね
では またね~ん
チャ