禅タロット小アルカナ考察:雲の6・THE BURDEN | 穂積の覚書

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月が綺麗ですね! ……って昨日書こうとして、眠気に完敗した穂積です。

昨日はこっちも曇ってたけど、短時間だけ見れたのに。10時頃から舟漕いでるとか。気がついたら12時過ぎてるとか。



さて、今日は雲の6・THE BURDEN(重荷)。

重荷と言うと火の10を思い出します。雲の6もまた負けず劣らず。



穂積の覚書-気まぐれ屋本舗-64

すごいの背負ってる!!Σ(・・;)

疲れきった人の上に、えらそーな人と雄鶏が乗っています。下の人に山を登れと指示してるみたいです。

なんというか、あれだな。少年格闘漫画にたまにある、「そろそろ本気を出すか」とか言ってすっげー重いリストバンド外すみたいな。「そんなものを着けて戦っていただと……!」みたいな。

でも、この人たちが格闘漫画に出たら……「うん、いいからその上の降ろせ……?」って言われると思う。優しく。もう格闘漫画と違う。


上の人は棒(ワンド)を持っています。ってぇことは、本来の行動力を持ってるのはこの人なんでしょう。下の人ではなく。


立派な服を着たえらそーな人だからと言って、言われるがままにしていれば疲れます。何せ上の人は疲れていないので、下の人が疲れてるとか思ってません。ああしろ、こうしろ、と呵責なく命じてきます。

そういう人が実際に肩の上にいれば、ほとんどの人が背負うのを止めるでしょう。っつーか、乗ってこようとした時点で払い落とす気がする。でもこの人は実際の体には現れない。現れるのは心の中。私たちが「自分の声だ」と思いこんでいる、他人からの影響。


例えば親からの刷り込み。

友人の一言。

悪意ある人からの心ない言葉。

TVで見たショッキングな映像。

本に載っていた効率的な生き方。

今はもうないのだけど覚えている、心の傷から自分を庇う方法。


毎日毎日いろんな物を取り込んで、もう何が自分のものなのか分からない。


カードで登っている山自体は、火の2や火の8で見た山と通じる感じがします。あの時登ろうと決めた山です。

でも何のために登るのか、どうやって登るのか、そういうことを見失って他人に任せちゃってる。多分本人にはそのつもりはないんだけど、他人の目的意識、他人の方法で自分をどこかに行かせようとしている。


例えばまあ、お金が欲しい。恋人が欲しい。ダイエット成功させたい。

それはなんでかって言われれば、そうしたら幸せになれるはずだから。根拠は、親が、友人が、TVが言ってたから。それが常識だから。

お金も、恋人も、適度なダイエットもとても素晴らしいものです。

でもそれを得ることによって掴めるであろう幸せの根拠を、自分ではなく他人に任せてしまうと、不思議なことが起こる。幸せになるはずなのにならない。じゃあもっとお金があれば、もっといい恋人がいれば、もっと痩せれば……でもやっぱり幸せだと感じない。こんなはずじゃない。じゃあもっと……。


もっと、もっと、と言っているのは本人ではなく、上に乗っているえらそーな人かもしれない。

この人を降ろしたら、指示してくる人がいなくなる。どこへ向かえばいいか分からなくなるかも知れない。

では、降ろさなければ? もっともっと、という声に逆らわず、体力も気力も尽き果てるまで頑張り続けたら、結果得るものと失うものは?


ちょっと考え方や環境を変える必要がありそうです。

出方が悪い場合は、思いこみや固い考え方に固執して、柔軟さがない感じが窺えます。

「それ降ろしなさいよ」って言われても「何も背負ってないよ!」とか「背負ったままでいいんだよ!」とかキレる感じ。


どうせ登山するなら、もっといいもの持っていきたいですよね。

お弁当とか、防寒具とか、一緒に頑張れる仲間とかね。