人は住むためにいかに闘ってきたか。 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

人は住むためにいかに闘ってきたか。

 ハローワークのワンストップサービス、そして住宅支援について濱口先生 のところでも言及されていて、そうですよねーと思っておったところなのですが、本棚片付けてたら、探していた本が出てきたのですーー。うれしいー。たまには本棚整理してみるもんだ。

人は住むためにいかに闘ってきたか―欧米住宅物語/早川 和男

 厳密にいうと、上で貼っている本は新装版なので、出てきたのは、旧版(新潮選書)なのですが、これは、新装版にした版元えらい!名著です。70年代から日本の「住宅福祉の貧困」をずーっと言ってらっしゃる第一人者の先生と言ってもよいのではないでしょうか。若いときに読んで感動した本です。以前紹介した平山洋介先生の「住宅政策のどこが問題か 」でも触れられていた日本の住宅政策における大きな事件、75年の福岡県の老人がおこした単身者入所に関しての裁判なのですが、その証言にも立たれた方。もともとはこの本は「欧米住宅物語」というタイトルでして、新装版ではサブタイトルのほうをタイトルにされています。旧版でもこのサブのほうに思い入れがあるということは書かれていたので、そういった思い入れも加わって、新装版のほうではさらに記述が加わっているのかもしれませんが、今この旧版を読んでも、すっごくおもしろいですね。記述が思想引用大博覧会にならず、世界中を自分の目でまわって、現場の取材をされ、そして文献調査や歴史的な背景にも目も配って、自分の言葉で解釈を入れていく、これぞフィールドワークでもあり、アカデミックでもあり。あの人がこういってるだの、この人がこういってるといったサークル内のみみっちさも微塵もなく、未開拓の地をグイグイと分け入っていくダイナミックさと熱さ。

 日本は“「住宅」は、「公」がお世話するもん”って意識はないですよね。

 欧米はどうなのか?そもそもはないんです。でも、「公」が世話するもんだ、「住居は人権である!」って意識は、民が、政治家が、専門家が、思想家が、建築家が、多くの人が悩んで、闘って作り上げたもんだったことがほんとによくわかる本なんですね。

 以前、仕事でハウステンボスに行ったときに「ここ街が死んでるよ。昼間に働いている人が、夜は上の階に住んだほうがよいよ。ハイジみたいーでいいじゃん。干し草のベッド作ったらいいじゃん(笑)」と半分冗談で言ってたんですが、例えば、私が「大阪城に民が住んだらいいのに!」って言ったら、まあ日本だと「キチガイ」扱いでしょうが、実際にフランスだと、古いお城を改装して、「公」の住宅にしてます。お城ですよ、お城、お城に住めるんですよ、ワクワクしましたね、昔読んだとき。あっ、ビンボーくさい社会運動が嫌いなのは、この本のせいかもしれない(笑)。

 黒川紀章さんが都知事選のときに、「議員宿舎にみんなで住んだらいいんです」、「霞が関移転して公共住宅つくってみんなで住んだらいいんです」と言って、笑われてましたけど、ほんとは笑いごとじゃないんです。社会住宅における「ソーシャルミックス」、「階層ミックス」、「世代ミックス」というのはほんとに大事なんです。しないとスラム化しますから。だから「お城」なんですよ。金持ちも「これはステキだわー。これは便利だわー、うちの地域にあってもいいわー、私もできれば住みたいわー」という低家賃の住宅を作らないといけないんです。日本の団地政策がよろしくないのは、世代を固定して入れてしまったことです。そりゃあ同じ世代だけがどーんといたら、数十年後にいっきに「限界集落」と化します。たまに孤独死発見みたいなところ、できれば住みたくないでしょう? 

 日本で「社宅」は割合一般的でしたが、欧米や豪州の社会運動をしている人は、一般的には「社宅」をいやがり、公の「社会住宅」を求めて運動をします。それはなぜでしょう。本から抜粋しますね。イギリスの社会運動家の言葉から。

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 「社宅は一種の落とし穴です。いったん社宅に移り住むと、多くはそこから出られらない。社宅の居住権については法律上の保障がありません。だから職を失うことは、すなわち家を失うことを意味します。つまり多くの人々は借家人ではなく、奉公人が住まわしてもらっている状態なのである。(略)

 多くの人々にとって社宅ははじめのうちは魅力あるものです。(略)

 社宅はまた、より高給、よりよい労働条件の仕事を探している人々にとって落とし穴となります。家を失う恐怖が低賃金と貧しい労働条件に甘んじるという事態を生みます。給料の値上げの交渉がやりづらい。その証拠に社宅の普及しているホテル業、飲食業、サービス業、病院などは給料が安いことが当然となっています。実際、賃上げや労働条件改善を求めるストライキがおこった場合、社宅は非常に危険な武器となります。

 たとえば、ホテル産業はイギリスではもっとも利益を得ている産業ですが、労働者の賃金は最も低い。このような状況のもとでは当然、労働組合の団結力も弱い。ホテル業や飲食業の労働者の中心は社宅に住んでいる人々であり、社宅は若い人たちを低賃金の産業に集める誘引剤になっているからです。

