阪神淡路大震災15年目の夜 | HOBOのブログ

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老化防止のためにキーボードを叩きながら旅先の話や
ちょっと感じたことをチラッと

ペタしてね


今日午後9時半頃神戸空港着の便で帰って来ました。


降下しながらみた神戸の街は光あふれていました。


15年前の今頃は真っ暗で不安がいっぱいでした。実家の近くの


避難所になつていた諏訪山小学校の教室で、たまたま知り合いの


日本料理屋の大将が「HOBOちゃん最近うちの店にこーへん思ったら


こんなとこに来てたん」と言いながら昼間に倒壊した店の冷蔵庫から


なんとか取り出したマグロの刺身・穴子をごちそうしてくれました。そう


です震災の夜から避難所で刺身で一杯飲んでいました。


他人にはとてもお勧め出来ない震災の体験ですが、私は強がりでは


なく体験して自分が成長したと思います。ある避難所のお手伝いをして


いましたが、救援物資をどのように振り分けてどのように管理するかが


案外難しい問題でした。避難所には面積の制限があります、それを超えて


物資をなんでも引き取ることはできません。ごく少量で良いものなら自分


たちで調達した方が常に必要な大事なもの(水など)を貯蓄する場所を確保


しなくてはいけないというようなことや、排泄物の処理の問題など、ほんとに


本来あったものが無い時の対応がどれほど難しいかを知らされました。


また、被災地に必要なものも経時変化します。それへの対応です。


実家が全壊扱いになり私が一人住まいしていた賃貸マンションだけがなん


とか使える状態ですぐに分譲マンションを実家用に入手したのも被災して


1か月以内でした。でもそのようなシチュエーションを楽しんで出来たのは


なんだったのでしょうか?自分でもいまだにわかりせん。


すみません、思いついたことをダラダラと書いてしまいました。