 このように給与住宅は本質的に不十分な住宅の所有形態です。それは雇用と結びついており、けが、病気、退職といった仕事といった仕事をするうえでの障害をもってしまった人にたいして容赦はありません。社宅の住人は住宅としての魅力によって住んでいるのではなく、低賃金住宅不足への絶望感ゆえにこういう状況に甘んじているのです。(略)」

 西ドイツにもかつてはたくさんの給与住宅があった。しかし現在はシェルターが指摘するのと同じような理由から労使双方が敬遠し、減少している。給与住宅は、経営者にも負担になる。労働者にとっては、社会の人間関係がそのまま持ち込まれ好ましくない雰囲気が出ている。移動を拘束されて会社をやめると出ていかねばならない。こういった理由で現在西ドイツでは社会住宅の一環として給与住宅が供給されている。社員の住宅を確保したいと思う企業は、社会住宅を供給している住宅企業などに出資する。そのかわり何戸かの住宅を優先的に割り当てられるというもので、退職してもでていく必要はない。フランスも同様であることはすでに述べた。

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 今から20年前の本なのですが、別に古く感じなくない?。それはきっと日本の住宅に関する「ソーシャル」の歴史が100年くらい遅れているからです。

 

 ところでみなさん「スクオッター」ってご存知でしょうか。日本語にすると身もふたもないかんじですが、「空家占拠者」ですね。以下は最近の記事。スウェーデンの記事だと見出しに出てますね。内容は「若者の住宅不足に対する抵抗運動」かな。下は日本の記事ですけど、「すごい一等地の大豪邸を占拠されたよー、しんじられーん」ってかんじの記事ですね。そこにも書いてますが、法的には罰せられないはず。

Sweden sees wave of squatter evictions

http://www.thelocal.se/15782/20081119/property

家のない人には優しい?ロンドンの空き家住まい

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/104

スクオッターはそもそもはオーストラリア史の言葉でして、興味ある方はこのあたりをご参考に。
http://www.ajf.australia.or.jp/aboutajf/publications/sirneil/dict/Squatters.html

 スクオッターは60年代から70年代の西ドイツやイギリスなどで広まった政府の住宅政策の貧困を告発するための抵抗運動ですね。たくさんの組織があります。日本の学生運動は大学占拠してましたが、欧米では空家占拠して、福祉のために闘っておった人たちがたくさんいたという経緯があります。当時はけっこう支持もされていました。「爆弾より住宅を!」ってかんじで、今の日本人から見れば、十分暴力的ですが、向こうの運動にしては平和的なほうかもね。今でもスウェーデンの記事も「けしからーん!」って書き方ではないでしょ。空家のまま何年も放置されている公営住宅を占拠して自治体と交渉、家のない人々に無料、もしくは週2~3ポンドの低家賃で提供していました。

 誤解してほしくないのは、日本でもやればいいのにってことじゃないですよ。歴史や社会意識がないものやっても国民の理解得られないですから。欧米でもうまくいった例もたくさんありますが、失敗した例もたくさんあります。こうした運動によって、占拠した住宅が犯罪の温床にもなることもあったし、警察との排除の動きで暴動になることもあったし、戦車も出動してましたし、地域に大きな亀裂を作る場合も多々あります。 だから、湯浅さんは「派遣村」を作ることで「住宅福祉」を可視化し、「ハローワークでの住宅支援」というショートカットで動いているのかなあと感じます。まあ100年以上遅れてるし。とても平和的。「住まいは公が面倒みるもの」という意識がないところに運動を作るわけですからとても大変だろうと思います。でも多くの国は「住宅福祉」でも血を流しているわけで、犠牲者が出れば、政治家も官僚もあとあとほんとに大変ですよ。人はショートカットを今まさにしている場合、わざわざ遠くのまわり道を見にいこうとはしません。だからなかなかショートカットを案内してくれた人に感謝ができない。行政官や政治家はこの本を読むといいかと。


 フランスだと、もっとも古い公営住宅は1867年。シャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルトによって作られました。軍人としてのナポレオンのほうが一般的には有名だと思いますが、ナポレオンは労働者階級に向けて「ナポレオン共同住宅」を作りました。そのほかにも貧困層への無償教育や裁判費用の免除や国選弁護人をつけることを実施した統治者でもあります。

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 1867年、はじめての労働者共同住宅をパリ・ロシャール通りにつくった。アパートはその名に因んで、「ナポレオン共同住宅」と名付けられた。5階建ての住宅に600人が住み、家賃は他より安く固定されていた。各階に便所と流しと給水があった。階段入口は門衛によって管理され、中庭には噴水、右手中庭の奥の建物には共同洗濯場といつもひらいている浴場と託児所、そのさらに奥には小学校があった。医師は施設に直結し、毎朝無料診察をおこない、自宅にも往診してくれた。薬も同じく無料であたえられた。これらのことを文献で読んで知っていた。

 1990年7月ナポレオン共同住宅を訪れた。なかなか見つからない。バーに入ってたずねたら、それが目指す住宅であった。一階がバーとレストランになっていたのである。ロシュアール通りに沿った地域一帯がそうだという。淡いクリーム色、ややうす汚れているものの「老朽化」しているという感じは少しもしない。建物中央の通路を入ると中庭になっている。静かな空間を住宅が取り囲んでいる。140年前の住宅に現在も人が住んでいる。これが住宅のストックというものなのだろう。そういうことの積み重ねが街を人の住む空間にしていくのであろう。

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 そして第2次大戦後、住宅運動はそれは一人の幼児の凍死からはじまりました。

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 1953年から54年にかけて、パリに冬はことのほか寒かった。暖房のないある粗末なアパートの1室で一人の幼児が寒さのために死んだ。

 戦後10年たち、破壊されたパリの街もある程度復興していた。しかし、まだ満足すべき住居を得ていない多くの人がいる。低所得層の人々は街頭に出て、“住宅をよこせ”と叫びながらデモをした。1年に何度も組織的でないデモがおこっていた。それでも住宅問題はそれまで一度も政治的事件としてもりあがることはなかった。

 それが今回火がついた。

 -----家が粗末なために子どもが死ぬとは何ごとだ-----

 幼児の死が伝えられるや、住宅問題に苦しむ労働者や低所得の人たちは街頭に出て、「住宅よこせデモ」をくりひろげた。デモにはピエール神父、建築家ル・コルビジェも加わっていた。住むところがなくて、絶望していた人たちはこれによって勇気づけられ、運動が盛り上がった。HLM運動にもはずみがついた。

 政府は30億フランの資金を急遽あらたに貸しつけ、住宅団地が急ピッチで建築されだした。

 1954年2月には「百万戸住宅作戦」が法制度化された。融資金額はコストの85%までが45年返済。利子は1%。その結果、58年には32万戸、67年には42万戸の住宅が建った。

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 60年代から80年代も学生運動と相まって、住宅運動も再び盛んになります。戦後建てた家が老朽化していて、快適な住環境とはいえなくなってきたからです。

 そして80年代以降は、低所得者住宅のイメージがついてしまうことでの社会分離が問題になって、住宅問題は新たな課題を抱えます。そこで、歴史的な建物の保全という目的、建築技術の革新という道具をもって古い居住区、歴史地区に入り込み、先買い権を駆使して建物を再生していきます。ソーシャルミックスの意図もあります。昔の洗濯工場、セーヌ河沿いの廃墟となった工場を買い取り再生、都心の古い倉庫をアパートにしたり、17世紀のホテルを改装、修道院を集合住宅にしていくわけですね。低所得者の住居の、兵舎のような、だたの箱のようなイメージを変えていく。「パラシオ」(宮殿)だった低所得者住宅。「空想的社会主義」とエンゲルスに揶揄されたフーリエの夢は80年代に少しだけ叶っていたのかもしれません。


 ちなみにナチスが若者に人気あったのも低家賃の住居を作ったというのもありまして、ナチですかと言われば、ナチスもやってた政策です。はい。濱口先生もいつかそんなようなこと堂々と書かれててさすがだなと思ったのですが、結局、そういうことだけを焦点化してくる人というのは政策の歴史を知らないですよ。人種差別的な文脈で捉えてしまうとこの場合はだめなんですね。社会住宅供給のための運動や、施策は世界でわりと多くの国でやってることであり、「住宅の供給量と質の向上」という解決策から離れてはだめなんだと思いますよ。じゃないと、妙な人種差別につながってしまうし、議論として、「差別はやめましょう」みたいなお道徳の話にしかならない。


 日本の環境保全とか、歴史的な街並みの保全といったことに興味がある人が出てきましたが、まだまだノスタルジーの文脈なんじゃないかと思います。先にいろいろと悩んだ国のことを勉強してみるのもよいかも。かつてのポストモダンの批評家たちに社会についての批評眼が多少あったら、スター建築家が出ていたときに、ちゃんと語ることはたくさんあったと思うんですけどね。都市論を表象文化論のみにしてしまったのは、もったいなかったように思います。



・こちらも参考

何が居住福祉資源となるか発見しよう 早川 和男 (はやかわ かずお)
http://www.mizu.gr.jp/people/ppl_30a.html


 早川先生が書かれていますが、本書を書かれてきた動機は「欧米の労働者の住宅はなぜ良くなってきたのか」という素朴な疑問です。「良くなってきたのか」というところが重要だと思うんですね。だから読んでて基本的に明るいんです。私は犯罪関連のことをよく書いていますが、「どうして治安が悪化するのか」、「犯罪がなぜ増えるのか」というふうに考えるから、あさっての方向飛んでいってしまう人が多いと思うのですが、「犯罪がどうして少なくなってきたのか」なんです。そういうふうに考えると違う道がいろいろ見えてくるんじゃないのかなあと思います。


住宅貧乏物語 (岩波新書 黄版 77)/早川 和男

災害と居住福祉―神戸失策行政を未来に生かすために/早川 和男

続く~

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10373673157.html